第四話 引き返す道 ②
昼を過ぎたころ、魔女は馬を引いて町の荷車乗り場に着いた。厩の前で足を止めると、背後で車輪がきしんだ。
「おじいちゃんの馬だ」
厩から出てきた若い娘が、馬の鼻先を撫でた。
「脚は無事よ。おじいさんは?」
「腕を診てもらって、待合にいます」
孫娘に手綱を渡し、魔女は待合へ向かった。軒下の椅子に、腕を吊った御者が座っていた。
「すまんな。荷車まで運んでもらって」
「私もここに用があったの。峠を越える荷車を探していてね」
峠の向こうの町まで行けば、そこから遺跡のある山腹へ向かえる。橋を渡るより一日余計にかかるが、点検にはまだ間に合う。
待合には、荷物を足元に置いた人たちが何人もいた。
「次の便はいつ出るの?」
「峠を越える車は、朝から出払ってる。橋が開かないと聞いて、早いうちにそっちへ回った客が多くてな」
「うちの荷車なら出せるよ」
厩から戻った孫娘が、脇に抱えた地図を持ち上げた。
「今日は出せんよ。この腕じゃ、しばらく手綱は握れん」
「だから、私が出すの」
孫娘は祖父の前で地図を広げかけた。
「峠の向こうの町までなら、道は覚えてる。荷下ろしの手伝いで何度も——」
「先に、馬に水をやってきてくれ。橋でずいぶん驚かせちまったからな」
孫娘は地図を巻き直した。何か言いたげに祖父を見てから、厩へ引き返した。
魔女は御者の隣の長椅子に腰を下ろした。
「あの子は、普段から荷車を出しているの?」
「近くの宿までならな。あそこまでは道も平らで、馬を止める場所にも困らん。だが、峠じゃそうはいかない」
御者は吊り布の結び目を直した。
「下り坂じゃ、荷車の重みで馬が後ろから押される。昨日まで固かった路肩が、今日も固いとは限らん」
座り直そうと腰を浮かせた御者は顔をしかめ、無事なほうの手で肘掛けをつかんだ。
「俺が隣に乗れれば、危ないところで声をかけてやれる。だが、落ちたときに腰も打ってな。町へ戻るだけでも、車輪が跳ねるたびに響いた」
「普段は、どこで馬を休ませるかも、あなたが決めているの?」
「ああ。休む場所も、荷を積む順番も教えてきた。あの子は言ったとおりにやるよ」
厩のほうから、桶を置く音がした。
「さっきも、言われたとおりに水をやりに行ったわね」
御者が眉を寄せた。
「それが何だ」
「言われたことは一人でできるのに、何をするかはいつも誰かが決める。そういうの、つらいわよ」
魔女は膝の上で指を組んだ。「お役目」のために地図を開くときには、行き先はもう決まっていた。自分で行き先を選べるようになったのは、ずっと後のことだ。
さっき孫娘は、地図を広げかけていた。あの子なりに考えてきたことがあったのだろう。せめて、話し終えるまでは待ってやってほしかった。
「あの子が自分から峠を越えると言い出したのは、今日が初めて?」
御者は厩の戸口へ目を向けた。
「ああ。峠の仕事は、ずっと俺がやってきたからな」
「教えたことは、きちんとできるんでしょう? だったら、どうやって峠を越えるつもりなのか、まずは聞いてあげなさい。任せるかどうかは、それから決めても遅くないわ」
「無茶なことを言い出すかもしれんだろ?」
「そのときは、どこが危ないのか、私に話してくれたように、あの子にも話してあげて」
御者は膝の上で、無事なほうの手を握りしめた。
「橋のたもとで落ちたとき、手綱を放すのが遅れてな。あのまま馬に引きずられるかと思った。あいつも同じ目に遭うかもしれんと思うと、ここでじっと帰りを待っていられる気がしないんだ」
「心配はするでしょうね。でも、話を聞いて任せられると思ったら、あとはあの子の判断を信じてあげなさい」
厩の戸が開き、孫娘が手を布で拭きながら戻ってきた。脇には巻いた地図を抱えていた。
御者はしばらくその姿を見ていた。孫娘が脇を通り過ぎようとしたところで、口を開いた。
「地図を見せろ。お前なら、どこで馬を休ませる?」
孫娘は足を止め、長椅子の端に地図を広げた。
「上りの途中に、水が湧くところがあるでしょう。そこで休ませる。客は三人までで、大きな荷は載せない。下りに入る前に、荷紐も締め直す」
「荷車の向きを変えられる場所は?」
「白い岩のところ。その先は、炭焼き小屋の前までない。白い岩に着くのが遅れたら、そこで戻る」
「客が急げと言ってもか」
孫娘が乗り場に目を向けると、待合にいた客がこちらを見ていた。
「うん。出る前に、途中で引き返すこともあるって話しておく」
御者はしばらく地図を見つめ、白い岩の手前を指した。
「この坂で馬を急がせるな。上り切ったら、馬の脚を見ろ」
「わかった」
「その先へ進むかは、お前が決めろ」
孫娘が顔を上げた。
「……出してもいいの?」
「今、そう言っただろ」
御者は地図から手を離した。
「行くなら、先に客へ話してこい」
孫娘は地図を巻き、乗り場へ向かった。途中で引き返す場合もあると、一人ずつ客に説明した。
魔女は話が終わるのを待って、運賃を差し出した。
「その条件で、向こうの町まで一人」
孫娘は両手で硬貨を受け取った。




