so20 今が青春パートⅡについて
清々しいゴールデンウィークを迎え、外出したり色々忙しくなる中だがもう少し気温が落ち着けばなお良かったろう。四月末に三十度などと、ツツジの花には似つかわしくない。まあそれなら半袖になればいいと、渡海雄と悠宇は軽やかに春を駆け抜けていた。
「そんなアウトドアな雰囲気を平然と裏切るかのように今回は昔話。山本監督就任一年目となる八十九年を終えたオフ、カープは大きく動いた。つまり、高橋慶彦がついに放出されたのよ。高橋に加えて投手陣を堅実に支えてきた白武と元ドラフト一位の杉本で、ロッテから二年前の首位打者高沢秀昭と強肩内野手水上善雄を獲得という大型トレードとなった」
「あらまあ」
「来るべき時が来たって感じよね。高橋は格好良いプレーヤーだけどチームリーダーになれる人間ではなかった。複数の選手や首脳陣、上層部とも確執を起こして高齢かつ成績は落ち目、後釜の野村も確保した。西武の若手ショート田辺徳雄とのトレードが一度は内定も立ち消えになった経緯もあるし、少なくとも球団内では数年来の既定路線だったのは明白。それで先の話をしておくと、ロッテでもつまらないきっかけで監督と揉めて一年で阪神へ移籍。しかし衰えは顕著で大した活躍も出来ないまま引退となったわ」
「かつてのスターが寂しい末路だね」
「本人がそういう生き方を選び貫いた結果だから、悲しいけど仕方ないわ。というわけで彼の経歴を振り返ると、七十年代後半に台頭した高橋はトップバッターとしてショートとして、持ち前のスピードを活かしたアグレッシブなプレーで一気に広島のみならず全国的な人気選手となった」
「七十九年の三十三試合連続安打は今でも日本記録だもんね」
「そのうちさらっと抜けそうな数字でありながらなかなか破られない不思議な記録でもあるけど、いつまで続くものか。ともあれこの七十九年に初めて盗塁王に輝くと、以後三度タイトルを獲得したけど、一方で失敗もかなり多くてリーグ最多盗塁死は実に五回」
「カープは今も盗塁失敗多いし、ある意味チームの伝統なのかな」
「走るという行為自体を重視している部分も見受けられるけど、やっぱりもう少し確率も考えてほしいかなとは思うわ。そんな高橋、プレースタイルに加えてルックスの良さも手伝い彼の人気は広島だけでなく全国的に広がった。それで作家の村上龍が『走れ!タカハシ』なる、登場人物の人生と高橋のプレーが絡まった短編集を書いたりしている。なお本作が二〇〇一年に映画化された際、当時オリックスから渡米したばかりのイチローに置き換えられたのは……、まあいいか」
「そんな高橋がブレイクした昭和後期、当時の人気者はとりあえず歌わせようという風潮があった中でやっぱり彼も歌っていたね。八十年に出た『君の声がきこえる』を皮切りにシングル四枚アルバム一枚も出してるんだから、なかなか気合の入った歌手活動だよね」
「それにしても完全な素人に歌わせるのも変な文化よね。最初期のカープの選手が資金調達のために劇場で歌ってたのとは訳が違うし」
「現役プロ野球選手のレコードデビューは五十八年、西鉄の豊田泰光が史上初らしいけど本格化したのは七十年代からで、中でも特に昭和五十年代が盛況だったそう」
「V9暗黒時代がようやく終わった時期ね」
「プロ野球人気の高まりとともにファングッズの需要も高まった結果と、人気者はとりあえず歌わせてた文化の融合ってなるのかな。レコード会社としても七十四年、中日優勝に乗った『燃えよドラゴンズ!』のヒットで金になるかもって認識も生まれただろうし。この辺りから球団は公式の応援歌を相次いでリリースするし選手は歌うし、直接関係ない人がプロ野球や選手個人を題材に用いた楽曲も続出した。そこを全球団総まくりしていく時間はないのでカープ関連に絞ると、やはりエポックメイキングは初優勝。当時の赤ヘルブームに触発されてカープファンの漫画家富永一朗が作曲菊池俊輔の『ゴーゴーカープ』なる歌を出したり、地元テレビ局の人気アナウンサーから後に政治家にもなった柏村武昭もレコードを出している」
「しかし漫画家だのアナウンサーだのに歌わせるのは野球選手に歌わせるのと同様に無理あるでしょ」
「ファンによる応援歌となると洗練しすぎたものより素人が情熱の赴くまま歌ってこそって発想はちょっとありそうだけど、もちろん公式応援歌を中心に本職の歌手に歌わせた歌も多いよ。『それ行けカープ』はNHKの番組『ヤング101』で活躍して後に闘士ゴーディアンの主題歌を歌唱した塩見大治郎によるものだし。そんな中でカープの選手がレコーディングした初のケースが『VICTORY CARP』という優勝試合の再現実況や苦難の歴史、ファンの歓喜の声などが収録されたアルバムに収録された『カープ選手かぞえ歌』かと思われる。歌唱参加者は順に大下三村ホプキンス山本浩二衣笠シェーン水谷水沼道原外木場佐伯池谷金城渡辺宮本山本一義、そして古葉監督と野崎藤井田中阿南各コーチが自分を称えるような歌詞を歌うかなりの珍曲。ホプキンスは英語なのにシェーンは日本語を無理やり歌わせてるところや古葉の凄まじい低音が聞きどころ」
「外国人や監督コーチまでよくぞここまで集めたわね。しかも作詞には中国新聞のカープ番記者だった津田一男が参加しているという」
「この頃はまだ単なる二軍選手だった高橋だけど、それからスピードを買われてレギュラー抜擢された後の七十九年にV2達成、今度は日本一も成し遂げた。これに便乗したのが高橋慶彦のテーマと称する『ショート・ストップ・エンジェル』」
「タイトルからして笑えるわね」
「歌ったのは深水無門なる歌手で、中身は七十七年にアメリカでヒットしたアラン・オデイ『Undercover Angel』の替え歌。原曲は野球要素ゼロだけど『走れ慶彦かっとばせ』って囁き声が入ったりとかなり豪快な改変が施されている。B面の山本浩二のテーマ『行け!スーパーヒーロー』はバッキンガムズ『Susan』という当時からしても十年ほど前の曲の替え歌だけど、台詞が入ったりウグイス嬢のアナウンスやトランペットでの応援歌演奏という球場の風景が挿入されたり、よく思いついたなというアイデアがてんこ盛り。編曲の北島健二は有名なギタリストにして初期ビーイングを支えた人物。当時のビーイングは和製ディスコソングをアメリカ生まれのように喧伝してヒットさせたけど、洋楽に詳しい日本人によるお遊びという点は同質に感じるよ」
「楽曲の構成もトリッキーだけど実は原曲に忠実なのね。深水の歌唱も垢抜けてて、でも歌詞は思いっきり応援歌という異様なバランス」
「そして翌八十年、高橋本人が満を持して歌手デビューを果たした。野球選手が歌う場合は演歌やムード歌謡調の楽曲が充てがわれるケースも高いけど、高橋の場合は若々しいルックスのお陰で軽快なポップス調の楽曲がメイン。まあこの時期の若手は割とこういうのも多いよ。木田勇『青春・I TRY MY BEST』とか、やたらと豪華な面々から楽曲提供されてる原辰徳とか。それでカープに話を戻すけど、為五郎と赤ヘル青春仲間『今が青春パートⅡ』という楽曲がある。為五郎とは東為五郎という広島ローカルタレント。ローカル歌手仲間やアナウンサーとこの曲のパートワンを歌ったり、初優勝とV2の間に本名の東孝成名義で『どうしたの?広島東洋カープ』という楽曲を出すなどしていた」
「優勝という全国的に耳目を集めるタイミングではない時期に出してるあたりがローカルタレントの面目躍如ね」
「とは言え初期は外野がやいのやいの言ってるだけだったけど、八十年に江夏が作詞した『さすらい星』なる演歌を歌うなど選手との繋がりが濃密になっていく。そしてついに選手とのレコーディングに至るけど、リリースは八十五年三月なので前年日本一に輝いた余韻と見るべきかな。参加した選手は高木宣宏、津田恒美、白武佳久、川端順、川口和久、金石昭人、森厚三、滝口光則、山中潔、伊藤寿文、高橋慶彦、小早川毅彦、原伸次、今井譲二、木原彰彦、阿部慶二、及川美喜男の総勢十七名」
「最年長が五十六年生まれでこの年二十九歳の今井で時点が五十七年早生まれの高橋、最年少が六十三年生まれの高木になるのかな。ただこの世代全員集合ってわけでもなくて、北別府小林長嶋山崎片岡斉藤西田など不参加選手もそれなりに多いわね。参加者の実績はこんな感じ」
高木 四年目三勝。この年九勝とブレイク
津田 四年目二十三勝。前年は怪我で不調
白武 三年目二勝。八十六年以降本格化
川端 二年目通算一勝。この年十一勝で新人王
川口 五年目二十七勝。八十三年には十五勝達成済み
金石 七年目未勝利。前年出番なしもこの年一軍定着
森 六年目一勝。以降出番なく八十七年阪急トレード
滝口 六年目未登板。この年三試合登板が一軍全成績
山中 六年目十七安打。前年六十四試合出場し二番手捕手の立場確保
伊藤 二年目十安打。翌年以降出番減少
高橋 十一年目千安打突破。レコードデビュー済
小早川 二年目百五安打。前年新人王
原 五年目五安打。この年七十二試合出場
今井 七年目四安打。前年十五盗塁と代走で一軍定着済
木原 四年目未出場。出番ないままこの年限りで退団し韓国へ
阿部 二年目一本。通算二安打で八十八年引退し長年コーチを務める
及川 四年目無安打。無安打のまま八十七年日本ハム移籍
「高橋を筆頭に津田川口小早川ら主力もいるけど基本的には実績に乏しい若手中心よね。ただ高木川端など直後にブレイクした選手も多くて、特に金石抜擢は慧眼。遅れたけど楽曲のデータは作詞田村和男、作曲東為五郎、編曲山中のりまさ」
「田村は鳥羽一郎などに書いている演歌系の作詞家だけど、編曲の山中は八十年代らしいときめきに満ちた夢戦士ウイングマンってアニメのエンディング曲『Wing Love』の歌唱でも知られる当時若手のポップ系ミュージシャン。当時としてもややアナクロな青春讃歌を、スケール大きくかつ古臭くなりすぎないバランスの音でまとめているのはなかなか絶妙な仕事。歌唱に関して、一番は為五郎と今井川口津田、二番で高橋原小早川山中のソロパートがあるそう」
「本職のはずな為五郎は癖が強すぎてかえって妙になってるわね。津田は優しい歌声で、小早川はいささか硬いわね。全体的には意外とみんな歌えてる印象。ジャケットに写る選手達の私服も地元の若者って感じの堅実路線だし」
「ただ個々の歌唱力なんてどうでもいいんだよ。出身も年齢も実績も未来もバラバラな、でもこの一時期運命に導かれて偶然広島の地に集った若者達の声が一つの塊になってハーモニーを奏でる、そういうロマンこそ肝だから」
「まさに一期一会。いつ別れるとも知れない世界だからこそ今を大事に生きたいものよね」
「まったくだね。ところでこの手の選手が歌う文化は昭和が終わってもしばらくは続いた。それこそ以前取り上げた『TO THE TOP VICTORY ROAD』とかね。落合も後にベストアルバムが発売されたほど活発な音楽活動を続けた。しかしCD売上が落ちてレコード会社の余裕がなくなった、またファングッズのバリエーションが増えた二十一世紀以降は激減し、稀な事例として日本ハムの選手達が東日本大震災復興支援チャリティーソングとして北海道出身の大物歌手松山千春の代表曲『大空と大地の中で』を歌ったり、中日の平田が『夢よ!叶え!〜raise voice〜』という自分の打席の登場曲を自分で歌ったケースはあるもののそれももはや十年前の事例で、今や廃れた文化と断じても良さそう」
「残念と言うべきか当然と言うべきか」
「とは言え今の世においても内心歌いたいなって選手は存在するはず。そういうのを恥ずかしいとか資源の無駄と笑わず、出したいなら出せばと思える寛容さを失わずにいたいよね。フィジカルにならずともまずは配信とかで」
このような事を語っていると敵襲を告げる合図が光り輝いたので、二人はすかさず着替えてから春の空へと繰り出した。
「フハハハハハハ、私はグラゲ軍攻撃部隊のウチムラサキ男だ。この邪悪に塗れた星に正義を与えてやろう」
一見地味な見た目だが貝殻の内側が紫色に染まっているためその名がついた、大アサリなどとも称されるがアサリとはそこまで近くないらしい二枚貝の姿を模した侵略者が海岸に出現した。しかし勝手に食い荒らされても困る地球はすぐに二つの影を送るという形で反応した。
「出たなグラゲ軍。お前達の思い通りにはさせないぞ」
「せっかくの新緑の季節をもっと心地良く過ごさせてはくれないものなのね」
「おおこいつらが噂に名高い反逆者どもか。殺してやろう。行け、雑兵ども」
せっかくの晴天が曇り空に覆われ、やがて雨が降ってきた。暗雲の中でも二人は情熱込めて敵を撃破していった。
「よしこれで雑兵は尽きた。後はお前だけだウチムラサキ男」
「内面の美しさに目を向けない限りあなた達の野心は成就しないわ」
「ほざくな蛮族どもが。腐ったその魂、いよいよ終わらせてやるぞ」
そう言うとウチムラサキ男は懐から取り出したスイッチを押して巨大化した。やはり戦うしかないようだ。二人は覚悟を決めると合体して眼前の暴力に対抗する力を手に入れた。
「ヴィクター!!」
「エメラルディア!!」
雨雲のまた彼方に存在する光る空で、この星の未来を決める戦いが繰り広げられた。さすがに防御力の高いウチムラサキロボットを相手に悠宇はじっくりと包囲しながら攻撃を加えていき、ついに装甲をこじ開けた。
「やった。今よとみお君!」
「分かったよゆうちゃん。ここは一気にエメラルドフレイムで焼き尽くす!」
ようやく生まれた勝機を逃さず、渡海雄は緑色のボタンを叩いた。瞳から溢れ出すエメラルド色の炎が敵の全身を焼き尽くす。
「おのれ忌々しい逆賊どもめ。苦しんで死ぬがよい」
虚しい負け惜しみだけを残し、機体が爆散する寸前に作動した脱出装置によってウチムラサキ男は宇宙へと帰っていった。雨はまだ降り続けているが、止まない雨はない。やがて訪れる輝きに向けて、今という瞬間をまっすぐ見据える二人であった。
今回のまとめ
・高橋は成績だけでも格好良いし実際見てたらファンになってただろう
・でも生で見てなかったからなんだこいつって面倒臭さはかなり目に付く
・深水無門の替え歌応援歌など時折光るセンスこそノベルティソングの醍醐味
・各々の歌唱力は低くても合わさると莫大な力になるから合唱は偉い