第十七話 黒と白の手合わせ 中
修とレイの戦いは、ほとんど一方的なものとなっていた。
一秒の間に、数十の剣閃が瞬く。
もっとも、その閃きも実際の攻撃のほんの一部に過ぎない。
首に。
太腿に。
脇に。
胸に。
大気を縦横無尽に切り刻みながら、レイの持つ木剣が修に迫る。
その全てを、修は器用に躱し、両手で防ぎながら対応する――が。
「くっ」
袈裟斬りを後ろに跳んで躱した次の瞬間、跳ね上がるように木剣の切っ先が胸元に迫る。
反射的に右手を振り上げ、下から木剣を弾く――
「ッ」
瞬間、切っ先が顔面のすぐ目の前にあった。
寸前に顔を横に倒すことによって、ギリギリのタイミングで木剣は修の左頬を掠るに留まる。
「ふんッ!」
急激に接近したレイの身体。
純白の鎧に向け、右膝を全力で放つ。
シンプルな膝蹴りだ。
しかし、レイは木剣の柄から左手を離すと、膝蹴りに対し手のひらを翳した。
瞬間、衝撃。修の右膝はレイの手に吸い込まれ、その勢いのままレイの身体を吹き飛ばした。
「…………」
しかし、伶奈の口から有効打の声はあがらない。
修はそれも当然だと考える。
蹴りの力は完全に受け流された。
「……対応が早いね」
二十メートルほど先で綺麗に着地したレイは、少しだけ感心したように言葉を零した。
修はその言葉の意味を思考する。
対応、とはつまり何を指すのか。
この数分の拳と剣の応酬から、その予測はつく。
(アイツの剣の迫り方。そして防御されたときの反応が異常だ)
最初の攻防の際の、右手で防御したはずが、いつの間にか右横腹に木剣が減り込んでいたときも。
先程の、胸元を狙われているはずが、一瞬で切っ先が顔面の前にあったときも。
予測がきかない。
まるで、視界に映る光景が偽りのように。
修は人並み外れた反射速度をもって対応しているが、後手に回り続けていることは変わりない。
しかし、攻撃を繰り出すレイ本人はその事実に驚いているようだった。
「いくよ」
修に向けそう告げ、レイは地を蹴り、再び二人の距離を縮める。
「ふー」
その光景を見て、修は決断した。
そろそろ、本格的に攻撃に移ろう。
レイによって振るわれる木剣を、冷静に躱していく。
限界まで神経を張り詰めることによって、異様なフェイントを次々と真っ向から打ち砕く。
そして僅かに生じた隙。修から向いて、右から左に木剣が振り切られたその瞬間、腰元に溜めた右拳をレイのがら空きな胸元に向け放った。
ここまでの応酬で、レイの身体能力、反射速度は看破した。
このタイミングでなら間違いなく当たる――――
「逸れてくれ」
ふいに、レイからそんな言葉が聞こえた。
なんてことのない、静かで優しげな声色。
だから、修が驚愕に目を開くのは次の瞬間だった。
レイの胸元を狙い振り切った自分の右拳。
レイの身体はその場から一歩も動いてはいない。
なのに。
なのに、修の右拳は、レイの右側の虚空に止まっていた。
そう、まるで不可視の何かに攻撃を逸らされてしまったかのように。
「隙だらけだよ」
「――――っ!」
悠長に驚く暇もなく、修は腹に肘打ちされていることに気付く。
内臓が深く押し潰される。
咄嗟に地を蹴り背後に跳び、衝撃を流す。
しかしダメージは確か。
思わず、たたらを踏んだ。
「エルトリアさん、有効打2」
冷静な声が、空に響く。
有効打
レイ2-修0
その声が響く間にも、レイは修に追撃していた。
「……ッ」
その光景を見て、修は後ろに躱すのではなく、逆に前方に跳んだ。
「――――!」
満足に立っていない状態で攻撃に転じてくるのが意外だったのか、レイは目を僅かに開く。
その一瞬の隙を修は見逃さない。
右手と、左手。
力強く、交互に殴打を放った。
「逸れろ」
が、先程と同様、その攻撃はレイの身体から逸れる。
修の意思とは関係なく。
その現象を眼に焼き付けると、修はそれ以上攻撃を重ねることなく、後ろに跳び距離を開けた。
レイも追撃することなく、静かに修の動きを眺める。
「なるほどな」
二人が静かに向かい合う中で、修はこれまでの情報をまとめていた。
レイの攻撃は防御を透過し迫る。
修の攻撃は意味不明な現象によって届かない。
このわけの分からなさ。
祝福以外に理由はないだろう。
「…………」
虚無を使えば、きっとその理不尽に対抗できるだろう。
しかし、それは今回使わないと約束してしまっている。
(……仕方ない)
ただの手合。
勝敗に拘るわけではないが、やられっぱなしなのは癪。
故に。
ほんの少し、修は身体強化の錬度をあげた。
もし、この状況を生み出しているのがレイの祝福によるものならば。
祝福を使う間もなく、圧倒してしまえばいいと。
「よし、いくぞ」
「――――――」
修が小さく決意を零した一方。
レイは、眼前の敵の纏う空気が変わったことに気付く。
(さて、どうするつもりだい?)
レイは心の中で黒髪の勇者に問う。
自分の祝福を、生半可な手段で崩すことはできない。
それを、彼はどう乗り越えてくるつもりなのかと。
「はッ!」
大地を激しく振動させる脚力で地を蹴り迫る修。
彼はその勢いを利用したままレイに掌底を放つ。
威力に重きを置いているのか、速度は遅い。
その掌底に対し、レイは素早く木剣の切っ先を向け、静かに添えた。
「流れろ」
ただそれだけで、修の掌底の方向は左に逸れた。
この隙に、木剣を右から左に振るう。
それで、終わり――
「っ」
しかし、修は横から迫る木剣に対し、地面に這う様な態勢で回避する。
そのまま止まることなく、レイの側面を抜ける。
背後に回られる。
動きが、迅い。
対応が遅れる。
だが、まだ間に合う。
「とどけ」
瞬間。
レイの振るう木剣の速度が、急激に上昇した。
左手一本に持ち替え、鞭のように身体を捻りながら背後に放つ。
閃きも残さない速さで、大気を真っ二つに断ち切る。
が、レイは違和感を覚えた。
手応えを感じない。
それも当然。
すでに、そこには誰もいなかった。
「――――ッ」
その事実に、思わずレイも瞠目する。
修の姿が見当たらない。
彼はどこに消えた。
前後左右にはいない。
ならば――上!
レイの読みは正しかった。
見上げると、そこには一人の男性が宙に浮いていた。
修は身体を地面に向けたまま、右手を左腰に置いていた。
まるで、空中で抜刀するかのような態勢。
修が何を目的としているのかは分からない。
しかし、実際に攻撃をされる前に修の存在を把握できた。
殴打だろうが、蹴りだろうが、頭突きだろうが、このタイミングならば間違いなく祝福で対処できる。
その思考が、油断を生んだ。
「沈め」
「っ――ぐっ、はっ」
修が右腕を振るった瞬間、暴力的な重圧がレイに襲い掛かった。
彼の腕は、ただ空気を薙ぎ払ったに過ぎない。
ただそれだけで、王城に匹敵する質量で押さえつけられてるかの如く衝撃が走った。
膝が崩れ、そのままレイの身体は赤茶色の地面に叩きつけられる。
肺から息が漏れた。
彼の周囲の地面は、同時に数センチ沈んだ。
「白崎さん、有効打1」
その光景を眺めていた伶奈が、今の攻防の結果を告げていた。
有効打
レイ2-修1
油断したと、レイは自分の失態を瞬時に把握していた。
修は、直接攻撃を仕掛けてくるとばかり考えていた。
それをまさか、空気を押し潰してとは。
さらに注目するべきは、彼がそれを魔術ではなく体術で実行したということだろう。
どれだけの身体強化を行えば、それを可能にするのか。
「喰らえ」
考えている余裕はない。
這い蹲る自分に対し、空中から右足を突き出す修の姿を確認する。
まだ負けてはいない。
焦る理由もない。
今度は祝福が間に合う。
自身の身体全体に特殊な魔力を循環させる。
それだけで、修の右足はレイの身体から逸れ、顔のすぐ横の地面に突き刺さった。
赤茶色の地面が爆散する。
その結果に対し、修が訝しげに顔をしかめる。
そのときには既に、レイは右手で地面を強く押し、その勢いのまま木剣を振り上げていた。
「チッ」
舌打ちと共に、修はスウェーバックで木剣の範囲外に身を躱す。
通常ならばそれだけで完璧な対処となる。
そう、レイが相手ではない場合ならば。
「伸びろ」
その一声と共に、木剣の切っ先が修の喉に迫る。
彼我の距離を無視したかのような、異様な攻撃。
修は目を見開いたまま、この一撃をただ眺めるのみ。
回避も、防御も実行しない。
隙だらけの喉元めがけ、木剣は突き刺さ――――
その時、辺りに鳴り響いたのは鈍重な音。
木剣を握りしめる左手に、痺れる感覚が走った。
木剣の切っ先は、修の喉に当たったまま完全に止まっていた。
「……なに?」
その現実に、思わずレイは目を疑った。
人間の急所である喉。
まともに武器で突けば死んでもおかしくない。
故に修の身体強化の錬度を考慮し手加減した威力で放ったのは事実。
だけど、これはおかしい。
ダメージを与える与えないの話ではない。
修の身体は、レイの攻撃をもってしても微動だにしていなかったのだから。
……彼の強化は、異常だった。
「飛べ」
「ぐっ!」
呆然と立ち尽くすレイの腹に、修の右足が減り込む。
レイの思考が固まっている瞬間をついた一撃だった。
内臓は押し潰され、砲弾の様な速度で弾き飛ばされる。
両足を地面に伸ばし、滑りながらも止まることには成功する。
その光景を、修は追撃することなく静かに見つめていた。
「白崎さん、有効打2です」
そして、伶奈は告げた。
有効打
レイ2-修2
あと一度の攻防で、勝敗は決まる。
「…………」
「…………」
練兵場の真ん中。
三十メートル距離を開け、修とレイの両者は向かい合っていた。
(アイツの祝福の効果は正確には分からないが、隙を作りだせれば攻撃を与えることはできる。けど、次はアイツも油断はしないだろう)
(彼の身体能力は異常。それが祝福によるものかは分からないけれど、後手に回れば負ける。並の攻撃では傷一つ与えることはできない)
数瞬の間に整理される相手の情報。
それを考慮した結果、二人は同時にその結論に至る。
このままでは、勝敗がつくことはないと。
だから。
「仕方ないな」
「仕方ないね」
白崎 修は、さらに身体強化の錬度をあげた。
レイ・ジオ・エルトリアは、祝福の制限を微かに緩めた。
そして。
「少しだけ、本気でいくぞ」
「少しだけ、本気でいくよ」
最後の攻防が始まった。




