変装
翌朝。
現地視察に向かう準備中の父様を呼び止め、とある了承を貰った。
その引き換えに、腕の傷が治るまでは自宅謹慎を厳命される。父様にも心配をかけた事は申し訳なく思っていたので、素直に頷いた。
父様はこれから領地南端の港町へ向かうらしい。領都から距離があるため、帰還は一週間後。
今回は兄様と王子兄弟も伴って、行き先の港町を任せている貴族のパーティーに出席するとの事。
視察先は港町ならではの豊富な海の幸を使った新鮮な魚介料理が楽しめるらしく、随伴できないのは正直残念に思う。…まぁ、怪我した私が悪いのだが。
「おいっ!!」
視察一行の出発間際、クロードに呼び掛けられた。
「どしたの?く~ちゃん。…ちゃんと忘れ物無いか確認した?ハンカチ持ってる?」
「お前は私のははうえかっ!…そうじゃない。その、きのうはわるかった……」
クロードが痛ましげに私の腕を見やる。その視線から隠すように左腕を背中に逃がした。
何でもないよと笑んで返す。するとクロードが極近くまで歩み寄ってきた。
「ナターシャ…その…私たちは、と、ともだち…だろうか?」
「自己紹介の時にそう申し込んだと思ったけど?…あんたは私を何だと思ってたのさ?」
「そ、そうか…………そうか。」
クロードは緊張を解くように、ホッと息を吐きながらほんの微かに笑んだ。
そして私たちの僅かな距離を埋める最後の一歩。
隔てていた距離を詰めてクロードが私を抱きしめた。ぎこちなくて、ちょっと震えているのに苦笑してしまう。
「く~ちゃん、私の名前、初めて呼んだねぇ…」
「……うるさい」
右腕をクロードの背中に回して軽く抱き返すと、彼は一瞬ビクついて、でも大人しくしていた。
チワワがデレたよ!!お母さん嬉しい!!!
思わず頭を撫で繰り回す。クロードは顔を真っ赤にしていたが羞恥に耐えていた。わぉ!!反射でわめき散らさないなんてちょっと大人になったんじゃないこの子!?
「な、ナターシャ!」
「はいはいなぁに?」
「お前、私のことはあいしょうで呼ぶのに、お前には無いのか?…ふこうへいだ」
「愛称…そういえば無いね。渾名付けたいなら別に好きに呼んでいいよ?」
「ホントか!!?」
「え、変なのは止めてよ?」
あまりの食いつきの良さに若干身構えると、
「アーシェ!!」
私に向かってクロードが初めて屈託なく笑った。それは思わず見惚れてしまうほど。…綺麗に、笑った。
「私だけのよびなだ!おぼえておけよっ!!」
「へぇ…何を覚えておくんだい?」
「俺も興味あるなぁ、殿下、是非教えてください?」
ぎゃっ、出たな兄s!!折角く~ちゃんが心を開き始めたのに、また殻に篭ったらどうしてくれよう!!
…しかし私の心配は杞憂だったみたい。
「いいえ、兄上にもひみつです。」
そう言ってクロードは私の手を握り目くばせ。堂々とラルフと対峙している。…およ?ホントに一晩で何があったく~ちゃんよ!?
「「ふ~~~~~ん」」
あ、兄sの目の色が暗く……な、何か室温が下がってきた気がするよ……?
「道中は長いし、これは退屈しないで済みそうだね、ラルフ?」
「ああ、我が弟も見る目があるようだからねぇ」
「あ、兄上!そしてナハト殿!きいてほしいことがあるのだ!!」
兄sにもの申し、一度私の顔を見てから、何か決意を込めてクロードが口を開いた。
「わ、私も兄上たちのけいこにいれてほしい。私は…つ、つよくなりたいのです!!」
その言葉にラルフの目がまあるく見開かれた。しぱしぱと何度か瞬いて、大きく破顔する。そのままクロードの頭を両手でぐしゃぐしゃにかき乱した。
「え!?あ、兄上っ!!?」
「これは喜ぶべきなのか大いに悩むとこだね、ナハト?」
とか言いつつめっちゃ嬉しそうですけどラルフさん?
「兄弟揃って疫病神ですよ!…チッ、面倒な。」
に、兄様が舌打ちした!?
――程なく父様に呼ばれた三人は何故か一人ずつ私をハグして出発して行った。
「一週間も君の顔が見れないなんて…。私は辛すぎて死んでしまうかも知れない!」
「あのねラルフ。一週間会わないとか普通だから。むしろ今が通常外だから!まったく……ちゃんとお仕事してきなさいよ?」
「あぁ、今の新婚みたいで良いね!もう一度言ってくれる?」
「どけ、色ボケ王子っ!!ナターシャ、絶対絶対安静にしてるんだよ?約束破ったらお説教だからね!」
「も、勿論ですわ兄様!!父様の言いつけ通り大人しくしております。兄様こそ、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「……ナターシャ、帰ってきてもその口調だったら覚えておいで?」
(あばばばばば!!魔王様、怖いっ!!)
「…く~ちゃん?どしたの?」
「ナタ…ア、アーシェ、…その……もどってきたら、アーシェにつたえたいことがある…」
「なっっ!!?く~ちゃん死亡フラグ立てるのやめて!!私回収しないからね!?」
「しぼう…なんだ?」
「何でもない!!行ってらっしゃい!!」
………実に賑々しい旅立ちであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ナキアもユージンも手伝ってくれてありがとう!」
「いいえお嬢様、このくらい何でもありませんわ」
「また随分運び込みましたねぇ、お嬢様…」
ユージンさんが苦笑している。
視察一行が出発してから、私はユージンを呼びつけ、ナキアを伴って図書室にやってきた。そこで手当たり次第本を選んでは自室に運ばせたのである。
「ナキア、お茶とおかわり用のティーセットを持ってきてくれる?」
「ユージンは書籍の内容で質問があるから、ちょっと残って頂戴。」
恭しく礼をしたナキアが下がる。
私はユージンさんに目配せした。彼がにっこりして頷く。
「頭、こっちの準備は出来てますよ?」
「おぅ、悪ぃな~!」
ユージンが声をかけると、相変わらず何処からともなく師匠出現。
「ではユージンさん、後のことお願いしますね?」
「お任せ下さいお嬢様。すり合わせは毎晩行う形でよろしいですか?」
「はい!すみません、共犯者にしちゃって…」
「いいんですよ。だってお嬢様も我々への命令権をお持ちでしょう?是非お手伝いさせて下さい。」
「そう言って頂けると助かります…」
――コンコンコン。
ノックが響く。ナキアが戻ってきたようだ。
「お嬢様、よろしいですか?」
「ええ、入ってちょうだい!」
ナキアが素早くティーセットをセッティングして下がろうとしたのを呼びとめる。――当然だが師匠はいつの間にか視界から消えていた。
「ナキア、私は父様からの言いつけ通り、今日は寝室でゆっくり養生しようと思うの。
…用があれば呼びますから侍女たちも控えてくれる?私、読書に集中したいの。」
「承知しました。では、何かご不便があればいつでもお呼び下さいませ。」
「お嬢様、私も御前を失礼します。」
先にユージンが退室し、私をゆったりした夜着に着替えさせてからナキアが退室した。
私の部屋から人の気配がなくなるまで暫し待つ。
そうして静かになった室内で、着せてもらったばかりの夜着を脱ぎ捨て、ごそごそと準備を始めた。
「師匠~、も~い~よ~!!」
「準備出来たか?…お、似合うじゃん姫さん!!」
「でしょ?私もいい出来だと思う!」
師匠は何処から出し入れされてるんだろう?そんな益体無い事を考えながら姿見の前でくるりと回った。
そこには低めの位置でポニーテールを結い、兄様のお下がり服を着こんだ可愛らしい少年が映っている。
「どっから見ても良いとこの坊ちゃんだな」
ニカっと師匠がサムズアップ。…それはそれで複雑な気がしなくもない。
いや、今は必要なことなのだから素直に喜ぼう。…上手くいけば今後も使えるかも知れないし。
「じゃ、行きましょうか師匠。よろしくお願いします!!」
「おう、任された!!」
師匠が大きく両腕を広げる。私は広い胸に身体を預け、大人しく抱き上げられた。
「しっかり掴まってろよ!あと、口開くと舌噛むかもしれないから気をつけろ~」
―――父様、兄様、嘘ついてごめんなさいっ!!
私が頷いたのを確認してソウガが動き出す。
開け放った寝室の窓枠に師匠が足をかけたのと同時に、私はソウガの首にきつく巻きついた。
ひょ~い!
師匠は私を抱えたまま軽々と寝室の窓近くの木の幹に飛び移る。更にどうするのかと思えば、木の幹を踏切り大きくジャンプして落下!!私を片腕でしっかと支え、空いたもう片方の手で隣の木の幹にぶら下がる。
その勢いのまま鉄棒の体操選手のようにブゥンッと反動で次の木の幹に飛び乗り……
アップダウン繰り返してあっという間に領邸の塀の外へ降り立った。
(ぎゃーーーーー!!死ぬ~~~~~~~~~~~!!!!)
その間、全く生きた心地がしなかったのは言うまでもない。師匠が地面に華麗に着地してからも暫く、必死にソウガにしがみついていた。
これを一週間とか、耐えられるだろうか……。一抹の不安が過った…。
変装した私が目指す先はミケルのいる領都の街。
仕込み期間は一週間。
さあ、一つ勝負と行きましょうか!!




