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15話 ロスの屈辱。


 15話 ロスの屈辱。


 デカール大帝国、帝都。

 宮殿の最奥にある謁見の間《えっけんのま》は、昼でも薄暗く、ひやりとした空気に満ちていた。


 玉座へと続く赤い絨毯の上で、ロスは、片膝をついていた。


 その両腕は、宮廷魔導士の魔法『欠損治癒ランク5』によって、すでに形を取り戻している。

 ただ、指が思うように動かない。

 十本の指すべてが、自分のものではないように、ぎこちなく強張っていた。

 『治癒魔法をかけ続ければ、いずれ神経もつながり直す』と、宮廷魔導士は言っていた。


 ロスは、震える指を床につき、顔を上げた。


「陛下。セファイラ討伐のため、10万の兵をお預けいただきたく存じます」


 玉座の上で、皇帝は、ほおづえをついたまま、息子を見下ろしていた。

 その目には、怒りも、失望も浮かんでいない。


「兵をねだる前に、言うべきことがあるだろう」


「……」


「余は、貴様に西方の平定を任せた。相手は、兵を3000もそろえられぬ小国だ。それを落とせず、2万の兵と、魔導兵団1000を失って戻ってきた」


 皇帝は、指先で、玉座の肘掛けを、とん、と一度だけ叩いた。


「一般兵はいい。いくらでも補充がきく。だが、魔導兵は違う。一人を使い物にするのに、十年はかかる。その十年を、貴様は、千人分、たった一日で失った」


 ロスは、奥歯をかみしめた。

 それでも、声だけは、努めて丁寧に保つ。


「弁解の余地もございません。……ですが、陛下。だからこそ、今、動くべきなのです」


 ロスは、身を乗り出すように続けた。


「セファイラは、得体の知れぬ力を隠し持っております。空を駆ける鉄の龍。分身を操る魔導兵。異常に鋭い刃。……あれを放置すれば、必ず、帝国の脅威となりましょう」


 一度、息を継ぐ。


「それに、皇子が小国に敗れたという噂が広まれば、属国どもが動き出しかねません。見せしめが要る。……やつらを生け捕りにし、ドーンの最前線で使い潰せば、失った魔導兵団の穴も埋められます。10万……いえ、20万の兵を、お貸しいただきたい!」


 言い終えたロスの呼吸が、わずかに荒くなっていた。

 皇帝は、その様子を、表情一つ変えずに眺めていた。


「ドーンとの戦線がどうなっているか、知らぬわけではあるまい。今、前線から20万を引き抜けば、『カバノン』は三日で国境を越えてくる」


 カバノン・イヌリン・クリアランス。

 ドーン共和国軍の総大将。


 若くして軍師として頭角《とうかく》を現し、いくつもの戦場で、寡兵《かへい》をもって帝国の大軍を退けてきた男。


 皇帝は頭を抱えて、遠くを見つめながら、


「カバノンは、レベル180を超えているだけの男ではない。兵の動かし方を知っている。こちらが一歩引けば、二歩踏み込んでくる」


 そこで、ふっと息を吐いた。

 ため息というより、単なる感想のように。


「貴様ではなく、あれが余の息子であったなら……と、何度思ったか知れん」


 ロスの指が、床の上で、ぎしりと軋んだ。


(まただ……くそが……父は……この男は、いつもそうだ。必ず、私を、『誰々よりも劣る』と侮蔑する)


 兄二人と比べれば、劣る。

 フーマルの神格と比べれば、劣る。

 そして今度は、敵国の将と比べて、劣る。


 昔から皇帝は、そういう性格で、そういう価値観で、そういう物言いしかできない。


(父は根本的に頭が悪い。人を動かす力がない。だから、ドーンのような、国力ではるかに劣る国をいつまでたっても攻略できんのだ)


 父に悪意がないことは理解できる。

 だが、理解できるからといって、胸の奥で煮えたぎるものが、おさまるわけではなかった。


(ずっと、ずっと……私の自尊心を、踏みにじることばかり……)


 うつむいたロスの目が、赤い絨毯を、にらみつける。


(私は、兄よりも、フーマルの連中よりも、努力してきた……血を吐くほど、努力してきた……その私を……)


 かみしめた奥歯が、ぎり、と鳴った。


(よくも……よくも……)


 昔から、兄二人と父が嫌いだった。

 いつか殺して、皇位を奪い取ってやる。

 心の奥で、そう考えなかった日はない。


 だが、それは、どこかで『いつか、そうなればいい』という、夢想に近いものだった。

 

 ――今日、この瞬間までは。


 ロスは、ゆっくりと顔を上げた。

 その顔には、いつもの、感情の薄い、丁寧な仮面が戻っていた。


「……出過ぎたことを申しました。お許しください」


 深く、頭を下げる。

 下げた顔の陰で、ロスの目だけが、底冷えするような光を宿していた。


(殺す。セファイラはもちろん……父も、兄も。一人残らず)



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