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♠ 9時30分 孤児院、『希望の光』
立往生した二台の車を乗り越えてから十分もしないうちに、例の『希望の光』へとたどり着いた。
その比喩は、これからの僕たちを導いてくれそうな響きだ。しかし、牛の一匹もいない牧場の先に見える、ぽつんと立った教会は、揶揄のようにも思える。
「着きました~。ここまで送ってくださって、ありがとうございます」
一年間放置され、伸びきった雑草に囲まれた教会の扉は、心もとない一枚の板を立て掛けているだけだ。その扉の奥からは楽しそうな子供たちの声で溢れていた……。
ヒナは、まるで自分の仲間を発見したかのようにうずうずとしている。
「確かに、こりゃあ直すのも大変っすね……」
春尾は腕を組みながら、ぐるりと教会の周りを回って、その凄惨な状況にため息を吐いた。
窓から見える子供たちは、各々が考えた遊びをしている。しかし半壊したガラスがそのままで、鬼ごっこでもすれば頭に突き刺さって出血――なんてこともありそうだ。
「身寄りのないご老人の方も住んでいたんですが、強盗のような方々に荒らされ、こうなったらしいんです……。わたくしは、元々地方でシスターという仕事を請け負ったことがあり、率先してここを綺麗にしようと思ったのですが」
「友梨さんは日和見出身ではなかったんですね? 僕もこの辺りは初めて来ましたけど……」
レヴェッカは、扉の前に立て掛けられた、一枚の板の端を指でなぞる。杜撰に設置された扉代わりの板はササクレまみれで、今すぐにでもヤスリで削ってあげる必要があった。
「ええ。わたくしは群馬県の高崎で育ちました。教会も高崎市にあるものです。この辺りと比べたら、多少は都会と言っても過言ではありませんが、田舎町だと揶揄されることが多かったですね」
友梨は重たい木の板を退けて、本来あるべき教会の引き戸をお披露目した。右下が完全に破壊されて、中が丸見えだ。そこからは、しゃがみながらクレヨンで落書きをする子供の姿が垣間見えた。
「入って、どうぞ」
友梨はドアを開けると、こちらに手招きした。が、間髪入れずに彼女の周りには子供たちがワッと集まって、自分の頭を撫でてほしいと言わんばかりにぴょんぴょんと跳ねていた。
「ユリせんせー! おかえりー!」「みてみて、ゾウさん描いた~」「うんこー!!」
僕は思わず、そんな光景に口元が綻んでしまう。
今まで忘れかけていた温もりが、ここには集まっているようだ。レヴェッカは頬を赤らめながら、「う、うむ。失礼する」まるで初めての保育園参観日のように、ひんやりとした教会の中へと入って行った。
教会の内部はやや複雑な構成で、いわゆる司祭と呼ばれる、教えを説く人が立つ席、祭壇。今やその席も子供たちの遊び場になっており、聖櫃も青いクレヨンで落書きされていた。ずいぶんと罰当たりだが、友梨の性格上、子供たちを叱るという姿を想像できない。身廊は、祭壇から出口までの距離がざっと十メートルほどで、信者たちが座る椅子もかなり少ない。
小さな小さな教会の中は荒んではいたが、子供たちの悪戯だと思えばなぜかほっこりとしてしまう。
右の翼廊には敷布団と掛け布団が交互に重なっており、その反対側は友梨のパーソナルスペースと化している。小さな机の上には、デスクトップパソコンが置かれていた。その傍にひっそりと置かれた金庫――僕の目は、それに釘付けになった。
「おにいちゃんたちだれー?」
鼻をほじくる少年が、僕の顔を見上げてきた。ああ。小さく返事すると、片膝を折り、視線を同じにした。
「キミたちの住むこの家を、綺麗にするためにやって来たんだ」
僕は笑みを浮かべ、少年の頭を撫でる。終始怪訝な目を向けられたが、僕たちはさっそく作業に取り掛かった。
友梨の問題視していた扉や、窓ガラス。割れたステンドグラスの片付けは僕とレヴェッカが担当する。春尾は近場の井戸へと水を汲みに行って、汚れた箇所、特に血の跡を拭きとることに専念した。
友梨は外に出て、子供たちの相手をしながらも懸命に草むしりをした。
ビニール袋の中に、太陽の日差しを反射してキラキラと輝く、色とりどりなガラスが積まれてゆく。
「レヴェッカさん」
軍手の中が蒸れたのか、レヴェッカは華奢な指先でパタパタと自身を仰ぎながら、僕の顔を振り返った。
「こういうのって、なんだかいいですね」
「ん? んん、まあ、悪くはないな」
そして、牧場に集まった少年少女たちを一瞥する……。楽しそうに、『ヒーローごっこ』でもしながら遊んでいるのだろう。数は十人にも満たないが、このパンデミックが起きた影響で親を亡くしたor行方不明中という子供がほとんどだったが、そんな深刻な事態の中でも、笑顔を忘れない。子供たちから学ぶことは多く、見習いたいとも思うほどだ。
「ヒナ! 一緒に遊ばないのか~?」
教会の前でちょこんと座り込んでいるヒナに声を掛けた。彼女は僕の顔を一瞥すると、「部外者だし……」と、もっともらしい理由を言った。
「ほら、友梨先生もこっち来てって手招いてるよ。せっかくだから、遊ばなきゃ、な?」
ヒナは、ガラス玉のようにキラキラした瞳を、少年少女たちに向ける。五秒間の無言の末、おもむろに立ち上がる。大きく手を振りながら友梨たちの元へと駆けて行った……。
「ほ~。さすがは馬南小学校のエリート教師。子供の扱いはお手の物と言ったところか」
レヴェッカに茶化されて、僕は再び作業に戻った。積み重ねたステンドグラスはこれで最後。次いで、蹴っただけでも侵入され、すぐに危険な状態に陥りそうな心許ないドアの修理である。
「問題児ばっかりだから、馬南は。とくに信也」
「猪狩信也、か。よほど大事なんだな、お前にとって」
レヴェッカは電動ドライバーを手渡して来ると、バンの後ろに積まれた工具を一式取り出して、「板は私が切るから、相馬クンは補強してくれ」と言った。
「まあね。僕たちは山の中で出会ったんだけど……最悪だったよ、彼は。感染者を殺した後に出会ったんだけどさ。邂逅するまでは悪くなかったんだ」
「どんな出会いだったんだ?」
「よう。いい手際だったぜ。そう言って彼は、手にしたライフルの銃口を僕に向けたんだ」
レヴェッカはくくくと低い声で笑む。その絵面が容易に想像できてしまえるほど、信也はひねくれた男なのだ。
「まあいい。一人食い扶持が増えた分、お前には働いてもらうぜ。信也にそう言われて、僕はその日からこき使われるようになる。山奥の小屋で二か月半過ごすことになるんだけど、どいつもこいつもバカだったなぁ。男二、女三で、僕を含めて六人だった。で、信也と同じ高校生御一行だったんだけど……その日食う飯がなかったらセックスで解決するような、バカもん揃いだった」
「いいじゃないか、血気盛んで。今の相馬クンを見ているようだ」
皮肉を言うレヴェッカは、腰に力を込めながら木の板に鋸を入れてゆく。板を切断することに関しては素人同然だったので、まっすぐには切れなかった。
「でも――突拍子もなく、崩壊は起きた。二か月経った頃かな……少しずつその場の雰囲気に馴染んで来た僕だったけど、山の中で起きた妙なざわめきに、嫌なヨカンがした」
「……? 山の中なら、感染者に襲われる心配もあまり無いだろう」
木の板を放るレヴェッカからパスを受け取る、教会の中に風を通す大きな穴にそれを当てる。
「発病した感染者が群れを作って大移動するって話、聞いたことある?」
レヴェッカは顎の下に手を当てて、しばらく考えた。
「いや、無い。私は感染者たちに対抗する手段を教えられただけで、習性ついては聞かされていなかった」
と、彼女は顎の下に手を当てて、群れか、とつぶやいた。
確かに闘い方さえ聞いて入れば、米軍の人たちなら、なんの問題なく生存できるだろう。そもそも僕たちの敵となるような感染者は、すでに絶滅したはずだ。確かに先ほどの車体に取り残された奴のような、イレギュラーもあるが。
「発病した感染者たちの習性かどうかまでは解らないけど――ふとした時に、集団での移動があるんだ。どうして群れを作るかは重要じゃなくて……、とにかくそう言う事態に遭遇したら、身を伏して静かにするのが対策の一つなんだけどさ」
「ああ、解った。理解した。それとなく、その場にいたワケじゃないが」
レヴェッカは深く頷いた。僕は少しだけ笑うと、+の付いた専用のネジをプラケースから取り出して、電動ドライバーの先端に当てる。磁石でぴったりと張り付いたネジを回転させ、板の四隅を固定した。
「僕はそこで初めて群れに遭遇した。他の高校生もね。伏せて待つんじゃなくて、戦いに繰り出た信也以外の子供は全滅して、僕と彼だけが残された。説得するのも大変だった……仇を討つ、って言って聞かなかったもん」
だが、ちょっとだけ木の板の幅が足りずに、五センチほどの穴が空いてしまった。頭を掻いたが、その後に子供たちが穴を面白がって、腕を突っ込みながら遊んでいた。だからあえて、このくらいは残しておこうと、友梨に提案された。
「それで、信也が相馬クンを助けるのはいつになるんだ?」
腕を組むレヴェッカは、昨日大怪我をした少年のことが気になって仕方がないようだ。
「実は、僕たちが群れから逃げて山を下る途中で、信也が忘れ物に気づいた……。いつも彼が大事そうにしている腕時計。ほら、時折手首をちらちら見えるでしょ。アレを忘れたんだ」
「なるほど。で、相馬クンは信也の代わりに戻って、腕時計を取りに行った……。危機的状況はそこで起きた、と」




