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♠ 15時45分 獣道


 車へと足を運ぶ途中……。信也が唐突に足の痛みを訴え、悶えるように放置された雑草の上に転がった。

「痛ッ……!!!」

 すぐさまレヴェッカは彼の足を捲る。

 噛まれたのだ……。彼の右足のくるぶし辺りには、力加減を知らないほどにめり込んだ、歯型がくっきりと浮かんでいる。靴下の口の部分が巻き込まれており、固体化し始めた血をベリベリと剥がした。

「ぎゃあああああ!」

「うるさい。少しは黙りなさい……勝手について来たあなたの自業自得よ」

 僕は、レヴェッカの背後に立って、

「そんな言い方しなくても……」

「いや。ここで甘えさせたらダメだ。この子は武器も持っていなかった――このような事態になるのは、安易に想像できたはずだ」

 だが、それに異を唱えたのは世田谷である。大きく足を広げ、雑草を踏みつけながら、脂汗を浮かべる信也の元へ。

「レヴェッカ。この子はまだ高校生だ。多めに見てやれとは言わないけどよ……」

「彼は噛まれた。確かに私たちの身体には抗ウイルス剤が循環しているが、必ずしも感染者にならないとは限らない」

 一番後ろで待機していた春尾は、心配そうな視線を向けるヒナとの目線を合わせて、「大丈夫だよ」と、笑みを浮かべた。

「お兄ちゃん、死んじゃうの?」

 ヒナの、純粋かつ無粋な一言。信也は目を見開いて、無言で首を横に振った。僕たちは何度もこう言った場面に出くわした。前のコミュニティでは足首を噛まれた男がいて、その人は自主的に足を切り離した。幸いにも一命を取り留めたらしい。

「足を、切断するしかないんですか……?」

 誰もが頭の中に思い浮かべていた解決策を、僕は口に出した。

「せ、せんぱ……嫌だよ、俺! 足を切りたくねえ! だって、この足は、この足は――!!」

 命乞いにも見える、信也の焦り。死の恐怖が目前にまで迫った、底知れない不安感……。それには理由がある。彼はとにかく走ることが好きで、体育の授業では真っ先に着替えて準備体操をするのだ。まるで、それが今の自分の生きがいのように――

「大丈夫だよ。レヴェッカさん、薬の手配はできる?」

「ああ、報告はする。だが、四十八時間以内に薬が到着するかどうかは解らない」

 抗ウイルス剤はアメリカの国防厚生管理本部の管轄であり、そちらに申請してから数時間後に国防総省へ。傘下である陸軍戦闘支援部隊と共に軍用ヘリで送ることになる。アメリカから日本への移動時間を考慮し、飛行機でも時速1000キロメートルほどで、十一時間前後は掛かる。対して、ヘリコプターの時速は400キロ前後……単純計算しても、二十七時間は移動に時間を掛けることになる。さらに、ヘリは長距離移動を前提にしたモノではないため、陸伝いでの移動となる……。ゆえに、場合によっては日本まで、何日も掛かってしまう可能性があるのだ。

「軍用機ではなく、軍用ヘリでの移動なのか? 数か月前に日本に抗ウイルス剤を投下した時、F―16の姿もあった」

「何度も言わせないでくれ……私は陸軍の人間なのだ。軍用機はあくまでアメリカ空軍の管轄だ」

「無理、なのか……? 本当に?」

 怪訝な目を向ける世田谷。引きちぎった信也の服で止血、および足首の周辺を包帯のように巻き付け、手際のよい応急処置を済ませた。

「今は一刻もはやく、全世界へ抗ウイルス剤を投下することがが優先されている」

 僕は、胸の中に張り付いて取れない鉛のようなものを感じ、憔悴する信也の顔をじっと見つめた。その目に活力はなく、今にも死にそうだ。

「よし、世田谷、肩を貸してやれ。私は左を……」

「あ、ああ」

 信也を支える大人二人を後目に、どうしてこうなってしまったのだろう、と酷く後悔していた。レヴェッカが数時間前に言っていた、『学校内で問題が起きた時に、それを事態解決にまで導いてくれる人物』。僕が向こうにいれば、信也も付いて来なかったのでは? というあったらいいなの妄想。

 信也はレヴェッカとも、世田谷とも、そして春尾ともまったく話さない。だとしたらここまで付いて来た要因は、間違いなく僕だ。

「信也……」

 車に乗り込むと、こちらに来たときよりも面積が狭くなるような気がして、僕は息苦しかった。後部座席の方には足をいたわる信也の姿と、心配そうな面持ちを浮かべる春尾。そして、退屈そうな表情のレヴェッカである。

「……よし、車をここから道へと戻すぞ。男たちは車体を押すんだ」

 どうしてレヴェッカがそこまで余裕をかましてられるのかは解らなかったが、いつまでも悲観に物事を見るのも良くないなと思った。

 実際に、助手席に居座る僕の膝の上にはヒナの姿があった。彼女は疲れたのか、指を咥えて寝入ってしまっている……。一人の少女を、無事に救出することができた。

 これは喜ばしいことでもあるし、飲み込んだ魚の骨のように、喉奥に引っかかる存在でもあった。

 水死体の山として発見された、米軍と自衛隊の人たちが、本来いるべき場所でヒナを発見したからだ。

「……もう、こんな時間か……」

 世田谷はフロントガラスから空の景色を見上げた。ミカンの皮のような色合いをした、オレンジ色の空。鴉は噛まれた人間のような鳴き声を上げ、夕刻の風に乗り気ままに飛んでいた……。

「調達も兼ねての給水塔調査ではあったが……それ以上の収穫、と言えばいいのだろうか」

「でも、その分手助けをしてくれる人たちは……みんな死んでしまった」

 僕はすぐに、レヴェッカがヒナのことを言っているのだと気付いた。だが、それとも感染者のことを指しているのか、という疑問も生まれた。

「オレたちのコミュニティなら、歓迎してくれるさ。子供に餓えた親が、山のように溢れているんだからな」

 子供嫌いな世田谷は、恐る恐る左腕を伸ばして、ヒナの頭を優しく撫でた。手のひらにくっきりと残った傷跡も、二度目は怯えなかった。

 狭い山道に落ちた石を踏みつぶしながら、バンは馬南小学校へと戻って行った……。



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