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星屑の結晶  作者: 林檎飴
9/9

変質

「お…おはよー」


教室に通る自分の声に怖気づきながらも、翔は必死で挨拶した。こっちを振り向くふたつの顔。が、口を開けてこっちを見つめている。

翔は何事もなかったようなふりをして、自分の机にどすんと鞄を置いた。


「翔…?なにか企んでたりしてんの?」


口の端にうっすらと笑いを浮かべた流の言葉に、翔はものすごい勢いでつっかかった。


「はっ、私がなにを企むの」


「……金銭問題」


「あんたなあ!!」翔が鞄を何度も叩く。「いくらあんたらが金持ちだろうがなんだろうが、私が人から金を巻き上げるような人間だと思うか!!」


「いや、思わない。でもさぁ、いままで挨拶なんてされたこともないし、いきなりそんなことされたらびっくりするでしょ?」


冷静かつ大人な分析。熱くなって反論した自分が馬鹿みたいで、翔はさっきまでの威勢をなくした。


「…いいじゃん、私だってそういう気分な時もあるんだよ」


叩いて潰れた鞄を整え、教科書類を取り出す。数学の教科書が目に入り、小テストのことを思い出して憂鬱な気分になる。


「へえ。でもまあいいと思うよ、そういうの。ずっと無愛想なのも可愛くないしね」


「……」


可愛いって言ったり可愛くないって言ったり、発言が右往左往して意味がわからない。弄ばれてるんじゃないかと翔は思った。


「翔ちゃんがおはようって言ったー!」氷上が目を輝かせながら立ち上がる。「なんか変なのー!」


氷上には悪気はない。とわかっていても、当たりたくなる気持ちが湧き上がってしまう。


「…ほんと出鼻挫いてくる人たちだな。そんなにおかしいんだ、私」


3人でプラネタリウムへ行ったときに決意した、「変わる」ということ。日常生活で何かが起こる度に表情を酷使することに嫌気がさしていた自分は、「間違っていた」ことを知った。だから、人を寄せ付けないようにするとか、なるべく会話しないとか、そういった今までの行動を改めるための一歩として挨拶をしてみたのだ。まさかここまで受け入られないとは思ってなかったけど。


俯いたままの翔を見て、流は再び邂逅した。


「いや、ごめん。ちょっとはびっくりしたけど、そんなに変じゃないよ。いきなりどうしたんだろうって思っただけだよ。ごめ…んね」


翔は顔を上げて、隣の流を見つめた。翔の表情は少しばかり和らいでいた。


「やっぱりびっくりするんだ」


「そりゃあね。でも慣れていけばいいんじゃない?」


流はいつも翔の心を乱すくせに、毎回安息を与える。

やっぱり私は弄ばれてるんだ。





体育のバスケ中、ボールを故意にぶつけられた。

相手は見なくても、有り得ない送球を繰り出しそうな人物なら心得ている。


「あーら八潮さん、ぶっざまあ」


頭を呻きと共に撫で、氷上に大袈裟な心配をされている翔は、長くカールした髪をたなびかせるお嬢様を眺めた。相も変わらず取り巻きを従えている。


「あ…」


名前を呼ぼうとした翔は、自分が目の前の少女の名字すら知らないことを嘆きたくなった。級友の名前を知らないやつが変わろうなんて馬鹿みたいだ。


「私が殴った人」


何も思いつかなかったので自分との接点を述べてみる。だが、この返答は火に油を注ぐ結果となってしまった。

少女は大きく目を見開いた。


「はあ!?なに、私今その件について咎めようとしてたのに先に言っちゃうわけ!?馬鹿なの?ああ馬鹿なんだわ!」


むしろ注いだのはガソリンだったのかもしれない。


「あなたねえ、あのとき一応私に謝りはしたけど、あれ心からは言ってないでしょ。校長に無理矢理頭下げさせられて、すっごい嫌そうな顔してたものね。あんなに怒られて涙ひとつも零さずに、その上反発的な態度とるなんてどうかしてるんじゃないの!」


「…私悪いことしたっていう自覚が…」


「なによそれ!知らないわけはないと思うけど、私社長令嬢なのよ!?殴るなんて社会を敵に回すに等しいのよ!?やっぱりあなた馬鹿ね!!」


名前の知らないご令嬢は、眉間に深い皺を刻んだ表情で、体育館の床を高圧的に指差した。


「土下座しなさい」


翔は頭を押さえた状態で彼女を見上げた。


「今度は誠実に謝ったら?一般家庭のあなたにはお似合いよ」


土下座なんてするものか。人間が土下座をするのは一生に一度きりと決まっている。こんなところで使えない。

翔はおどおどする氷上を尻目に、直立のまま深々と頭を垂れた。


「あのときはごめんなさいっ!」


体育館中に翔の声が響き渡った。プレー中の生徒たちが、得点板を捲る審判が、ジャージ姿の体育教師が、ぽかんとした表情で翔に視線を集める。社長令嬢は居心地悪く一歩あとずさった。


「氷上は本当に辛い思いをして生きてるのに、あなたたちが鼻で笑うから、痛い目に遭えばいいと思ったんです。しつこいねちねちしたやり方が嫌いで、思わずやってしまいました。特に後悔はしてないけど、痛すぎたなら謝ります。ごめんなさい!」


その途端、ゲーム終了のブザーがけたたましく鳴った。野次馬たちはざわめきながらも次のゲームに移り始める。翔はまだ頭を下げたままだった。

少女は周囲の目を気にしながら、翔に向かって口を開いた。


「本当にあなたって意味のわからない人だわ。今になって人が変わったみたいに」


翔はゆっくりと体勢を立て直し、彼女と向き合った。


「これからはいろんな人と仲良くしようと思って。あなたとも、出来れば」


彼女は呆れたような困った表情を形作り、やれやれと言わんばかりに髪をかきあげた。


「本物の馬鹿よ、あなたは」


「馬鹿でも変わろうとすれば変われる」


「もう一生許してあげないから」


そう言って、彼女は端整な顔を少し微笑ませた。翔も小学生以来となる笑顔を浮かべた。

まだ引き攣っていて、少し不自然な笑みだった。





放課後、1年C組の教室に死体のような生者がのびていた。全員出払ったこの部屋に、机に突っ伏すという状態で未だ居座っている。細長い腕はだらしなく垂れ、同じくすらりとした脚も伸ばしきっている。でも死んでいるわけでも、寝ているわけでもなさそうだ。


「慣れないことすれば疲れるって。最初から頑張りすぎなんだよ翔は」


生ける屍に話しかけているのは、ふわふわしたオーラを携えた長身美少年。こちらは悠々と炭酸飲料を口に運んでいる。


「笑うのとか久しぶりすぎて…こんなに筋肉使うものだったんだ…。みんなよく頻繁に使えるよね」


「慣れてんの。笑わないほうが難しいよ。翔はすごいね、やってのけてたもんね」


言葉にならない呻き声を上げて、翔は顔を腕の間にうずめた。それから、上から糸でぴんと引っ張られたように機敏に上体を起こした。


「そういえば、氷上は」


「さっき帰ったよ。眠いからって言って」


「ふうん。珍しい…」


翔はまたもゆるゆると机に潰れ始めた。流はそんな翔の様子を苦笑しながら眺めている。


「流は帰らないの」


「えっ」


名前を呼ばれて若干動揺した流は、ジュースを慌てて飲み込みながら一言発した。


「氷上帰ったし私も追って帰るから、家帰って寝るか勉強するかしなよ」


「んー」


流はのんびりと考えながら、というのは建前で、本当は答えが出ている質問をためる。


「翔が帰るまでここにいる。家帰ってもつまんないし」


ふうん、と答える翔を柔らかい微笑みで見つめる流は、続けて口を開いた。


「さっき翔、初めて流って呼んだ」


「んー?そうだっけー」


「そうだよ」


念を押すように、強く肯定する。


「前まではあんたとか波崎とかだったけどね」


流が少し笑う。悲しそうにも、懐かしそうにも聞こえる声色。翔は、黙って流の目を見上げた。


「俺さあ…前までの無愛想で無口でいっつも不機嫌な翔も好きだったけど、今の翔はもっと好きだ」


翔の目が少し見開かれた。流の濡れた瞳がいつもの穏やかさや柔らかさの中から滲み出る、真剣さや静かな激しさを湛えていたのだ。


「俺翔のこと好きだよ」


本気か冗談か推しかねて、翔は固まったままだった。そして、本気じゃないことを願った。自分と流との間にあるのは友情だと信じたいから。


「帰ろう」


翔はやっと声を出した。


「え?」


「もう暗くなるし、先生の巡回も来るから、…帰ろう」


岩のように重たい体を無理矢理引っ剥がして、翔は鞄を肩にかけた。そのまま教室を出ようとする翔に、流は声を掛けた。


「冗談って思ってんの?」


翔は駆け出すようにその場から去った。

とにかく今は、流から逃げたかった。

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