長い一日 〜アーネストSide〜
ーーーゴドウィン家の客間で顔を合わせた瞬間、エレノアは目を輝かせた。そして大きな声で喋り始めた。
「アーネスト殿下! 来て下さって嬉しいわ。やはり私のことを想っていて下さったのですね! 私、信じていましたわ。八年経っても、愛は色褪せたりしないって」
エレノアはひっきりなしに喋った。結婚したらあれをしよう、これをしよう。子供は三人産んで、二人で仲の良い老夫婦になって、一生添い遂げるのだと。
(明らかに、おかしい。こんなに騒がしく話す人ではなかった。この八年で変わったのか、それとも何か他に原因があるのか)
エレノアの話が途切れた時、アーネストは口を開いた。
「エレノア、今日来たのはメアリのためだ。メアリに悲しい思いをさせたくないから、はっきりと言いに来た。私は今メアリを愛している。君と結婚することは決してない」
するとエレノアの顔から表情が無くなった。まるで仮面をつけたように。
「殿下も、お気持ちが変わってしまったのですね」
さっきとは違う、低く小さい声。
「私にプロポーズして下さった、あの気持ちは嘘だったのですか」
「あの時の気持ちは嘘ではない。ただ、あれから歳月が経ち、私はメアリに出会った。そして自然な流れで彼女を愛した。どちらの気持ちもその時の真実だ」
「……ずっと愛するって言ってくれたのに。一生大切にするって。君を守るって言ったのに、嘘ばっかり。もうたくさんだわ」
(……違う。これは私のことを言っているのではない。恐らくリアム王子のことだ)
するとエレノアは急に後ろを向き、何かを飲み干した。
「エレノア?! 何を飲んだんだ」
するとエレノアは青ざめた顔で振り向いた。その手から小さなガラスの瓶が転がり落ちた。
「私は誰にも望まれていないの。だから消えます」
「エレノア!」
アーネストはふらつくエレノアを抱き抱え、イーサンは水差しを取って口に流し込んだ。
「ごほっ、ごほっ」
「飲むんだ、エレノア!」
二人は懸命に毒を吐かせようとした。騒ぎを聞きつけてゴドウィン家の者達も部屋に入って来た。
「医者を呼べ!」
イーサンに言われて執事が慌てて出て行く。ゴドウィン公爵夫人の悲鳴が響く。長い長い夜だった。
夜が明ける頃、エレノアはやっと目を開けた。
「エレノア!」
公爵夫人が泣きながら縋り付いた。
「お母様……私、いったい……」
「あなたは毒を飲んで倒れたのですよ。どうしてこんなことを」
エレノアはゆっくりと目を動かして部屋を見回し、アーネストを見て動きを止めた。
「アーネスト殿下? なぜここに……」
「殿下はあなたが毒を飲んだ時に、懸命に救護して下さったのよ」
「王太子殿下にご迷惑をお掛けして、お前というやつは……!」
公爵が、涙を浮かべながら叱りつけた。
「あなた! エレノアは深く傷付いているのですよ。そんな風に責めないで下さいませ」
「ゴドウィン公爵、今は静かにいたしましょう。エレノア様はまだ意識が混濁していらっしゃいます」
イーサンが二人に割って入った。
「少しお休みになって下さい。私と、医師が側についております。何かありましたらお呼びいたしますので」
「すまない。ありがとう、イーサン殿」
公爵夫妻は連れ立って部屋を出て行った。
「殿下……」
エレノアが弱々しくアーネストを呼んだ。
「エレノア。大丈夫か」
「はい。申し訳ありません」
「少し眠った方がいい。まだ毒は抜けていないだろう」
「はい……すみません……」
エレノアは目を閉じた。顔はまだ青いが、少し生気は戻っているようだ。
イーサンが小声でアーネストに言った。
「私は一旦王宮に上がり、王妃様にご報告いたします。陛下は昨日から地方の視察に行かれてまだお戻りではないので」
「ああ、頼む。私はその間ここに居よう。イーサン、リアム王子にこの事を知らせてくれ。王宮を通さず、王子本人に伝わるように」
アーネストはサラサラとペンを走らせリアム王子への手紙を書き上げた。
「承知しました。……リアム王子はエレノア様のことをどう思っているのでしょうね」
二人は青い顔で眠るエレノアを見つめた。
イーサンが王宮へ出発した後、アーネストは医師と共にエレノアの側に付いていた。
ふっと、エレノアが目を開けた。
「アーネスト殿下……?」
「エレノア。私はここにいる。見えるか?」
「はい。……ご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ございません」
「気にするな。命があって良かった。リアム王子にも知らせたぞ」
するとエレノアは一瞬目を見開いて何かを言おうとした。だが言葉には出さず、目を閉じた。
「殿下、すみません。まだ少し、眠らせて下さい……」
「わかった」
アーネストは立ち上がり、窓辺に立って空を見上げた。だいぶ日が高くなってきている。そろそろメアリは王宮に来ている頃だ。
(心配、しているだろうな)
もう心配させたくなかったのに、こんな事になってしまった。早く会って抱きしめたいとアーネストは切に願った。
やがて、イーサンが戻って来た。
「遅くなりました、アーネスト殿下」
「ご苦労だった。メアリには会えたか?」
「いえ、まだ王宮にいなかったので家に寄ってみましたが、ちょうど出たところだったらしく会えませんでした」
「そうか。不安だろうな」
「はい。ですが王妃様がちゃんと説明しておく、と言って下さったのでお任せいたしました」
「わかった。ありがとう」
「殿下も一旦お戻りになってお休み下さい。まったく寝ていらっしゃらないのですから」
「それはイーサンも同じだろう。ここで仮眠を取れ」
「そんな、殿下より先にそんなこと」
「私はこのまま夜まで起きているから、その後交代してくれればいい」
「……そうですね、殿下が夜王宮で休まれた方がいい。では、失礼いたします」
そう言ってイーサンは壁際に椅子を持って行くと、目を閉じた。日々忙しい仕事をこなすイーサンは、ちょっとの空き時間でもすぐに眠れる特技を持っているのだ。
すぐに寝息をたて始めたイーサンに毛布を掛けてやり、アーネストはエレノアの側に座った。
(あの時。十四歳の時、王宮で見たエレノアは花のように美しかった。優しい微笑みに心を奪われたあの時の気持ちに嘘はないが、彼女の内面を知っていたかというと、そうではない。幼い憧れだった)
今、アーネストの心にいるのはメアリだけだ。メアリの笑顔、優しさ、芯の強さ。全てが愛おしい。
(だからエレノアの望みを叶えることは出来ない。だが、彼女の本当の願いは私と結婚することではないだろう)
リアム王子は来るだろうか。それとも、これ幸いと離縁に踏み切るだろうか。
(エレノアが昔のような笑顔を取り戻すことが出来たらいい……)
アーネストは眠り続けるエレノアを見つめて祈った。
きっちり一時間後、イーサンは目を覚ました。
「アーネスト殿下、ありがとうございました。おかげでスッキリしました。どうか一度王宮にお戻り下さい」
「そうだな。もしかしたらリアム王子から何らかのアクションがあるかもしれないから、明日の朝また来る。それまで頼んだぞ」
「はい、承知しました」
アーネストは王宮へ戻った。ひどく疲れていたが、王妃にその後の状況を説明しに行くと、メアリが王太子宮で待っていることを教えられた。
「早く顔を見せておやりなさい」
「はい、ありがとうございます」
アーネストは急いで王太子宮へ走った。早く会いたいと、疲れていた身体が何かに押されるように軽やかに動いた。
部屋に着くと、メアリは眠っていた。頬に涙の跡が見える。
(泣いていたのか)
胸がキュッと締め付けられる。
「メアリ」
声を掛けるとパッと目を開けた。
「アーニー? ごめんなさい、いつの間にか眠っていたのね」
起き上がろうとするメアリをアーネストは優しく押し留め、もう一度寝かせようとした。
だがメアリは寝ようとせず、首に抱きついてきた。
そして、
「アーニー! 辛かったでしょう。大丈夫なの?」
(辛かった……? 確かにエレノアが毒を飲んだ事は衝撃だった。だが私は王太子だ。いつだって平静を保たなければならない。だから、冷静に対処した。だけど心ではそうだ……辛かったのだ。メアリはそれをわかってくれている)
アーネストは思わずきつくメアリを抱き締めた。
(メアリ。私のことを誰よりもわかってくれる大切な存在。君に出会えて良かった)
抱き締めたメアリの柔らかな身体に塞いだ気持ちが癒されていくのをアーネストは感じていた。
そして、昨日からの出来事を少しずつ話し始めた。
メアリは頷きながら聞いてくれた。