突然の訪問
数日後のこと。お妃教育が終わり屋敷に帰ってきたメアリに執事が来客を告げた。
「ゴドウィン公爵家のエレノア様がお待ちになっております」
突然のことにメアリの心臓がドキンと跳ねた。
「わかったわ、少し身支度をしてからお会いします」
鏡を見て髪を整え、薄く紅を差して客間に向かった。
「お待たせ致しました、エレノア様。メアリ・ペンブルックでございます」
「こちらこそ、突然の訪問をお許し下さい。メアリ様にどうしてもお会いしたかったのです」
「私に? 」
「ええ。アーネスト殿下の婚約者がどんな方なのか、知りたくて」
エレノアの意図がわからず、メアリは困惑した。
「あの、それは一体……」
「私のことは殿下から聞いておりますでしょう?」
「……はい、お聞きしました」
「八年前、アーネスト殿下はそれは可愛らしい、それでいて利発で非の打ち所がない、素晴らしい少年でした。その殿下から真っ直ぐな好意を寄せられ、私は……怖かったのです」
「怖かった?」
「きっとこのまま賢く美しく成長されるであろう殿下の隣に、立ち続ける自信が無かったのです」
エレノアは大きくため息をついた。
「それに、今は私を一途に愛して下さっているけれど、殿下が成人する四年後、私は二十二歳。その時、もっと若く美しい令嬢が現れたら殿下は私と婚約したことを後悔するのではないか。そう考えると、とてもプロポーズを受けることは出来ませんでした」
「ではあなたもアーネスト殿下のことを……?」
「もちろんです。でも私は自分に自信が無かったために、差し出されたお手を取ることが出来ず、もう一つの手……リアム王子の手を取ってしまった」
「リアム王子とはどのような経緯でプロポーズに至ったのですか?……その、差し支えなければですが」
エレノアはメアリに微笑みを向けた。美しい、聖母のような微笑みを。
「リアム王子は若い頃ガードナーに留学されておりました。私が十六の時です。留学中の滞在先が我がゴドウィン家でしたので、一年間、同じ屋根の下で暮らしました。長子であり、兄がいなかった私は六歳上の彼に懐き、甘え、兄妹のように楽しく過ごしたものです」
一瞬、言葉を切り、遠い目をしているように見えた。
「私が十八になるとすぐに彼はプロポーズしてくれました。成人するのを待っていた、と仰って。私はもちろん、お受けするつもりでいました。王宮でアーネスト殿下にお会いするまでは」
エレノアはメアリを真っ直ぐに見据えた。メアリも、負けじと見つめ返す。
「アーネスト殿下に初めてお目通りした時のことは忘れませんわ。私達はそう、お互いに一目で恋に落ちたのです。殿下にプロポーズされた時、どんなに嬉しかったことか。でも私はその気持ちを隠して『NO』と言ったのです。自信の無さゆえに」
「では、リアム王子のことは愛してらっしゃらなかったのですか?」
「いえ、もちろん好意は持っていましたわ。人となりもよくわかっていましたし、愛情もありました。私を大きく包んでくれる優しさも心地良かった。……ただ、永遠に続きはしなかったけど」
「えっ? 何と仰いましたか?」
エレノアの最後の言葉は小さくて、メアリは聞き取れなかった。
「何でもありませんわ。ですから、今日はメアリ様にお願いがあって参りましたの」
「お願い、ですか? どういったことでしょうか」
「アーネスト殿下を返していただきたいの」
「えっ」
メアリは言葉を失った。この人は一体、何を言っているのだろうか。
「先日の夜会で八年ぶりに殿下にお会いしてわかったのです。私の運命の人はアーネスト殿下だったと。見つめ合った瞬間に時が戻り、あの時の気持ちがよみがえりました」
「お待ち下さい、エレノア様。何を……」
「八年前は結ばれなかった私達ですが、あれからいろいろな経験を積みました。今なら、私も殿下の愛を信じることが出来ますわ。メアリ様、殿下の初恋を成就させる為にも身を引いていただけますか」
メアリはエレノアを見つめた。夜会で見た時の慎ましやかな様子はそこには無く、情念の塊のような女性がいた。
「エレノア様。そのお願いは聞き入れるわけにはいきませんわ。私達は愛し合っております。身を引くなど絶対にいたしません」
「そう、そうですか……。わかりました」
急に立ち上がるとエレノアはドアに向かって行った。
「エレノア様! 」
「メアリ様、これ以上お話することはありません。失礼いたします」
そう言ってドアを閉め、出て行った。
メアリは見送りすることも忘れ、呆然と座り込んでいた。
(どういうことかしら? でもあの方、様子がおかしかった。以前のあの方を知らないけれども、恐らく普通の状態ではないわ)
その日の夜、帰宅したイーサンにメアリは訊いてみた。
「お兄様、エレノア様が今日私を訪ねていらっしゃいました」
「エレノア様が急に? どうしたんだ」
メアリは一部始終を話した。難しい顔をして聞いていたイーサンだが、話が終わると口を開いた。
「噂は本当だったのか」
「お兄様、何か知ってらっしゃるの?」
「エレノア様は、リアム王子に離縁を持ち掛けられているという噂だ。それで、今は実家に里帰りしているらしい。八年間子供に恵まれなかったお二人は近頃不仲だったと聞いている」
「なんてこと……辛い目に遭われたのですね」
「しばらくは二人きりで会わない方がいい、メアリ。訪問も断るよう執事に言っておこう。殿下にも報告しておくから」
「わかりました、お兄様。お任せしますわ」
そうは言ったものの、エレノアの悲しい境遇にメアリは心を寄せた。
(ラウル王国は男子のみが王位継承権を得ると聞いたわ。第一王子夫妻には王女しかいらっしゃらないことも。世継ぎ問題が影を落としているのかもしれない)