切札
地球の近く、あるいは遠く、はるか宇宙の彼方より地球征服に訪れたグラゲ辺境軍第334連隊の旗艦であるブランウワイスは南郷宇宙研究所を中心とした地球人類必死の捜索をあざ笑うかのように暗闇の中、悠然と浮かんでいた。しかしその内部は今までにない緊迫感に包まれていた。これまで数多の指揮官を送り込んだもののすべて敗北に終わったのはよくある事なのだが、今回は脱出したはずのカササギ女がいつまで経っても戻ってこないのだから彼らにとっては一大事である。
カササギ女以降、一見するとグラゲ軍は地球侵略の手を緩めたようだが、その期間はずっと安否確認に費やしていたのだ。下手に戦端を開くと万が一の可能性も高まるので自体は慎重を要する。そして今日もまた斥候の乗る宇宙船が情報を持ってブランウワイスに帰還して来た。
「報告いたしますサンジオ・ミュレビラド。先日投入しましたカササギ女ですが、逆臣一味に敗れて虜囚の憂き目にあったようです」
「ふむ、報告ご苦労であった。まったく、逆臣ネイめ。どこまでもこの私を困らせてくれる」
連隊の隊長であり地球侵略の直接的な責任者であるミュレビラドは斥候からの情報を確認するといらだちもあらわに深い溜息をついた。彼の辺境軍第83連隊によって征服されたグモー星をルーツに持つ。なおサンジオとはグラゲ軍の階級であり、地球のそれに当てはめると大佐に相当する。
「して、いかがいたしましょうか。第二七九連隊の悲劇の二の舞になってはもはや……」
「しかしこうなると逆臣であれ我らグラゲ軍のやり方を知る者が敵にいるのは幸いかも知れんな。少なくとも第二七九連隊のような悲惨な扱いはされまい。しかし万が一の場合もある。やはり私直々に行くしかないか」
数日後、相変わらず虜囚の身であるグラゲ軍攻撃部隊のカササギ女ことレネであるが、最近新たな楽しみが出来たのでその日々をそれなりに愉快に過ごしていた。時は午後三時、今日もまた福音を告げる者が彼女の過ごしている部屋へと訪れた。
「こんにちは!」
「やあ、今日も来てくれたのかい君たち」
「はい! そりゃあもう、だって違う星から来たお客様ですもの。毎日だって飽きはしませんよ」
レネが虜囚となって以来、放課後の渡海雄と悠宇は南郷宇宙研究所に直行するようになった。思えば命をかけて戦った相手だったという気負いもあったので最初は窓の下から気づかれないかとビクビクしながら覗き見る程度だったものが、逆にレネのほうから「こっちへ来てもいいんですよ。私もあなたたちの事を知りたいと思っていますから」と呼ばれたのでお言葉に甘えて部屋に入り、今では毎日のように入り浸るようになった。なおレネはこの二人を近所の子供程度だと認識しており自分を打ち破った張本人であるとは一切気付いていない。
「それじゃあ、今日もやります?」
「うむ、頼むぞ」
「はい、じゃあ繰りますね。でもレネさん強いからなあ。今日は勝たせてね!」
「ふふっ、勝つ時は勝つし負ける時は負けるものだが今回はどうなるかな。しかし私も軍人の端くれ、手は抜かないぞ」
「無論、望むところですけどね」
三人集まればもっぱらトランプを始める。元は渡海雄が「何かきっかけにでもなれば」と思って家にあったキャラクターもののトランプをポケットに忍ばせていたものだが、とりあえずやってみるとレネのほうが大いにはまってしまったのだ。もちろん、渡海雄だって悠宇だってトランプをするのは嫌いじゃないので、出会ったら何をおいてもまずはトランプというホビー漫画ばりの生活サイクルが誕生するに至ったのだ。
「それにしてもこの星の娯楽はもしかすると我らグラゲ星以上かもしれないな。そうなると先生が寝返ったのも故なき事ではないか」
「そんなに凄いのかなあ。そう言えば、グラゲ星ってどんなところなんです?」
「本星はな、双子惑星となっていて一つは政治を司って、もう一つは教育に特化しているのだが、どちらもそれほど大きくはないのだ。確か君たちの言語では地球って言うんだったかな。この惑星や私のルーツであるフレーベル星よりもはるかに小さい。しかしこの宇宙で最も美しい姿をしているのがグラゲ星なのだ」
「そういえば紫色をしてるって前に聞きましたけど、そうなんですか?」
「よく知っているなゆうちゃん。この紫色に輝く大気こそがグラゲ星の象徴であり、この輝きを全宇宙にあまねく広めるという任務を背負っている、いわばグラゲのグラゲたる所以こそが我々辺境軍なのだ。もとよりグラゲ人は私のようなフレーベル系など他の星の人類と比べて繁殖能力が高いのだ。しかし人口増加の速度にグラゲ本星の陸地だけでは対応できなくなった。ゆえにグラゲ人はその生存領域を拡大するため宇宙へと危険な旅を始めて、新たなるフロンティアを暗闇の世界に求めたのだ。これが今から千年、いや、千二百年ほど前の話だ」
「うわあ、凄いなあ! そんなに大昔からの話なんだ。だから科学も発達してるんだなあ」
渡海雄はグラゲの歴史にすっかり感心してしまった。なお、レネの言う千年や千二百年とはグラゲの暦が基準となっている。そしてグラゲ星は地球よりも円周軌道が大きいので一年もまた地球のそれより長い。基本的に三百六十五日が一年という地球の西暦で換算すると二千年ほどの長さ、グラゲ人は星外へ雄飛し続けていた事になるので渡海雄の理解よりもう少し凄いのだが、それは本人が知らずとも良い話である。
「ふふっ、しかしこの広い宇宙、そう同じ環境は存在しない。しかしグラゲ人の科学力は大気を塗り替えるというまったく大掛かりで新たな装置を開発するに至ったのだ。これがファリシア暦四二七年だから、今から三百年ほど前だな」
「じゃあその三百年の間に色んな星に行って、大気も紫色にしちゃったって事ですか?」
「そうだ。歴代、一年に一回ほどのペースで新たな辺境軍の連隊を結成して新たな惑星を探し求めているのだが、私が所属しているのはその中の第三三四連隊なのだ。そして私に今話した事を教えてくれたのがネイ先生だった。そのネイ先生が辺境軍に加わったと聞いたからこそ私も参加を希望して、認められたというのになぜか先生はグラゲを捨ててしまわれた。おっ、上がりだな」
「う、嘘でしょ! 早すぎるって!」
何度やってもレネは強い。まるで渡海雄や悠宇の心を読んでいるかのように的確にババを引かないのだ。知らない宇宙事情を聞くだけでも渡海雄の好奇心は刺激されっぱなしなのに、しかも勝負に強いのでもはや明確にレネを尊敬するまでになっていた。一方のレネも故郷では二人の弟と妹が一人いる家族の長女で年の若い子を相手にするのは元々好きだった。それは地球にて虜囚の身になっても変わるものではない。もしも地球に生まれていたら今頃は女子高生の年齢である。気付いたら軍人ではなく一人の少女の顔になっていた。
「むう、右だと思ったんだけどなあ。レネさんみたいにうまくいかないなあ。じゃあ、次はポーカーしよっか」
「その前に少しお話がある。来てくれないか、とみお君、ゆうちゃん」
トランプで和んでいた空気を一瞬にして引き締めたのはネイの透き通った寒気を思わせる低音だった。「あっ、ネイさんも加わります?」とでも言おうと振り向いた渡海雄だが、ネイの冷たい表情にそんな雰囲気ではないと悟り、余計なことは言うまいと決めた。
「はい。ええと、あの、じゃあそういう事で一時的に抜けます。レネさんはちょっと待ってて下さいね」
「……承知した」
レネの柔らかな微笑みはネイの出現によって一瞬にして硬直し、再び軍人の表情に戻った。しかしネイを強烈に意識しているのはあくまでこちらの話であってこの戦いとは一切関係ない子供だとレネには思われている渡海雄や悠宇に対してその表情を剥き出しにするのは良くないと、笑顔を取り繕おうとはしたもののやはりどこか無表情に近いものであった。
「それで、お話とは何でしょうか」
レネのいる部屋とは階の違う部屋でネイは二人に「レネについてどう思う?」と訪ねた。嫌に深刻な雰囲気を醸し出しつつ質問の内容を聞いた瞬間、「なんだ、そんな事か」とばかりに安堵の笑みを浮かべた。内心では「遊ぶな」などと言われたらどうしようかと怯えていたが無事杞憂に終わった。渡海雄と悠宇は即答した。
「ええ、いい人だと思います。僕たちにはいつもとても優しくて、色んな知らない事をいっぱい教えてくれて。トランプも強いし」
「私もそう思います。でもどうしてそんなレネさんみたいな人がこんな戦いに参加してしまったのでしょうか。私たちみたいにやむを得ず巻き込まれたって事もないのに」
「それはレネが君たちの言う通りの人間だからだ。グラゲ人の教育方針を忠実に再現したのが軍人としてのレネでありかつての私だ。あの中で生きれば誠実な人間ほどああなる。地球にとってはまったくもって迷惑な存在であるが、グラゲ人にしてみれば星の大気を変える事は、例えば海を埋めて森を切り山を均すのと同じなのだ。君たちがレネと友達になる事は出来る。しかしそういった個々の友情だけでは分かり合えない大きな方向性の違いが地球とグラゲ星の間には存在しているのだ」
「ままならぬ世の中ですね」
「人が人として生きているならそうなるのは仕方ない。例えばゆうちゃん。君ととみお君とは違うし私とも違うし南郷博士とも違う。それと同じように私とレネは違う。私は幼かった頃、確かにフレーベル星で生きていた記憶がある。しかしレネはグラゲの支配下に入っていたフレーベル星しか見た事がない。無論、彼女とてフレーベル星がルーツだと知っているが、同時にそれはあくまでも実感の伴わない知識でしかないのだ。私はフレーベル星の真の姿を知っていたからこの地球を第二のフレーベル星であるかのように見ている。しかしレネは青いフレーベル星を知らない。この地球を見てもフレーベル星のようだとは思わず、紫色に変えてしまおうとしか思わなかっただろう」
「でも僕は嫌だな。もうレネさんと戦うのは」
「私だってそうさ。しかし私にはレネにそうしろと強制する事は出来ないしそれでは意味がない。レネ自身が真心より変わってくれなければ。この世に同じ人はいない。しかしだからこそ心と心をつなぎ合わせて、愛し合うことだって出来るはずだ。とみお君やゆうちゃんがレネと戦いたくないと思っているように、レネもそう思ってくれていれば、いいのだが」
上の階にいるレネに向かって語りかけるようにネイはつぶやいた。しかし次の瞬間、今までにないほどのけたたましさで警報音が鳴り響いた。
「うわわわ! 何、この音は、今までより大きいぞ!!」
「ま、まさか、これは!?」
「ネイさん、これは一体どういう事なんです?」
「ブランウワイスだ。グラゲ軍の旗艦が来たのだ!」
その瞬間、今まで晴れ渡っていた南郷宇宙研究所周辺の空が暗闇に覆われた。見上げると、もう冬も近いと言うのにまるで夏休みにでも突入したかのようなよく発達した、まるで城壁を思わせる積乱雲のような物体がそびえ立っていた。これこそがグラゲ辺境軍第三三四連隊の中心となる巨大戦艦ブランウワイスの勇姿である。ネイは全力で走って司令室へと飛び込んだ。
「博士! 南郷博士!」
「おお、来てくれたかネイ君! これは一体……」
「コード40298を! あれには指揮官が搭乗しています!!」
司令室には今までになく神妙な表情をした南郷博士が動揺を押し込めつつネイを迎えた。ネイは素早く指示を出したが、ほとんど怒号であった。職員がその指示に従って通信コードを40298に合わせると、中央のモニターが大きく波打ち、そして映像が出現するに至った。そこに映った男こそが地球攻撃の総司令官と言えるミュレビラドである。
くすんだ茶色の長い髪が枯れた植物のように力なく垂れ下がっている。肌の色はまるで瀕死の病人を思わるほどに青白い。目には黒いサングラスをかけている。元来、彼らのルーツであるグモー星は暗い星なのでそこに暮らす人類は目がそれほど発達しておらず、それゆえにグモー星以外ではサングラス姿なのだ。額には直線的な短い角が一本生えており、それは触覚のような働きをしているので目が不自由でも自由に動ける。サンジオの階級を示す青いローブのような制服と三日月型と正方形を組み合わせた赤い首飾り、黒いブーツの組み合わせは地球人の目にはどこか呪術師のようにも思えた。
「こうして通信出来るのも我らグラゲの科学を知る者がそちらにいるからこそ。悪辣な逆賊とは言え、それだけで存在価値があると言うものよ。逆臣ネイ、まさか生きて貴様の面を拝む時が来るとは思わなかったぞ」
ミュレビラドの声は意外と甲高い。常に嘲りの笑みを浮かべているようにさえ聞こえるがそれはいわばグモー訛りとでも言うべき特徴であり、本人は極めて深刻な話し方をしているはずなのだがサングラスに阻まれてその表情をうかがい知る事は出来ない。
「お久しぶりですサンジオ・ミュレビラド。そちらの要件は概ね理解しております。カササギ女ことレネは私たちが丁重に保護しており、一切の虐待行為、その他法に違反する行為は行っておりません」
「ならば話は早い。そちらにロケットを寄こすので、それに虜囚を乗せて解放するのだ」
「了解です」
ネイにとってミュレビラドは一時的にせよ自分の上司であった男。その性格は知悉している。ネイの言うところによると「慎重で優雅、やや怠惰。規定通りの行動を好み査定のマイナスになりうる強引な行動はしない男」だそうで、今回もまず捕虜の解放に尽力するのはつまり、自分の隊から犠牲者が出た場合における査定上のマイナスを気にしているのだ。
「空を見ろ、レネ。ブランウワイスだ。お別れだな。しかしほんのわずかな時間であっても君と再び出会えて良かった。心からそう思っている」
「本当に、短い間でしたね。先生……」
かくして、レネは部屋から出されて、研究所内の敷地に転送されたロケットに乗り込む事となった。突然の別れ。それはレネにとっても、渡海雄と悠宇にとっても寝耳に水の出来事であった。
「レネさん、もう行っちゃうの?」
「済まない。しかし私も旅行で来たわけではないのだから別れもまた唐突になるのは、仕方ないだろう」
「ええ、それは分かっていますけど、でも」
「そんな目で見ないでくれ、とみお君、ゆうちゃんも。君たちと過ごした時間とここで得た物は一生忘れはしない。だから、ねっ、泣かないで」
今にも涙を流さんばかりに目を潤ませながらもこくりと頷いた渡海雄と悠宇に向かって軽く微笑みつつ手を振ってロケットに乗り込もうとしたレネは、扉の前に立っていたネイに対してもしっかりと目線を合わせて「それでは」と会釈をした。
「また会おう、いつかきっと。今度は兵器ではなく親愛だけを連れて」
「そうですね。先生、私は……。いえ、またきっと会いましょう。きっと、きっと!」
これ以上言葉を紡ごうと努力したところで涙にまみれて言葉にならなくなるのは見えていた。だから全てを言う前にレネは扉の向こうへと姿を消した。まもなく、扉は自動的に閉じられ、ロケットは宇宙に向けて発射された。
「ふう、無事に帰還出来たか、カササギ女」
「申し訳ありません、サンジオ・ミュレビラド。私はもう……」
「余計な言葉は無用だ。グラゲ星に戻りゆっくり休むが良い」
「はっ」
ブランウワイス内部の司令室にて、レネはミュレビラドに久々の謁見を果たした。ミュレビラドは深く頭を下げて何かを言いたそうだったレネを制した。もはやレネが地球侵略の気力を持ち得ることはないと理解したからだ。その後、レネはグラゲ軍を退職して大学に進んだ。なお、レネの持ち込んだトランプはグラゲ星においても広まり、一大ブームを巻き起こしたとの事である。




