悪魔と薔薇
大国を飲み込んだ勢力は、その地に新しい国を打ち立てた。
その国の王となったのは黒い鎧をまとった悪魔のような男だという。若く、美しい見た目に対し、そのやり方には一遍の容赦もない。それを悪魔と称したのだ。
黒衣の悪魔は大国を平定すると、次は戦に疲弊した我が国に矛先を向けた。
すでに王は腑抜けになり、次を継ぐ者はいない。
この国はがらんどうで、滅んでいるのとなにもかわらない状況だった。
黒衣の新王は、その空っぽな王都に大軍を差し向けた。
そして王都をあっさりと平定させ、現王を引きずり下ろした。
数百年続いた国が本当に滅んだ瞬間だった。
王都を平定させた王が次にどう動くか。おそらくこの国の領土をその恐ろしいまでに冷酷な刃で叩きのめそうとするのはもう明らかだった。
すでに母はおきあがることもできず、まだ幼い弟を立てるのも難しい。
兄はなんとか戻ってこられたが、父はいまだ王都。戻ってくることはもやは絶望的だろう。そして私はというと、たった一人でこの地を守ろうと必死になっていた。
そんな矢先、軟禁状態にあると伝えられていた父から使者がやってきた。
「王都に?」
「はい」
父の部下だった男はしずかにうなずく。
「メーベルト侯爵が王都にてハインリヒ様と、ロスヴィータ様をお待ちでございます」
「でも……」
父の命令とはいえ、残されるのは病がちな母と幼い弟だ。
その二人を残すのは気が引けた。
言いよどむ私に、父の部下は安心させるように笑いかけた。
「大丈夫ですよ。私もこちらに残りますし、すぐにでも宰相殿の部下もやってきます。侯爵夫人とご子息の安全は私が命に代えてもお守りいたします」
「……わかりました。伺いましょう」
最悪、私たちの身になにかあっても弟が残る。
私は心を決め、兄とともにまだ戦の爪痕残る王都へとむかった。
王都を離れて、十年ちかい年月が経とうとしていた。数百年の歴史がある王都は、建物一つ、通り一つとっても美しいつくりで、町のいたるところすべてに歴史が感じられた。
だが、今の王都はひどいものだった。
建物という建物はほぼ傷をうけ、美しかった街並みは跡形もない。
かろうじて残っている建物でさえ、すべてが無事というわけではない。
王城にむかう途中で、屋敷に立ち寄ってみたがそこも建物は半壊し、母や祖母が愛した庭は跡形もない。
こんなにひどいありさまなら城はもっとだろう。
そう覚悟をして、私は城に向かった。予想していたが、やはり王城を囲む城壁や跳ね橋は崩れ落ち、城に入るには大きく迂回する必要があった。
だが、城に近づくにつれ昔の面影が少しずつよみがえってくる。
皮肉にも城は最後の最後まで無事だった。そう聞いて、私は複雑な気持ちになった。
アルフレードを守れず、追い出した城が最後まで無事だったなんて。
馬車は城の裏にとまり、私はそこから中へと入った。
そこには見慣れない恰好をした女性たちが、私を待ち構えていた。
どうやらあの黒い悪魔の国の者たちのようだった。周りを見渡すと、我が国の人間だったものはほとんどいなくなっており、いるのは見慣れない恰好をした人ばかり。そしてその大半が鎧をまとった男だった。
それはまさに、この城で、国で戦が行われていたことを私は改めて思い知らされたのだった。
「ロスヴィータ様でいらっしゃいますか?」
年嵩の女の言葉に私はうなずく。
「こちらに」
そういって女が歩き出す。
城の中は私はほどんど知らない。そもそも私が王都にいたのはまだ幼い時だったし、城に連れてこられた時でさえ王妃の庭と、あとアルの家ぐらいで他は知らないのだ。
自分の国の城なのに、他国の人の方が知っているなんて。
浮かび上がる皮肉げな笑みをなんとか隠し、向かった先は豪奢な彫刻が施された大きな両開きの扉の前だった。
女がノックをすると、ぎしりと扉が開いた。
そして開いた扉から私はしずかに中に入る。と、そこにいたのは数か月ぶりに見る父の姿だった。
「お父様!」
張り詰めていた糸がぷつん、と途切れたような気がした。
礼儀もなにもかもかなぐりすて駆け寄った私を、父が抱きしめる。それは初めて見る、父の涙だった。
「すまなかった」
抱き寄せた父の腕の中で、私はおいおい泣きじゃくる。
その背中をもう一つの手。兄の手がなでる。
「……お前には心配ばかりかけた」
その言葉に、私は小さく首を振る。
「いえ。お母様とカールのおかげです」
「そうか」
父が抱きしめていた腕をそっと緩める。
「二人は?」
「お母様はお父様のお帰りをお待ちです。カールも……さみしがってますわ」
「そうだな」
小さくうなずいた父を、私は改めて見つめる。
やはりいろいろ苦労したのだろう。その顔には疲労の色が濃い。兄もまた同じだった。
「お父様、兄さま、早く家に帰りましょう」
家には母様も、弟も待っている。そう言うと、父はそうだな、とうなずく。
「だが、戻る前にお前に頼みたいことがある」
「頼みですか?」
「そうだ。そのためにお前にわざわざこちらにきてもらった」
父の言葉に、私はわずかに首をかしげる。
元宰相であり、この国でも五本の指にはいるほどの古参の家臣であった父が頼み事をするなんて今まで一度もしたことがなかった。
いや、と私は思い出す。父が私に頼んだことが一度だけあった。
それはアルフレードに初めて会ったときだ。
あの時も、珍しく父が私に頼みごとをしたのだった。
「私にできることでしたら」
あの時を思い出し、わずかに笑みを浮かべた私に、父は小さく安堵のため息を漏らした。
「そう言ってくれると助かる。どうしてもお前に、といわれていたのでな」
「……私にですか?」
なんだろう。首をかしげる私に、父の元に連れてきてくれた女官がこちら、と促す。
女官の後を追った私は、連れていかれた場所に思わず声を漏らした。
「……どうして、ここに」
眼前に広がる景色は、忘れるはずもない。
あの時。アルフレードと初めて会ったときと同じ場所。王妃の庭だった。
そこは外の世界で起こったことなど、まるでなかったようだった。昔のまま。ここだけ時間が止まっていると勘違いしそうなほど、本当に昔のままだった。
驚いて立ちすくむ私に、女官は庭の端にあるあずまやを指しそこで待つようにといったのだった。
ここはは昔と何一つ、変わっていなかった。
吹き抜ける風も、美しく整えられた庭も。揺れる花々も。
変わっているとしたら私と、そして彼がいないことぐらい。
小さく息を吐き、私は近づいてくる足音の方へと向き直る。
目にもまぶしいほど青々とした生垣から姿を現したのは、緑と花にかこまれたこの場所にはふさわしくない黒光りした鎧姿の男だった。
ゆるく波打つ漆黒の髪は肩にかかり、鎧と同じ漆黒の外套が風にゆるくたなびく。
腰から下げているのは長い剣だ。だが、それは絵物語や、よくあるような儀式につかわれるような飾りでゴテゴテしたものではない。
それは纏っている黒い鎧にも言えることだった。
美しい外見に惑わされそうになるが、彼の持っているもの、身に着けているものはどれも実戦用だった。
ただ一つ、違うのは彼の胸に輝く薄いばら色の石がついたブローチだ。
豪奢なそれは、普通の人がおいそれと持てるような品ではないことは一目瞭然だった。
つまり――私はさっと裾を捌き、地面に膝をつく。
彼こそあの黒い悪魔。隣国を滅ぼし、この国を蹂躙せんと現れた若き王だ。
王は膝をついた私を一瞥する。
「……ロスヴィータ嬢か」
「はい」
目を伏せ、頭を垂れる。
「メーベルト侯爵が娘、ロスヴィータにございます。陛下」
「そうか」
男は呟き、そして黙り込んだ。
それがどのぐらいの間続いたことだろう。ひたすら頭を下げ続けているため、彼が今、どのような顔をしているのかわからない。
だが、わずかに聞こえる物音で彼が引きつれていた付き人やら女官たちが立ち去ったのはわかった。
その足音もきえ、再びあたりは静寂に包まれた。
「顔を」
男の言葉に、私はおずおずと顔を上げる。
そして彼ののど元あたりを見つめる。
悪魔とおそれられた男。だが、目の前にいる彼が、噂の男と同じ人物だとは到底思えなかった。若いし、それに普通の人だ。
だが、人は見た目にはよらない。
兄だってあのような女性のように美しい顔をしているが、性格は男っぽいし、見た目のように軟なわけではない。
だとすると、この彼はふつうに見えても、悪魔のような冷酷さを持ち合わせているのだろう。
そんなことを考えていると、鎧がこすれたような硬い金属音が響いた。
その音に反射的に視線をあげる。と、悪魔と呼ばれた男が目の前にいた。
驚いたように目を見開いた私に、彼は無表情のまま「ロスヴィータ」と私の名前を呼んだ。
「君を呼んだ理由がわかるか?」
「……申し訳ございません」
再び目を伏せようとした私のあごを、男の大きな手がすくいあげる。
「わかないのか」
「陛下?」
「俺が……、誰かも」
男の言葉に、私は思わず彼を見る。
すっと通った鼻梁。薄い唇、そしてどこまでも美しく輝く黄金色の瞳。
「……え?」
違う。最後に会ったときはまだその顔にわずかに幼さが残っていた。けど、目の前の男にはそれは皆無だ。
幾たびもの死線を乗り越えてきた男のそれだ。だから、昔の面影を探そうとしても、どこにも見当たらない。だけど、自分を見つめる黄金色の瞳を見て思い出すのはたった一人しかいなかった。
「アル?」
「ローズ」
絞り出すように彼はつぶやき、そして膝をついたまま見上げる私を抱き寄せる。
最後にあったときよりもずっと大きくなった体。低い声。高い伸長。大きくて太い腕。どれもが記憶にあったアルフレードからは遠い。
けど、心の奥底で彼だと言っている。
その瞬間、私の両目から大粒の涙が零れ落ちた。
「……アルフレード……!!」
「ローズ」
戻ってきたよ。耳にささやかれた言葉は、忘れかけた約束をようやく果たした安堵感がにじんでいた。
どのぐらい抱き合っていただろう。
先に我に返ったのは私のほうだった。
抱き寄せる彼の腕からのそのそと逃げ出した私に、アルフレードは小さく笑った。
そして最初に出会ったあずまやへと促す。
彼は私をベンチに座らせると、逃げ出す隙を与えずその隣に腰を下ろす。そして「会いたかった」とつぶやいた。
「忘れられているとおもっていたから」
「そんな!」
私は怒ったように眉を吊り上げる。
「忘れるわけないでしょう! アルこそ忘れているのかとおもったわ!」
「まさか」
アルは肩をすくめる。そしてふっと金色の瞳に笑みをにじませる。
「ロスヴィータのことを忘れることなんて一時もなかったよ」
そう言ってアルは私の両手を握りしめる。
その手のひらは最後にあったときと同じく、硬くごつごつしたものだった。
私はそれをじっと見つめながら
「……剣、うまくなったんでしょうね」
がんばっていたんだもの。きっとうまいんだろう。
そういうと、アルはふっと笑う。
「悪魔と呼ばれるぐらいにはね」
その言葉に、私ははっとする。
そういえば、どうしてアルがここにいるんだろう。悪魔と呼ばれ、王となっているのか。
聞きたかった。けど、アルがそれを答えてくれるかどうかわからない。
逡巡していると、アルが不思議そうに私をのぞき込んできた。
「ローズ? どうかした?」
「あ……えと」
口ごもる私に、アルはちょっとおどろいたように目を見開く。
「言いたいことを我慢するなんて君らしくないね」
「え! ちょ、ちょっとアルってば!」
わずかにほほを膨らませた私に、アルは微笑みかける。
「最初に会ったときから君はずっとまっすぐに俺にぶつかってきただろ?」
「そ、それは……」
言葉を詰まらせる私に、アルは握りしめていた手に力を籠め「ローズ」と促す。
私は小さく息を吐いてから
「今までどうしたの?」
と尋ねた。
死んだといわれた。もう会えないと思った。
それなのに、いきなり目の前に現れたのだ。
「心配してないとおもったの?」
「……すまない」
アルはわずかに目を伏せる。
「君に言えば、危険が降りかかるとおもっていた」
「どうして?」
「それは俺がラスタヴィル王家の最後の一人だから」
「ラスタヴィル」
それは先の王妃の故郷。大国に滅ぼされた今は地図のどこにもない、失われた国の名前だった。
「俺の金色の瞳はラスタヴィル王家のものだ。大国に滅ぼされ、母を亡くしてから俺はずっとラスタヴィルの再興を願ってきた。この国ではなく」
「……アル」
それは理解できる。父である王は彼をいないものとした。唯一の肉親であるにもかかわらずだ。さらに母も存在しないものとされた彼には、この国には愛情なんてものは一欠片も持てなかったに違いない。
そういうと、彼は少しの沈黙の後、小さく息を吐いた。
「俺は恨んでいた。母を殺した父を、この国を。でも、そこに君があらわれた。存在しないとされていた俺を見つけて、がむしゃらにぶつかってきたのは君だけだった」
「あれは……」
そんな高尚なものではない。
あんなの子供のわがままだ。そういうと彼は小さく首を振った。
「俺をまっすぐ見て泣いてくれた人は君だけだった。君の言葉、手紙、すべて覚えている。何度も読み返し、思い出していたよ。ずっとそばにいたいと思った。けど、ここでは無理だった」
命を狙われていた彼に、この地は安住の場所ではなかったのだ。
改めて思うが、幼い彼に運命はどこまでも過酷だった。
「ごめんなさい……」
「ローズ。謝らないで。君の存在がどれほど俺の救いになったかしらいだろう」
アルは握りしめた手に力を籠める。
「ラスタヴィルの再興を願う者たちがいて、俺は城を抜け出した後その者たちと合流した。それから様々なことを学んだ。やがて実行に移す機会が訪れ、国を離れなくてはいけなくなった時、もう一度君に会いたいとおもった」
「だからあの時、わざわざ領地まで来てくれたのね」
わざわざあんな場所まで。そう言うと、彼は笑った。
「もう二度と会えないと思ったから。最後に一目会いたいとおもったんだ」
あの年齢でそう思うにいたるまで彼がどれぐらいつらい思いをしてきたのか。それを思うだけで涙が出そうになる。
けど、それを泣く立場に自分はない。
何しろ私はすべてが終わるまで領地の奥深くにかくまわれて生きていたのだから。
すん、と鼻をすすり、私はぎこちない笑みを浮かべる。
「びっくりしたわ。ずいぶん変わっていたからすぐにはわからなかった」
「俺はわかったよ」
「なに? ガキだったっていいたいわけ?」
おどけて見せると、アルは小さく首を振る。
「ローズはかわらなかった。あの庭で怒ったり、泣いたりしていたときと何一つ。それが俺にはうれしかった」
「アル……」
私は思わず手を伸ばし、アルのほほに触れる。
ここで最初にあったときはまだその頬は柔らかく、髪を伸ばしたら女の子と間違われぐらい美しい顔立ちをしていた。
今でも十分美しいが、その頬にはわずかに引き攣れた跡が残っている。
刀傷だろうか。きれいな顔に傷を残すなんて。跡が残るほどの深い傷。それが顔だけではない。見れば腕にもいくつか見える。
きっと体も数えれば数え切れないほどだろう。
私が変わらないのは世間知らずだから。アルが見てもわからないほど変わったのは、変わざる得ない状況だったからだ。
そんな状況って。私の両目からぼたぼたと涙が勝手にあふれる。
嗚咽をこらえるために唇をかみしめ、それでもうっうっと色気も何もない声が漏れる。
肩を揺らし、泣きじゃくる私に、アルは一瞬驚いた表情をしてから、私よりも一回り以上大きな手で濡れたほほをぬぐう。
「本当にローズは昔とちっともかわらない。君がここで怒って泣いたことが昨日のことのようだよ」
「……そ、そんなの、わすれて、よ」
「忘れないよ」
アルは優しく微笑む。
「俺が今までこうして生きてこられたのもローズとの約束があったから」
「約束」
アルが小さくうなずく。
「もう一度、会う約束」
「……あんなの、守る必要なんてないのに」
アルがこの国に戻るということは、再び彼の身を危険にさらすほかない。
だから彼が生きていてももう二度と会えないと思っていた。だから、目の前に今、彼がいることがやはり信じられない。
アルはあんな小さいころの、他愛もない約束を守るためにここに来てくれた。
感謝してもしきれない。そういって、頭を下げた私に、彼は妙な沈黙ののち深い深いため息を一つ落とした。
「……アル?」
「ローズはさ、好きな人とかいないわけ?」
「は?」
いきなり何を言い出すのか。
怪訝そうに眉をよせながら、私は「いるわよ」と胸を張る。
その瞬間、アルは今までの幼いころを彷彿とさせる無邪気な笑顔を一遍させ、ひどく険しい表情をその顔に浮かべた。
「……誰だ、それは」
心なしか声も低い。怖いんだけど!!
にこにこ笑っているからあの黒い悪魔とかいう別称のことはすっかり忘れていたけど、こうやって凄まれるとやはりあの悪魔というもあながち間違ってはいないような気がする。
ぽかんと口をあけた私に、彼はあわててすまないと頭を下げた。
「脅すつもりではなかったんだ! ただ俺は……、心配で」
「どうして?」
首をかしげると、アルはまた眉を寄せる。
「……それは! 当たり前だ。誰かわからないやつを相手になんて」
「あら! 好きなのはお父様やお母様。ハインリヒ兄様、カールに、それにアルのことなのに?」
「え?」
今度はアルのほうがぽかんと口をあける。
その顔はやっぱり私が知っている、あの王妃の庭で出会ったアルフレードだった。
「俺?」
「そうよ」
何度も確認しなくても。
安心させるようにうなずくと、アルは一瞬顔をほころばせた。が、すぐさまその顔がどんよりと曇るのがわかった。
「……でもそれって、カールに対する好きと同じなんだろ?」
「好きに種類があるの?」
「あるだろ」
きっぱりと言い切るアルに、私はちょっと首をかしげる。
その好きというのは若いメイドたちが誰それがかっこいいとか、付き合っているとか言っているものと同じだろうか。
そもそもどうしてアルはそんなことを気にするんだろう。
「あの、アル?」
「なんだ」
アルは先ほどよりも少しばかり機嫌が悪そうだった。
というよりも、子供のようにふてくされているように見える。わずかに視線をそらした彼を見つめながら、私は首をちょっと傾げた。
「ねえ、今日、私を呼んだのってあの約束があったからよね?」
尋ねると、アルはがっくりとうなだれる。
そして「……やっぱり」とつぶやいた。
「アル?」
「……ハインリヒから聞かされていたんだ。ローズはきっと気が付いてないって」
「お兄様? お兄様がどうかしたの?」
お兄様となにか話をしていたというのだろうか。
家のことか? もしくは父のことでは。
思わず縋りついた私に、アルは少しばかり眉をあげた。
「……ハインリヒのことになるとそのように必死になるんだな。では、俺だったらどうなんだろう」
「は? 何をいっているの! アルが困っていたら私、何でもするわよ!」
だって好きだし、アルは自分の中では特別な人だから。
何度言っても信じてもらえてないのか。思わず声をあらげた私に、アルは胡乱げに見つめる。
「……なんでも?」
「なんでもよ!」
「じゃあ、俺と結婚して」
「もちろんよ!! ……、ってえ?」
大きくうなずいたのち、私は思わず彼を見つめる。
まじまじと見つめていると、アルはふてくされていた表情をゆっくりと崩し、そして何ともうれしそうに笑った。
それはいたずらが成功した子供のようでもあった。
思わず顔をしかめた私に、アルは先手を打つように両手を挙げた。
「ローズが言ったんだよ。何でもするって」
「ひどいわ! だまし討ちみたいじゃない」
あんなふうに言われたら、売り言葉に買い言葉で引き受けてしまうじゃないか。
悔しそうにつぶやくと、アルは私を抱きしめながらくすくすと笑った。
「ローズならそういうと思ったからね。何しろ君は、昔から頑固で負けず嫌いだ」
「……アルって本当に、昔から性格が悪いわ」
大きなアルの腕の中に閉じ込められながら、私は口をとがらせる。
「そうだね。その性格の悪さでここまでやってこられたんだから、少しは目をつぶってよ」
「……しょうがないわね」
小さく息を吐き、そしてゆっくりと顔を上げる。
見つめる瞳はどこまでも美しく。
その色は、彼と出会ったときに差し込む太陽の光にも、最後に領地で別れたときの月の明かりにも見えた。
そのどれもがアルにつながっていた。
「大好きだよ、ローズ。君のそばに戻ってきたよ」
「おかえりなさい、アル」
最初に会ったときから十数年。私たちはこの時初めてキスをしたのだった。