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 レヴェッカとヒナは、馬南小学校の中でも三番目くらいに密度の狭い部屋、児童会室と呼ばれる部屋で待機していた。壁際に放置されたままのホワイトボードに、四席の小さな机と椅子。隅にはいくつもの段ボールが重なっており、丸まった模造紙が、中古CDショップで無料配布されているポスターのように差し込まれていた。

「おはよーっす」

 八時を回るか回らないかという時刻に、間抜けな一人の男の声が聞こえて、レヴェッカはため息で出迎える。

「あんだよ、レヴェッカ」

 世田谷心(しん)。レヴェッカより二歳年上で、まだ若いのにひたすらオッサン臭い男だ。未処理の髭がそう彷彿させるのであって、毎日清潔にしていればそんな印象は持たなかっただろう。

「気楽だなってさ」

「……。ヒナ、だっけ。昨日はよく眠れたか?」

 子供嫌いな世田谷は、ヒナとは反対の席を座って、優しい声で尋ねた。

「うん! もう元気! ありがとう!!」

 キン、と脳髄に響くような甲高い声。思わず眉をひそめるが、世田谷はニッと口角を上げ、

「そりゃあ良かった」

 頷く……決して、心配はしていないワケじゃない。だが、問題を起こされると面倒だ。そんな表情をしていた。


『きーんこーんかーんこーん。んっんっ。えー、馬南小学校に通う生徒諸くぅん。並びに保護者の皆さまぁ、そして、この学校を利用中の皆様方……』


 突然、スピーカーから怒号にも似た声が響いた。慌ててレヴェッカはスピーカー音量を下げに立ち上がった。

『今から全校朝会を執行するため、各自、八時半までに体育館へご来場くださいねぇ』

 音量を下げてみると、その声の持ち主が、狭川校長のものだと気づいた。口の中の唾液が良く絡んだ、粘っこい声だ……。

「どういうコトだ……? 校長が全校朝会を開くだなんて」

「お、おいおいレヴェッカ。昨日のこと、校長に告げ(チク)ったんじゃねえよな――!」

「私は昨日、信也クンを寝かせた後はアンタと一緒にいたはずだ。もちろん、ヒナも傍から離れていなかったはず」

「てことはだ……。まさか、相馬かはるきゃんが?」

「やめておけ。疑心暗鬼になるな――破滅を生むぞ」

 レヴェッカはもう一度ヒナの右隣に座ると、鋭い視線を世田谷に向けた。不安そうなヒナを一瞥し、状況を今一度整理する。もしかしたら、誰かの功績を讃えるだけかもしれない――。そんな淡い希望は、

「でも、どうやって信也を病室から体育館に運び出す! その時点で、もし違う件だったとしても全員に知らしめることになっちまう」

 その一言で、いとも簡単に握りつぶされる……。そうすれば、校長の口から宣言されるまでもなく、全員の前で公開処刑だ。

 考えても見ろ、今までは不自由だらけだったが、感染者という障害は取り除かれたはずだ。その障害が再び返り咲くということは、拭っても拭いきれない懸念を、全員に与えてしまうということ。

 一分間、応えに迷っていたレヴェッカは、「先手必勝以外あり得ない」そうつぶやくと、早速立ち上がって、行動に移したのだ。


♠ 8時3分 馬南小学校、保健室


 パンデミックが起きた後の馬南小学校の名物と言えば、保健室である。他の教室の1・5倍ほどの広さの教室には、三台のベッドが安置されている。授業に出るのが気怠くなった少年たちが教室を抜け出し、「先生、具合が悪いです」と申し出るのはいつの世代も変わらない。ましてや良い大人が――子供たちの身体のサイズに設計されたベッドを独占する。

 白いカーテンの奥には他の人も利用しており、僕とアンナが教室を訪れると、嘘っぽい咳が聞こえた。

「……あれ? 佐々木さん、いないね」

 歓迎するのは薬品の匂いだけだ。最初にここを訪れたときに比べればだいぶマシになっている。というのは、他の生存者が薬を求めてこの部屋を訪れて、やみくもに探した結果、棚のガラスや、その奥にしまわれた薬瓶を割ったのだ。

「信也くーん、いる?」

 アンナはまず、窓側から調べようと歩を進め、他人の目線を隔てるカーテンを開ける。

「ひっ!」

「ご、ごめんなさい!」

 カーテンの奥からは、下半身を晒し、片手にオカズを握り閉めた男が現れ、そそくさと教室を出て行った。

 アンナは顔を真っ赤にして、カーテンを閉めた。どうやら間違えたらしいが、その反応を見る限り……。いや、なんでもない。

 次いで、隣のカーテンを開けると、そこには信也の姿があったらしく、僕はアンナに手招きされた。

 ベッドの上には、やんちゃだった男の子が、気怠そうに横たわっている……。足は膝の下からつま先までが包帯で巻かれており、見るだけでも痛々しい。何度も炎症した箇所を掻いてしまったのか、彼の両腕はベッドの両脇にベルトで固定されている。ただ、熱は特別出ているワケではないようで、やはり以前の時とは処置の施し方が違う。

「信也、大丈夫か?」

 まるで生理現象のように水浸しになった枕からは、まだ若い少年の香りがした。

「すごい汗だな。待ってろ、今すぐ濡れタオルを用意するからな」

 金髪の少年は片目をゆっくりと開けると、黒目だけを動かして、僕とアンナの顔を見比べた。

「先輩……、ごほ、ケホッ!! 大丈夫……熱は無いから、ただ、息苦しくて、」

「あんまり無理しちゃダメだよ。ほら、安静にしなさい」

 僕は昨日起きたあの出来事を思い出して、身震いしながらカーテンの外へと出て行った。

 (かな)(たらい)の中に入れっぱなしのタオルは、お世辞にも綺麗なものとは言えなかった。適度に洗濯はしているはずなので、佐々木が徹夜で何度もタオルを変えたのが解る――。

「まさか、今になって噛まれる人間がいるなんてな……」

 病室に響かない程度に、極限にまで抑えたつぶやき。

 盥の中の水にタオルを浸し、腋を閉めて一気に絞る。あっという間に淀んだ汗で溢れているため、僕は場所を移動して、水道で直接濡らした。

 再びカーテンの奥に戻ると、もう一度なんとも弱々しい姿の信也の姿を目の当たりにすることになった。

「ありがと、先輩。やっぱ優しいなあ、アンナ先輩が惚れるだけのことはある」

「な――ちょ、ちょっと信也くん!」

 アンナは顔を赤らめ、ぷりぷりと怒りながら僕の顔を一瞥した。

「……」

 僕は踵を返し、やたらと広い保健室内を闊歩する。佐々木がいつも座っている椅子に腰を下ろし、窓から外の景色を眺めた。二羽の小さな鳥が羽ばたき、空へと舞いあがっている。馬南小学校では野鳥が多く姿を見せる反面、止まり木が少なかった。

 ――何で、付いて来ちまったかなぁ。

「先輩、ごめん。オレ……どうしても、我慢できなかった」

 まるで心を見透かすように――いや、口に出していたのだろうか? ――信也は咳込みながら、昨日の心境を包み隠さず話してくれた。

「校長を殺すって話をして、先輩はもう終わったんだと返してくれた。でも、本当は終わっちゃいねえ……。この伝染病が終わった後の世界では、人間が最大の敵なんだって、米軍の姉ちゃんが言ってたんだ。でも……それでも、オレたちのコミュニティに善意はある。でも、その頂点の校長には、無い」

 レヴェッカの顔を思い浮かべる。常日頃から口にしている、口癖らしい。

「食堂で、先輩とその米軍の姉ちゃんが、給水塔に行くって話を聞いて……。それで、オレも行こうと思っちまった。それで、オレが四人のことを助ければ、校長を殺すって言うことにも耳を貸してくれるかなって思ったんだ」

「そこまでして、校長に消えてほしいと思っているのか?」

「……」

 無言を貫く。頷いたか否かは、その様子を見守るアンナにしか解らなかった。

「確かに信也。お前の言いたいことや、不満。それは僕も共感するし、理解しているつもりだよ。性善説。大いに結構。でも……ここで校長を殺せば、今度こそ居場所がなくなる」

「――……ッどうして、」

「何故かと言えば――狭川校長は、この学校の最高責任者だから……。確かに彼の態度は、鼻に付いたり、下劣めいてるし……それに、レヴェッカさんが言っていた通り食料も独り占めしているかもしれない」

 だったら! 信也は声を張り上げる。

「ダメだ。何度も言うように、彼はこの学校の最高責任者。もしこの学校が一つの国だとすれば、狭川は国王なんだよ。国王に不満を持つ人間は少なからずいる。と言うより、貧困に悩む国民であれば、誰しもが王を恨むだろう。でも、いざ国王を殺したとき――その代理となる人は、今のところいない。国王の息子である、王子が今はいないんだ。国王を失った民衆は、確かに国に税を納めなくてもすむ。だけど、それと同時に不安も抱えることになる……」


 もし、万が一のことが起きたら――誰に責任を擦り付ければいいのだろうか?


「結局はみんな、自分のことしか考えちゃいないんだ。僕も、狭川も、みんなそうだ」

「オレは違う! オレは……オレは全員のことを考えて、この学校に住む人たちが安心して暮らせるように、考えて行動しているんだ!!!」

「ウソ吐くなよ。お前だって、自分のことしか考えてない。僕たちの後ろに勝手に付いてきて、勝手に死にそうになってるじゃないか。感染者に噛まれるなんて失態――今まで信也は経験して来なかった――。自由な世界だからこそ、自由が許されなくなるんだよ!」

 あんな大人に延々と従い続けろってか! そんなの、奴隷じゃないか!

 信也の言うことももっともだが、逆に考えれば、こうして狭川が主導権を手にし、天狗になっている今がまだマシなのかもしれない。もし仮に彼がこの学校を消え去るのだとしたら、次の日からは絶望が待ち受けているだろう。人間の急所である頭を失えば、身体だって言うことを聞かなくなるのだ。

「信也くん……やっぱり、噛まれたんだ」

 アンナは、震える声で言った。しまった、訂正する時間の猶予はなく、「そう、だ」と、認めてしまう。

「みんなには、黙っててくれ」

「狭川の重要性について解説中のところだが、すまない」

 男勝りな女性の声がして、僕は頭を上げた。開けっ放しの扉から入って来たのは、レヴェッカである。その後ろにはヒナの姿はなく、どうやら世田谷と一緒に児童会室で待機しているとのこと。

 世田谷の何とも言えない表情を思い浮かべると、自然と笑みがこぼれた。

「どうしたの? レヴェッカさん」

「ああ、先ほど放送があっただろう? 全校朝会を開くと」

「ん? そんなこと言ってた?」

 ようやくカーテンの向こう側から顔を見せるアンナ彼女はじとっとした目をこちらに向けて、「言ってたわよ」短い回答を用意してくれた。

「信也と昨日の給水塔について、どう言及すべきか考えていた」

 僕は、あっと大きな声を上げて、もしかしたら校長はその件で僕たちを呼び出したのか、という推測を思い浮かべた。

「今更狼狽してもしかたない。腹をくくって、今から校長室に向かう。後で燃え上がる炎をできるだけ初期段階で鎮火しておくべきだ」

 正直に話したとしても、きっと狭川は激怒する――否、彼の場合は弱みを握って、それを盾に、言うことを訊かせるという魂胆が見え透いてしまう。

「私の付き添いで来てくれる人~」

 レヴェッカは挙手をして、この場にいる約二名に同行を求めた。

「解ったよ、僕が行きますよ……」


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