hg35 10周年記念 最新版の光GENJIについて
本作の開始は二〇一三年の七月七日であった。第一話のタイトルからしてこれぞまさしくという「七夕」だし。
それから色々な事を山川渡海雄くんと明星悠宇ちゃんとの会話に仮託しつつ語ってきた。そして今日、めでたく連載開始からちょうど十年目の節目を迎えた。しかしこれを何らかの到達点であるとは全く思っていない。
そもそも本作を書こうと決めた当初からこれぐらいは続ける気でいたし、今も飽きたとか疲れたとかネタが切れたとか、そういう感覚は一切ない。もはや生きるのと同じようなものだ。毎日呼吸して「ちょっと飽きてきたな」とはなるまい。
ところで本作初期の二本柱はカープと光GENJIであった。このうちカープの話は今も続けている。時によって強弱はあれど、今もずっと活動を続けているから当然だ。
一方で光GENJIは当時にしても二十年近く前にその活動の全てを終えていた。それから十年、やはり活動はなかった。だから語る機会は減ったが愛が尽きたわけではない。
それで十年。当時書いた本作第十二部「光GENJIについて」は一番多くの人に見られてきたようだ。ありがたい話であると同時に、やはり古いテキストなので現在の情勢とは異なっている部分も多い。いわば歴史的文書と化しているわけだ。放置するのはいささか無責任だろう。
それで今に至るまでに微妙な部分は適宜修正したり、後書き的な文章を付けてみたりもしてきた。しかしもはやそんな古い革袋に新しいワインを入れるようなやり口で取り繕えるレベルではなくなってきた。
だったらもう一度作ればいい。
というわけで十周年、新たな気持ちで改めて光GENJIについて語る事にした。無論この十年の間にあった諸々の動きを反映させながら。
例えば同じ七月七日と呼ばれる一日であっても同じ日を繰り返したのではなく、それぞれの新しい一日を十回繰り返した末に今日があるように、十年前と同じだけの愛を今新たに綴りたい。
「というわけでまずは改めて光GENJIとは何だったかについて振り返ってみよう。それは平たく言うとジャニーズ事務所に所属する男性アイドルグループで、ローラースケートを多用したスピード感ある斬新なパフォーマンスやチャゲ&飛鳥の提供したクオリティの高い楽曲で爆発的な人気を博した。活動期間は一九八七年から一九九五年で、それから現在に至るまで再結成などは一切なされていない」
「一般的には八十年代後半、昭和の最後を代表するアイドルグループと見られているわね」
「それを体感しなかったので伝聞形式になるけど、人気は本当に凄かったみたいだからね。『最大瞬間風速的な人気は歴代ナンバーワン』みたいな言い回しはファン以外の口からもよく出される。しかし社会現象的なブームは概ね八十九年までで、九十年代以降は『まだやってたんだ』と揶揄される時期が長かったのもまた事実ではあったそう」
「なまじ流行っただけにその反動も大きくなるのは仕方ないか」
「昭和から平成、八十年代から九十年代という明確な区切りもあったしね。とは言え九十年代前半においても、SMAPら後輩グループの伸び悩みも手伝って長らくジャニーズという枠の中においてはトップを走っていた。しかし一九九四年にメンバーが二人離脱し、そこから『光GENJI SUPER 5』と改名したけど、残ったメンバーを強調する事でかえって浮かび上がるのはいなくなった二人だからね、不器用な措置だったと思う。この頃SMAPもようやくブレイクしてきたし、メンバーのソロ活動も増えてきた。解散に向かうのは止められない流れだった」
「今のグループはメンバーが減ってもそういう名前にしないのは会社として学習した結果かしらね」
「それで言うと六人組を維持出来なくなった瞬間に解散したV6は潔かった。関ジャニ∞は、それを受け入れてるファンが偉い。それと途中で一人いなくなったのは誰もが知っているのに五人の絆を適宜強調していたSMAP。彼らやTOKIOですら今やバラバラなんだから人間関係って難しいよね。光GENJIとは七人の絆だと確定させたという点ではわざわざ改名したのにも意義があったとさえ思う時さえある」
「しかしこう見るとここ十年で随分変化があったのね。嵐も活動休止するし、すでに実態を伴っていなかった少年隊も正式に解散した。メンバー離脱なんてもう数えきれないほど」
「グループを長く持続させる技術は昔より発達したけど、結局永遠なんてないという普遍の真理の前には無力なものだと実感させられるよ。続いてメンバーの話をするね。その面々は内海光司、大沢樹生、諸星和己、佐藤寛之、山本淳一、赤坂晃、佐藤敦啓の七人で、今年の八月に最年少の佐藤敦啓が五十歳になる」
「まだ四十代がいるのが驚きよね」
「しかも十年前はまだ三十代がいたわけだからね。という事で今回は年少側から語りたい。佐藤敦啓はメンバー随一の美男子。また自分の宇宙を持っていると言うのかな、独特の感性がもたらす作詞のセンスもグループ内ではトップじゃないかと思う。歌は下手。それでも解散後はソロデビューして、基本的にはロックサウンドを追求したけどロックにも色々ある中でどうにも軸を定められずにいた。この九十年代後半のルックスこそ最高かと思うけど歌手としてはご覧の通りで、身長は高くないトークはぎこちない主演ドラマも滑るで実際今後どうするんだろうというところで舞台に活路を見出し、今に至るまで堅実な活動を見せている」
「そういう安心した話が出来るメンバーのほうが珍しいもんね。次の人なんか特にそうだけど」
「まったくね。で、そんな赤坂晃はジャニーズに入る前から子役としてミュージカルで活動していたそうで、デビュー曲では声変わり前の高音でインパクトを残したけどそこから物凄い勢いで成長していった。歌声も別物になったけど、良い声だと思うよ。外国人的なルックスは好みの分かれるタイプ。グループ時代は曲作りにあまり携わらず、解散後に一曲作詞作曲を手掛けているけどこれがまた意味不明な楽曲で、内面を推し量るのが非常に難しい人でもある。ただ根本的には自分の事をあまりにも信じていなさすぎたのかなとは感じる。それで収監されたり色々あったけど今は宮古島で焼肉屋をやりつつ、たまにライブなど芸能活動もしている」
「彼に関しては悪い知らせがないのが一番の朗報かな」
「次は山本淳一。猿にも例えられる小柄だけど俊敏な動きや、朗らかなキャラクターが持ち味。ルックスが特別秀でているようには見えないけど、そういう普通の子供っぽさはブロッコリーのようなパーマをかけたり不自然に作り込んだ当時の量産型ジャニーズ系と異なる清新さがある。少年らしい素直な歌唱はグループのカラーそのもの。アウトドア好きのキャラを押し出した時期もあったけど、そこからの生き方は……、逮捕こそされていないけどそれに劣らないぐらい印象の悪い行動を定期的に起こしている。そういうわけであまり順調とは言えない活動状況だけど、ほとぼりが冷めると表に顔を出したりする」
「光GENJIが正しく評価されない理由はこういうメンバーの生き方への疑念も一因よね」
「そこは今は何も言わないでおく。上からも下からもちょうど真ん中になるのが佐藤寛之。その立ち位置もあって温厚な優等生的イメージ、悪く言うと存在感に乏しい地味な人と見られがちだけど洗練されたセンスに加えてクリスタルボイスと称された德永英明系の透明感ある歌唱で、サウンド面においては山本と同じく不可欠な存在だった。自作詞もやはり繊細な印象のものが多い。当初はぱっとしなかったルックスも次第に整ってきたけど、九十四年に一足早く脱退して以降は音楽活動メインで生きている。歌声は追求する音楽性に合わせて大きく変化を遂げた。最近山本と組んで元少年隊植草のコンサートをサポートしていた」
「SMAP以降のグループみたいにこういうキャラをもうちょっと全体として活かせたら良かったのに」
「ただ光GENJIとしての強烈なイメージは次の人に集約されるから、それ以外の道を進む決断は簡単じゃなかったろうね。という事で諸星和己。暴力的なまでの陽気さでファンもアンチも星の数ほど生み出した太陽のような男。歌唱は元々かなり素直な歌声だったけどだんだん妙な力みを込めたり癖が強まっていき、ルックスも当然ワイルド方面に。九十五年に脱退してからもしばらくは華やかな舞台と無縁じゃなかったけど、当時人気だったドラマ『ナースのお仕事』の一作目に出演するも二作目では降板して代わりにTOKIOの松岡が出演したりとかそういう中で年を取り、今は音楽活動を中心に据えつつ定期的に当時の裏話を暴露して話題を振り撒いている。でも話を盛る癖があるのでどこまでが事実なのかは分からない」
「この人は良くも悪くも長らく立ち位置が変化していない気がするわ」
「ここまでの五人がグループ内におけるいわば年少組の『GENJI』で、そしてここから二人が年長組の『光』となる。こういうグループ内のグループ分けも関係性を重視しがちなファンの需要喚起したそうだけど、その一人目が大沢樹生。グループ内では長身かつ鋭い目つきが印象的な整ったルックスだけど表情の作り方やダンス歌唱法などかなり癖が強く、前髪を立てた髪型を多く選択しているのも含めてアクセント担当と言える存在。基本的には明るい子供達というグループのイメージの中、彼は最も大人びた雰囲気を醸し出していた。九十四年に脱退して、当初は音楽活動も積極的に行っていたけど今は俳優メイン。男気ある人間だけどすぐ考えなしに突っ走るので悪い人に騙されてはよく痛い目を見ている」
「思えばあのおぞましい実子騒動も私達が出会ってからの出来事だったのよね。それと選挙に出る出ないってのも今年の話だった」
「ああいう生き方しか出来ない人だから、今後も変な騒動を巻き起こし続けるんだろうな。最後に最年長の内海光司。高身長にかなりの痩せ型。一番早く自作詞に目覚めたけど特筆すべきものはないかな。歌うよりも語るってタイプの声質なのでアイドル番組の司会者としても活躍していたけど解散後はそういうのも下火になって、年に一二回舞台に出演するのが活動の全てみたいな時期も長かったけど、今はジャニーズ事務所に所属している佐藤敦啓とU&Sなるユニットを組んでイベントやったりテレビに出たりで多少はましになっている。それと後追いファンが多い印象」
「七人もいると人生色々だけど、引き続き苦労しているメンバーは多いわね」
「それでも生き続けているのが大事だから……。続いて楽曲について。彼ら七人を合わせた歌声は、特に八十年代のものに関しては未完成で幼いと称される事が多い。個人的には繊細かつときめきのある歌声だと認識している。そういうわけで全体的な流れで言うとまさにその頃に顕著な永遠の少年の楽園、ピーターパン路線とでも言うのかな、スケールが大きくファンタスティックな楽曲は一つの特徴となっている。八十年代後半のバブル全盛期において光GENJIの人気もピークを迎えたけど、別にあの時代においても光GENJI以外に光GENJIみたいな曲が流行ってたわけじゃないからね。それは時代云々ではなく彼ら固有の現象と見るのが正しいはず」
「全体的にきらびやかよね」
「アイドルなので色恋沙汰を描いた歌詞も多いけどその表現方法として宇宙規模だったり過剰にファンタスティックな単語が飛び出たり、あるいは具体的に何をしてどうって流れや心の機微はあまり描かれず概念的だったり。それをリアリティの欠如とあげつらうのは容易。でも少年の心象風景としてはあながち唐突とも言い難い。そういう意味だと男性アイドルたる光GENJI、当然女の子が第一のターゲットなんだろうけど、男の子が聴いても感じるものは大いにあると信じている」
「実際少年漫画みたいな世界観は確かに感じられるわね。アニメソングに片足突っ込んでるような曲もちょくちょくあるし」
「かと言って油断すると少女漫画っぽい色合いの曲に直撃してびっくりするんだけど。ただその手のファンタジー路線は概ね九十二年までで出尽くして、後期はそれなりに大人っぽい色恋沙汰が描かれたり応援ソングが増えたり相応の変化はしているんだけど、これらの変化はシングルを追うだけでは案外見えてこない。一般的にアイドルのアルバムは売れないので手抜きも横行していた中、光GENJIはアルバムもちゃんと売れていたのでそこにもしっかり力を入れていた」
「それで延々と語ってたもんね」
「でもリアルタイムから三十年も経つと物理的に少なくなってきてるというか、少し前なら中古CD店で簡単に安く手に入れられたけど最近はさすがにそこまで見かけない。まあネットで仕入れるのが一番安定かな。ファン目線だと『どのアルバムも名盤だから全部聴け』と言いたいところだけど、最初にファーストアルバムを味わってもらって、そこからは個人的におすすめなのが『Hey! Say!』『333』『FOREVER YOURS』、それと『Dream Passport』ってところかな。無論ベストアルバムから始める王道路線も大いに推奨」
「一般的には全曲チャゲ&飛鳥が手掛けたファーストアルバムの評価が一番高い印象よね」
「人気のピークとも被るし、純粋の楽曲のクオリティも高値安定してるからね。ただ後期に至るまで素晴らしい曲を生み出し続けているのは絶対的な事実だから色々手を出してこの言葉の偽りのなさを実感してほしいと願うよ。またパフォーマンスに関して、前述の通りローラースケートも用いたダンスが最大の特徴だった。たまの転倒も愛嬌って事でファンを増やしたけど、無論当人にとってはそんな笑える話でもなく怪我は絶えなかった。諸星など両足骨折しながら満面の笑顔でバク転なんかしてたそうで、おかしいよ。歌番組での口パクを叩かれたりもしたけど、正直勘弁してあげてって気持ちはある」
「まさに命を削ってのパフォーマンス」
「後期はダンスユニットとしての成熟も見せていたし、そしてそれらのパフォーマンスを見るのに最適なのは結局のところYouTubeなど動画サイトという現実もなかなか変わらない。全盛期の異様な人気を偲ばせる凄まじい歓声や、後期の完成度の高いパフォーマンスをいつでも簡単に見られるんだから便利な時代だよね」
「でも問題はいつそれを見ようという気になるかよね。『今更光GENJIなんて……』『ジャニーズってだけでちょっと……』とか言われたらそれで終わりだし」
「芸能界という娯楽産業、気分が悪くなるものは遠ざけるのが自然だよ。ジャニー喜多川の所業に関しては光GENJIのピーク時にも暴露本が出たり色々言われていて、それで幻滅したファンも多かったと言う。でも離れなかった人も多くいた。そこは個々人の生き方の問題になろうかと思う。哀れな運命をも自らの糧としてきたであろう光GENJIに限っても彼らが全員清くあるわけではない。僕も最初はメンバーの顔と名前が一致しないところから色々学ぶ過程で知らなくていい事を知り、見たくないものを見てきた。でも愛って案外揺るがないもので、それは彼らを見た時に感じたときめきはやはり嘘じゃなかったから。人から何と言われようと好きなものは好きと言えるなら、それは尊く美しいものだからわざわざ捨てる必要もないんじゃないかな」
「ともあれこれからは変な騒動が少なくなるといいわね」
「本当にね。そして最後に再結成の可能性だけど、結成三十周年の二〇一七年にはある程度話が進んでいたみたいだし、それ以降の情勢を鑑みるに可能性はむしろ昔より高まっているとさえ見る。先の話は誰にも分からないからね。次の十年はこれまでよりももっと素晴らしい知らせが世界に響くといいよね」
彼らの軌跡は今となっては決して長かったとは言えない。その中にあって当時から今まで色々な人から色々言われる内容は決して好意的なものばかりではない。むしろその反対の意見も多い。
それでも何の因果かリアル世代でもないくせにちょっと見ただけでわっと好きになって、その気持ちを今まで持続し続けている人間がいる。十周年、あるいは執念と呼べるかも知れない。そしてこれからも、おそらくは生命尽きるまでこの愛は変わらないだろう。七夕の雨音に耳を澄ましつつ、そんな大いなるものに出会えた幸運に感謝した。
今回のまとめ
・十年もよく続けてきたものだがまだまだ続ける気しかない
・光GENJIの楽曲が単純に好きなのがまずは第一
・過ちを犯すのも人間だしそれを許さないのも許すのもまた人間
・ジャニーズの圧力が弱まるようならこれも奇貨