第十四話 金魅の忌み子 終
緊張感に満ちた部屋の雰囲気の中で、リリスは身体を少し動かし姿勢を整え直すと説明を再開する。
「今までの内容が、私が金魅の忌み子と呼ばれるまでに至る事情です。そしてこれからお話しするのが、どうして国民達が曲がりなりにも一度は抑えたはずの感情を爆発させたのか……私の、死を望むほどに、怒りを露わにしているかについて、です」
後半は少し言葉に詰まりながらも、リリスが発言を止めることはない。
「簡単に申し上げてしまえば……これまで隠していた私達にとって都合の悪い事柄のことごとくが、何故か国民達に広まってしまったのです」
「都合の悪い、事柄……?」
彼女の話の中から気になった単語を取り上げ復唱すると、リリスはこくりと頷く。
「はい、そうです。そのほとんどがシュウさんもご存知のことですよ」
「……それは、何だ」
俺の問いに、リリスは意を決したかのように答える。
「まず一つ目は――元ルミナリア王国元老院のガドリア公爵及びその他数名の裏切りです」
――――リリスの言によると、俺達が国民に隠していたはずのガドリア公爵の裏切り、つまり魔王軍幹部と繋がりがあったことが国中に知れ渡っているらしい。どのような経緯でそうなったかは不明。ただ、重要なのはそこではない。
これまでの推測とは違う、ルミナリア王国の上層部と魔王軍に関わりがあるという確かな証拠。例えその裏切りによる被害を防いだのがリリスを含む存在だったとしても、そんなことは関係なかった。王族が魔王軍と繋がっている――その内容が独り歩きして国中に広まり、彼らの不信感を掻き立てたらしい。
さらに、広まった出来事はそれだけに留まらない。
鼻で笑い飛ばしたくなるような、偽りに満ちた内容も含まれる。
その内容について、リリスは簡潔にこう言った。
「国としてだけではなく、私個人が魔王軍と共にいるところを目撃されてしまったのです」
――――それは調印の儀が行われたあの日のこと。
そう、リリスがアトロスによって攫われた出来事を指していた。
その噂の発信源は、俺とソラとリーベが休息のために立ち寄ったクルトリアード公国跡地の直前にある、あの村だった。村の中にいる兵士の一人が魔物討伐のため付近の森を散策中、金色の少女と灰髪の男が共にいるのを発見したらしい――その話を聞いた時、ふとリーベが特殊な魔道具を用いアトロスのいる場所と映像を繋げたときのことを思い出した。
魔王軍の中で最も有名な幹部アトロスと、並の人間とは全く異なった高貴な雰囲気を放つリリス。その兵士は遠目から見たため正確な状況までは掴めなかったが、灰色の髪の男がアトロス、金色の少女が誰かは分からないが特別な存在であると分かったらしい。すぐさま村に帰還し報告するも、その時刻は俺達が村を出発したすぐ後のようだった。つまりすれ違いだ。
金色の少女の正体はすぐに分かった。
その日の夜、その村から近い町に一人の男性と二人の少女が現れたらしい。
町の光景に景色に適さない服装をした三人の中に一人、美しい金色の髪を持つ少女がいた。金髪と高貴な雰囲気。その条件から、その少女がリリスであると推測した人がいたらしく、その情報はすぐ近くの村と共有されることとなった。
となると、浮かび上がってくる疑問は一つ。
どうして魔王軍幹部アトロスとリリスは一緒にいたのか、ということについてである。
――加えて、最悪のタイミングでとある出来事が発生する。
そう、俺達とアトロスの戦闘の裏側で発生していた、世界中における魔王軍の行動である。
つまり魔王軍はアトロスとリリスが共にいる時間帯に世界中に現れ災厄を齎していたのだ。
ガドリア公爵を含む上層部の裏切り。
リリス自身の魔王軍幹部との繋がりと、その際に起きた死者すら出た被害。
疑念が確証に変わるのは当然だった。
それらの事情を知った中にはもう、リリスが金魅の忌み子と言われた所以を疑わない者などいなかった。
情報が北部に――ルミナリア王国の内部に浸透するにつれ、人々の国家に対する疑心は途方もなく膨れ上がる。
そして最後に、もう一つだけきっかけが残されていた。
それだけは、俺すら知らなかったこと。
いや、きっと知っていながら目を逸らし続けていたこと。
それを、リリスは言った。
「そして、最後の火種となったのが……“リリス・ジオ・ルミナリアを殺してはならない”という、魔王軍に伝わる禁忌の存在です」
「――――――――」
その話だけは、俺も思わず驚きを隠すことが出来なかった。
衝撃に目を大きく開いてしまっているのが自覚できる。
だけど俺はそこで思考を止めず、様々な人物の言葉を思い出していた。
リリスがアトロスによって攫われた直後のことだ。
『落ち着こう。“彼女”は大丈夫だ、焦る必要はない』
『彼の言う通りだ……リリスは、無事のはずだ』
何故彼らは、そんな馬鹿げた内容を自信満々に告げることが出来たのだろうか。
都合のいいことに、その疑問を解消してくれる、言葉を発した張本人がこの場にいる。
俺は、視線をリリスからラルクに移す。
覇気を失った頼りない表情がそこにある。
「たしかリリスが攫われた時も、あんた達はそんなことを言ってたな。その言葉の根拠となってたのが、今のリリスの言葉ってことか?」
多少の確信をもって投げかけた疑問だったが、なんとラルクは首を横に振った。
「いや、それと今回の件は全くの別物だ。私達がそう考えるのはあくまで、どれだけの条件下にあってもリリスが魔王軍によって傷つけられることがなかったという、過去の経験則によるものに過ぎない……その中身まで語れば話は長くなるが」
「なら今はそれについてはいい。ただ、聞きたいのは魔王軍がリリスに危害を加えないって考え自体は既にあるんだろ? だったら何でいまさら、そんな禁忌一つでこんな騒動に繋がるんだ」
既に知れ渡っているはずの考えが、どうして彼らの感情を暴発させるきっかけになったのか。
そんな抱いて当然のはずの疑問に対するリリスの返答は、想定していたものと違っていた。
「シュウさん。シュウさんは、ありとあらゆる条件から、誰かが誰かを傷つけることが出来ないと推測したとして、それを禁忌と名付けますか?」
誰かが誰かを、とは、つまり魔王軍がリリスをということだろう。
しかし今回の本題はそこではない。
深く考えることなく答える。
「いや、名付けない」
当たり前の結論だ。
その答えを聞いて、リリスは悲しげに微笑む。
「私もそう思います。なら、どうしてそんな言葉が生まれたんだと思いますか?」
今回に限ってはリリスの問いの意味を熟考する。
そして俺は、はっとその答えに至る。
「……本当に、それが存在しているから」
世界に災厄を齎す集団が、敵対組織の最大戦力といっても良い祝福者を殺してはならないという、普通ならば推測の時点で馬鹿げていると一蹴されても仕方ない考え。
「正解です」
だけどリリスは、それが正しいのだと頷いた。
「そして、今回の騒動の問題――疑問点はそこにあります」
驚く俺の前で、そのままリリスは言葉を紡ぐ。
「その禁忌の存在は、本来ならば私しか知らないことだったんです」
「……どういうことだ?」
「簡単な話です。私がその事実をある人物から聞き、誰にも告げなかったということです」
ある人物。
それが誰かであるかを、リリスは続いて告げる。
「私はその禁忌の存在を、あの日アトロスから聞き……けど、それを皆に知られるのが怖くて、言いたくなくて……隠していたんですっ」
詰まりながらも紡ぐリリスの言葉に感情がこもる。
そこでようやく気付く、彼女はこれまで必死に自分の感情を抑えながら話していたのだ。
言うべき言葉を失った俺は、口を閉じたままその少女を見つめる。
少し間が空いた後、リリスは再び口を開く。
「……アトロスは言っていました。この禁忌の存在を知っているのは、魔王軍の幹部とそれに準ずる者だけだと」
そこからリリスが何を言いたいのかが分からず、無言で続きを促す。
「つまりです。私やアトロスが共にいたのを直接見られたことや、無理やり隠し通そうとしたものの、多くの兵士などには知れ渡ってしまっていたガドリア公爵達の裏切りなどと違い、この件に関しては普通、理由もなく国民に広がる情報ではありません。その禁忌がいつ生まれたのかは分かりませんが、私が生まれてから十年以上知ることのなかったそれが、このタイミングで偶然、都合よく広まることなど考えられないのです」
「――――っ」
そこで俺は、ようやくリリスの言葉の真意を理解する。
しかし俺がそれを発するより早く、彼女はその真実を明らかにする。
「そこから分かることは一つ――今回のこの騒動は、その禁忌について知っている者が故意的に引き起こした可能性が高いということです」
その言葉を最後に、俺は深く深く思考の海に沈んでいく。
――――つまり、彼女の話を全て信じるならばこういうことだ。
人々に不信感を抱かせる、一つ一つは小さな楔。
しかしそれらが複雑に絡み合い、とある感情へと作り変える。
その感情の名は――――悪意。
そして、その悪意は何者かによって生み出されたもの。
リリスの誓いを聞いた。
彼女の努力を傍で見た。
嘘偽りのない、世界を愛する少女がそこにいた。
一体この世界のどこに、リリスが悪意を向けなければならない理由があるのか。
だけど、きっとそれは同時に仕方ないことでもあるのだ。
人は無条件で理不尽や不条理に立ち向かえるほど強くはできていない。
臆病者の恐怖も。
不幸者の絶望も。
失敗者の後悔も。
押し付ける先があれば、そこに押し付けてしまうのが楽なのだ。
確たる証拠が存在せずとも、ありとあらゆる条件が一人の少女に責任があると告げているように思えるのだから、そこに縋ってしまえば全ては解決するのだ。
その感情が生まれた経緯など、本当はどうでもよかった。
誰の企みが関わってようが偶然の産物であろうが、俺には全く関係のないことだった。
――――世界の全てがたった一人の少女に悪意を向ける。その事実だけがあれば、それで良かったんだ。
だって、俺は――――
◆
長い、長い話だった。
聞くだけで胸の内側から引き裂かれそうになる話を、逢ヶ瀬 伶奈は修の後ろで静かに聞いていた。
修が帰還するよりも前に、伶奈、ソラ、リリス、ラルクによって既に同様の話し合いは行われていた。
そもそも国民達が騒動を起こしている原因を伶奈達が知っているのは、各地に滞在する騎士達が情報を集め魔道具でラルクに伝えたからだ。
その全てを聞いた時、伶奈は少なくない驚きを抱いた。
一人の幼い少女の死を望むには取るに足らないはずの事柄を誰もが信じ、こうしてクーデターまで起こしているという事実を。
普段は表情の変化が乏しいソラであっても、少し不快そうな感情を発していた。
しかし、伶奈が何より驚いたのは話の内容ではなく、それを聞いた際のリリスの反応だった。
自分に対してこれだけの悪意が向けられていると理解していながら、彼女はなんと絶望に表情を崩すのではなく――ほんの小さく、笑ったのだ。
その笑みが何を指し示すのかは分からない。
あの後リリスは自室に戻り休養し、数日後の今日、久しぶりに皆の前に姿を現したのだ。
逢ヶ瀬が彼女にしてあげることは何もなく――彼女自身ではなく王城のために、ソラと共に城壁に結界を重ねるのが関の山だった。
幼い少女を傷つけようとする者達に怒りを覚えないと言えば嘘になる。
しかし一方、彼女は人々の思い自体も理解できるのだ――納得だけは、とうてい出来るものではないが。
人は、知らないものが怖い。
だからこそ、目の前に降って湧いた自分にとって都合のいい話を疑いもせず信じてしまうのだ。
――リリスが魔王軍と繋がりがあり、そのせいで自分達が不幸な目にあっているというのなら、その元凶を排除しようとするのは自然な流れだ。
だから、リリスを守りつつも結界の前の人々を力ずく蹴散らしたりはしない。
それが伶奈の導き出した結論だった。
だけど、彼は。
白崎 修はそれを聞きどう思うのだろうか。
伶奈は、ずっとそれが気になっていた。
世界を嫌いだと公言する彼が、このような理不尽に満ちた光景を見てどんな行動を起こすのか。それを見届けたいと思っていたのだ。
そしてその疑問の答えが、いま伶奈の前にあった。
「……え?」
その光景を目の当たりにした時、伶奈は思わず素っ頓狂な声を漏らした。
それほどまでに衝撃的な結果がそこにはあった。
驚きに表情を固めるのは伶奈だけではない。
微かに視界に映るソラもラルクも――リリスだけは前に修が立っているため角度の影響で表情を窺えないが、それでも部屋全体に緊迫した空気が広がるのを肌で感じた。
リリスの話を全て聞き終えた青年、白崎 修は不意に口を開く。
「ひとまず事情は分かった。とりあえず部屋に戻る」
彼はこれ以上話すことはないと、有無を言わせぬ態度でそう告げて歩を進める。
向かう先はもちろんこの執務室の扉――辿り着き、開ける。
「何か方針が決まったら伝えてくれ」
そして最後にそう言い残し、本当にそのまま去っていく。
扉は開いたまま奥に廊下の姿を映し出すのみ。
しかし、室内の空気が外に漏れていくことはなかった。
「どうして……」
誰もが一言も言葉を発せない中で、ようやく声を漏らしたのは伶奈だった。
「どうして貴方は……」
それ以上、言葉が紡がれることはなかった。
先程まぶたに焼き付いた光景が、突如としてフラッシュバックする。
彼がいつの日か大切だと告げた一人の少女。
その少女に向けられた悪意の意味を聞いて。
彼は。
――――白崎 修は、たしかに笑っていた。




