その後の彼ら
お久しぶりです!
何か色々あったんだろうな…と緩く読んでいただけたら幸いです(^_^;)
シェイラは、下街の雑踏を足早に歩いていた。
無造作に束ねた薔薇色の髪と、凛々しい横顔。そして何よりも目を惹くのは、すらりとした体躯にまとった目映い純白の制服。
最近、シュタイツ王国初の女性騎士が誕生したというのは、知らぬ者がいないほど有名な話だ。
近衛騎士団の団服に身を包んだシェイラは目立って仕方がない。着替える時間がなかったとはいえ、ほんの少し後悔する。
ーーこれでも平服なんだけど、やっぱり派手だし下街じゃ浮くもんな……。
視線を気にするほど繊細ではないが、振り返った拍子に転ぶ男性や恋人を放って見惚れる女性がいれば、居たたまれなくもなるというものだ。
シェイラはそそくさと、待ち合わせをしている酒場に入った。
友人達の行き付けの店は、たいへん繁盛しているようだ。それほど広くない店内には楽しそうな笑い声が溢れている。
入った瞬間においしそうな匂いが鼻先をくすぐって、シェイラはにわかに空腹を思い出した。
「おうシェイラ、こっちこっち」
扉口で見知った顔を探していると、奥の方から声をかけられる。
砂色の短い髪に、一見やんちゃそうでありながら抜け目のなさと知性を宿す榛色の瞳。学院時代からの友人ゼクス・ガーラントだ。
「やっぱり近衛の制服で来たな。でもまぁ、安心しろ。ここは巡回兵団の御用達で、近衛騎士団のお貴族様方も時々顔を出すから、客側にもそれなりに耐性がついてんだ」
「悪目立ちしない席を選んだしね」
同じく友人であるコディ・アスワンの言う通り、店の奥まったところにポツリと作られた席のため、他の客とはほどよい距離感が保たれている。
彼の穏やかな微笑みを見るのも久しぶりで、シェイラは自然に肩の力を抜いた。
「ゼクス、コディ、久しぶり。遅くなってごめん」
テーブルに歩み寄る途中、ちょうど通りかかった店員に声をかける。
簡素な前掛けと三角巾をした少女が、シェイラを認めるなり真っ赤な顔で飛び上がった。
「あの、シェイラ様ですよね! 私ずっと応援していて! お会いできて光栄です!」
「私も嬉しいよ。でも今は勤務時間外だし、友人達に迷惑がかかるから、ね?」
口許に人差し指を当てると、少女は瞳を潤ませながら何度も頷いた。
「はい、絶対言い触らしません! 叙任おめでとうございます! これからも頑張ってください!」
「ありがとう。注文いいかな? エールと、君のお勧めの肉料理がいいな」
「今日はおいしい赤身が入ったから、ニンニクと塩コショウを効かせたステーキをお出ししてます!」
「おいしそうだね。じゃあ、それを大盛りで」
笑顔で手を振り、シェイラはテーブルにつく。
むっつりとやり取りを見守っていたゼクスが、おもむろに口を開いた。
「愛想のいい対応も、堂に入ってんじゃねぇか」
「正式に騎士として叙任されてからは、どこに行っても注目を浴びてるからね。その分先輩方の当たりもきついけど」
彼の目はすっかり据わっている。
テーブルを見下ろせば、ずいぶん飲み食いをしているようだ。完全に出来上がっていた。
「……クソ! あの子結構可愛いなって思ってたのに! おいしいとこかっさらいやがって!」
エールのジョッキを一気に空にしたゼクスが、負け惜しみのようにわめく。
シェイラはテーブルにあったナッツを口の中に放り込みながら、呆れて嘆息した。
会うのはおよそ一ヶ月ぶりだが、その間にゼクスは恋人と別れてしまったと聞く。荒れるのも無理はないが、八つ当たりをされても困る。
「別に私、お礼を言っただけだよ?」
「遊び人も真っ青なこなれ感だったぞ。オレにも女の子が片っ端から寄ってくる極意を教えてくれ」
「ゼクスはそういうことを言ってるからフラレるんだよ。ちょっとは懲りたら?」
巡回兵団に入って二人共ずいぶん逞しくなったのだから、人気がない方がおかしいのだ。
「やっぱり誠実さが大切なんじゃないかな? コディは婚約者がいるからって、差し入れを丁寧に断ってるんでしょ?」
「いや、僕はそんな。王都民の男女を問わず人気のあるシェイラに比べたら」
当人は照れくさそうに謙遜しているが、断っても諦めない女性が列をなしているというのだから、その人気ぶりは凄まじいものがある。
穏やかでありながら頼りになるという点が、女性を惹き付けて止まないのだろう。
「オレ、最近差し入れ、もらってない……」
「ほら、がっつくから」
「ど正論……」
ついに沈没したゼクスは、近付いてくる店員の足音を聞き付け荒々しく顔を上げた。
「くそ、エールおかわり!」
「あ、僕もお願いします。シェイラ、乾杯しよう」
「うん。待ってる間、この辺に残ってるやつ食べてていい? 今日お昼ごはん抜いてて」
一応今度は断りを入れ、皿に残っていた腸詰めに手を伸ばす。粒マスタードをたっぷりと付けて食べれば、ピリッとした辛みと溢れだす肉汁が空腹を満たしていく。
「シェイラは仕事に就くのが少し遅くなったからね。僕らも巡回兵団に入ったばかりの頃は、毎日ヘトヘトだったよ」
そう言ってコディは、パスタの皿も近付けてくれた。さすが付き合いが長いだけあって、シェイラの食欲を熟知している。
「そういやお前と酒飲むの、初めてだな。デナン村では十五歳で成人じゃなかったか?」
「村で作られてるお酒より、薬草茶の方がおいしかったんだよね。そういうゼクスは成人から半年も経ってないのに、酒場にしっかり馴染んでるね」
「ガキの頃から出入りだけはしてたからな」
話している内にエールが運ばれてくる。
礼を言ってから、それぞれグラスを掲げた。
「まぁ、騎士として認められてよかったよな」
「シェイラ、おめでとう」
「ありがとう」
シェイラ達は笑ってグラスを鳴らした。
シュタイツ学院卒業後、シェイラが叙任されるまで半年もかかった。本来なら卒業時に叙任されるはずが、在学中に女であることを明かしたためになかなか認めてもらえなかったのだ。
騎士になれないまま秘書官を勤めている女性も少なくないので、法に働きかけるため行動したことは後悔していない。
だが、そこからは混迷を極めた。
同級生達は働きはじめているというのに、諮問機関やら貴族議会やらに引っ張り出される日々。体を動かす方が得意なシェイラは、精神的にかなりの苦痛を強いられた。
ようやく近衛騎士団の一員と認められたのは、一ヶ月前のことだ。
コディ達は既に巡回兵団で働くことに慣れているようで、焦りを感じざるを得ない。
「コディ達が羨ましい。下っ端だし女だし平民だからって、王城から普通に追い出されそうになるよ。雑用しか回ってこないし」
つい愚痴をこぼせば、ゼクスに背中を叩かれる。
「腹立つけど、お前はいつでもそういう逆境を打破してきただろ」
「頑張って認めてもらうしかないよね。シェイラならきっと大丈夫だよ」
「ど正論だ……」
二人がかりで励まされてしまえば、愚痴を続けることなどできない。
そもそも落ち込んでいる暇などないのだ。シェイラはグラスを一息にあおった。
「まぁ、学院時代みたいなひどいいじめがないだけ楽だよね。ヨルンヴェルナ先生やレイディルーン先輩が睨みを利かせてくれてるから」
「レイディルーン様は、ファリル神国上層部との繋がりがすっかり知れ渡っているから、貴族の重鎮達でさえ大きく出られないだろうね」
「しかしずいぶん過保護になったよな、ヨルンヴェルナ先生も。昔のクローシェザード先生みてぇ」
妙なたとえに口を噤んでいると、隣でコディがおかしそうに笑った。
「シェイラには、元々過保護な味方が多かったじゃないか。フェリクス前王弟殿下なんてその筆頭だよね。叙任にこぎ着けることができたのも、あの方とヴィルフレヒト殿下が根回しをしてくれたおかげなんだろう?」
「本当にみんな優しいよね」
「優しいで済ませるのかよ……」
半眼になるゼクスだったが、片頬をつり上げて意地悪げに笑った。
「しかしヴィルフレヒト殿下、変わったよなぁ。昔は儚げな感じだったけど、今や周辺国でもその名を轟かせる美貌の王弟様だぜ?」
花のような、という表現が相応しかったヴィルフレヒトは、止まっていた成長を経て激変した。
麗しい容貌と内面の美しさはそのままに、凛とした強さとしなやかさ、男らしさが備わるようになったのだ。最近は縁談がひっきりなしに舞い込んでくるのだと、困ったように微笑んでいた。
「お前、もったいないって思わないのかよ?」
「何が?」
「婚約だよ。本当にあっさり別れるんだもんな」
声音を潜めたということは、彼も秘匿すべき内容であることは忘れていないのだろう。
様々な思惑が絡んだシェイラ達の婚約は、そもそも公に発表していない。現陛下の即位にあたって水面下で問題が起きてしまったために、ヴィルフレヒトの護衛も兼ねた期限付きの婚約だった。
「別れるって、そもそもが仮の婚約だったの。殿下の名誉に瑕を付けないで」
「でも王族だしあの見た目だし、少しはぐらついたんじゃねぇの?」
冗談にしても質が悪い。
ヘラヘラと笑うゼクスに対し、シェイラとコディの視線は冷えきっていく。
「ゼクス、そういうところだよ」
「性別や外見で人を判断するから、本命の女性にフラレてしまったんだろう?」
「ぐう、ど正論……」
友人達の手厳しい言葉に、ゼクスはガックリと項垂れた。まだ失恋から立ち直れていないらしい。
「肩書きとか経歴とか、利に聡いゼクスが気にしちゃうのは分かるけどね。仕事に対する真摯な姿勢のまま、大切な人とも向き合えばいいんじゃないかな。何の得もないことに尽力するのも任務の内だったりするでしょう?」
珍しくシェイラが諭せば、コディは感動したように目を輝かせた。
「本当に成長したね、シェイラ」
編入時から何かと迷惑をかけ続けた彼に褒められるのは嬉しくて、はにかみながら頭を掻く。
「あの頃は村を出たばかりで、人の心の機敏みたいなものが全然分かってなかったから」
「つっても、お前はまだまだだぞ。この間セイリュウが延々のろけられたって暗くなってたし」
ゼクスの指摘に、シェイラは目を瞬かせた。
「のろけ? 確かにセイリュウには会ったけど、のろけてなんか……え? あれがのろけになるの?」
頬がカッと熱くなる。
まだ酒に慣れていないからか、酔いが回ってきたのかもしれない。
「……何か、まだ実感なくて。ずっと、想ってるだけで十分だと思ってたから……」
素直な気持ちを吐露すれば、友人達は肩をすくめながら目を合わせる。
「オレらから言わせてもらえば、とっくに通じ合ってるって雰囲気だったけどな」
「えっ?」
「だって、あの方が笑っているところなんて、シェイラといる時以外に見たことないもの」
「えっ、えぇっ?」
狼狽えるシェイラに、コディは問いかける。
「ちなみに今日の集まりに関して、クローシェザード様は何か言っていた?」
「え? 普通に楽しんで来いって言われたけど」
首を傾げるシェイラに対し、ゼクスは意図を察したのか訳知り顔だ。
「いやコディ、さすがにオレらに対して嫉妬するなんてことは……」
頬杖をついて鼻を鳴らすゼクスに、コディは笑顔で窓の外を指差した。
そこに、下街とは異様に不釣り合いな男性が腕を組んで佇んでいる。白に近い銀髪に、孔雀石色の瞳。人形のような鉄壁の無表情。
姿を認めた途端、ゼクスは反射的に姿勢を正す。
「え、クローシェ?」
慌てて立ち上がったのはシェイラだ。素早く店外に出て彼の許に向かう。
いくらか言葉を交わして戻って来る頃、その頬は髪と同じ薔薇色に染まっていた。
「近くに用事があったから、ついでに迎えに来てくれたみたい。帰宅中に危険がないとも限らないからって。ごめん、来たばっかりで悪いけど……」
「気にしないで。今日はシェイラのお祝いで集まったんだから、支払いもいらないよ。ステーキは、次また来た時の楽しみにとっておけばいいしね」
「ありがとう、この埋め合わせはするからっ」
嬉しそうに笑って、シェイラはクローシェザードの許へと駆けていく。
ゼクスが呆れたように嘆息した。
「……王都民から英雄扱いされてるシュタイツ王国史上初の女性騎士が、まだ日暮れ時だってのにどんな危険に陥るっつーんだか」
「僕はともかく、ゼクスは別れたばかりだから」
「牽制ってか? ホンットに、あれで実感が湧かないとか嘘だろ」
窓の外を見れば、二人の後ろ姿が雑踏の中を遠ざかっていくのが見えた。
学院生時代から彼らの距離感は変わっていない。
それはつまり、ずっと前から互いが特別であったということなのだろう。
「あの二人を見ていたら、何だか無性にルルに会いたくなってきたよ」
「コディ、お前までのろける気かよ。あーあ、オレも愛が欲しいぜ」
「そういうところだよ、ゼクス」
ゼクスとコディは笑い合うと、飲み直すためのエールを注文するのだった。