第六十四話「油断しました」
朝から酷い目に遭ってブルーな一日だったけどようやく放課後になった。ニコライ流の特訓に向かおうと廊下を歩いているとまた前の空き教室からにょっきり手が出ていた。どう考えても舞の手だ。
「なぁ……、こんなに毎日侵入してきていて大丈夫なのか?」
空き教室に入りながらそう声をかける。
「そんなに私に会いたくないの?」
すると舞はウルウルとそんなことを言った。目がウルウルしているかどうかは瓶底眼鏡のために見えてない。声はやや震えているからウルウルと言っただけだ。
「いや、俺としては毎日舞に会えてうれしいよ?でもこんなに毎日入って来てたら危険じゃないのか?」
「それは大丈夫だよ。アンジェリーヌ様の使いで入ってるんだもん」
舞はそう言うけど俺はイマイチ納得出来ない。アンジェリーヌだってあまり良い立場じゃないはずだ。こちらの世界ではもうパトリック王子との許婚候補は解消したって言ってるけど、それでも王子達からあまり良い目では見られていないはずだ。
解消するまでにもアイリスと対立していたから王子達はアンジェリーヌを敵視しているに違いない。別れた今となってはアンジェリーヌの方は、パトリック王子なんてもう何とも思ってないのかもしれないけど、王子達の方からすればまだアイリスを狙う敵に見えていても不思議はない。
そんなアンジェリーヌの使いが毎日毎日イケ学に侵入してきていたら、何か善からぬことを企んでいると考えるだろう。俺だって事情を知らなければそう思う。
そうなれば当然王子達はアイリスを守るためにアンジェリーヌやその取り巻き、イケ学内にいる協力者、つまり俺を探し出し、吊るし上げるだろう。このまま指を咥えて見ているなんてことはないはずだ。
「パトリック王子達はアイリスの味方だ。そしてアンジェリーヌのことをアイリスをいじめる敵だと思っている。そのアンジェリーヌの使いがこうも毎日毎日イケ学に来ていたらかなり危険なはずだ」
「う~ん……。そうかなぁ?パトリック王子様達とすれ違うこともあるけど全然気にもされていないよ?」
おい!王子達と会ってるのかよ!?
…………でも相手にもされていない。それはアイリスのせいで王子達がぼーっとなってるからじゃないのか?王子達はそれで周りに何も気を配っていないとしてもアイリスに知られたらやばいかもしれない。
「王子達が大丈夫だったとしてもアイリスに見つかったらやばい」
「そうなの?でも王子様達と一緒に何度もすれ違ってるよ?」
「――ッ!?」
それはやばい……。王子達は頭がおかしくなっているとしても、あの不気味なアイリスだけは別だ。あいつは全ての元凶かもしれない。もうアイリスに見つかってたなんて……。
「どうしてそれを言わなかったんだ……。やばい……。アイリスに見つかってるのはやばい……」
「別に何も言われてないけど……」
舞は暢気すぎる!アレはやばいもんだ……。アレだけは関わっちゃ駄目なもんだ。
「アンジェリーヌやパトリックのように表立ってすぐに言いたい放題言う奴もいる。でも表立っては何も言わずに裏で画策するタイプの奴だっているんだ。アイリスはそっちだ。表ではいちいち何も言ってこないだろう。でもアイリスにバレてるのはやばい……。あいつは何を仕出かすかわからない……」
どうしよう……。どうしたら……。
「伊織君の心配のしすぎじゃないの?」
言っても通じないか……。アレの……、アイリスの異常性は俺にしかわからないのか?この世界の者にはアレの異常性がわからないようになっているのかもしれない。
「舞……、アイリスは異常だ。アレは普通じゃない……。だから……、アイリスに近づいちゃ駄目だ。存在を悟られても駄目だ。アンジェリーヌの手紙はもっと頻度を下げてもらって、持って来るのも別の人にしてもらおう。でなければ舞が危険な目に遭うことになる。俺はそれを黙っているわけにはいかない」
真っ直ぐに舞を見詰めてそう告げる。このままじゃやばい。もうアイリスに舞の存在はバレているだろうけど、例え今からでも、少しでも舞から目を逸らさなければ……。
「駄目!」
「え?」
何が駄目なんだ?
「嫌だ!他の人に代わるのも、伊織君に会えなくなるのも嫌!絶対私が持ってくる!」
「いや、あの……、舞さん……」
あの大人しい舞が……、頑なに交代することを拒む。でもここで俺が折れるわけには……。
「アイリスは危険なんだ……。王子達の様子がおかしいのも裏でアイリスが操っているからだと俺は思っている。アイリスに近づいたら駄目なんだよ」
「私と伊織君は平気だもん!」
「…………え?」
「ぁ……」
俺と舞は平気?何が?何故?もしかして……、やっぱり舞は何か知ってるんじゃないのか?
「舞……、正直に答えて欲しい」
「…………」
舞は何も答えない。でも俺は続ける。
「もしかして舞はアイリスのことを何か知ってるんじゃないのか?」
「伊織ちゃんが私と伊織ちゃんは平気だって言ってたんだもん……。だから私がアンジェリーヌ様の使いでここに入ってるんだもん……」
ちょっと唇を突き出したまま舞は顔を背けてそんなことを言う。やっぱり何か知ってたんじゃないか……。それなのに迂闊にアイリスに近づくなんて……。
「舞……、もう危ないことはやめてくれ……。俺にとっては舞が一番大切なんだ。その舞が危険なことを承知でしているなんて我慢出来ない。もっと自分のことを大切に……」
「待って!駄目!違うの!これは私でないと出来ないことなの!それにこのままじゃ駄目なの!折角アンジェリーヌ様がアイリスの呪縛から逃れられたんだよ?ここでやめちゃったらまたアンジェリーヌ様まで元に戻っちゃうよ!」
やっぱり舞は何か知ってるんじゃないか……。そして危険を承知でこんなことをしている……。
でも俺に舞を止めることが出来るか?舞は俺よりも事情をわかった上で、これほど必死になって訴えている。それを事情もわかっていない俺が止められるのか?止めていいのか?
「これはどうしてもしなければならないことなのか?」
「うんっ!」
俺の問いに舞は目を逸らせることなく真っ直ぐ見詰め返して力強く頷いた。まぁ瓶底眼鏡のせいで視線は見えてないけど……。ただはっきりと、力強く、絶対だと言わんばかりに頷いていた。
「危険を承知の上で、ただ会いたいとかそういうことじゃなくて……、どうしても必要なこととして……。そういうことなんだな?」
「そうだよ!そしてこれは私にしか出来ないの!」
「…………」
「…………」
暫く舞と見詰め合う。でも譲りそうにも引き下がりそうにもない。これはつまり……、そういうことなんだろう。
「はぁ……、わかった……。俺はまだ少しどういうことかわかってない。舞がわかった上でそういうのなら信じておく」
「ありがとう伊織君!」
俺が折れたことで舞がパァッと表情を明るくする。でもただ無条件に何でも折れて認めるわけじゃない。
「でもこれだけは約束してくれ。まず一番に考えるのは舞の安全だ。もし少しでも危険だと思ったら無理をせず、全てを投げ捨ててでも舞自身の安全を最優先すること」
「むぅ……。それは仕方ないね……」
ちょっと頬を膨らませて視線を逸らしつつ俯いたけど一応了承してくれた。舞だって子供じゃないんだ。きちんと言えばわかってくれるだろう。
俺は未だにこの状況がよくわかっていない。ただ特訓や瞑想をして、スキルや魔法を覚えてゲームをクリアすれば良いというものじゃない、ということしかわからない。
それに比べて舞は俺よりもこの世界のことがわかっているなら……、その舞が必要だと言うのなら信じるしかない。ただ俺に会いたいから嘘をついて、危険を冒して侵入してきているだけということはないはずだ。
「じゃあはい!これ!」
「ぅ……」
そして笑顔の舞に差し出される分厚い封筒……。よくもまぁ毎日毎日これほどの枚数の手紙を書くだけの内容があるものだ。まぁ実際は半分以上はいらないんじゃないかと思うような挨拶とか定型文とか……、前文、後文とかはなくてもいいんじゃないかと思うけど……。
「さぁ!早く読んでお返事書いて!」
「なぁ……、舞からアンジェリーヌにもうちょっと便箋の枚数減らして、余計な挨拶とか文字数とか減らすように言えないのか?」
これはあまりに多すぎる……。一種の嫌がらせかとすら思うほどだ。
「それは無理だよ。手紙を書いている時のアンジェリーヌ様とっても可愛い顔をしてるんだもん。好きな人に想いを込めてお手紙を書いてるんだよ?そんなこと言えないよ」
そうなのか?受け取る側がむしろ嫌がらせかと思うほどだったら意味がないんじゃないかな?それにアンジェリーヌと俺はまだ文通を始めて何回かやり取りしただけだ。それなのにそんなに俺のことが好きっていうのも変だろう。興味がある、という程度ならわからなくはないけどいきなり好きというのは何か変だ。
「とにかく早く!私もそんなにゆっくりしてられないから!それに伊織君も何かあるんじゃないの?毎日毎日忙しそうだし。私が侵入してるのが危険だっていうなら早く書いて!」
「わかった。わかったって……」
舞に急かされてアンジェリーヌの手紙を読んで返事を書き始める。向こうが毎回こんなにたくさん書いているんだからこちらもそれなりに返事をしなければならない。一枚に簡単に書くだけというわけにはいかないだろう。結局俺もそれなりに返事を書いて舞に渡した。
そんなことをしていれば当然時間がかかるわけで、ここ最近毎日怒られている通り来るのが遅いと怒られてしまった。最近の特訓や瞑想は毎日怒られている。これからも毎日のように手紙が来る可能性が高いし、これからは少しだけ開始時間が遅くなると伝えておこう……。
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今日は……、今更ながらに戦勝パレードだ。何だか最近段々とパレードの開催日が遅くなっているような気がする。それに規模も縮小されているのかもしれない。
まぁ……、学園の生徒は数が減っている。前までならこうしてイケ学の門から出る前に並んでいる生徒達は大勢いたのに、今となってはこのホールが随分広く感じるほどに人が減ってしまった。そのせいで規模も小さいように感じるというのはあるだろう。
でも町の人達の反応も段々悪くなっている気がする。そもそもちょっとした戦闘ごとに毎回毎回パレードをする必要なんてあるのか?
ゲームの時は戦闘をクリアすると、デフォルメされた二頭身キャラ達が凱旋しながら町の人達に迎えられているシーンがバックに流れていた。それを現実としてやると毎回毎回こんなパレードを開いているということになるんだろう。
ただ町の住民達からすれば、最初はよくても毎回毎回小さな戦闘の後にまでこんなパレードをされても良い迷惑なんじゃないだろうか。
もちろん俺達からすればその戦闘の一回一回が命懸けだ。毎回よく生き残れたと喜びを分かち合うのはわからなくはない。でも町の住民達にはそんなことはわからないだろう。俺達がいかに命懸けであろうとも、住民達からすればそんな毎回祝うほどのことか?と思ってしまっても止むを得ない。
門が開いて町に出てみても……、やっぱり前までのような熱狂はない。どちらかと言えば国や王子の命令だから渋々参加しているという所だろうか。住民の参加者も減っているようで沿道に並ぶ人も前ほど多くない。
こんなことを命令してまでやらせる必要があるんだろうか?もちろん俺達が祝われている方なんだから贅沢を言うつもりはない。でも命令で無理やり参加させて意味があるとは思えない。
費用だってタダじゃないだろうし、強制的にこんなイベントが開かれて参加させられてたんじゃ生活もままならないだろう。こんなことをしてたんじゃ国民の不満が溜まって……。
いや……、いやいや……。待て待て……。まさか……、そんな……。いや、違うだろう。そうだよ……。それは俺の考えすぎだ……。
まさかアイリスがわざと国民が国に不満を持つように仕向けているなんて……、それは考えすぎだろう。
「伊織君、これ」
「ああ、ありがとう」
いつもの場所で、舞がいつもの花束をくれる。俺はそれをそっと受け取った。
「ふ~ん……。モテモテだな伊織」
「あっ……」
しまった……。今日は後ろに健吾がいたんだった……。ここの所パレードでも健吾と一緒じゃなかったから油断していた。まさか健吾は俺が誰から花束をもらっているか確認するために……、三組に戻ってきて俺を監視していたのか?
いや……、それも考えすぎだろう……。そう思いたい。たかが俺への花束のプレゼントが誰からか確認するためだけに……、そこまでするはずはないだろう……。




