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「誰だ! 俺の飯を盗んだ奴は!!!」

 たった一言――その一言で、すべてが崩壊した。

 見広中学校体育教師の飯塚は、午後の配給が終わった後、突如として叫びだした。感染者たちが活発化する夜の七時以降は誰もが口を閉じ、息を潜めてながら食事をするため……彼が体育館で叫んだときは、心臓が止まるかと思った。

 見広中学校の生徒はわずか一握りがここに滞在し、半数以上が見知らぬ生存者だった。だが、それでも数百人はいるコミュニティだ。毎日の配給に欠かせないのは、体力の余っている大人たち。彼らは感染者が静かな昼に外へ繰り出し、近場のコンビニやスーパー、飲食店から食材を盗み、一か月という間を耐え忍んできた。

「落ち着いてください、飯塚さん! いったいどうしちゃったんですか!」

 同じく、見広中学校の現代語教師、バーコードハゲと揶揄される、中嶌(なかじま)である。彼はバスケ部を全国大会へと出場させるほどの名顧問で、いつも威張ってばかりの陸上部顧問、飯塚とは正反対の性格だ。

「配給された後にトイレに行ったら、オレのスパム缶が盗られてんだよ! せっかくオレがビールのツマミにしようとしていたのに……誰がやった! 今すぐ名乗り出ろ!!」

 体育館内はいくつかのグループに分かれており、各々が一日の苦労を癒すための時間を楽しんでいた。世間話から飯塚の悪口に変わると、僕の目の前にいたアンナ、そしてここに来てから知り合った少女、テニス部マネージャーの二宮と目を合わせて、「誰が盗んだんだろう」そんなことをつぶやいた。

「誰が盗んだかなんて、今は重要じゃないんじゃないですか?」

 二宮は、真剣な面持ちで言った。今の今まで、こういった事件が起こらなかったのは不幸中の幸いだが……よりにもよって、この学校の一番の問題児である、飯塚の飯が盗まれるのは大問題だ。

「お前か!? お前がやったんだな!」

 手当たり次第に、まずは悪ガキの集まりに歩み寄って、所持品のチェックをし始める……。その場には仕切る人間がいなかった。どちらかと言えば今まで、飯塚の指示に従っていたからだ。

 今までこうして生きてこれたのも、ほとんどが運否天賦……それらのせいもあり、感染者によって傷を負う大人たちが跡を絶たなかった。

「……相馬克。お前か!」

「いえ、僕じゃありませんよ」

「――怪しいな。お前がやったんだろう!」

 彼の生臭い吐息と唾が飛び、僕の頬に当たった。水洗いしたばかりのTシャツの裾を掴まれ、強引に立ち上がる。常に携えている金属バットで威嚇をするが、この男は臆病だからそれを振ったことがない。

「お前だ! おいみんな! この男がやった! どうせさっさと食っちまって、缶はゴミ袋に捨てたんだろう!!」

「冤罪です! 相馬くんを離してください!」

 アンナは立ち上がって、飯塚の左腕を引っ張った。だが、ほんの一振り――パン、という拒否の音に合わせて、彼女は後ろに倒れ込んだ。

「きゃあ!」

 頬を抑えるアンナの背中に腕を回し、飯塚を睨み付けた。

「お前も同罪だ! 連帯責任! 一緒に飯を囲っていた二宮も同罪! 今晩は飯抜きだ!」

 そう言って、僕、二宮、そしてアンナの元から食べかけの魚缶と桃缶を奪い取って、自分の体操着の中に包んでしまう。まるで、木を揺すって落ちて来たリンゴを大事に抱える少女のように――収穫だ――そんな風に飯塚はニィっと口角を緩めて、踵を返した。

「ヤロウ……絶対、スパム缶が盗まれたなんて嘘だ……」

 僕はくっきりと皺の残ったTシャツの襟首を直して、まだ若い体育教師の後姿を睨み付けた。彼は孤高(ソロ)だったため、体育館のど真ん中で腰を下ろすと、あっという間にそれを食べきってしまった。

「ごめん、二宮。キミの分まで奪われて……」

「大丈夫ですよ。それに、飯塚先生がこういう人間だって言うのは、私たちが一番知っていますし」

「こうなる前から、ああいう人間だったの?」

 ええ。二宮は薄く笑って、体操座りを崩し、「杜撰で、非効率的で、自分の失敗を生徒に押し付ける……そんな、最低な先生です」と。二宮は諦めたかのように言った。それは、僕が彼と行動をしている際にも共感できる特徴だ。

 杜撰……食料を探している間に、モノをよく崩して大きな音を立て、

 非効率的……自分のペースに合わせ過ぎて、周囲の疲れを把握できない、

 自分の失敗を他人に押し付ける……仲間が自分のせいで怪我をしても、決して悪かったとは言わない。

 なんとも解りやすい、独裁的な、そして非協力的な人種。

 だが、そう言った人種であるからこそこの終わった後の世界では生き残りやすいのだと、皮肉にも300日後の自分には理解できてしまう。

 飯塚は食べ物を広げると、手づかみで魚を平らげ、大量のビールで流し込んでいた。このご時世に、ずいぶんとお気楽なもんだ……。

「僕たちは、利己的に動く。たとえ生きるために必要なモノを奪われたとしても……そうなった場合の手段を考えるんだ」

 僕と同い年のアンナはもちろんのこと、この中では群を抜いて年の幼い少女、二宮が深く頷いてくれた。

 次の日……僕とアンナ、そして二宮の三人は、食料確保のために外へと臨むことになった。この一か月の内、見広中学校から初めて女性が外に出る上、中学生の二宮も同行するという噂は瞬く間に広がった。

「血迷ったか……」

 すれ違う生徒や、臆病な大人たちは、口を揃えてそう言った。中には「こっそり外に出て、自分の欲望の捌け口にする気だ」と……根拠のない妄想を披露する者まで。

 十一時に生徒用正面玄関に集合だったが、飯塚の姿だけはいつまで経っても現れない。

 約束の十一時を回ると、バーコード頭の中嶌が様子を見に行った。飯塚はいつも抜け殻となった校長室で寝泊まりしていたのだ。

 だが、様子を見に行った中嶌の姿も一向に現れず……すでに二十分が経過していた。嫌なヨカン……。僕たちは校舎に戻って、様子を見に行こうと提案する。その場に集まった十名ほどの男性職員、及び協力者は正面玄関を抜け――校舎一階、突き当りから数歩歩いた場所にある、校長室前を見据えた。

 そこには、二人の男性職員の姿があった。コンタクトでも落としたのか、二人は床に屈んでいる。

「おーい、大丈夫ですか~飯塚先生、中嶌先生ー」

 それに応えるように……百メートル先の一人の男性職員は、ゆっくりと立ち上がって……


「ウソ、だろ」


 ぐちゃぐちゃに砕けた顎をカチカチとさせながら、血まみれの腕を突き出してきた。

「に、逃げろ!! 逃げろおおおおお!」

 アンナと二宮、そして後ろで待機している複数の職員たちに向けて言い放つと、何かが爆ぜたように一斉に外へと飛び出して行った。僕も踵を返して彼女たちの後を追うが、正面玄関前の放送室からは二名の感染者……ジャージ姿の女子生徒が、苦しみの声を上げながら、一歩ずつ迫って来る。

「あ……あ……」「げぁ……うぅ――」「ひゅー、ひゅー……」「ぐぅううううううう」

 噛まれた箇所により異なる声を上げる生きる屍に囲まれてしまう。僕は慌てて腰に差してあった調理用ナイフを取り出して、図体の小さな少女たちの方へと身体を向けた。腰だめにナイフを持ち、

「どけええええええええ!!!」

 叫びながら、一気に駆ける。ドン! と体当たりをすると、弾かれたようにどろどろに崩れ落ちた華奢な少女の肉体が後ろに飛んでいった。一瞬だけ切っ先がずぷりと皮膚の中に浸透した……。死亡からわずかな時間ということもあり、若く、サラサラとした血が床の上を掻き乱す。

「……はあー、はあー」

 後ろを振り返ると、よたよたと生まれたての仔馬のようにおぼつかない足取りでこちらに向かう中嶌……。そして、ぎらついた瞳を剥けながら、死人とは思えぬほどの走りを見せる飯塚。その姿は、獲物を狩る獣のようだ。

「クソ!」

 僕は慌てて立ち上がって、玄関先へと一直線に駆けた。肺が重くなるのを感じ、カラカラの喉は押しつぶされそうだ。三年生側の下駄箱から反対側、生徒進路室と書かれた教室からも、二、三人の女子生徒たちが、腕を突き出しながら歩いてくる……。

 僕は足を止めて、靴を履き変える暇も与えられないまま、学校の外へと逃げおおせたのだ……。

 これは僕の憶測であるが、この事の発端……。それは、飯塚が僕たちの夕ご飯を奪い取ったのが要因である。テニス部マネージャーの二宮は数日前から身体の調子が悪いのを訴えており、総合感冒薬を一日二回服役していた……。検出されたワケではないが、その薬を彼女は魚の味噌煮の上にふりかけのようにして食べようとしたが、それが飯塚によって奪われた。それを食したから――であれば、死ぬまでには至らないだろう。せいぜい腹痛か、何も起きないのが道理だ。だが、彼はその晩、ビールを呑んでいた。いわゆる、『飲み合わせ』という奴だ。彼はアルコールの摂取による酵素が肝臓から発生し、それにより薬の分解が遅れ、効き目が強化されてしまう。そして運悪く死亡した……。

「たった一晩で……? それも、あの飯塚が?」

 悪夢。もしこれが夢だったら早く覚めろ。救助隊のヘリが墜落した事故現場や、最近度重なっていた地震による被害なども著しく見られる見広市……。僕はアンナたちの後を追おうとしたが、結局彼女らの行方は解らなくなってしまい、しばらくは僕一人の旅が続くことになる。


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