兄sの日常
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私の視界にその人が映った瞬間、私は声を発していた。
「ねぇ、兄様。直近でラルフの時間が取れるのはいつ?」
「折角久し振りに顔を合わせたのに仕事の話かい?」
珍しく夕飯時に姿を見せた兄様に脊髄反射で話しかけてしまった。ここ数日登城のタイミングを見計らっていたのだが、肝心の兄様が多忙で捕まらず途方に暮れていたのだ。しかし直ぐに疲労の色濃い相手に配慮が足りなかったと思い至り、私の眉がしゅんと急激に下がる。そんな私の情けない顔に優しい兄様は苦笑で納めてくれた。
「一番早くて明日の晩餐頃。それを過ぎると暫く難しいかなぁ……」
「えっ!? でも明日の晩餐頃って確か……?」
「うん。舞踏会だね」
「……私、正式なデビュタント前にあまり悪目立ちしたくないんだけど……」
「うん。だから、ホールに出なきゃ良いんじゃない?」
にっこり音が聞こえるように微笑む兄様に私は呆れた。
「……主役が不在とか、如何なものかと思いますが」
流石に非難の視線を浴びせれば、
「……そんなに込み入った話なの?」
逆に詮索の視線が返ってきた。
「いえ、用件自体は秒で終わります」
「じゃあ、問題ないでしょう?」
再び綺麗な笑顔を寄こした兄様にサッサと予定を決められてしまった。流石王太子付き筆頭近侍である。元から何でも出来る人であったが、正式に職務について数年でめっきめきその能力を上げている。……兄様こそチートではないだろうか?
「ふふ、たまには殿下にも飴をあげないとね」
「兄様……」
ふっと柔らかく浮かべた微笑にじんわり胸が温まった瞬間、
「そうしてナターシャが来たのはただの業務連絡だったと知って落胆するが良い」
ぼそりと落された黒い呪詛に台無しにされたのだった。
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私は約束の時間より少し早めに宮殿入りしていた。
悪目立ちせぬよう、そこそこの装いで招待客に紛れて入城し、そそくさと指定された一室に入る。
兄様の計らいでラルフに来報は知らせていない。舞踏会の適当なところで、兄様が休憩と称して王族用の休憩室に連れてきてくれるそうだ。その部屋に私は今待機している。これなら仰々しくならないし、すぐに終わる話にわざわざ忙しい時間を用意して貰う必要も無くなるので、却って良かったなと兄様の手腕に脱帽した。私がどうしたいのかをちゃんと読み取ってくれるのだから本当に敵わない。
せめてラルフが少しでも休める様に、部屋付きの侍女さんにお願いして何時でもお茶が出せるよう準備して貰った。
一方その頃、ダンスホールでは――――……
煌びやかなシャンデリアに照らされたフロアは、見目麗しい色とりどりの花たちが咲き乱れ、まさにこの世の春の様に光り輝いていた。
そんな中、能面のような笑顔を貼り付けて群がるご令嬢の中心にいたラドクリフは――表情は笑みのまま微動だにさせず――その心中で盛大に悪態づいていた。
(どいつもこいつも欲望を隠しもせずよくやるものだ……)
社交界デビューをして早三年。19歳になったラルフは更に手足も伸び、絵に描いたような貴公子へと成長していた。サラサラと揺れる細い金髪は長く、首の後ろで一つに束ねている。精悍というよりは華奢な優男の風貌で、少し伏し目がちになればその長い睫が影を落とし、アンニュイな色気が振りまかれる。
そんな年頃の王太子をほっとく令嬢などいないだろう。皆躍起になってお近づきになろうとするものだから、一たび社交界に出れば毎度ラルフはもみくちゃにされるのだ。最早風物詩とさえなっていた。
しかし、それだけでこの熱狂は成り立たない。
お近づきになりたいご令嬢たちの目当てのもう片方が音も無く現れた。
「殿下、そろそろ少し休憩なさいませんか?夜はまだ長いですから、少しでも多くのご令嬢と踊られたいでしょう?」
ラルフとはまた違う人形のような精緻な美貌を振りまく氷の貴公子――ナハディウム――が姿を見せた事でご令嬢たちは更に舞い上がった。
濃青色のストレートヘアはサイドだけ長く、後ろ毛は首の辺りで整えられ、すっきりバランスの良い金眼が実に涼やか、冷静で知的なナハディウムの風貌に良く似合っていた。
今や社交界を二分するツートップの出現に黄色い悲鳴が所々で上がっている。そこに淑女の影は無く、最早熱狂ファンの雄叫びだ。それをそよ風だと言わんばかりに涼し気に躱して、ナハトがラルフをあっという間に連れ去る。有無を言わせぬその流麗な動作に第三の勢力が沸いた。
そう、俗にいう腐った方々だ。
「嗚呼、お二人が尊過ぎて息が出来ないわ!」
「お気を確かに! これから短いとはいえお二人の時間が始まりますのよ!」
「独占欲に駆られたナハディウム様……か、神よっ」
「いいえ、煽らせて気を引くいたずらなラドクリフ殿下こそ至高!」
右だ左だで阿鼻叫喚の第三勢力の囀りは、同等の熱気に包まれた夜会会場の高い天井に霧散していった。
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先触れが殿下の来報を告げ、私はティーセットにお湯を注いだ。
兄様たちが来たら人払いされる手筈になっている。程なく、部屋の扉を開く者がいた。
「休憩なんて粋な計らい、珍しいじゃないか。一体どういう風の吹き回し―――」
人目の無くなった室内で漸く私的な軽口を叩きながらラルフが私を見つけた。――刹那、物凄い速さで近付いてくるラルフ――しかも無表情で怖い!――に、お決まりの様に抱きつかれる未来を幻視した私の想像は、光の速さで割って入った兄様によってキャンセルされた。
ベシン。遠慮なく頭を叩かれたラルフがその勢いのまま地面にひれ伏す。が、即座に立て直したラルフは涙目でナハトに食って掛かった。
「だから、お前は私を敬えと何度言ったら「俺の辞書に載ってません」」
絶句。青ざめたラルフだったが、私を指さして言い募った。
「……毎日朝から晩まで多忙を極める私へのご褒美「なわけないでしょう」」
とまたしても最後まで言えないラルフにどこまでも兄様は冷ややかだ。
「大体、あんたが多忙を極めているときはこっちだって同じなんですよ。俺が褒美を欲しいくらいだ」
言ってこれ見よがしに兄様が私をハグした。
……兄様sは相変わらずである。
「騙された!」と床に沈むラルフに、私はお茶の用意が出来たことを淡々と伝えた。
「それで急にどうしたんだい?」
応接セットにゆったりと腰掛け、優雅にお茶をたしなむのはまごう事無き王子様。……ホントにさっきまでぎゃいぎゃいやってたのと同一人物なのだろうか?私はうっかり疑いの眼を向けてしまったが、相手はそれすら嬉しそうにニコニコしている。
(……く~ちゃんがチワワなら、ラルフはゴールデンレトリバーね)
詮無い思考を振り払って私は目的を伝えた。
「突然で驚くと思うんだけど、端的に言えば、く~ちゃんたちとの慈善活動にラルフの名前を貸して欲しいの……」
「うん、いいよ」
……秒で終わった。
「え!? 一応説明的な話は」
「必要無いよ」
……本当に終了した。
「だって私はナターシャを信頼しているからね! で、話はそれだけかい?」
「え、……はい」
言えばいそいそと隣に腰掛け直すラルフ。
「……今日の装いも魅力的だね。何で君は会場にいないのだろう?」
無駄にキラキラをまき散らしながらラルフが私の手を取ろうとした瞬間、
「さあ、殿下。しっかり休憩も出来たでしょう? 会場でご令嬢方が首を長くしてお待ちですよ?」
ナハトに首根っこを掴まれて苦鳴をあげた。そのままズルズルと引きずられていく、その様はまさにドナドナだ。
「あ、ナターシャ。このまま少し待っていて。これを会場に放り投げたら家まで送るから」
「な、お前ずるいぞっ!!」
「は? 何言ってるんですか。兄が夜分に可愛い妹を放置するわけないでしょう? あんたは此処でお役目を果たしてください。……とっとと婚約者見繕え」
「ナターシャの前でそういう話をするなっ!!」
喚くラルフをものともしない兄様に、私は大人しく了承の膝を折った。……無力な私を許して、ラルフ。敬礼!
久々の兄s回だったのだけど、相変わらずわやわやし終わりました。哀れ、ラルフ……




