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小説家になろう  作者: 巴邑克弥
5/6

いつもと同じ朝(さあ書き始めよう)

━※━


結局、私が米郷総合病院から退院できたのは、入院してから四週間が過ぎた二月の終わりであった。

私は身体的な後遺症は残らなったので、リハビリ病院への転院も無く、米郷総合病院から自宅に帰れることになったが、退院してもすぐには仕事へ復帰することは出来ず、三月いっぱいは自宅で過ごすことになった。


退院の日、私は午前中に早々に入院費の支払いを済ませると、荷物をまとめて家内が迎えに来てくれるのを待った。荷物はそんなに無いつもりであったが、一か月の入院の間には、なんだかんだと荷物も多くなり、大きな紙袋が三つも出来ていた。

毎日の楽しみであった病院食も今日の昼食で終わりになった。今日の昼食は、入り豆腐に里芋と人参の煮物、キャベツとソーセージのさっと煮とご飯というメニューであった。

私は昼食を早々に済ませると、家内が迎えに来る予定の午後三時の二時間前には、病院着から帰宅用の服に着替えて、ベッドに座って家内が来るのを待った。

窓の外にはもうすぐ三月だというのに雪がちらついている。病院の中は暖かいけれど、外は寒いかも知れないな。今こうしていると、一か月前に眩暈と吐き気でフラフラになってこの病院にやって来たことが嘘のようであった。しかし入院した時に先生から入院期間は早くて三週間と聞いた時には、その長さに途方にくれたのであるが、こうして退院の時を迎えると、なんだかあっという間に過ぎた時間のように思え、私はこの一か月間のことを思い出してみていた。

入院生活も二週間目に入るころから、リハビリも午前、午後と入るようになり、何もすることが無い、暇な入院生活のつもりであったが、なかなかに忙しい毎日になっていた。

そのせいか後遺症野郎も、あれ以来小説の話をあまりしなくなっていた。しかし小説の話はしなくなっていたが、やれ理学療法士のやり方が気に入らないだの、看護師がブスだのと、毎日やかましいことには変わりが無かった。


予定の時間を少し過ぎたころ、家内が迎えにやって来てくれた。

「ごめんなさい。遅くなってしまったわ」

「いいよ。慌てることはない。家は無くなりはしないだろ」

「そうね、それに家は寒いわよ。病院の方が暖かくていいかも知れないわ」

「そうかも知れないけど、やっぱり家に帰りたいよ。今晩からまた家の布団で寝れるかと思うと、何となく嬉しいよ。さあ、帰ろうか」

「慌てなくても、家は無くなりはしないわ」

 私は紙袋を家内に一つ持ってもらってお世話になった病室を後にした。

 ナースセンターで挨拶を済ませると、エレベーターに乗った。入院している間、リハビリ室へ行ったり、売店に行ったりと、このエレベーターを利用していたが、今日でこのエレベーターに乗るのも終わりかと思うと何となく名残惜しくもあり、嬉しくもあった。

 入院病棟の正面玄関の自動ドアが静かに開いた。

「寒ぶ! 」

頬にあたる雪が冷たい。病院の外は予想以上に寒かった。でも今の私にはその寒さがとっても心地よく感じていた。

「こっちよ、早く車に乗って、風邪をひいたらいけないわ」

家内が案内するままに私は車に乗って自宅へ向かった。

 病院から自宅までのよく見慣れた風景ではあったが、私は何年のも間この道を通らなかった者のように窓の外の風景をじっと眺めていた。


 自宅の玄関を入ると、そこには一か月前と変わらぬ我が家があった。当たり前だ、たった一か月でそんなに変わるわけがない。私はそう思うのであるが、何十年も家に戻らなかったような思いであった。

 今日からまた今までと同じ何も変わらない生活が始まるのだが、私はなぜか新しい人生が今日から始まるような思いであった。


 久々に我が家のお風呂の湯船につかって体を温めると、今晩は早々に寝ることにして、私は自分のベッドにもぐりこんだ。

 久々の我が家のベッドは病院とは違った暖かさがあった。

 家内は寝室の中で、私が病院から持ち帰って来た荷物を一つひとつ取り出しながら片付けている。私はそんな家内の姿を見ながら、この一か月間苦労をかけてしまったことを心の中で詫びていたが、

「苦労をかけてすまないね」

の一言をかけることが出来なかった。

 そして私は今こうして私の荷物を片付けてくれている、私の家内という一人の女性を幸せにしてやることが、これからの私の仕事であるようにまた思っていた。そのために神様は私に身体的な後遺症を残さずに自宅に帰してくれたのだと思っていた。

 そうなのだ、私はあの日、そう脳梗塞を起こした一月三十日の朝、私は一度死んだのだ。あの朝、私の今までの人生は一度終わったのだ。そして、あの日から私は生まれ変わって、私と家内の、付け加えれば後遺症やろうとの新たな人生が始まったのだ。そんな思いでいっぱいであった。

 そういえば、いつの頃からか、後遺症野郎は小説の話をしなくなった。やっぱり小説を買うなんて、私たちには無理だということに気が付いたのだろうか? それとも気が変わって、他のことを考えているのだろうか? 

 私はあの日、後遺症野郎と小説について話をして以来、今後の私の趣味として小説を書くのも悪くはないと考えるようになっていた。そしてあの日、後遺症野郎が話していたように、みんなに読んでもらえるような小説を書きたいものだと思うようになっているのに、後遺症野郎はどうしてしまったのだろうか? 後遺症野郎は私を焚き付けるだけ焚き付けておいてどうしてしまったのだろうか?


━※━


 翌朝からまた珈琲を淹れるのは私の仕事になった。

 朝の六時、まだ暗い台所に立って、珈琲を以前と同じように淹れる準備を始めた。いつも使っている手挽きのコーヒーミルをテーブルの上に出し、珈琲豆を入れている広口の瓶の蓋を開けると、香ばしい珈琲の香りが瓶の中からあふれ出す。家内と私の二人分の豆を計ってミルに入れると、広口の瓶の口に蓋を乗せて、珈琲豆を挽き始めた。

 豆を挽き終わると、コーヒーメーカーに豆と水をセットして、スイッチを入れる。やがてコーヒーメーカーよりドリップの音がしだすと、私はミルと豆の入った広口の瓶を片付けることにした。

 ミルをいつもの棚に戻して、豆の入っている広口の瓶の蓋の部分を持って持ち上げた。

ドン! ザー……

 持ち上げたはずの広口の瓶は、私の手に蓋を残してテーブルの下に落ちて、そして豆を床にばらまいてしまった。

「あぁ、朝からやってしまった…… 瓶の蓋を閉めたと思っていたけど、閉めて無かったんだ…… 」

私はとんだ失敗をしてしまったと思った。

「できた、これだ!! 」

急に後遺症野郎が叫んだ。

「何ですか? 急に大きな声を出して、びっくりするじゃないですか。急にどうしたんですか? 」

「出来たんだよ。密室のトリックが出来たんだよ。トリックが」

「急に何を言い出すのかと思ったら、密室のトリックですって? 」

「そうだよ、俺はずーっと考えていたんだ。密室のトリックをな。お前は俺が小説をあきらめて、看護師さんのケツばかりを見ていたと思っているかも知れないが、俺はずーっと小説のことを考えていたんだぜ。やっと密室のトリックを思いついたんだ」

「そうでしたか、私はてっきり看護師さんのお尻ばかりを見ているのかと思っていました。それでどんなトリック何ですか? 」

「勘違いだよ。お前は今、瓶の蓋が閉まっていると思って、いや思い込んで、瓶を持ち上げた。しかし瓶の蓋は乗せられているだけで、閉まってはいなかった。そうだろ」

「確かに、私は瓶の蓋が閉まっていると思って、瓶の蓋の部分を持って持ち上げました。そしたら蓋が閉まっていなくて、瓶は床の上に落ちて、ほらこの結果です。それが何か? 」

「そうだよ。いいかぁ、瓶が部屋なんだ。そうすると瓶の蓋はドアだ。瓶の蓋が閉まっていたら、瓶は密室だ。お前は瓶の蓋が閉まっていると思っていた。しかし実際には瓶の蓋は閉まってはいなかった。つまり蓋の閉まっていない部屋、密室だと思っていた部屋は、実は密室ではなかった。お前の勘違いが密室を作ったんだ」

「後遺症さん、私には今一つよくわからないですね? 」

「ああ、まどろっこしい奴だな、お前って奴は。いいか、ある部屋の中で殺人事件が起きる。部屋には鍵がかかっており、その部屋の鍵は部屋の中の被害者のカバンの中に入っていた。もちろん窓にも鍵がかかっており、窓やドア以外に出入り出来るところはない。ほらよくある密室だな。第一発見者はドアを開けようとする。そうだな、この部屋はアパート何かの部屋にしよう。だから第一発見者はドアを開けようと、管理人のところへ行って、合鍵を持ってこさせるんだ。もうわかっていると思うけど、この第一発見者が犯人なんだ。ここで犯人の第一発見者は芝居をする。ドアノブを持ってガチャガチャしながら、早く開けてくれって騒ぐんだ。管理人はその様子からドアに鍵がかかっていると思い込んでしまう。管理人は合鍵で二、三度鍵を回してドアを開ける。本当は閉まっていないドアを管理人が鍵をかけて、また鍵を開けたのであるが、管理人は慌てていたのでそれに気が付かない。管理人は鍵はかかっていると思い込んでいるから、警察にも鍵はかかっていましたと証言をするんだ。そして密室が出来上がる。」

「なんとなくわかったけど、そんなに上手くいきますかね? もしですよ、管理人が鍵を開けるときに冷静で、ドアに鍵がかかっていないことに気が付いたらどうするんです? 」

「そうだな、じゃあ最初は管理人から鍵を受け取って、第一発見者の犯人が自分で開けようとするんだ、そしてその時に鍵をかける。でも手が震えて鍵が開けられないとかなんとか言って、管理人と交代するんだ。管理人は第一発見者がかけた鍵を開けるんだ」

「それって変じゃないですか? そんなことしますかね? それに管理人がずっと手元を見ていたらどうするんですか? 鍵をかけたことがばれてしまうではないですか? 」

「だよな、犯人が考えるようにうまくはいかないかも知れないな。でもだ、とにかく管理人に鍵がかかっていると思い込ませないといけないんだ。どうやって思い込ませるか? それが問題だな。それはそれで、また考えようじゃないか」

「いくら考えても無駄なような気がしますけどね…… それに勘違いがトリックだとしたら、何も第一発見者が犯人じゃなくてもいいじゃないのでしょうか。とにかく鍵がかかっていたと思い込ませることが出来ればいいのですから」

「まあ、細かいことはゆっくり考えるとして、密室のトリックは勘違い、思い込みにしよう。細かいことはあとにして、推理ものそれも密室殺人を書くことにした、舞台も決めた、タイトルも決めた、トリックも考えた、構想は出来たと思わないか? 」

「構想ってこの程度でいいのかな? 舞台とタイトル以外はあなたの思い付きでしょ! なんだか安易な気がするんですけどね」

「まあいいじゃないか。さて次は何だっけ? プロットというのを考えるんだっけ? よし、プロットも優秀な俺様が考えてやろうじゃないか」

「お願いいたします…… 」

「『毛多霊伝説殺人事件』は、まず殺人事件が起こる、それも密室殺人だ。場所は鳥取県気多郡気多玉町だ。殺されたのは毛多霊神社で働く巫女の女だ。犯人は男だ、いや待て女でもかまわない。時はいつでもいいけど、神社の祭日の前か後にしよう。たまたま迷探偵が気多玉町に来ていた。迷探偵は事件を知って解決にあたる。毛多霊神社には恐ろしい伝説が伝わっていた。名探偵は町のみやげ物やで伝説の話を聞くんだ。殺人事件はこの伝説の因果だと考えられ迷宮入りかと思われた。しかし迷探偵の推理で事件は解決する。こんな感じでどうだ。もう書けたようなものだ。早く書き始めようぜ」

「はいはい、よく出来ました…… でもね後遺症さん、まだ書き始めるのは早いですね。構想も出来たし、プロットも出来た。あとは細かな設定を考えないといけないですね。書き始めるのはそれからです」

「そうだな」

「まずは舞台ですね。舞台は鳥取県気多郡気多玉町なのですが、それ以外何も決まっていません。もう少し詳細に考えておきましょう」

「車がブンブン走っていたり、高校生がキャーキャー言っているな町じゃない方がいいな。なんていうのかな、恐ろしい伝説のある町…… 」

「じゃあ、こうしましょう。鳥取県米郷市から南に車で一時間ほど走った中国山地の山間に気多玉町がある。気多玉町は昔は出雲街道の要衝であり宿場町として栄えていたが、明治以降鉄道の発達とともに宿場町としての役目は無くなった。昭和になって国道が通り、世の中が車社会になると、町民の多くは町外で働くようになり、さらに町は寂れて行った。町はすっかり寂しくなったが、町の様子は切妻作りの伝統的な民家が数多く、昔の宿場町の面影を残している。こんな感じでどうでしょうか? 」

「時代に取り残された町だな。いいじゃないか。で毛多霊神社はどうするんだ? 」

「そうですよね。肝心の毛多霊神社を作らないといけないですね。気多玉町を通る国道を岡山県の方に少し走ると、町内で一番高い山があるんです。そうですね、中国山地の中だから標高は千メートル程度山ですね。その山の名前は、南尼母山といいます。山陰の山は、山の字を“せん”と読む山が多いので、南尼母山と書いて“なにもせん”と読みます」

「何もしない山か? あんまり怖そうな名前じゃないな」

「まあいいじゃないですか。その南尼母山の登山口を怖そうな名前にしますよ。そう、“御墓谷”というんです。御墓谷の入口に小さな鳥居があって、その奥に石段があって、その石段を上ると毛多霊神社あることにしましょう」

「御墓谷、いいねぇ、いいねぇ、雰囲気あるねぇ。南尼母山は遠くから見たらわからないけど、岩の多い山にしようや、それで岩屋があるんだ。昔、その岩屋に化け物が住んでいて、その化け物を封じ込めたのが毛多霊神社なんだ。それを毛多霊伝説にしようじゃないか」

「いいですね。そうしましょう。舞台は昔の面影を残す寂しい町と伝説の伝わる神社。」

 後遺症野郎と小説の舞台の話をしている間に、コーヒーメーカーがポタポタと珈琲を落としはじめて、珈琲の香りがリビングに広がり始めた。考えてみたらこの香りを嗅ぐのは一か月ぶりだ。一か月前に私はこのリビングで、そしてこの香りの中で倒れたのだ。あの時、私は一度死んだのだ。そして今、また新しい私として再生し、このリビングに立っているのだ。そして新しい私は、以前の私ではなく、こともあろうに小説を書こうとしているのだ。

「どころで、探偵はどうするの? この小説には探偵が出てくるんですよね? 」

私は後遺症野郎に問いかけた。

「そう、迷探偵が出てくるな。じゃあ、舞台は出来たので、今度はキャラクターを作っていこうか…… 」

「探偵の名前は何ていう名前にするんですか?  最近の小説の主人公は奇妙奇天烈な名前の人が多いですよね。やっぱり変わった名前の探偵にするんですか? 」

「そうだな、あまりカッコいい名前は付けたくないな。ちょっと天然の探偵にしたいんだ。なんせ迷探偵なんだから。人が聞いたらクスって笑いたくなるような名前がいいな」

「後遺症さん、いるじゃないですか。私たちの身近なところに」

「誰? 」

「『溝川耳鼻科』の溝川先生ですよ。みぞかわ先生は、みんながどぶがわ先生って呼んでいるじゃないですか、『どぶがわ探偵』ではどうでしょう? 」

「『どぶがわ探偵』かいいかも知れないな。そしたら名前は総司ってしたらどうかな。溝川総司、つまり『どぶがわそうじ』だ」

「それ、いいかも」

「溝川総司、年齢は四十五歳くらい、でも本当の年齢は誰も知らない。身長は百九十センチ、かなり背が高いが、痩せている。いつもダボダボのジーパンにワイシャツ、くたびれたジャケットを着て、革の靴を履いている。髪の毛はいつも短く切っているが、決してお洒落に興味はない。本当の職業は探偵ではなく、東京の…… そうだな、東京の高田馬場で全国の民芸品と雑貨を扱う小さな店を営んでいるが、ほとんどお店はアルバイトに任せて、店にいることはほとんどない。いつもは店で売る珍しい民芸品を探して、日本中をブラブラと旅をしているんだ」

「それじゃ生活が出来ないと思うよ」

「いいんだ。溝川総司の詳しいことは誰も知らない。日本中をブラブラと旅をするお金がどこから出ているのかも…… ? 実家がかなりの資産家だと言われていたりはしているが、溝川総司の出身地も生い立ちも誰も知ってはいないんだ。それでいいじゃないか」

「謎の迷探偵ですね。それで、探偵には助手がいるじゃないですか。溝川探偵にも助手がいるんですか? 」

「そうだな、溝川探偵は孤高の探偵なんだが、助手をひとりつけよう。助手というより、溝川の旅友達という設定にしようか」

「よし、溝川探偵の旅友達の名前はどうする? 」

「溝川探偵が耳鼻科の先生だったから、米郷総合病院の出雲郷先生にしようか? 」

「出雲郷先生かぁ、そしたら名前は出雲郷吾郎にしましょうか。年齢は溝川総司よりも少し若くて、四十歳くらいにしましょう。身長は百六十五センチくらいで、ちびで小太りにしましょう。溝川総司とはデコボコ・コンビにしましょう。いつもジーパンにトレーナーにジョギングシューズ、自分ではお洒落をしているつもりなのですが、センスが無いのでお洒落には見えません。職業は無職、いやフリーターです。最近までは正社員として働いていたのですが、仕事の出来ない吾郎は仕事が嫌になって、退職したのです。で、今はフリーターをしているのです。吾郎もアルバイトで稼いだお金で旅に出るのを楽しんでいます」

「それで、溝川総司と出会ったんだな。そうだ溝川総司はお金には困っていないから、出雲郷吾郎の旅費を出してもいいぞ」

「ありがとうございます。どうして私が御礼を言わないといけないのかわかりませんが、その辺はそうしときましょう。旅先で出会った溝川総司と出雲郷吾郎は、意気投合して…… ? なんで意気投合させましょうか? 」

「酒にしよう。二人とも大酒のみにしよう。酒を飲んで意気投合したんだ。それでいいじゃないか」

「そういうことにしておきましょう。で、旅先の山陰で事件に合う…… ですね」

「そうそう、それでいこうや。次の登場人物はだれにする? 」

「そうですね、被害者ですかね。被害者は女でしたね」

「そう女なんだ。それも若い女なんだ。男じゃだめだ。男が死んでも誰も悲しまない。そうだ被害者は神社で働く巫女にしようじゃないか。名前は…… そうだな、景山加奈にしようじゃないか。景山加奈は美しい女性で毛多霊神社で巫女として働いているんだ。年齢は二十歳過ぎ、若くて美しい女性なんだ」

「それって、後遺症さんの好みなんじゃないですか? 」

「悪いか。とにかく若くて美しい景山加奈は巫女として働いている。そしてある日、神社に伝わる伝説に沿って殺される。美しい女性が殺される、悲しいじゃないか? 」

「それは、後遺症さんの思い込みですよね。他に誰を登場させます」

「伝説を語る人がいるんじゃないの? 伝説は高校生のお兄ちゃんや、お姉ちゃんでは語れないな。やっぱり伝説を語るのはジジイかババアだな」

「それでは気多玉町にみやげ物屋を作りましょう。みやげ物屋には店番のお爺さんがいるのです。伝説はみやげ物屋のお爺さん、そうですね、お爺さんの名前は、小村正一にしましょう。小村正一さんは今年で八十二歳になるんです。頭は禿ているんですね。いや禿てはいません。どっちでもいいです。背の低い、動作の鈍いお爺さんなんですが、気多玉町で一番の物知り爺さんなんです。伝説はみやげ物屋の小村正一さんに語ってもらいましょう」

「あとは誰が必要なんだ」

「神社の神主さんもいりますね。それと犯人も」

「犯人がいなけりゃ話にならないもんな。犯人は誰にする? 」

「それは、じっくりと考えましょう。犯人には犯行の動機も無いといけません。ただ人を殺してみたかったではだめですから、しっかりとした犯行動機も必要です」

「そうだな、犯行動機は難しいよな。安易な動機で殺されたんじゃ、景山加奈がかわいそうだからな。お前がしっかり考えろよ」

「えっ、私がですか? 後遺症さんは何を考えるんです? 」

「だから、俺のような優秀な思考回路は、密室のトリックを考えるんだよ。お前のようなポンコツの思考回路は、その他のことを考えればいいんだよ」

「今までの仕事も雑用が多かったけど、趣味の小説でも私は雑用係ですか? 」

「つべこべ言わないの。さあ次の登場人物は誰だ? 」

「もうこの辺にしておきましょう。あまりたくさんの人物が出てきても、おそらく私とあなたの思考回路では、話がとっ散らかってしまって、収拾がつかなくなると思うんです。ですから今回は、被害者の景山加奈、犯人の誰か、みやげ物屋の小村正一、神主、そして溝川探偵と友人の出雲郷吾郎。この六人くらいでいいと思いますよ」

「六人もいれば十分じゃないか。さあ、キャラクターの設定も出来た。次は何をしないといけないんだ」

 私と後遺症野郎がそんな会話をしながら珈琲を淹れていると

「相変わらず早いわね。退院したばかりなんだから、ゆっくり寝ていればいいのに」

家内が起きてきて、朝ご飯の用意を始めた。我が家の朝ご飯は簡単である。私が淹れた珈琲にトースト、ヨーグルトにバナナ。毎朝変わることなく、このメニューである。決して目玉焼きが追加になることはなく、バナナが無くなることも無い。毎日一年三百六十五日、もう何年も変わることなく食べ続けている。私は一か月前と変わらぬ朝ご飯に小さな喜びを感じていた。

 でも、本当はこれが一番いいのかも知れない。毎日毎日、同じことを繰り返している。本当はそれが一番幸せなのかも知れない。

 私は四十年間、毎日毎日、繰り返し、繰り返し、職人たちに頭を下げて、工場の雑用をこなしてきていた。そんな仕事に飽きてきてもいた。会社を辞めろと言われたら、いつでも辞めてやると思っていた。いつ終わってもいいと思っていた。

 そして一か月前に同じことの繰り返しの毎日が始まるはずの、いつもと同じ朝が、いつもと違う朝になった。それは大きな生活の変化の朝になった。その日から、私は毎日同じことを繰り返し行わなくても良くなった。その変化にちょっとだけ喜びを感じていた。

 しかし今、一か月前と変わらぬ朝ご飯に小さな喜びを感じている。何も変わっていない生活に喜びを感じている。本当はこれが一番なのだと感じている。

「どうしたの? そんな顔して、調子でも悪いの? 」

家内が話しかけてきた。

「いやなんでもないんだ。ちょっと考え事をしていた」

「何を考えていたの? 」

「一か月前と同じ朝ご飯なんだって…… 」

「ごめんなさい。何か作ればよかったかしら? 」

「いや、これでいいんだ。毎日同じ朝ご飯が食べれる。これが一番なんだ」

「変な人ね。さあ珈琲が冷めてしまうわ」

私はマグカップのコーヒーを一口飲んで、トーストにかじりついた。良く焼いたトーストの香ばしい香りが口の中に広がった。

「明日の朝は、何か作りましょうか? 」

「いや、これでいいよ。毎日、これでいい」

 私は何を求めていたんだろうか? 私は老後に何を求めていたんだろうか? 自分が年を取ってしまったことに不安を感じて、これからの生活の何を変えようと考えていたんだろうか?


━※━


「だよな、そうなんだよ…… お前が今考えているように、毎日同じ生活をおくる、本当はそれが一番いいのかも知れないな」

後遺症野郎が話しかけてきた。

「私もそうだと思うよ。ほらテレビのニュースを観てごらんよ、毎日、事故や事件のニュースを報道しているよね。なんだか日本の中は、事故や事件ばかりみたいに感じるよね。でもさ、あの事故や事件は、日本国内で生活している人の、ほんの数人の人の事故や事件なんだよね。それ以外の大多数の人は、毎日平穏無事に同じ生活を繰り返しているはずなんだよね。それが一番いいんだよね」

「確かにそうだな。でもさ、俺は病院で見た爺さんみたいにはなりたくないな。やっぱりああはなりたくないよな」

「確かに、毎日同じ生活を送りたいが、もう少し付け足すと、毎日健康で同じ生活をおくりたいものですね」

「そうなんだな、病気をして入院をしたり、ボケてしまって、家族に迷惑をかけたりはしたくはないよな。そりゃ、人は必ずいつかはピリオドを打つ日がやって来る。これは仕方がない。でも、その日までは自分のことは自分で出来る、それがいいよな」

「不老不死の薬でも出来ない限り、この世に生まれた人は、いつかは死ぬんですからね」

「でもさ、不老不死の薬なんて出来てみろ、大変なことになるぞ。世の中働けなくなったジジイとババアだらけになって…… 」

「まあまあ、それはまた別の問題ですよね。今は私たちの老後の問題ですよね」

「とにかくだ、俺たちはこれからも健康でボケない頭の維持を行っていかないといけない。これだけは確かだよな。だから小説を書こうって話じゃないか」

朝ご飯を食べ終えると、いつもであれば着替えて仕事に行く準備をするのであるが、三月いっぱいは自宅で療養することになっている私は、何もすることが無くなった。

 家内は洗濯に掃除と忙しそうにしている。私は着替えると

「ちょっと、その辺でも散歩してくる」

と家内に告げた。

「風邪をひくといけないから、暖かくして行ってね。あんまり無理して歩かない方がいいかも知れないから、遠くまで行ってはダメよ」

「わかってるよ、すぐに帰って来るから」

三月になったといっても外はまだ寒い。でも頬にあたる風が気持ちいい。我が家の前に広がる畑の中を十分も歩くと汗が出てきた。ちょっと厚着をしすぎたかな? 汗をかいた後で身体が冷えるといけないので、早々に散歩を止めて家に帰ることにした。

 朝、ゆっくりと朝ご飯を食べて、気の向くままに散歩をする。なんて幸せなんだ。でもこれも脳梗塞が比較的軽かったのかよくわからないが、後遺症が残らなかったから出来る散歩なんだ。もし後遺症が残っていたら、今頃はリハビリ病院で歩行練習をしていたかも知れない。

 まあ後遺症野郎のことは別にして、身体的な後遺症が残らなくてよかった。これからは再発しないように気を付けて生活をしていこう。今の生活を維持させたいものだ。

 そうだ、みんな今の生活を維持していきたいと思っている。

「後遺症さん、犯行動機が出来ましたよ」

「犯行動機が出来た。聞かせてもらおうじゃないか」

「生活の維持です」

「生活の維持? 」

「そうです。生活の維持です。犯人はそれなりの地位を持った生活をしているんです。その生活を壊そうとする事件が起きるんです。それで犯行に及ぶんです」

「なんだかよくわからないけど、お前が考えたんだから、そういうことにしよう」


━※━


私が家に戻ってリビングの椅子に腰かけると

「で、次は何を決めないといけないんだ? 構想も舞台も、プロットもキャラクターも出来た。次はなんだ? 」

「あの本によると、今度はストーリー作りですね。私たちの考えたプロットを時間の流れに沿って並べてやる。いわゆるあらすじを作りましょう」

「溝川総司と出雲郷吾郎が出会うところから書き始めるのか? 」

「いや、二人はすでに仲のいい旅友達でいいじゃないですか。


そうですね……


最初は、中のいい溝川総司と出雲郷吾郎が、山陰の温泉に民芸品を探しに来ている。というか遊びに来ている。温泉旅館の売店で出雲郷吾郎が毛多霊神社のパンフレット見つけて、興味を持つ」

「おい、毛多霊神社はパンフレットがあるような有名な神社なのか? 」

「そういうことにしましょう。


そして、毛多霊神社の話を溝川総司にもする。溝川総司も毛多霊神社に興味を持って、何か珍しい民芸品でもあるかも知れないと考えて、毛多霊神社に行ってみることにする。気多玉町に行った二人は一軒のみやげ物屋に入る。そこで、みやげ物屋のお爺さんから、毛多霊神社に伝わる伝説を聞く。また明後日は毛多霊神社の伝説を伝えるお祭りであることを知る。二人はお祭りを観てみようと、気多玉町に滞在することにする。翌日、神社の神主が巫女の景山さんが出て来ないと言ってみやげ物屋にやって来る。実は、みやげ物屋のお爺さんはアパートも経営しており、巫女の景山さんはそのアパートの住人であった。神主さんとみやげ物屋のお爺さんが、景山さんの部屋に行ってみると、なんと景山さんは殺されていた。たまたま、気多玉町で宿泊していた、溝川総司と出雲郷吾郎は、事件の解決に協力することになる」

「溝川総司と出雲郷吾郎が、事件の解決に協力するのはいいけど、誰に協力するんだ? 」

「もちろん警察ですよ。殺人事件が起きたら、まずは警察が来るでしょ」

「おいおい、日本の警察だよ。民間人の協力なんてまずありえないんじゃないのかな? 」

「テレビを観てごらんなさい、日本の温泉地や観光地で毎週のように殺人事件が起きているんです。そしてその事件を解決しているのは、家政婦やタクシーの運転手、ルポライターなんですよ。ほら民間人が活躍しているじゃないですか」

「けど、ルポライターの兄貴は確か、警察庁の刑事局長だったな。タクシーの運転手は元警部補じゃなかったかな? それに家政婦は他人の家をのぞき見しているだけだし。溝川総司はごく普通の民間人なんだぜ」

「まあいいじゃないですか。それに舞台は鳥取県の気多玉町ですよ。明治時代から時間の止まったような閉鎖的な町なんです。警察ものんびりしているんですよ。あれ待てよ、そうすると登場人物に警察の関係者がいりますね。それも大ボケ天然の警察関係者が」

「キャラクターの追加だな。刑事にしようか? 」

「そうですね、刑事にしましょう。名前は…… 蔵金刑事にしましょうか」

「蔵金刑事? 」

「そうです、探偵が溝川、つまり『どぶがわ』ですから、刑事は蔵金、『くらがね』ではなくて『ぞうきん』です。ぞうきん刑事です」

「面白いじゃないか、それでいこう、それで」

「殺人事件が起きて、蔵金刑事が捜査に乗り出してくるが、事件は密室で起きており、ぞうきんじゃなくて蔵金刑事には荷が重い。そこで、民間人の溝川総司が口を出してくる。そして、溝川総司の迷推理で事件は解決する、チャンチャン、おしまい。」

「ようし、ストーリーも出来た。あとは書くだけだ。お前頑張れよ! 」

「お前頑張れよって、後遺症さんも一緒に頑張りましょうよ」

「任せておけ、俺の優秀な思考回路は、必ずお前の役に立つ」

「…… 」


「後遺症さん、まだ決めないといけないことがあるんですよね」

「まだあるのか? 一体何を決めないといけないんだ」

「ほら、視点ですよ。一人称で書くのか? それとも三人称で書くのか? 文章の視点を決めないといけませんよね。本には一人称が書きやすいとありましたよ」

「じゃあ、三人称で書こう」

「ほら、また始まった。後遺症さんのひねくれ根性! 」

「ちがう、ひねくれているんじゃない。挑戦するんだ。いいか、人は簡単なことを選んでいては、成長はしないんだ。自分の力以上のものに挑戦するから、たとえ失敗しても、少しずつ成長しているんだ。」

「はいはい、それでは三人称で書くことにしましょうかね」

こうして私と後遺症野郎の執筆活動が始まった。


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