赤い金木犀の散る中で
血は混ざり、衣服と肌を染めるのが当麻の赤か、椿の赤か、解らなくなる。
互いに交わし、切り裂き、衝突しては欠けて壊れて行く。
壊れて砕け、散って溶けて混ざる二人。
痛みは鼓動。鼓動は嘆き。どうしもないのだと、ただ暴れる感情の渦で繰り出す刃。
壊れないといけない。
砕けないといけない。
抱える想いが大きすぎて、当麻が耐えられない。
心臓が動く度に激痛が走り、熱が高まっていく。
幾百だった花びらは、何時の間にか千を超えて二人を包み込む。
それでも止まらない剣閃の舞。赤が往き、白が飛ぶ。鮮血の飛沫がその証。
最早、言葉を紡ぐ余裕もない。切り払い、崩した所へと突き入れる切っ先。
――その鈴の音を、悪魔の暗闇から救い出す。貴女の魂を、闇には落とさせない。
千の記憶、万の想い、億の祈りを込めて、風を裂く一閃。
求めたのは温もり。欲しかったのは安らぎ。
守りたかったし、その為に幾ら当麻が削れても構わない。その後、椿に会えるなら、触れあえるなら、どんな激痛にも耐えられる。椿の言葉は、温もりは、それを癒すのだ。
なのに、その椿の形と声をしたものが当麻の身を刻む。肉体と魂に亀裂が走る。一生癒えない傷となる。
どうしてこうなったのだと、刀が泣く。打ち鳴らした余韻で刀身が未だに震えている。
まるで当麻の本音がそうであるように。けれど否と心を奮わせ、心の中に宿した閃光を消さない。失わず、忘れない。
次は何処にいけるだろう。未来の話をしたい。今を語りたい。共に見られなかった光景を悔しくて、それでも少しでも共有したくて言葉にしていたい。
それは椿だからしたかった事。
血と殺意を持つ彼女ではない。
血で汚れて良い人じゃない、椿は。
二度と泣かせない。笑顔でいて欲しい。その為に希った銀の光は、けれど今、血濡れの道を照らしている。血で汚れて果てる道しか照らしてくれないのだ。
他に道はない。二人が交わる道なんて、流血の赤さだけ。銀光がなくとも、当麻の目に見えたのは穢れた死人の道だけ。
優しさも愛も、魂も心もう何処にもないのだと、感じていた。
だから殺す。殺すしかない。
本当に守る為にはこうするしかない。魂の輝きだけは奪わせない。
どうしてこうなったのだと悩むより、椿に何をしてあげられるか。その為にこの腕は、指は、剣は何を目指し、何を成せる。
一の愛は、殺意と共に放たれていた。
――この鈴の音より、君が欲しいよ。血で汚れても、暗闇の中でも、君さえいれば構わない。
喉を掠めた切っ先、その怜悧さ、美しさ。
そして一途さに、椿は目を細めた。変わらない。変わらない君が愛しい。
ねぇ、本当は泣き叫びたい。君に抱きしめて欲しい。一瞬でも早く、一秒も惜しい程に。
独りは嫌だ。血で汚れるのも嫌だ。なんで、君と殺し合いをしているの?
それが悪魔との契約。解っている、骸は骸同士、抱き合うしかないとあの悪魔は笑っているのだと。
――それでも、君が欲しいの。
雪のように白い当麻の切っ先を僅かに払った椿の血刀。
摩擦で上がる火花が、涙のようだった。でも、泣かない。
――君に涙は上げたんだよ。
それが誇り。魂の欠片。椿が残した、愛の形。その証明。
まだ愛している。変わっていないと自覚する為の唯一のもの。眼が熱い。何かが染み出してきそう。ああ、きっと体内はぐちゃぐちゃに壊れているだろう。
精密さのない、暴れるだけの鼓動。限界を超えて駆動させる、屍の身体。
冥魔に堕ちた身体が無理な動きで負傷した筋肉と骨を急速に治癒して元に戻していっても、本当の中身、心はもうバラバラだ。
吹き上がる血は、千の花びらに紛れて、今の剣戟でお互いに何処に傷を負ったか解らなくなる。
心が痛いから。もう千切れてしまっている位に。だから、身体の痛みに気付けない。
ただ、視線を逸らさず、願う。
――君が欲しい。
あの時、文化祭で握り合ったように。手ではなく、当麻の全てが欲しい。
椿の鼓動は、この呼吸はその為にあるのだから。募る愛。息と心臓の動き続ける意味を、椿は知っている。
これは、椿の恋だと知っている。自覚している。誇っている。
だから。
ちりんっ。
鈴が泣いている。
泣いているから、救わなければ。終わらせなければ。
交わされる愛と殺意の結晶。鋭利な剣閃の筋が空間に跡を引き、致命傷のみを避けた二人を繋ぐ。
傷口から溢れた血は互いの間を行き交い、二人を結んだ。二人を繋げて一つに溶かしていくような、狂おしい激情の流れ。
なのに動きは流麗で美麗だった。
風と花びらを友とし、歌うように剣舞へと身を投じている。一瞬の停滞が死へと繋がる刃の向こう、そこにいる者へと全身全霊を込めた剣を送る。
打ち合う音は硝子に似ていた。
壊れていく、硝子の音色。終わってくれと、刀の方が哭いている。
「愛している」
だから当麻は止まらない。せめて自分の手で、この幕を終わらせよう。
今なら誰にも邪魔されない。せめてこれ以上、朽ちる前に。腐る前に、自分の手で殺す。
この場で逃がせば誰か、別の撃退士に殺されるかもしれないヴァニタス。なら、その心臓の止まる瞬間は看取らせて欲しいのだ。
姿だけかもしれない。それでもこれだけは、譲れない。この想いだけは。
もう最後に残った、当麻が椿に出来る事と思うから。
「愛しているよ」
くすりと微笑む椿に、何故か、当麻も笑って応じた。
腹部を裂かれた。肩口を捉える。
致命傷だけを避け、繰り返される剣戟。銀光と赤の軌跡。決して、手は抜いていないのに。
ただ、知っている。共に学んだ剣。共に知った剣。
反射で身体が避ける。命など惜しくなくとも、ついに過去が大事だから繰り返してしまうのだ。
繰り返す応酬は、過去の焼き回しに似て、けれど命を断つ鋭さと重さを宿している。
ただ、それだけが違い。
故に、黄泉津比良坂。
閉ざされた涙という岩のせいでお互いの本音が見えず、刃を交わす。
「もう貴女は終っている――彼女を穢すな、彼女のように笑うな!」
「君と一緒に始まろう。救いは、ほら、そこだよ?」
命と死の契り。流血の中、狂い叫び、お互いが見えていない。
血に濡れて微笑む姿、椿ではないと断じた当麻。何故殺せる。穢すな。
それが当麻への一途な恋ゆえと気付けず、椿の浮かべる微笑みが、くしゃりと歪んで泣きそうな顔を誤魔化す為のものだと気付けない。
本当はそんなに強い人ではない。憧れ故に曇った、当麻の狭窄視野。
泣かせないと誓ったのは当麻で、それを守っていると気付けない愚か者。
涙を見せないと、それが強さだと勘違いした少女。だから椿は、悪魔の掌で踊っている。この場、金木犀は悲しみの匂いすら隠す。
悪魔に操られる、弱い椿。強すぎた恋の祈り。黄泉から這い上がった時から、悪魔の毒に縛られている。
一瞬だけでも本音を晒せば解る筈。それ程、二人は深く、今でも繋がっているのに。
たった一枚の岩戸と一つの錯覚、擦れ違い。だが、その想う深度において深すぎて、一つの賭け違いが致命的だった。
二つの心は透明。純粋過ぎて、互いを映している。
本当に良く似た者同士のせいで、勘違いしている。
似ているから。好きになった。好きだから、余計に似て行ったのだ。
染め上る鮮血の赤のように、二人は交わっていたのだから。肌の温もりを憶えている。声の安らぎを追憶している。
だから過去を振り返るばかり。今目の前にいる相手を、確かめようとしない。
したとしても一瞬。その差異だけに目がいって、気付かない。
腐っていると言う。愛していると言う。血で汚れていると言う。
でも、その心は。魂は。
信じるが故に、確かめない。ありきたりな擦れ違いが、刃となる。
だからこそ、風に揺れて巻き上がる真紅の花びらが、悪魔の賛美だと気付かない。
肌に触れる。耳朶を打つ。
美しい。美麗で悲しく、滑稽なのに真摯過ぎて、相手を殺そうとしてしまう。
気付ける筈の事に気付けない。周囲の赤が消え、変わり、薔薇の蔦が周囲の木に絡まり始めた事も。
それは青い、青い蕾を付けていた。
約束の冥界の花が咲こうとしていた。
永遠の象徴。現実に、人の世に咲かぬ花。
それすらも、悪魔の、ソドムの気まぐれに過ぎないというのに。
「覚えていますか?」
動きに合わせて響き続ける鈴の音に、当麻は問う。
椿にではなく、その鈴に。
「その約束を果たしますよ」
――鳴らしたら、助けにいく。絶対、二度と泣かせない。
「ううん、その約束は、良いの」
――そんなものより大切なものがある。剣より、鈴に籠められた願いが嬉しかったよ。
互いの瞳を捉え、けれど交わりも通じもしない。
二人の動きが止まる。必殺の機を見たのだ。
「…………」
当麻の心は透明。透き通る程に。だが、中身はバラバラで崩れている。中で何と何が衝突し、捻じれているのか見えない。矛盾も葛藤も同じ色。見えない。感じない。あるのは激痛のみ。
――こんなものから、救わないと、いけ、ない。
心がそうなら身体もそう。限界を無視して動き続けた筋肉は、千切れかかっている。ぐちゃぐちゃで、ばらばで、とうの昔に崩れても可笑しくない。
意志だけで動いた当麻。それが僅かに揺らぐ。構えが解けて、隙を晒す。
「――っ―!」
反応した椿。隙は一線上にだけ、斬首の軌道。自分の最も得意する技の機を見て、血刀が翻る。
だが椿とて限界は同じ。構えた瞬間に姿勢が揺らぐ。半拍子崩れて遅れた。当麻がその間にと後の先を見出す。
「…………」
「…………」
構えられる太刀。その姿、態勢、共に同じ。鏡を前にしたように、同一の技。
斬首を狙う一閃を放つ為のもの。
その首を落とし、咲かせよう。終わらせよう。
永遠か終焉か。いずれにしても、どちらかが散るのだ。
ちりん、と鈴が鳴る。鳴り響いて、余韻を空間に満たす。
「ね」
それはもしかしたら、椿の静かな嗚咽だったのかもしれない。
そんな風に当麻は感じた。でも、止まらない。
「文化祭、楽しかったね?」
「もっといろんな場所を紹介したかったですよ」
「女の子とか横にいたりして、悔しかった」
「椿さんがそんな嫉妬するとは思えません。第一、常に想うのは貴女だけです」
「そう言われても、女の子は不安だよ」
「……そうですか。その辺り、よく解らないですね。すみません」
くすりと笑った。泣き零れるように、声が剥がれ落ちた。
それは心の断末魔。此処に来て、二人の感情が揺れる。
「でも解りました。もう離れません。共に、死にましょう」
「…………」
守りは捨てる。交差法で斬り込み、椿の首を落す。その先か後かに当麻の首も落ちるが、気にする必要はない。
「もう、離れません」
「……嬉しいな」
そう約束する。愛と殺意で、二人を閉ざしていた岩を崩す。
そして黄泉へ。異界の花へと落ちる為。
舞い散る赤き金木犀。約束を嘲笑う血染めの花が、二人の間から離れて取り囲む。
邪魔者は不要。此処にして終焉を。
だからと奔る刃――人の心を乗せた、それ。
凛々しく、激しく、清冽で純潔だ。
他の何者も踏み込めぬ神聖なる願いの領域。
「美しい」
故にソドムは呟いた。
時よ止まれ。過ぎ行くこの瞬間、終って欲しくない美麗さ。
張り詰めた空気は瞬間、互いを斬る刃となるだろう。断頭台の契りにして、全ては終わる。
これは慈悲だ。楽しませて貰った。二人して生き還らせて、この異界の穴で、ソドムという体内に住まわす花としよう。これは決めた。確定だ。
異論など認めないし、挟ませない。
「…………」
そしてシェンナは喋れない。約束を違えさせ、契約を更新する事の出来る少女が涙するだけなら、それは肯定という事。
――代わりに泣いているのかな。二人の為に。
それもまた一興。この物語に、約束と過去は欠かせない。
「何を感じ、何を思い、何を成す?」
最早見えた結末、終焉。それは昔、その人物に起きた事柄を読めば解る事。
過去にああしたから、後悔した。故に二度は繰り返さない。
昔に約束した。だから何度でも繰り返す。
人を形作るのがそういった経験ならば、その経験から逆算していけばいいだけの事。
そうやって物語の筋は作られる。後は役者の感情がどう鳴り響くかだ。
最も、今でもどう終わるかは解らない。胸が高鳴る。椿の恋は叶うか。それとも当麻の愛が救うのか。
ああ、二人共に果てて、蘇らせないというのもありだ。片方だけというのもある。
だからこそ、その最後を見せてくれ。
愛で、恋で、祈りと願いで、その身体を削って鳴り響く音色こそが至高。
己を弦として、触れる二つの弦楽器。身を擦り切らす糸として、さあ、さあ、さあと。
「時が止まる事など、ないのだから」
だからこそだ。
過去が人を作るからこその激しさを、ソドムは見落としていた。
そこに、劇を突き崩す陥落の一点があった。




