休み明けの憂鬱
休み明けってのは、どうにも体がだるくて仕方ない。
アジュイは重い体を起こし、大きく伸びをした。以前なら、休みを挟めば、気分はどうあれ体の調子は戻っていた。しかし最近、疲れが完全に抜けきれない。まだ年齢を感じるような歳ではないはずなのに。
頭から水をかぶり、意識をシャキッとさせる。原因はわかっている。自分が担当する四階層から、あまり鉄鉱石が採掘されないためだ。鉱山で鉄鉱石が採掘されないなんて、鉄の街ミネラにおいて前代未聞の大問題だった。今のところ、領主や鉱山関係者など一部の人間のみで情報はシャットアウトされ、関係者全員にかん口令が敷かれている。他の階の採掘量で四階の穴埋めを行ってはいるが、いずれ破綻するのは目に見えていた。
早く結果を出さなければ。そういうプレッシャーが常にアジュイたちに圧し掛かっていた。一度や二度なら、こんなこともあるか、魔道具の不調かと気を取り直すこともできる。けれど、四階の半分の面積を掘ってもまだ出なければ、さすがに焦りもする。やましいことは何もないのに、疑われていると、自分が何かしたのではないかという気持ちが沸いて、それも胃を重くしている一因となっている。誓って裏切ることなどありえない。仕事はきついが、やりがいもあり、手当ても厚い。気の合う仲間に巡り合えた、良い職場だ。だから、自分にできることは何でもやっている。早く掘れるように試行錯誤を繰り返し、藁にも縋るような思いで様々な手法を試している。
結果さえ、鉄鉱石さえ出れば、気持ちも疑いも晴れる。今はそう信じて、仕事をし続けるしかない。
現場に到着し、いつものように作業着に着替え、持ち物のチェックを受け、鉱山入り口に整列する。
「アジュイ、調子はどうだ?」
現場責任者のスァーヴァが声をかけてきた。
「ぼちぼちです。でも、イワセの奴は」
見渡しても、自分たち四階担当チームの最年少が見当たらない。ひと月ほど前から調子を崩し始め、数日前、とうとう作業中に倒れてしまった。いつも率先して自分たちの先頭を行く元気な奴だったのに、倒れた時は真っ青な顔をしていたのを覚えている。
「ああ、まだ調子を崩しているみたいだ。あいつのおふくろさんがさっき来て組合長と話してた。もしかしたら、このまま辞めちまうかもしれん」
鉱夫の仕事は体への負担がどうしても大きくなる。無理をして体を壊し、やめた人間は少なくない。だが、それは何年も務めた人間に良くある話だ。イワセのようにまだ日が浅く、若い人間が一年もしないうちに体を壊すとは考えづらかった。
「どうしたんでしょうね。元気だったのに」
「わからねえ。医者も原因不明でさじを投げたって話だ」
さらに気持ちを暗くする話題にうんざりしていると、事務所から組合長が出てきた。その後ろに、見慣れない男がいた。
「皆、聞いてくれ」
組合長が後ろについてきていた男を横に並べ、紹介する。
「先日倒れたイワセの体調が、残念ながらまだ良くならない。本人は這ってでも来ようとしたらしいが、家族と医者が何とか押しとどめた。おそらく本人も、四階から鉄が出ないことに責任を感じているのだろう。我々がイワセにできることは、早く鉄鉱石の鉱床を掘り当てて、結果をあいつに報告し、安心させてやることだ。気持ちが楽になれば、イワセも落ち着いて療養できるだろう。だが、イワセが抜け、現実的に人員が不足しているのも承知している。そこで今回、鉱夫を新しく臨時で雇うこととなった」
組合長に促され、男が一歩進み出る。
「ムトと言います。田舎から出稼ぎでミネラに来ました。よろしくお願いします」
ムトと名乗った男が頭を下げる。
「ムトはこのまま四階のチームに配属となる。スァーヴァ、面倒を見てやってくれ」
組合長の指示に、スァーヴァが驚く。
「いきなりですかい? 最初は一階や二階で坑道の環境に体を慣らさせた方がいいんじゃないのか?」
坑内は暗く、狭い。初めて入った人間の中には、息苦しさや言い知れぬ恐怖を感じ、時に発狂してしまう者もいる。最初は出口に近い場所で徐々に体を慣らすのが通例だ。
「その点については問題ないそうだ」
組合長に促され、ムトは頷いた。
「はい。鉱山ではないですが、似たような状況下で働いていた経験があります。暗闇も閉所も問題ありません」
「そこまで言うなら、こっちに拒否する理由はないが・・・。だが、良いか。無理だけはするなよ。気持ち悪くなったらすぐ言え」
イワセのことで、スァーヴァは責任を感じている。新人の体調管理も彼の仕事だからだ。
「ありがとうございます。異変に気づいたら、必ず報告します」
新人は笑った。爽やかで、いかにも若者らしい実直さ、好感の持てる真面目さに満ちていた。だから気のせいだろう。自分たちと話している中でも、目の奥はまったく笑っていないように見えたのは。
職場に向かう彼らを組合長は見送った。平静を装ってはいるが、内心と背中にはびっしょり冷や汗をかいていた。
自分で言うだけあって、新人は特に体の不調を訴えることもなくよく働いた。もちろん初めての作業なので、戸惑うことも手間取ることもあるが、教えればきちんと学び、丁寧に仕事を行ってくれた。体力もあるし、正直、期待以上だ。イワセのことを抜きにしても、長く働いてもらえればと思う。
「よし、今日はここまでだ」
スァーヴァが時計を見ながら言った。坑道の中は陽が当たるわけではないので時間の感覚が希薄だ。そのために進捗状況や作業時間を時間で管理している。
「予定の距離まで進められたな。明日、魔道具を使用し、鉱床を確認、採掘作業に移行する。明日こそ、この階層から鉱石を掘り出そう」
自分と鉱夫たちを鼓舞するように言い、今日は解散となった。全員で後片付けを行う。所定の位置に置いておいた自分のねこに工具を運び込むと、中にはアレがすでに入っていた。植物で作った筒だ。いつも助かる。こいつがあれば、みんなも楽になる。
工具と入れ替え、それを懐に隠して工具を取りに戻るふりをして明日採掘予定の場所へ戻る。
「おい、どうしたんだ?」
「うっかり忘れものをしちまって。ちょっと取ってきます」
スァーヴァの問いかけに内心どきりと心臓を跳ねさせながらも、きちんと返事ができた。周囲の薄暗がりも表情のぎこちなさを誤魔化すのに一役買ってくれている。
「そうか、足元気を付けろよ。最近妙に滑りやすいからな」
「了解です」
スァーヴァは疑うそぶりもなく、先に出口へと向かった。危ない危ない。なぜこれを秘密にするのかわからない。これがあれば、自分たちの仕事はもっとはかどるのに。
まあ、そういう約束だから仕方ない。作業場に戻り、懐に隠し持っていた筒を取り出し、わざと忘れた水を噴出する魔道具の噴出口に沿える。疲れた体にムチ打ち、掌に力を籠める。魔力が握りこんだ箇所から流れ込んでいく。さあ、もう一仕事だ。
「動くな」
体温が急激に下がったような錯覚に陥った。首元に添えられた刃の冷たさは血液に伝播し、全身を巡っていく。心臓だけが激しく熱く動き、体中から汗が噴き出す。
「そのまま、魔道具と筒を捨てろ。言う事を聞いてくれさえすれば、危害は加えない。けれど、少しでも妙な動きをすれば、命を捨ててもらうことになる。それは、あまりお勧めしない。僕としても、現場がさらなる人員不足で大変になるのは忍びない」
暗闇から全く目の笑っていない笑顔が浮かび上がる。震え、こわばった指を開いた。湿った音が坑道内に反響した。