心に溶けるお薬
日暮れより早く領邸入りした私たちは、挨拶もそこそこにラルフを部屋に運び込んだ。部屋には既に医者が待機しており、速やかに処置をしていく。
因みに私は膝枕の弊害で足が痺れて動けず、兄様に抱えてもらって――お姫様抱っこだ――いた。…そしてまだ下ろして貰えていない。まぁ、兄様の機嫌が治ったようなのでそのままにしている。
「疲労からくる発熱でしょう。滋養のある食事と休息ですぐに良くなりますよ。薬を置いていきますから、食後に飲ませて差し上げてください。」
そう言ってお医者様は帰って行った。
ラルフは眠っている。涙目のクロードが、兄の手を握りしめて傍についていた。
「…お前のせいだ」
行き場のない不安の矛先が私に向かってきたらしい。親の敵を見るような視線が飛んできた。
「く~ちゃんさぁ、誰のせいとかじゃなくて、もっとラルフを大切にしてあげなよ」
「何を言っている!?」
「一番近くにいるでしょうが、あんたが。大好きな兄上はね、神様でもなんでもない、10歳の子どもなんだよ?疲れたら倒れちゃう人間なの!!あんたがちゃんと見ててあげなきゃ。ラルフがく~ちゃん護ってくれてるみたいに、あんたも兄上護ってあげなよね」
「私が……兄上を……?」
「そうよ!はぁ…。まったく……。
また後で様子見に来るから、あんたもゆっくり休みな。何かあったら声かけるのよ!」
兄様にお願いして退室する―――てこでも下ろしてくれなかったからだ。私は一先ず父様に合流すべく、兄様に身を委ねた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
……夢現に声が聞こえた。
最近聞き慣れてきた少女のものだ。
「く~ちゃんさぁ、誰のせいとかじゃなくて、もっとラルフを大切にしてあげなよ」
(クロードと話しているのか?)
「―――――………大好きな兄上はね、神様でもなんでもない、10歳の子どもなんだよ?疲れたら倒れちゃう人間なの!!―――――……あんたも兄上護ってあげなよね」
(…自然に言うのだな。……ただの子どもだと―――…)
私はこのクロムアーデル王国第一王子として生を受けてからこれまで、第一王位継承者として厳しく教育されてきた。王族とは孤独なものだ。幼子にすら容赦なく心を隠す事を強要する。
それは自分の身を護るためでもあり、悪吏に容易く利用されないためでもある。己が権利が大きすぎるので、その力の行使を間違う事は許されない。心安らぐことなど滅多に無かった。
そんな中生まれた第二王子のクロード。
弟は継承権二位を保有しているが、私は特に病弱という事もなく過ごせている為、立太子される事はないだろう。それ故私ほど厳しい教育は為されていない。
やがて自由奔放に振舞う弟がとても眩しい存在となった。
(あれは、もう一人の私。叶う事の無かった、希望の存在…)
隙の無い教育のお陰ですっかり何でも出来るようになっていた私は、弟に超人と映るらしい。誇らしげに屈託なく懐いてくるクロードが可愛くもあり、えも言えぬ嫉妬が襲いくる。……実の弟にすらこんな有様だ。
しかし弟の自由な幼少時代は終わりを迎えようとしていた。
御しやすいと舐められたのか、弟を体よく操ろうとする貴族が周囲を囲み始めたのだ。自我の芽生えて間もない幼子など、今のうちから優しくしておけば将来都合のいい傀儡と出来るだろう。私腹を肥やしたい輩など掃いて捨てるほどいるのだから。
あっという間に、父も様子見出来ないほど馬鹿どもが増長してしまった。
―――そのお陰で、私の心身はより一層張りつめていく。
自分も隙無く振舞いつつ、弟の周囲にも気を配り、弟の尻拭いに奔走する。いくら私が厳しい教育を施されていようと、勉学中の身。しかも子どもの己に出来ることなどどれだけあろう。
皆の期待が重い。
弟からの信頼が辛い。
自身に課した誓いが苦しい。
それらを全部笑顔に隠して私は日々を過ごす。…弱音を吐くことなど許されないのだから。
そんな時だったのだ。
彼女にとっては何気ない、でも私にとっては何にも代え難い言葉を貰えたのは。
『心配するでしょう?疲れたら疲れたって言ってくれなきゃ!』
考えた事も無かった。
私は『疲れた』と、弱音を吐いても良いのかと。そんな事を求められたことは一度もなかったから。
『そんなのどうもしないわよ。休ませてあげるし、助けてあげるだけ。当然でしょ?』
だからなんだと。当然だと、少女は言い放った。淀みなく、まっすぐに。
それにどれだけ救われただろうか。
少女の言葉は一瞬の内に心深くに溶けて、自身に巣くっていた黒い病巣に降り注ぎ優しく解していく。
(……許してくれるのだ、この少女は――――……)
私をただの『ラドクリフ』として見てくれるのだ。王族で無い、10歳の少年として。
自然と力が抜けて呼吸が深く出来た気がした。
私はきっともう大丈夫。
自分を思い出せる場所を見つけたのだから。
そっと彼女の頬に手を伸ばせば困惑した表情の少女。放し難いと執着が芽生えた瞬間だった。
「…あっ、ラルフ、気がついたの?」
ぼんやりと思考の中の少女と眼前の少女が重なっていく。
「どう?起きられそう?」
心配そうにナターシャが私の顔を覗き込んでいた。
「…………こ、こは?」
掠れた声で問えば「うちのお屋敷の中」と返事が来る。どうやら眠っている間にダンデハイム家の領邸に運ばれたらしい。
「く~ちゃんは今寝てるよ。ずっとラルフに齧りついて離れなかったから、強制的に休ませた。」
(…強制的に?)
ナターシャの傍にいい顔で笑うナハトが視えた。……深くは聴くまい。
「平気そうならコレ、食べやすそうなものを用意してもらったから。少しでもお腹に入れて、薬を飲んじゃって」
「…ああ。その前に、水を、くれるかい?」
「あ、気づかなくてごめんね!そうだよね、喉渇いたよね!!」
グラスを差し出してくれたその両手にわざと自分の手を重ね、ゆっくり口へと運ぶ。口に含んだ水がやけに甘く感じた。
水を飲んでしまえば、グラスとともに離れていくナターシャの手。何だか寂しく感じて視線で追いかけると、それに気づいた彼女が苦笑した。
「具合が悪い時って、人恋しくなるよねぇ。…しょうがないお兄ちゃんですね。」
そう言って体を起こした私のすぐ傍まで椅子を運び、いそいそとそれに腰かけると、徐に匙を私の顔面に突き出してきた。
「ラルフ、はい。あ~ん!」
条件反射的に口を開ければ、鳥の雛よろしく匙を口内に突っ込まれた!思わず目が白黒したが、彼女は何やら嬉しそうにニヨニヨしている。
何とか口内のものを咀嚼し咽下したところで、再び匙が差し出された。「あ~ん!」と言いながらナターシャが笑っている。
状況が飲み込めた私は気恥ずかしさも覚えたが、役得感の方が勝ってだらしのない顔で匙に食いつく。ほっこりと安らぎが蓄積されていくようだった。
その微妙な私の心の機微をかぎ取った番犬が、当然の様に横から邪魔をしかける。
「ナターシャ、ラルフの食事は俺が代わろう。桶の水を変えるよう頼んできてくれるかい?」
「あ、そうね。分かったわ兄様」
あっさりとこの場を離れるナターシャとそれを笑顔で見送るナハト。思わずじと目でナハトを睨んでしまう。
「さっ、殿下。どうぞお召し上がりください」
にっこり微笑んで匙を突き出すナハト。その眼はちっとも笑んでいない。
「……何が言いたい?」
「いいえ、何も?」
こいつが将来の私の側近だと思うと悪夢のようだ。ナハトに対して同族嫌悪が芽生えた瞬間だった。
(私とこいつはよく似ているようだ…)
それは好みも含めて、だ。
心強くもあり、油断ならない存在。
「そう簡単に可愛い妹は嫁に出しませんから。…これは父も同意見です。」
「私はまだ何も言ってないが?」
「そうですね、俺の独り言ですから。」
気になさらずと飄々の体。…全く、楽しい余暇になりそうではないか。
「貸せ。自分で食べられる」
半ば無理やり器をひったくり、黙々と食事をとった。
そうこうしてる内に戻ってきたナターシャが薬を差し出してきたので大人しく飲み込むと、彼女はやっとほっとしたようだった。気の抜けた顔を見て相当心配をかけていたのだと気づく。
そしてその瞬間。申し訳なさよりも歓喜が身体中を駆け抜けた事を自覚した。嗚呼、なんと即効性のある薬なのだ。
―――口内に残る甘い水の味。
果たして私が飲んだのは良薬なのか、身体を蝕む毒なのか。
私よりも私を察したナハトの顔が歪む。
それがとても愉快に感じて、明日からの綺羅綺羅しい日々を夢想しながら、久方ぶりに穏やかな眠りへと落ちていった。
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