第二.五章商会飛躍編 第33話「リリアとラナ」
あらすじ
清王朝初期、王朝拡大に大きな影響をもたらした摂政王ドルゴン。
徳川家康の孫にして、豊臣秀頼の正室・千姫。
権力の絶頂期に若くして急死したドルゴンと、
大坂夏の陣で落城寸前だった千姫は、
突如見知らぬ世界へと身一つで飛ばされる。
そこから成り上がる二人の物語。
千姫とドルゴンは策を巡らせて、ハルトマン商会を掌握する。
王宮の奥にあるという帰還の鍵を手に入れるために、
二人は王宮に近づくために商会を大きく飛躍させるべく動く。
主な登場人物
ドルゴン:清朝初期の権力者・摂政王
ハルトマン商会番頭に就任
千姫:徳川家康の孫・豊臣秀頼の正室 猫かぶりのお姫様
紆余曲折を経て、ハルトマン商会商会長となる
フカ:逃亡奴隷、ドルゴンにフカと名付けられる
河野:ドルゴンの部下となった日本人女性 人の醜聞を覗くことが生きがい
ヨアン:妹を買い戻すためにドルゴンの部下となった元丁稚の少年
エルドリン:繁華街で火起こしの術を披露している大道芸人 ダルガの食客
ルーヴァ:エルドリンの孫 聡明な頭脳と術師の血統を持つ
ブリギッタ:ダルガの管理人となった老婆
オズヴァルト:商会倉庫の荷役統括⇒倉庫長
ミルガ:娼館の呼び込みにして、自称街の情報屋
ラドウィン:小所帯の傭兵部隊の隊長
ラナ:狼族の美しい少女 千姫直臣
リリア:ハルトマン商会長 我儘お嬢様⇒使用人に落とされる
主な用語
ハルトマン商会:ドルゴン、フカが働いている商会
正社員:幹部
準社員:従業員
ダルガ:ドルゴンの屋敷、転じてドルゴンの私的組織
術わざ・奇跡の術:体内の血肉を違う形に変換する術のこと。街の人たちからは魔法と呼ばれる
「リリアとラナ」
「リリア、ここにある燭台の蝋燭を、すべて新しいものに取り換えなさい……」
「こ、こんなにたくさん……できるわけないじゃない……」
二人の前には、屋敷中から集められた燭台が、百個近くも並べられていた。
「言い訳は聞きません。終わらなければ、今夜の食事は抜きです」
「わかった……わかったわよ……やればいいんでしょ……」
文句を言いながら、リリアは不器用な手つきで蝋燭を取り換え始めた。
河野は、リリアの作業を監督できる位置に腰を落ち着けると、手元の書類に目を落とし、事務仕事を始めていった。
使用人として扱われるようになったリリアは、このように河野から仕事を命じられていた。
その頻度は、はっきり言って多いわけではなかったが、命じられる内容は、地味で、ひたすら手を動かし続けなければ終わらないものばかりであった。
今まで使用人の仕事などしたことのないリリアは、作業に手間取り、普通の使用人の倍近い時間を要していた。
リリアは手に生傷を作りながらも、何とか仕事をこなしていた。
リリアが作業を続けている、その最中だった。
「コウノさ……コウノ……これ、お千からです……」
「あら、ラナ様、ありがとうございます」
ラナが、千姫の使いとして河野のもとを訪れていた。
ラナは、リリアが苦戦しながら作業をしている様子に気が付いた。
「おリリ……あたいも手伝うよ!」
そう言って、ラナはリリアに近づいた。
「ラナ……ありがとう……」
リリアは嬉しそうに返事をした。
その時だった。
「リリア」
河野の一喝が飛んできた。
「ひっ……」
リリア、そしてラナは、その一言にびくりと身をすくめた。
「主の直臣の方を呼び捨てにするのは無礼です。“ラナ様”とお呼びなさい」
「えっ……だって、この子は……」
リリアは戸惑いを見せた。
「コウノさ……コウノ……この子は友達なんだ。いいだろ、この子は“ラナ”って呼んでも……」
「いえ、ラナ様。上下の秩序は守る必要がありますわ」
「……秩……序……」
ラナは河野に対して、すぐには言い返すことができなかった。
「さあ……リリア」
河野は、リリアに圧をかけるように言葉を重ねた。
「ラ、ラナ……さ……」
リリアは、明らかに怯えながら言い直した。
その様子を見たラナは、はっきりと憮然とした表情を浮かべた。
「コウノ……この子は“ラナ”って呼んでもいいんだよ……!」
ラナは、怒りに任せるように河野へ言い放った。
河野はラナと視線を合わせ、その場で対峙した。
「……畏まりました。ラナ様……」
河野はそう言って引き下がった。ラナは、なおも河野に厳しい視線を向けたままだった。
「……おリリ、やっていこう……」
「う……うん」
リリアは小さく返事をし、二人は作業に取りかかろうとした。
「ラナ様……」
その時、ラナの背中に声がかかった。
「何……コウノ……」
ラナは怪訝な表情で振り返った。
「先ほどの調子でよろしいですよ……」
そう言って、河野は再び自分の仕事へと戻った。
ラナは、その一言に少しきょとんとしつつも、リリアの作業を手伝い始めていった。
◆
「ねえラナ、あなたはどうしてそんなに耳が大きいの?」
「おリリの声を、よく聞くためかな……」
「ねえラナ、あなたはどうしてそんなに目が大きいの?」
「おリリのことを、よく見るためかな……」
「でもあなた、口の大きさは……私とあんまり違わないのね?」
「そ、それは……そうなってるんだ……仕方ないだろう」
「何よ、それ……フフ」
リリアとラナは、たわいもない話をしていた。
リリアはときどき河野から仕事を与えられていたが、常に忙しいわけではなかった。
リリアは手が空いた時間に、ラナのもと、すなわち千姫のいる場へ足を運ぶことが多くなっていった。
リリアは、これまで獣人を見たことがなかった。
また、初めて目にした獣人であるラナが、清潔感を備えた、よく整えられた容姿をしていたこともあり、
リリアは獣人に対する偏見をラナに向けることがなかった。
ラナは、リリアから偏見を向けられていないことを、体感的に感じ取っていた。
そのためラナは、千姫と同様に、リリアに対して自然と親近感を抱くようになっていた。
千姫は、二人の会話をしり目に、自らの仕事を淡々とこなしていた。
その後ろには、千姫の元に戻った羽織が衣桁を模して作られた家具に掛けられて飾られていた。
千姫は、リリアとラナの間の行動について、特に咎めることはしていなかった。
「千姫様、お菓子をお持ちしました。休憩なさってください」
そこに河野が訪れ、千姫に休憩を促した。
「うむ、そうじゃのう……ラナ、一緒に食べようぞ」
「ああ、お千、わかったよ」
そう言って、ラナは千姫のもとへ向かおうとした。
その時、ラナの目に、戸惑いを見せるリリアの様子が入った。
「おリリも、一緒に食べようよ……」
ラナは、ためらう様子もなくリリアに声をかけた。
リリアは一瞬、その呼びかけに応じかけた。
「リリア、控えなさい」
だが、河野がリリアを制止した。
その一言に、リリアはその場で固まってしまった。
「コウノ……いいだろ、おリリも一緒に食べたって……」
「ラナ様、リリアは使用人です。千姫様、ラナ様とは身分が違います」
河野は、身分の差を持ち出して、その頼みを退けた。
「そんな……なあ、お千、いいだろ……」
「コウノの言う通りじゃな……」
ラナは助けを求めるように千姫に声をかけたが、千姫の返答はそっけないものだった。
その態度に、ラナは肩を落とした。
「のう、ラナ……リリアを誘いたければ、己でどうにかしてみよ……ラナには、その力があるはずじゃぞ……」
「えっ、それって……」
千姫の一言に、ラナは戸惑い、少し考え込んだ。
そしてしばらくして、「あっ……」と小さく声を上げた。
ラナは意を固めるように、河野の方へ向き直った。
「コウノ……リリアも一緒に食べるから……リリアの分も用意しなさい!」
それは願いというより、命令に近い響きを帯びていた。
「……畏まりました、ラナ様」
河野は静かにその言葉を受け入れた。
やがて、リリアの分のお菓子も用意された。
「おリリ、よかったね」
「う、うん……」
リリアは複雑そうな表情を浮かべながらも、ラナの誘いに応じ、二人と同席した。
その一連の様子を、千姫は静かに見守っていた。
◆
そして、しばらく日が経った頃だった。
「おリリ、あたい、いいこと思いついたよ!」
そう言って、ラナはリリアを連れて、河野のもとを訪れた。
「ラナ様、何でしょうか?」
河野は、ラナの来訪の理由を尋ねた。
ラナは呼吸を整え、河野を見据えた。
「コウノ……これからは、リリアもお千の“直臣”とします」
そして、ラナは河野に向かって、そう言い放った。
その顔には、自信が満ちていた。
「ラナ様……その命令は、承れませんわ」
河野はそう言って、静かに頭を下げた。
「え……ダメなのかい……」
ラナは当てが外れ、戸惑いを見せた。
「そのご命令は、ラナ様の領分を超えております。人事についてご命令ができるのは、千姫様だけですわ」
河野は冷静に、ラナの直臣としての職権の範囲を示した。
「よし、それじゃあ、お千に頼んでみるよ! 行こう、おリリ」
「う、うん」
ラナはリリアを連れて、部屋を走って出ていった。
リリアは一瞬だけ河野の方を向いたのち、ラナに付いていった。
河野は、二人が部屋から出ていくのを目で追った後、再び自分の仕事に目を落とした。
◆
「……ダメじゃな」
リリアを千姫の直臣にしてほしいというラナの願いを、千姫はすぐさま却下した。
「ええっ……そんな、お千……頼むよ……」
ラナは千姫の答えにがっかりしつつも、なおも食い下がった。
「そもそも、直臣とは真に信頼のおける者がなれるものじゃ。リリアはそれに値せんの。
そして、ラナ、お主も直臣とはいえ、まだまだそれにふさわしい礼儀作法を身に着けてはおらぬではないか……」
千姫は、ラナの要求が叶わない理由を整然と説明した。
「う……それは……」
ラナは自分の実力不足を指摘され、すぐには返す言葉が出てこなかった。
「じゃ、じゃあ、あたいが直臣にふさわしい礼儀作法を身に着けて、おリリがお千の信頼に値するようになったら……」
「そのときは……考えてやらんこともないの……」
千姫は、ラナの願いが叶う可能性のある道筋を口にした。
「よし、それじゃあ、あたい頑張って、一日でも早く直臣にふさわしい礼儀作法を身に着けてみせるよ……」
「ふふっ……期待しておるぞ……」
千姫は、ラナの宣言を好意的に受け止めた。
「おリリ、あたい頑張るから。おリリも、お千から信頼されるように頑張ろうね」
ラナは張り切って、リリアに言葉をかけた。
「ラナ……」
リリアは、ラナの呼びかけにしっかりと答えることができなかった。
◆
そして、またしばらくして――
「ラナ、ちょっといいかしら」
リリアは、ラナと二人きりになった機会に、ラナへ話を切り出した。
その表情には、覚悟が秘められていた。
「どうしたんだい、おリリ。そんなに思いつめた顔をして」
ラナはリリアの表情を見て、リリアの方へしっかりと向き直った。
「……その……」
リリアは、どう言葉を切り出すか迷った。
「あの子、サラ……いえ、千姫様って……本当にこのお屋敷のお嬢様なのかしら?」
そしてリリアは、意を決して、ラナに一つの疑念を示した。
「おリリ……」
ラナの表情が曇った。
リリアはその様子を見て、自らの不安をさらに大きくし、鼓動を高鳴らせた。
「それ、どうしてそう思ったの?」
「それは、その……そう、この前たまたま、千姫様と……あの……コウノさんの会話を聞いたのよ……それで……」
ラナの問いかけに、リリアは返答に窮した。
そしてリリアは、取り繕うように答えた。
リリアは、自らが屋敷のお嬢様であるということを名乗り出せなかった。
「そうか……おリリ……その話は誰にも言っちゃダメだよ……」
ラナは真剣な表情で、リリアに迫った。
ラナには、千姫が偽物かもしれないというリリアの疑念に動揺する様子は見られなかった。
その様子を見て、リリアは表情に出さないまま落胆した。
「ラナ……それって……」
「おリリ……これは内緒の話なんだけど……おリリは気づいてしまったようだから言うね……。
でも、絶対に誰にも言っちゃダメだからね……」
ラナの言葉に、リリアはこくりと縦に首を振った。
「お千はね、この屋敷の本当のご主人様であるお嬢様を探しているんだ……」
ラナは、千姫から聞いた話をリリアに聞かせた。
前の屋敷の主人が急に亡くなり、カロリーネという悪い夫人が力を持ったこと。
カロリーネは、新しく商会長になった血の繋がっていないお嬢様と仲が悪く、そのお嬢様を閉じ込めていたこと。
そしてカロリーネは、お嬢様と背丈が似ていた千姫を、その代わりとして表に立たせていたこと。
ある日、カロリーネが屋敷を突然去ってしまったこと。
残った千姫はお嬢様を探したけれど、見つけられなかったこと。
ラナは、それらをリリアに伝えた。
ラナの話は伝聞であり、ラナ自身の主観も入り込んでいた。
さらに、ラナ自身が状況をうまく説明する言葉を持っていなかったため、その内容はかなり曖昧だった。
それでも、ラナの話にはリリアの知らない情報が含まれており、リリアは現在の自身の状況の輪郭を知ることができた。
リリアは、この時初めて、自分がハルトマン商会の商会長となっていることを知った。
「……それで、お千はいなくなったお嬢様を探して、商会をきちんとお継ぎいただきたいから、その間だけ商会長の役目をこなしているってわけなんだよ……」
「そう……だったのね……ねぇ、ラナ、そのお嬢様って、どんな人だったのかしら?」
リリアは、ラナの話を聞き終えると、ラナに真剣な表情を向けた。
(ラナ……そのお嬢様は……私……私なのよ……お願い、気が付いて……)
リリアは、ラナに自分の正体に気が付いてほしかった。
「どんな人だったんだろうね……お千からは……可憐で……」
リリアは、その言葉を聞いて、思わず姿勢を正した。
「お淑やかで……」
リリアは、その言葉を聞いて、硬い表情を少し緩めた。
「とても立派な人だったって聞いている。……早く見つかるといいね……おリリ」
だがラナは、リリアをいなくなったお嬢様に結びつけることはしなかった。
ラナの中では、本物のお嬢様は、千姫よりもさらにすごい雰囲気を持つ人物であるという像が固まっていた。
その像を、ラナは目の前のリリアに重ねることができなくなってしまっていた。
「え、えぇ……そうね、ラナ……私……いえ、なんでもないわ……」
ラナの中で形づくられた理想像が高まるにつれ、
リリアは、自らがその人物であると名乗り出た場合に失望されるのではないかという感覚を抱いた。
結局リリアは、ラナから語られるお嬢様の姿と自分自身との隔たりを感じ、ラナに失望されることが恐くなった。
そのため、リリアは自らがそのお嬢様であることをラナに名乗り出ることができなかった。
そしてリリアは、ラナが自分の正体に気が付かないことを知り、落胆した。
リリアはラナの胸元に身を寄せ、静かに涙を流した。
「おリリ……どうしたんだい」
「なんでも……ないわ」
ラナは、泣き出したリリアに困惑しつつも、リリアの涙を胸元で優しく受け止めた。
しばらくして、心を落ち着かせたリリアの中には、一つの決心が固まっていた。
(……よし、決めたわ……)
◆
「どうしたんじゃ、リリア? 話があるとは」
リリアは覚悟を決め、ラナと河野が居合わせている場で、千姫に願い出た。
「……千姫様……私も、ラナと一緒に礼儀作法を学ばせてくださいませ……」
リリアはそう言って、深々と頭を下げた。
(……本物の礼儀作法を身に着けて、この子を、サラを超えて、私こそが本当のお嬢様であることを、ラナに気が付いてもらうんだ……)
リリアの中には、その覚悟が固まっていた。
「おリリ……」
ラナはリリアの申し出を喜び、期待を込めた表情で千姫を見た。
千姫と河野は表情を崩さなかった。
しかし、二人はリリアが自分から頭を下げたことに、内心では驚いていた。
「ふむ、そうじゃのう……構わぬぞ……リリア」
「ありがとうございます」
少し考えた上で、千姫はリリアに許可を与えた。
その言葉に、河野はわずかに驚いた表情を見せた。
「やったね、おリリ。これからよろしくね……」
「……えぇ……よろしく、ラナ」
ラナとリリアは、許可が与えられたことを喜び合った。
「よろしかったのですか?」
喜び合う二人をしり目に、河野は小声で千姫に問いかけた。
「よかろう……今は人手が足らぬ。リリアにも役に立ってもらわねばならぬしの……それに、ラナも稽古に身が入るであろう……」
千姫は余裕を持った表情で答えた。
「かしこまりました……」
河野は頭を下げ、千姫の決定に言葉では従った。
しかし、その隠かくれている表情には、複雑な感情がにじんでいた。
ドルゴンという人物が好きで書いた妄想小説です。
楽しんで頂けたら幸いです。
次回:「侵入者」2026/5/22 20時投稿予定




