第二十四話 遠ざける男 見極めようとする女
第二十四話 遠ざける男 見極めようとする女
豊後急行鉄道本社の応接室には、線路を模した細い銀色の装飾が壁に走っていた。
窓の向こうには、駅へ出入りする列車の姿が見える。
六角サッシ株式会社専務取締役、森村豊一は、テーブルの上に置かれた資料へ視線を落とした。
正面には、豊後急行鉄道の担当者が二人座っている。
「では、現時点では大きな問題は発生していない、という認識でよろしいでしょうか」
森村の問いに、担当者の一人が頷いた。
「はい。少なくとも、試験運用を始めてから業務上の大きな支障は出ていません」
手元のタブレットを操作しながら、担当者は続ける。
「特に、設備点検の日程整理と、担当部署への連絡については助かっています。これまでは担当者ごとに管理していたものが、かなり整理されました」
森村は静かに頷いた。
「みどりは、情報を一か所へ集約するだけではありません。蓄積された情報から、その後必要になる対応まで予測します」
「そこは確かに便利ですね」
もう一人の担当者が言った。
「鉄道は、一つ予定が変わるだけで複数の部署に影響しますから」
森村は資料を一枚めくった。
そこには、六角サッシ社内での導入実績と、外販向けに調整された機能の概要が並んでいる。
「我々の会社でも、導入以前は部署間の調整にかなり時間を使っていました」
森村は言った。
「ですが、みどりを導入して以降、誰が何を判断するのか、その前段階で必要な情報を揃えられるようになった。人間が判断そのものに集中できるようになったわけです」
担当者は感心したように資料へ目を落とした。
「そこまでいけば、かなり変わりますね」
「変わります」
森村は迷わず答えた。
「会社というものは、人間が多くなればなるほど、無駄も増えるものです」
一瞬、応接室が静かになった。
森村は構わず続ける。
「連絡の行き違い。判断の遅れ。経験によるばらつき。感情による判断。そういったものを減らせるだけでも、組織は大きく変わります」
担当者の一人が、小さく笑った。
「感情までですか」
「ええ」
森村も薄く笑った。
「人間には必要なものですが、業務上は邪魔になる場合もありますから」
その言葉に、誰も異論を挟まなかった。
打ち合わせは予定より十五分ほど早く終了した。
森村は豊後急行鉄道の担当者たちと握手を交わし、応接室を出た。
廊下を歩きながら、社用スマートフォンを確認する。
画面には、みどりから届いた報告がいくつか並んでいた。
外販先での障害報告――なし。
重大な運用エラー――なし。
利用者からの問い合わせ件数――想定範囲内。
森村は画面を閉じた。
問題はない。
むしろ、順調すぎるほどだった。
社内だけで終わらせるものではない。
この仕組みは、もっと広げられる。
鉄道。
製造。
物流。
小売。
行政。
使い方さえ間違えなければ、みどりはどこにでも適応できる。
森村はそう考えていた。
――使い方さえ間違えなければ。
その言葉が、自分自身に向けられたものだとは思っていなかった。
夕方。
森村は嶺北本社へ戻った。
役員フロアへ向かう途中、廊下の先に見覚えのある女性の姿を見つける。
本多真紀だった。
復職してから数日が経っていた。
休職前と変わらない。
歩き方も。
表情も。
周囲の社員への受け答えも。
森村はそう見ていた。
だが、以前とは違う点が一つあった。
本多真紀は、妙によく旧社屋方面へ足を運んでいた。
その日も、真紀は本館と旧社屋をつなぐ通路の手前で足を止めていた。
壁に掲示された案内図を見ている。
何かを確認するように。
森村は少し離れた場所から、その姿を見た。
真紀は数秒ほど案内図を眺めたあと、そのまま何事もなかったように歩き出した。
森村とは目を合わせなかった。
「……」
森村はその背中を見送った。
役員室へ戻ると、自席の端末を起動する。
みどりの管理画面を開いた。
《確認したい社員を入力してください》
森村はキーボードを叩く。
本多真紀。
数秒後。
画面に行動記録が表示された。
社内PC利用履歴。
社内資料の閲覧履歴。
入退場記録。
そして検索履歴。
森村の目が止まる。
『旧社屋 平面図』
『旧社屋 電源設備』
『旧社屋 通信設備』
『旧本社 設備配置』
『社内サーバー 設置基準』
森村は椅子へ深く座り直した。
「やはりか」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
画面の端に、みどりの分析が表示される。
《本多真紀による旧社屋関連情報へのアクセス増加》
《旧社屋周辺への接近頻度が上昇しています》
《過去の行動記録との関連性を分析中》
森村は腕を組んだ。
本多真紀。
一度は会社から離れた。
それでも戻ってきた。
そして、また同じことを始めている。
みどりを疑い。
会社の判断を疑い。
周囲の人間を巻き込み。
秩序を乱す。
森村の中では、すでに答えが出ていた。
彼女は変わらない。
むしろ、一度外へ出たことで、以前より厄介になっている。
画面に新たな表示が出る。
《本多真紀によるシステムへの直接干渉可能性》
《上昇》
森村の眉がわずかに動いた。
直接干渉。
「そこまで考えているのか」
もし本多真紀が、みどりの中枢を探しているのだとすれば。
旧社屋へ何度も近づいている理由にも説明がつく。
あそこには、古い設備が多く残っている。
一般社員が自由に立ち入れない区画もある。
彼女なら疑うだろう。
森村は社内電話を手に取った。
人事部の内線番号を押す。
数回の呼び出し音。
「森村だ」
短く名乗った。
「本多真紀の今後の配置について確認したい」
相手が何か答える。
森村は机の上の資料へ視線を落とした。
「海外販促部門への再配置は可能か」
しばらく沈黙があった。
「急ぎではない。起業祭終了後で構わない」
森村は続ける。
「本人にはまだ伝える必要はない」
相手が理由を尋ねた。
森村は少しだけ考えた。
「能力を評価しているからだ」
嘘ではなかった。
本多真紀には能力がある。
語学。
交渉力。
判断力。
人を動かす力。
だからこそ危険だった。
「国内に置いておくより、海外事業で能力を発揮してもらった方が会社のためになる」
森村は淡々と言った。
「候補地をいくつか検討しておいてくれ」
通話を切る。
机の上には、豊後急行鉄道との打ち合わせ資料が置かれていた。
そのすぐ横の画面には、本多真紀の検索履歴。
森村は二つを交互に見た。
一方は、みどりによって効率化され始めた会社。
もう一方は、その仕組みに疑問を持ち続ける社員。
どちらを残すべきか。
森村にとって、答えは明白だった。
モニターに緑色の葉が芽吹いたロゴマークが浮かぶ。
《本多真紀の観測を継続します》
森村は短く頷いた。
「ああ」
そして画面を閉じた。
その少し前。
別のフロア。
本多真紀は自席のPCを閉じていた。
検索履歴は消していない。
消す必要がなかった。
むしろ、残しておく必要があった。
真紀は机の下で、左手首のスマートウォッチへ視線を落とした。
画面には、小さな文字が表示されている。
《転送完了》
真紀は何事もなかったように立ち上がった。
旧社屋の平面図。
電源設備。
通信経路。
社内では閲覧できるが、外部へ持ち出すことのできない資料。
そのすべてが、すでに大崎公太郎のもとへ送られていた。
真紀はバッグを肩に掛ける。
そして誰にも聞こえない声で呟いた。
「さて」
ほんの少しだけ笑う。
「どこまで信じてくれるかしら」
◇
森村が役員室で人事部へ連絡を入れていた頃。
本多真紀は、起業祭実行委員会の打ち合わせスペースにいた。
向かいに座っているのは、六波羅十和だった。
テーブルの上には、起業祭当日の進行表と会場配置図が広げられている。
「では、開会式のあとが会社紹介。その次が子ども向けのステージイベントですね」
真紀が進行表を指でなぞる。
十和が頷いた。
「はい。そのあと休憩を挟んで、午後から社員参加型のイベントです」
「花火は?」
「十八時半からです」
十和は会場配置図の端を指した。
「打ち上げ場所はここです。当日は安全確保のため、この周辺の警備員を増やします」
真紀は図面を見た。
「その分、別の場所は減りますね」
十和が顔を上げる。
「え?」
「あ、いえ。運営上の話です」
真紀は笑った。
「人員には限りがありますから」
「そうですね」
十和は納得したように頷いた。
真紀は再び進行表を見る。
「私は基本的に、ずっとステージ周辺ですか?」
「その予定です。総合司会ですから」
「逃げられませんね」
「逃げないでください」
十和が笑う。
真紀も笑った。
だが、その視線は会場配置図へ落ちていた。
本館。
駐車場。
ステージ。
花火会場。
そして。
少し離れた場所に描かれた旧社屋。
十和がペンで当日の導線を書き込んでいく。
「あと、社員しか入れない区画は当日も施錠します。来場者が間違って入らないように」
「重要区画も?」
真紀が何気なく聞いた。
十和の手が一瞬止まった。
「もちろんです」
「そうですよね」
真紀はそれ以上聞かなかった。
十和は真紀の横顔を少しだけ見た。
「本多さん」
「はい?」
「起業祭、何か考えてます?」
真紀は目を丸くした。
「総合司会としてですか?」
「それ以外で」
数秒。
二人の視線が合う。
やがて真紀は、いつもの笑顔を浮かべた。
「どうでしょう」
十和は小さく息を吐いた。
「やっぱり何かありますね」
「十和さん」
真紀は声を少し落とした。
「当日は、普通に起業祭を楽しんでください」
「それ、何もない人が言う言葉じゃないですよ」
真紀は答えず、進行表を閉じた。
「では、次はステージイベントの細かい確認をしましょう」
十和は呆れたように笑った。
「はいはい」
真紀は資料を開き直す。
その表情は、総合司会を任された社員そのものだった。
少なくとも。
そう見えるようにはしていた。




