③雨と魔法と、十分に振り返った日
遊園地。
そう、遊園地だ!
いつだ。明日か。
なんてこったい。
ちくしょう、やっちまった。
冷や汗なんかかいてる暇はない。
いまの時間は二十二時……どこにも電話できねぇ。
こうなったら明日、当然の顔して現地に行って、息子と一緒に泣いたらなんとかならないか?
なるかよ。
バカか。
いやいや、待て待て。
そうだ。チケット屋に行って……違う!
パレードは予約が必要なんだろうが。
別れた嫁にあれだけ馬鹿にされて、どうして俺はその場で予約しなかったんだ!
過去を嘆いても仕方ない。
明日だ。
これはまずい。
一日しかないってのに、俺は何をやってる。
待て待て。
じゃあ違う遊園地はどうだ?
駄目だ。
移動距離がある。
なら、遊園地よりもいいものを用意すればいいじゃないか。
では、なんだ?
ええい、邪魔な新聞紙め!
この、この、この、この、この……。
これだ!
流星群!
三十年に一度!
遊園地なんてくそくらえだ。
よしよし。
望遠鏡を用意して――
いや待て。
この新聞によると……曇り予報!?
クソクソクソッ。
いやいや、新幹線だ。
天気のいいところまで行けばなんとか――
いや、金がない。
それに嫁に内緒で遠出したらと思うと、もっと危険だ。
やっとこさ手に入れた、誕生日に二人きりで過ごす権利だ。
これだけは外せない。
告白。
結婚。
出産。
何ひとつ守れなかったが、これだけは守るしかないんだよ!
車!
ガソリン代はかかるが、なんとかなるっ。
駄目だ。
免停中!
じゃあ後輩を呼びつけて――しまった、あいつ帰省中じゃねーかっ!
クソクソクソッ!
やっちまった。
やっちまった!
待て待て待て。
落ち着け。
明日までまだ八時間はある。
八時間で何か……どうすりゃいいんだよ、カーちゃん教えてくれっ。
仏壇に話しかけるなんて、俺も焼きが回ったぜ。
人生はままならない。
こうやって俺は嫁の信頼も、息子の信頼も失って生きていくのさ。
バカッ、バカッ。
何ニヒル面に落ちてんだっ。
よしよしよし。
大丈夫だ。
俺は、悪運だけはあるんだぜ。
しっかりしろ。
頬を叩いて気合を入れろっ。
クソッ。
指が目に入ったぜ!
明日の七時までに全部整えないと駄目だっ。
いやいや。
冷静に考えれば、息子と一緒に準備すりゃいいんだよ。
息子のわがままに、予定を覆せる男。
いいじゃねーか。
よしよし。
じゃあまずは、息子が気になるように、それとなくラインだ。
『星に興味はないか』
ストレートすぎるだろ!
取り消し、取り消し……!
こういう時はどうすりゃいいんだ?
綺麗な星空でも送るか。
そうだ。
父親が好きなものは、子供も好きになるって聞いたことがあるぞ。
それなら、まずは――
『今俺は、夜空を見上げて……』
違う!
今日は雨じゃねーかっ!
待て待て待て。
落ち着け。
煙草だ。
飯だ。
そうだ。
何もできないなら、落ち着いて計画を立てる時間だ。
『夜空を見上げて、コーヒーを飲むとうまいぞ』
違う!
八歳のガキがコーヒーなんて飲むかよ!
『夜空を見上げて、吸う煙草はうまいぞ』
バカかっ!
八歳だぞ!
『星空ライダー参上!』
駄目だ!
落ち着け俺っ!
スパー……。
うまい。
うまいじゃないがな!
そ、そうだ。
電車で行ける範囲で天気のいい山!
いや、海でもいいっ。
どこだ、どこだっ……。
クソ、速度制限め!
神様仏様、通信会社様。
今日だけは通信させてくれっ。
なになに……。
『流星群到来。関東では全域曇り予報』
なら東北か。
いや、関西か!?
だから遠いって!
『ピークは二十一時。雲の切れ間から見られる可能性あり』
なら、それまでに朝合流して!
流星群に誘って!
わがまま言わせて!
必要なもの買いに行って!
電車で山に行って!
完璧だ!
よっしゃ!
寝るぜ!
◇
起きる。
着替える。
新品の服だ。
ずいぶん折り目があるが、いつもスカジャンで行くと怒られるからな。
チャイムを鳴らす。
二歩下がる。
俺は敷地に入ってない。
よし。
これなら怒られないだろう。
遅刻?
これだけ努力してるんだから大丈夫だろ。
さあ息子よ。
この白いワイシャツに身を包んだ俺を見てくれっ!
来ない。
なんでだよっ!!
二度鳴らすか?
また嫌味の一つも言われそうだな。
こうしていると、プロポーズの時を思い出す。
あの時もインターホン越しだったな。
若かった。
『誰』
「お、おう。俺だ」
『……』
沈黙が痛いぜ。
『なんでワイシャツなの』
「そりゃ息子の誕生日で遊園地に行くんだ。俺なりの気持ちだよ」
もちろん昨日から何も変わっていない。
遊園地には行けない。
『アイロンくらいかけなさいよ』
「お……おう。仕事が忙しくてな」
『バイトのくせに』
「息子は?」
『……今日中に返してよね』
「任せとけ」
扉が開く。
緊張するぜ。
ヘビが出るか蛇が出るか。
あれ。
どっちも蛇か。
いや、邪と書いて――
ヘビが出るか邪が出るか、だったっけかな?
「とーちゃん、おはよう」
そう、そうだ。
ヘビが出てくるか、あるいは邪悪、つまりは妖怪が――
「とーちゃん?」
「おう! 流星群に興味ないか」
何やってんだ俺っ!
「ないよ」
「お、おう。でも三十年に一度だぞ?」
「流星群ってなに?」
「流れ星がバァァァァァァァァァだ」
「昼間も見れるの?」
「いや、夜だ」
「じゃあ遊園地いこう」
「い、いや、それは……そう! 場所取りだ。花見の時にするだろ」
「花見したことないよ」
「そのうち分かる。よし、それまでに必要なものを揃えよう」
物の本によるところ、このあたりならあの山がいいらしい。
電車で三十分くらいか。
その手前の町でドンキに寄って買い物だ。
よしよし。
あ。
やべ。
子供料金でよかったのか。
「いいか。今日はお前は大人だぞ」
「子供料金でいいのに。半額だし」
「いや、これは男と男の冒険だっ」
「よくわかんない」
「そのうち分かる」
改札に切符を入れるところがねぇ。
最近のカードで払うやつか。
どこに入れるんだ?
「とーちゃん、ここだよ」
「おう、あんがとな。お前は?」
「カードある」
「タッチチゴーってやつか」
「タッチアンドゴー」
「それだ」
電車に乗った。
「楽しいな!」
「まだ電車乗っただけだよ?」
「お前と一緒ならどこでも楽しいよ」
「分かんない」
そこは分かってくれよ。
「何か腹ごしらえするか。何がいい? お子様ランチか」
「牛丼食べたい」
「そんなもんでいいのか?」
「うん」
「じゃあ特盛二つだな」
「食べられるかな」
「いいさ。今日は冒険の日だ」
「そうだね」
いいこと言ったぞ俺っ!
◇
買い物もした。
飯も食った。
ゲフ。
特盛二つは、さすがの俺もキツい。
しかし、流星群は肉眼がいいらしい。
てっきり俺は、望遠鏡がいいと思ってたぜ。
店員には感謝しないとな。
さすがはドンキ。
息子は寝ちまった。
小さい手。
小さい体。
寝息だって、こんなに近いのに聞こえない。
俺だって、本当は遊園地に連れていってやりたかった。
ずっと一緒にいてやりたかった。
毎日大きくなっていく息子を見ていたかった。
俺に似て、背はでかくなるだろう。
おやじはよく言ってた。
俺の肉を食べて、お前はでかくなれって。
おやじが死んだ時は、骨と皮だったっけな。
俺が肉を食べすぎたせいだ。
父親を食って、子供はでかくなる。
必要なら、腕でも足でも食ってもらっていいと思ってる。
電車の窓から、いくつもの風景が流れては消えていく。
時間と同じように止まらねぇ。
たまには駅に止まる。
そん時だけ、俺は話せればいい。
ずっとこのまま、駅に止まってくれればいいのに。
俺のおやじも、似たようなこと思ってたのかな。
片親。
ろくでもない仕事をしている親父の息子。
後ろ指をさされるたび、俺はおやじまで嫌いになった。
おやじが悪いとは言わない。
別に恨んでもいない。
ただ、いつも汚れ仕事をしている父親が嫌だった。
ちゃんとしたスーツ。
ちゃんとしたネクタイ。
ちゃんとした、父親。
そういうものに憧れた。
どうしても比べちまった。
結局、俺もおやじの子供だ。
同じミスばっかりする。
大切に思っても、気持ちばっかりだ。
今日は。
今日だけは、いい父親だ。
悩みを聞いて。
諭して。
ごはん食べさせて……。
でも、なんて声をかければいい?
さっき食事の時も、俺は食べるのに必死だった。
食べ終わってから、じっと息子を見た。
食べきれない事は分かってた。
俺のおやじも、よく見てた。
速攻で食べ終わって、俺がもそもそ食べてるところを見てた。
俺は、じっと見られて、睨まれているようで嫌だった。
プレートで顔を隠すように食べたっけか。
さっきの食事は、微笑ましかったな。
自分の顔より大きなどんぶりを、たどたどしく抱えて食べてる。
思わず笑いそうになる。
でも、笑ったら悪い。
だから我慢しながら、息子が食べる様子を見つめてた。
そん時、気づいたんだよな。
睨んでたんじゃないんだって。
「暑いかも」
「抱きついて悪かったな」
「大丈夫」
「なあ。会わせたい人がいるんだけど、寄り道していいか?」
「いいよ」
◇
墓の前に立つなんて、何年ぶりだ。
「水かけてくれ」
「うん」
汚れた墓石を洗ってやる。
ずいぶん来なくて悪かったな、おやじ。
これが俺の息子だ。
かわいいだろ。
実は俺、また約束ってやつ破っちまった。
駄目な父親だよ。
そして、駄目な子供だったよ。
今日は綺麗にしてやるからな。
「俺のお墓?」
「俺の父親。お前の爺様が寝てるところだ」
「どんな人だった?」
「俺たちによく似てる」
「そっか」
「ああ」
「僕も綺麗にしたい」
「いいぞ。まずはな、水をかけてな。こうして……」
◇
結局、空は晴れなかった。
曇り空でも、西の空だけが赤く燃えていた。
「なあ」
「なに?」
「もう遊園地にも行けないし、流星も見られそうにないけどさ。何かやりたいことはないか」
「……」
雨が降ってきた。
そうだよな。
やっぱり遊園地だったよな。
そりゃそうだ。
子供は結局、遊園地が好きだ。
「お風呂であわあわしたい」
「あわあわ?」
「前に一緒にしたやつ」
「ああ。シャンプー溶かして泡だらけにしたやつか」
「うん」
「よっしゃ。全部入れるか。一本」
「いいの?」
「いいさ。今日はどうせ怒られるんだ」
「やった」
「よし。また買い物に行くか」
「ドンドンドン?」
「ドンドンドンだな」
背後で、何かが勢いよく空を駆け抜けた。
雲が裂けた。
その向こうに、夜空が広がった。
けれど俺たちは、振り返らなかった。
誰かが叫びながら、雨の中を俺たちの横を追い抜いていった。
俺たちは鼻歌まじりで、家へ帰った。
器用な事をやろうとして、器用になれなかった話です。




