第十二話 金魅の忌み子 序
リリスの姿を見た瞬間、言いようもない感情が俺の胸に生じる。
その感情が何か探ろうと、自分の中に意識を向ける――直前、目の前の少女の身体がふらりと崩れる。
「リリスさん、大丈夫ですか?」
咄嗟にリリスのもとに駆けたのは、彼女に一番近いところにいる逢ヶ瀬だった。
少女の華奢な身体を抱えるように支えながら振り向く。
「何か横になれるもの……は、ないですか。ならせめて椅子をお願いします」
俺の隣にいたソラは一つ頷くと、座り心地の良さそうな木椅子をリリスのもとに運ぶ。
「申し訳ありません……」
その際のリリスの弱々しく謝る、儚い姿が無性に俺の心を掻き立てる。
――――どれだけ、彼女は傷ついているのだろうか。
普段の落ち着きのある佇まい、時に見せる子供らしい振る舞い、確固たる意志のもとに行動する強さが今はどこか薄れている。そして、その光景を見てなお俺に出来ることは何もなかった。
ゆっくりと椅子に座り、青色のドレスの裾を整えるリリスに投げかけるべき言葉は見つからないまま、とうとう彼女は姿勢を整えると優しい蒼の双眸で俺を見る。
その透き通った純粋な目に耐え切れず、つい反射的に視線を逸らしてしまう。
それでも、視界の端に移るリリスの表情から微笑みが消えることはない。
「今から、私が全てお話しします」
そして、告げるのだ。
「私が金魅の忌み子と呼ばれ、魔王軍に協力していると国民から思われ、その上で処刑を望まれる理由を」
俺がずっと、目を逸らし続けていた真実を。
少しの沈黙が続き、横目でリリスの様子を窺う。
彼女は、膝元の簡単に手が滑り落ちてしまいそうなシルクの生地をぐっと力強く握りしめていた。
「――ッ」
その姿を見て、俺は。
「リリ――――」
「――――全ての始まりは十二年前。私の母、金魅と呼ばれた歴代最強の祝福者、アイリス・ジオ・ルミナリアに由来します」
言葉が最後まで紡がれることはなく。
俺の意識は、リリスの話へと吸い込まれていった。
◆
魔王軍が初めて現れた百年と少し前において、彼らは現在ほど恐れられている集団ではなかった。理由は簡単、彼らは大した悪事を行うこともなく、戦力的に関しても各都市に駐在する騎士なら問題なく対処できる程度だったからだ。悪事の内容といえば、村や町から子供などを攫うなど――確かにこれはこれで残虐的な行為だが、後に数十、数百万の人々を殺戮する集団とは思えないほど小規模な犯罪組織だった。
さらに決定的だったのが、その組織のトップだと言われる魔王と呼ばれる魔法使いが表舞台に姿を現すことがなかったことだ。加え、捕えられた魔王軍の犯罪者も魔王について語ることはなかった。それらに伴い各国は魔王軍の組織体系の実在を疑い、最終的にはただの烏合の衆だと捉えられるようになっていた。
むしろ、大気中に漂う魔力と人の悪意によって生み出される魔物による被害の方が何倍も大きく、各国の兵士や冒険者達はこちらの討伐に躍起になっていた。
そんな人々の認識が大きく変化したのは約二十年前――祝魔歴473年のことだった。
当時――現在においてもだが、二大大国と呼ばれているルミナリア王国、エルトリア帝国に続く第三の国家であるフロル王国の王族、上位貴族の大多数が一夜のうちに殺害された。またたく間に国家は崩壊、残された国民は難民へと成り果てた。
初めはルミナリア王国かエルトリア帝国が、自分達に追随する国を嫌い滅ぼしたのではないかと思われたが、すぐにその予想は覆される。
フロム王国を滅ぼした“数名”の存在は、自身を魔王軍の幹部と名乗った。これまでの児戯のような侵略とは違う圧倒的な力だった。世界に災厄を齎すと表明する彼らは、その日を境に世界中で様々な国家に攻撃を仕掛け滅ぼしていった。人々は恐怖し、魔王軍の勢力の及ばないところに逃げようとするも、魔王軍は軍隊としての強さではなく単騎の戦力を重視しているため移動に困ることもなく、神出鬼没に現れ絶望を残していく。誰もが、世界は魔王軍によって滅ぼされるのだと理解した。
だけど、そうはならなかった。
立ち上がった一人の少女がいたから。
その少女の名はアイリス・リメリアライズ。
ルミナリア王国、王国騎士団所属。
のちの国王ラルクの妃となる少女だった。
騎士に任命されたばかりの若かりし彼女の初の戦場は、本来ならばエルトリア帝国との戦いの場になるはずだった。しかし彼女は自らの意思で魔王軍の討伐部隊に入りたいと志願した。
普通、騎士になったばかりの小娘の申し出が通るはずがない。そして当時の元老院の考えも同様で、迷うべくもなくアイリスの言葉は却下された。
しかし、それでもアイリスが引き下がることはなく、国王、元老院ともに痺れを切らす――が、その申し出の場に居合わせた第一王子ラルク・ジオ・ルミナリアの、彼女の意思を否定し予定通りの任務にあてても満足に動けるとは思えない。魔王軍による被害は我が国にも甚大な影響を及ぼしている、それを救おうとする正義を持つ若者がいるならば、その意思のままに働いてもらうべきだ。という助言によってようやく受け入れられることとなる。
そしてその数日後。
アイリスは奇跡の体現者となる。
初の戦場で、騎士が数千人がかりでも敵わない魔王軍幹部数名を、たった一人で討伐してみせたのだ。
騎士団に所属したばかりの少女に残せる功績ではなかった。いや、そもそも相当な実力者ですら成し遂げることの出来ない奇跡を起こす。
そんなことを出来る存在を、誰かは祝福者と呼んだ。
――――【空間】の祝福者。
それが、アイリス・リメリアライズの正体。
彼女の十六年という長きに渡る人生で隠し続けてきた真実は、またたく間に大陸全土に広がった。
通常ならば祝福者は国民から崇められ、様々な特権を与えられるにも関わらずアイリスがその力を隠していた理由は不明で、彼女自身語ることもなかったが、国内に祝福者が生まれたという事実がその全てを帳消しにした。
それからのアイリスの躍進は途轍もないものだった。
騎士爵の爵位を与えられた彼女は元老院に提案し、まずエルトリア帝国との停戦協定を結ぶ――彼の国にも、魔王軍と同時にアイリスという強力な祝福者を有する国家を相手取る余裕は存在しなかった。
その後、ルミナリア王国の第一方針は魔王軍討伐に移る。
あくまで自国の国民や領土のための戦争ではなく、闇雲に人を傷付けるだけの彼らを許せないとアイリスが告げたからだ。
ただ、魔王軍と敵対するとき問題となるのは移動手段だ。
少数精鋭で行動し神出鬼没な彼らに通じる手段があるように思えない。
しかし、それすら解決したのがアイリスの祝福であった。
【空間】――この祝福で可能なことは様々あるが、その一つが二点間の距離を繋ぐこと。いわば空間転移である。魔王軍の被害が訪れた場所から魔道具によって伝令がくると、すぐさま彼女は単独で現地に向かい一騎当千で敵を討伐し、人々を救ってみせた。
礼儀正しく正義感に満ち足りた振る舞い。
華奢な身体から放たれる力強い剣撃。
世界中の人々を魅了する整った美貌。
――輝く金色の長髪を靡かせる姿。
いつからか、敬意と感謝を込めアイリスは“金魅”と呼ばれるようになった。
世界は活気を取り戻し始める。
金魅単独の圧倒的な戦力に縋り、魔王軍討伐の大部分をその一人に押し付けることによって。
魔王軍による被害は凄まじい勢いで衰えていき、誰もが自分達に待つ安寧を疑わなかった。
だからきっと、皆は忘れていたのだ。
期待をするからこそ――裏切られた時、その絶望は容易く心を壊してしまうということを。
祝魔歴477年。
既に魔王軍の隆盛は衰え、依然と変わらぬ生活水準にまで戻っていた頃。
その名を全土に轟かせて百年。
初めて、魔王が姿を現した。
とある小国の村落。
とある遺跡に巣食う部族。
そして、とある大国に隠された研究施設。
ありとあらゆる場面に現れては、絶望の爪痕を残していった。
何よりの問題は、その圧倒的な戦力による殲滅力。
魔王の行為は対応する間もない程に早く、それこそ魔道具で助けを呼ぶ時間など与えられなかった。
つまり、アイリスが現場に向かった時には既に魔王の姿はなくなっていたということだ。
再び世界は恐怖し――それでも、金魅に願った。
どうか、世界を救ってほしいと。
その時が来たのは二年後、祝魔歴479年。
祝魔大戦――世界最強の祝福者と魔王軍を表し生み出された、奇しくも歴と同じ名称を含んだ戦いの最終決戦のことだった。
世界中から集った数万の騎士を動員し、魔王の所在を特定。
その少なくない人数を犠牲に魔王を食い止め、とうとうアイリスが魔王の前に降り立つ。
二人ほどの実力者の一騎討ちは周囲を巻き込み全てを破壊する。それを嫌ったアイリスの提言を何故か魔王も了承し、二人はその場から遠く離れた広原に移動する――二人の移動を追えた者はいなかった。
誰もが、金魅の勝利を願い、帰還を待った。
人々の期待に応えるようにアイリスは無傷の状態で帰還し――喜びの歓声をあげる人々の前で言った。
『私は、今日をもって騎士を辞めさせていただきます』
その言葉の意味を、誰もが魔王を討伐し彼女は自分の役目を終えたからだと、そう判断した。
だけど、事実は残酷で。
――――魔王軍の活動は、その日を境に加速した。
アイリスは魔王を殺してはいなく――否、あの日、戦ってすらいなかった。
魔王の生存と、汚れ一つ付着していない彼女の服装がそう物語っていた。
誰もがアイリスに詰め寄り、どういうことだと怒りをぶつけた。
お前は魔王を倒したんじゃなかったのか。
何のために、あの日多くの騎士は犠牲となったのか。
何故、戦いすらしなかったのか。
しかし、それに対するアイリスの返答は常に同じ。
『私の祝福者としての使命は終わりました。そして新たに生まれたものがあります。それは母としての使命です』
二年前、ラルクの妃となり名をアイリス・ジオ・ルミナリアと改めた彼女のお腹には一つの生命が宿っていた。王妃でありながら騎士として活動していた彼女が、本来の鞘に収まったと捉えるなど簡単には出来なかった。まだ魔王軍の脅威は消えていない。
しかし彼女がお腹に宿している生命は、次期国王候補である。その身のまま戦えなどと言うことは出来なかった。結論として、赤ん坊を出産し身体の調子が戻った際には戦場に復帰することとなり人々の不満は一時的に収まった。
その結論を聞いたアイリスは、いつも困ったような笑みを浮かべていた。
しかし、それから一年後。祝魔歴480年。
アイリス・ジオ・ルミナリアは死去する。
たった一人の娘を残して。
のちに母と同様の輝く金色の髪を持ち、精微に整えられた美貌を誇ることとなる――そして【空間】の祝福に目覚める、アイリスが世界を見捨ててでも望んだ、たった一人の少女。
彼女は、リリスと名付けられた。
これが、金魅と呼ばれた祝福者の終わり。
そして、全ての始まりだった。




