08:カンダ村
朝身支度をすると、エルフの穴から出た一行はゴブリン達と別れを告げた。
「絶対内緒だからね、ここの事は!」
と何度も念を押された。よほどエルフ王が怖いのだろう。
相変わらずモンスターは次々と現れたが、お昼すぎには山を越え、夕方にはカンダ村に到着した。
「もうクタクタだ!! 腹もペコペコだし、風呂入りてぇー! 早く宿屋を探そうぜ」
ランディはそう言ったが、宿屋なんてあるのかと思うほど小さな村だった。
村の小さな宿屋は若い夫婦が経営していて、マリーの事は知らなかった。仕方がないので、明日村の年寄りに聞き込みをする事にした。
「部屋が一部屋しか空いてない?」
宿屋に行くと、若女将さんが申し訳なさそうにごめんなさいねぇと言った。
「いつもなら、誰も旅人なんて来ないから二部屋あるんだけど、珍しく旅の商人さんが来てて……」
その言葉に、セシルとギィは顔を見合わせた。
「ど、どうしようか」
「私は別に構いませんが、さすがにランディさんは嫌でしょう」
その言葉に、ランディははぁとため息を吐いて一部屋でいいぜと言った。
「山でいた時から、男と雑魚寝するなんて慣れてるしな」
「えぇ、ランディいいの?」
「本当にいいんですか?」
二人にじっと見つめられ、ランディは少し恥ずかしそうにぷいっと目線をそらした。
「俺がいいって言ってんだからいいんだよ! 着替えの時に部屋を出てくれれば……それでいいよ」
「ランディがいいならいいけど……」
「決まりな、おかみさん。三人で一泊な」
宿の手続きをしているランディを見て、セシルは本当にいいのだろうかと悩んだが、彼女がいいと言った手前もう何も言えない。
(はっ、もしかして僕のこと、男の子って認識してないんじゃ)
ギィはあまり男性、という感じがしない。だが、セシルはれっきとした男の子だ。それなのに大丈夫だというのは、少女のような容姿の自分を男として認識していないのではと思ったセシルは少しだけショックを受けたのだった。
部屋に入ると、ベッドが二つ、ソファが一つ、小さなサイドテーブルがあるだけの簡素な部屋だった。
「あー疲れたー! 俺壁際な」
「いいよ。野宿って思ったよりしんどいんだね、ベッド嬉しい」
二人でそれぞれのベッドに倒れこむ。ギィは扉を閉めて、荷物を置くと魔導士のようなマントを外し、フルアーマーを脱ぎ始めた。
「私はサイドテーブルの上で寝ますね」
ぷるんとプルリン達がはじけて床に散らばる。
「あー疲れた。早く風呂に入りたいぜ」
ランディは荷物から着替えを取り出し始める。一刻も早くお風呂に行きたいようだ。
「お風呂、セシルが先に行くか? といってもここの村の規模じゃたぶんお湯を体に浴びるだけだろうな」
「え、そうなの?」
アイオ村の宿屋はまったくといっていいほどお客様が来ないので、宿屋というテイストを保っているが、ただの客室が多い一般の家だ。だから湯船も宿屋の主人用にあるため、セシルはそれが普通だと思っていた。
「お風呂入れないのかぁ」
「まぁ、旅ってそんなもんだろ」
アイオ村と違うところを発見して、今更ながら自分は外の世界に来ていることを実感した。
(そうだよ、僕は今旅をしているんだ)
そう思うと少しワクワクしてきて、鼓動がとくんとくんと熱く高鳴りだした。
「セシル? 大丈夫か?」
「だ、大丈夫だよ。ランディ先にお風呂どうぞ」
そうか、悪いなと言ってランディは部屋を出て行った。
「ランディ、遅いね」
荷物の整理も終わり、することがなくなったセシルはベッドの上に着替えを置いた。
「女性の風呂は長いものですから」
「そうなの?」
記憶はないのに、何故そんなことはわかるのだろう。不思議に思っていると、扉ががちゃっと開いた。
「おっさきー」
ランディが髪の毛をタオルでわしゃわしゃと拭きながら入ってきた。
「ラ、ランディ?」
しっとりと濡れた髪、髪についた雫がぽたぽたと鎖骨から胸元へと伝い落ちるのを見て、セシルは顔を真っ赤にした。
「ランディさん、ちゃんと衣服を着てください」
「着てるだろ」
「キャミソールは下着でしょう」
「わーったよ」
ギィに言われ、頬を膨らませながら髪の毛をがしがしと拭き、顔を真っ赤にしているセシルを通り過ぎて、ランディはシャツを着た。
「ったく、暑いのに……セシル?」
「ぼ、僕もお風呂行ってくるね!」
顔を真っ赤にしてセシルは部屋を飛び出していった。途端にランディの顔が徐々に真っ赤になっていく。
「ランディさん? 大丈夫ですか?」
「う、うるせー!」
手を顔で隠して、ランディは生まれて初めて異性に見られて恥ずかしいと感じたのだった。
風呂場へと向かい、セシルは顔を手で覆いたかった。
(そうだよ、ランディも女の子なんだ)
口調が男口調だから、つい男の子といる気分になるが、風呂上がりの彼女はれっきとした女性だった。
「あれ? お風呂って外?」
湯あみと矢印が書かれた張り紙を見て、セシルはその案内に従う。すると木の衝立があり、中に入ると大きな桶と小さな手桶、そして湯気を立てている風呂桶があった。
「え、これ入れないよ」
風呂桶には蓋が打ち付けてあり、手桶が入るサイズしか開いていない。
「この大きな桶にお湯を溜めて被るのか」
衣服を脱ぎ、濡れないように風呂桶の蓋の上に置いた。そしてお湯を大きな桶に溜めて、お湯を被る。
「シャンプーとかどうするんだろう」
持ってくればよかったと思いながら、それらしきものがないか探す。すると丸い黄色い石鹸のようなものが目に入った。触るとぬるぬるしているので、皆これで体や髪を洗っているのだろう。
「え、えぇ」
アイオ村は田舎だ。だから他の街や村はもっとすごいと思っていた。
(アイオ村って、ちゃんと整った村だったんだ)
仕方なく石鹸を泡立てて髪と体を洗う。溜めた湯で泡を洗い流し、タオルで拭くと髪がぎしぎししていた。
(家のお風呂に入りたいよぉ)
旅立って一日ちょっとしか経っていないのに、セシルはもうすでに家のお風呂が恋しくなっていた。
夜になって、ベッドの上でセシルはギィと話していた。夢で見た話しに心当たりはないか聞きたいのだが、ギィには記憶がないのでセシルの質問には答えられない。
「ギィが導く……そう言ったんですね? うーん、どこにセシルさんを案内すればいいのでしょう?」
首を傾げる二人を見て、ランディは大きくあくびをした。
「セシルはエミリー、俺はキース、ギィは体、プルリン達は安全な森を探すんだ、と思ってればいいさ。そうすりゃ道はおのずと見えてくる」
そしてランディはごろんとベッドに寝転がった。
「私もそう思います。旅は始まったばかりです。きっと謎は解けていくでしょう……焦りは禁物ですよ、セシルさん」
「セシルは考えすぎなんだよ、なるようになるさ。……それから、ギィ! この中じゃ一番老けてるんだから俺を【さん】付けするのやめてくれ。ランディでいい。セシルもそう思うだろ?」
横向きになり、ランディはびしっとギィに指を突きつけた。
「僕もセシルでいいよ。僕もギィって呼んでいいかな?」
一瞬キョトンとしたギィだったが、すぐににっこりと笑った。
「もちろんです。ではこれからは【さん】はなしにしましょう」
「改めてよろしくね、ギィ」
「えぇ、こちらこそセシル、ランディ」
「おう、よろしくな」
静かで楽しい夜だった。知らないという事は何と幸せな事だろう。
たくさんの真実が三人を待ち構えている。全てを知った時、彼らは今のままでいられるのだろうか?
今は何も知らない、楽しい時が過ぎていくだけだった。
心地よい眠りから覚め、まぶたをゆっくりと開ける。すると見慣れぬ天井にセシルはぎょっとした。
(そうだ、僕は今カンダ村にいるんだ)
初めての宿屋体験に、旅をしているというワクワクと実感がこみ上げてくる。ゆっくりと体を起こし、背伸びをする。
「おはようございます、セシル」
「おはよう、ギィ」
ギィはもう起きていて、フルアーマーを装着し、魔導士風のマントを羽織っていた。
「ふわぁ、おはようさん」
あくびをしながらランディが起き上がる。髪の毛は寝ぐせでひどいことになっていた。
「あんま、見るな」
ランディは恥ずかしそうにそっぽ向いた。そして少し言いづらそうに口をとがらせる。
「セシル、その、悪いんだが着替えるから出てくれるか?」
「え? あ、うん、ごめんね」
ランディの言葉に、セシルは慌てて部屋を出る。
(女の子が、着替えてる)
村にいる時は、女の子と接したことがなかった。
(これから一緒に旅をするんだ、僕はもっとデリカシーも持たないといけないなぁ)
そんな事を考えていると、枕が壁に投げつけられたような音が部屋からした。
「あほか! お前も出るんだよ!」
怒鳴られたギィも部屋を出てきた。
「ランディも女の子ですね」
「そ、そりゃそうだよ」
「トド山に私と二人だった時は躊躇せず着替えていたくせに。やっぱりセシルがいるからですね」
「え?」
ふふっとほほ笑まれても、セシルは意味がわからず苦笑するしかできない。
「終わったぜ、顔洗ってくる」
少しすると、着替え終わったランディが部屋から出てくる。
「は、早いなぁ」
「女の人は身支度に時間がかかるといいますが、ランディには当てはまらないようですね」
「失礼な。おい、セシルも早く着替えろよ」
そう言ってランディは洗い場へと去っていった。
「お風呂は長かったのに」
「あぁ、それなんですが。セシルがお風呂に行っている間に聞いたんですが、ランディはお風呂のお湯を沸かしていたから遅かったらしいです」
「え、そうなの?」
「はい、本人がそう言っていましたから」
あの風呂桶の湯が温かかったのは、ランディのおかげだったのだ。旅に不慣れで疲れているセシルを気遣って沸かしておいてくれたのだろう。
「まだ着替えてないのかよ、遅いな」
ランディが戻ってきた。セシルは慌てて部屋の中に入り、着替えを済ませる。
(ランディ、優しいな。あとで何かお礼ができたらいいけど)
宿を出て、村の年寄りにマリーの事を聞き回ったが、あまりいい情報は得られなかった。唯一収穫だったのが、マリーはセシルをサウスの城下町で引き取ってきたという話しだった。
「サウス城下町……」
そこに行けば、何かわかるかもしれない。三人はマリーのお墓に祈りを捧げて、すぐにサウス城下町へ行くことにした。
村を出ようとした時、木の陰に昨日のゴブリンがいる事にセシルは気づいた。
「サウスに行くッスか?」
「うん、そうだよ。どうしたの?」
「気をつけるッス。あそこは今エルフと揉めてるッス。街中ピリピリしてるッス」
それだけ言うと、ゴブリンは消えてしまった。心配して声をかけてくれたのか。何か問題が起こらなければいいのだが。
「俺達には関係の無い事さ。気にすることない。気楽に行こうぜ!」
「だといいんですけどねぇ……」
ランディの言葉にギィはふふっと笑った。釣られてセシルも笑う。
幸せそうな一行は出発した。このあと、一国を揺るがすとんでもない事件に巻き込まれようとは知るはずもなく、昼前にはサウス城下町についたのだった。