小説の書き方(毛多霊伝説殺人事件は密室殺人)
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私は自分の病室に戻ると、ベッドの上に先ほど買ったアーモンドチョコと本の入ったビニールの袋を置いて、窓際のソファに腰をおろした。
袋の中からアーモンドチョコの箱を取り出して開けると、チョコを一粒口の中に入れた。
「美味しい! 」
思わずそう口にしてしまった。
チョコはすぐに口の中で融けだし、チョコの甘さが口の中一杯に広がった。融けだしたチョコの中から出てきたアーモンドを奥歯で噛み砕くと、今度はアーモンドの香ばしさが口の中ではじけた。
何という美味しさなんだ。アーモンドチョコがこんなに美味しいものであることに初めて気が付いたような嬉しさを感じていた。たった一粒のアーモンドチョコで、こんなに幸せな気分になったのも初めてであった。
私はもう一粒食べたかったが、楽しみは後に取っておくことにして、袋の中から先ほど買った本を取り出した。
『小説の書き方』
後遺症野郎は何を考えているんだ、こんな本を買わせて。
「お~い、後遺症さん、聞こえていますかぁ? 」
「ああ、聞こえているよ。何だい? 」
「何だいじゃないですよ。こんな本を買わせて…… どうするんですか? 」
「決まっているじゃないか、小説を書くんだよ。まさか『小説の書き方』を読んで、料理の作り方を勉強しようってやつはいないと思うぜ」
「そりゃそうだけど、誰が書くんですか? 」
「だからさっきも売店で言ったろ、お前が書くんだよ。正確に言ったら、お前と俺とで書くんだよ」
「お前が書くんだよって簡単に言いますがね、私は生まれてから一度も小説はおろか作文も書いたことは無いんですよ」
「そんなことは言われなくてもわかっているよ。俺とお前は長い付き合いだからな。だから本を買って勉強するんだよ。小説の書き方を勉強して、それから小説を書くんだよ」
「そんな、本を読んだくらいで小説なんて書けないですよ。本を読んで小説が書けたら、日本国民は全員が小説家になっていますよ。第一何のために小説を書くんですか? 」
「そこだ、そこだよ、いい質問だ。この前、俺たちの老後について話し合ったじゃないか。俺たちの老後に必要なのは、健康な身体と、ボケていない頭、それから金だったよな。それでお前も俺も体力には自信があるから、健康な身体は何とかなるって考えたよな」
「ああ、そうでしたね」
「で、次の問題はボケてない頭だ。正確に言うとボケない頭の維持だ。いつまでもボケないように頭を使っていないといけないんだ」
「そうそう、健康なボケ老人にはなりたくはないですからね」
「俺たちには常に頭を使わないといけないという何かが必要なんだな。そこでだ、そこで小説を書こうってわけだ。俺も小説がどんなものかは良くはわかっていないけどな」
「よくわかっていないのですか…… ? それでよく私に本を買わせたものですね」
「なんつうの、閃きってやつよ、外国語で言ったら、インスピレーションってやつよ。本のタイトルを見た瞬間に閃いたんだな。これだ、俺たちの老後に必要なのは小説だってな」
「でも、頭を使うことなら、何も小説でなくても…… 」
「いいか、俺にも良くわかってはいないんだけど、きっと小説を書くのは大変な作業なんじゃないかと思うんだ。小説を書くには、いろいろ調べたり、考えたりしないといけないと思うんだな。登場人物のことや、物語が起きている地域や場所、乗り物、建物、などなどだ。この調べたり、考えたりすることが、ボケ対策にならないかって考えたわけよ。つまり小説を書くことによって、脳を活性化させるっていうの…… かな? 」
「しかし、何も小説でなくても、釣りだって、魚のことや釣り場のこと、仕掛けを作ったりしないといけないですよ。そしたらいろいろと調べたり、考えたりすると思うんですけど」
「それも考えてみたんだ。でも、よく考えてみろ、老後の趣味で何か始めようって思ってはみたものの、何を始める。釣りか? 絵か? それともスポーツか? 何を始めるにしても道具がいるじゃないか。つまり趣味を始めるには初期投資が必要なわけよ。趣味の道具は高いぞぉ。お前にも俺にも、そんな金は無いだろう。それにスポーツを始めるにしても、一人で出来るスポーツは少ない。そりゃ、ランニングやウォーキングなら一人で出来るかもしれないけどな? つまりほとんどのスポーツは何かしらのクラブに入らないといけない。だいたいお前は人と関わることが苦手で、一人でいることが好きだ。それにそもそも運動が大嫌いだ。だからスポーツを初めても長くは続かないと思うんだな。しかしだ、小説なら一人で書ける。道具もそんなにいらない。紙と鉛筆があれば始められるじゃないか。まあ、今の世の中のことだから、紙と鉛筆というより、パソコンがあれば書けるじゃないか。幸いお前は身分不相応なパソコンを持っている。今のお前には宝の持ち腐れだけど。これか役に立つ。千五百円の本を買って読んだら、小説が書けるようになるんだ。この千五百円の投資は高くないと思うぜ」
「でもさ、いくら本を読んでも、私には小説は書けないと思いますよ。だって私の頭が悪いのは、あなたも良くご存じでしょうが。学校の成績だって、いつも最下位争いのレギュラーメンバーだったし、特に国語なんてひどいもんだったじゃないですか。作文なんてまともに書いて提出したことないんですよ。作文も書いたことのない人間が小説が書けるのでしょうか? 」
「心配するな、お前の頭が悪いのは百も承知だ。俺の頭も悪いが、お前の頭はそれ以上に悪い」
「失敬な、頭は一つしかありません。あなたの頭も私の頭も同じ頭です」
「まあまあ、怒りなさんな。お前は勉強が出来なかった」
「あなたも同じでしょうが」
「俺は勉強をしなかった。お前の出来なかったとは違う」
「同じだと思いますけどね」
「しかしだ、勉強の出来ない人は小説を書いてはいけませんなんて誰か言ったのか? 作文を書いたことの無い人は小説を書いてはいけませんとでもいう法律でもあるのか? 俺の知っている限り、そんな法律は知らないね。だーかーら、お前は小説を書いていい」
「“書いていい”と“書ける”は違うと思いますよ。いくら書いていいと言われても、書けないものは書けないですよ」
「そうかも知れないけど、書いてみなけりゃわかんないだろ。第一小説を書く目的は、小説を書くことでははない。さっきも言ったけど、頭を使うことだ。お前の悪い頭を使って、脳を活性化させて、ボケない頭を維持することだ。小説はそのための手段だ。その頭を使った成果として小説が出来上がる。おわかりかな? 」
「じゃあ、成果として完成しなくてもいいんだよね? 」
「いや駄目だ。書き上げないといけない。書き上げて人に読んでもらわないといけないんだ」
「人に読んでもらうの? 」
「そうだよ、人に読んでもらわないといけない。人に読んでもらわないのであれば、日記を書いていればいい。日記ならば人に読ませる必要はない。小説は人に読んでもらおうとするから小説と真剣に向かい合わないといけない。人に読んでもらおうと思うから、一生懸命に調べたり、考えたりしないといけないんだ。その結果、頭を使ってボケないかもしれない。これが俺の持論だ」
「あのね、持論じゃなくて、単に思い付きでしょ。まあいいか。でもね、仮に小説を書きあげたとしてもですよ、どうやって人に読んでもらうんですか? この山陰の田舎では出版社もないし、発表できるところなんて無いんですよ? 」
「そこだ、俺もそれがわかんないんだ。でもさ、きっと何か方法があるんじゃないかと思うんだよ。なあお前、インターネットで検索してみてくれないか? 何か簡単に発表する方法は無いのかな? ほらちょっと前にケータイ小説ってあったじゃないか。携帯電話のメール機能か何かを使って投稿するやつ。あれみたいなものが無いのかな? 」
私は後遺症が言うとおりに、タブレットに『小説』『投稿』のキーワードを入力して検索ボタンをタップしてみた。すると
「後遺症さん、なんだかたくさん出てきましたよ」
「どれどれ、俺にも見せてくれよ。おぉ、たくさんあるじゃないか。これでいこうや、これで。ネットの投稿サイトでいこうや。小説を書いて、ネットで投稿する。簡単でいいじゃないか。どうせ俺たちが書く小説は、○○賞なんてものには縁がないだろうから、出版社の懸賞小説に応募するより簡単でいいんじゃないの。それにネットで投稿しておけば、誰かが読んでくれるんじゃないの? それにほらブログなんかでもアクセス数ってあるじゃないか。読んだかどうかはわからないけど、俺たちの小説に興味を持ってくれた人がどれくらいいるかが、わかるんじゃないのかな? それにさ、人に読んでもらって、もしかしたら、もしかしてだよ、意外と面白いってことになって、本になったりしてさ、そんでもって、その本が売れたとするじゃないか、そしたらいくらかのお金になるんじゃない。そしたらさ、ほら老後のお金の問題も解決するんじゃないの。そうなりゃ、頭と金の対策はばっちりじゃないか。ほら、俺たちの老後に明るい光が見えてきたじゃないか」
「そんなにうまくはいかないですよ。ネットで投稿しても、私たちが書いた小説なんか、誰も読んでくれないと思いますよ…… まあいいか、取りあえずネットで投稿できることはわかりました。どうやって投稿するかは、またサイトの投稿の仕方を読むことにして、何とかなりそうですね」
「そうそう何とかなるって」
まったくお気楽な後遺症野郎だ。
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「でも、何ともならないものもだってありますよ…… 」
「何が何ともならないんだ? 」
「肝心の小説そのものです。私にはやっぱり小説は書けないと思うんですよね…… 千五百円はやっぱり無駄な投資だったと思いますね」
「また、その話かよ。やってみなけりゃわかんないじゃないか? 千五百円、千五百円って、ケチクサイこと言うなよ。本を読んで、何も書けなくても、千五百円で俺たちには小説は書けないことがわかったと思えばいいじゃないか」
「わかりましたよ、それで何を書くんですか。小説、小説っていっても、恋愛もの、歴史もの、異次元世界、推理、といろんなジャンルがあるじゃないですか? 何を書いたらいいのでしょうか? 私は間違っても恋愛小説は書けないと思いますよ。だってほとんど私もあなたも恋愛の経験がありませんからね」
「ほとんどありませんではなくて、全くありませんだろ」
「うるさいですね、あなたも一緒じゃないですか」
「あのね、お前は恋愛が出来なかった。俺は恋愛をしなかった。お分かりかな…… 。まあ、何を書くかは、これから考えようじゃないか。だけどさ、経験の有無は関係ないと思うぜ。だって歴史小説を書いている人は、現代に生きているんだぜ。見たことも無い昔の話を、さも見てきたように書いているんだ。推理小説を書いている人だって、実際の殺人現場を見たことのある人は少ないんじゃないのかな? みんな想像だよ。みんな見てきたような嘘を書きまくっているんだ。だからさ、俺たちも、嘘つきになればいいんだよ。そうだ、俺たちは日本一の嘘つきになってやろうじゃないか、なあ」
「なあって簡単に言いますよね。小さな頃から嘘をついてはいけませんって育ってきたんですよ。そんなに関単に嘘つきにはなれませんよ。でも、いくら嘘でも恋愛小説はゴメンですね。いくらなんでも、好きです、愛してますなんて恥ずかしくて書けませんよ」
「じゃあ、何を書く? 歴史小説か? 無理だな、お前は高校を卒業しても、織田信長という子どもが、大人になって豊臣秀吉になった。そして年を取ったら徳川家康になったと信じていた奴だからな。歴史は無理だな」
「ああ、それは私も認めます。どうせ嘘を書くなら、異次元の世界のことでも書きましょうか? 最近多いみたいですよ。ホンジャマカ王の息子の、ウンチャラカンチャラ王子が、永遠の力を求めて旅に出るみたいなお話が…… 」
「今の世界のこともわかっていないのに、異次元の世界のことがわかるのか? 」
「じゃあ、何も書くものが無いですね」
「まあ、ゆっくり考えようじゃないか、どうせ時間はたっぷりあるんだ、きっと俺たちに書ける何かがあるはずだ。それより、まずは小説を書くための勉強を始めようじゃないか。せっかく千五百円も投資して本を買ったんだ。読んでみようぜ」
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私は後遺症野郎が言うように、もう一度『小説の書き方』を手に取って開いてみた。目次を見ると、この本の構成は三つの内容で書かれていた。
一、小説の基礎編
構想、テーマの立て方、文章の書き方、プロット、ストーリー、キャラクター作り
二、小説の書き方実践編
有名作家の小説の書き方紹介
三、各賞への応募方法
デビューのための方法
パラパラとページをめくってみたが、なんだか難しそうである。
「ねえ後遺症さん、なんだか難しそうなことばかり書いてありますよ。見たことも聞いたこともないような言葉だらけです」
「そりゃそうだ。俺もお前も初めての世界だからな、わからないことだらけに決まってる。頭の悪い俺たちには難しい世界かも知れないからな。そのうえ俺たちは全くの素人なんだ、まずは小説の基礎編だけ読んだらいいんじゃないの。後の方は本気で小説家を目指している人が読むところだよな。今の俺たちには関係ないと思うぜ」
「ええ、私もそんな気がしますね。有名作家に学ぼうにも、基本のキがわからないんだから、読んだとしてもチンプンカンプンだと思いますね」
「まあ、焦ることはないさ。入院している間に、ゆっくり勉強しようぜ。まずは構想だね。ところで構想ってなんだっけ? 」
「構想とは…… この本によるとですね…… ジャンルのようなものですね。恋愛小説にするのか、歴史ものにするのかを決めないといけないみたいですね」
私は良くわからないままに、読み進めていった。
まずは構想を決めたら、プロットというものを考える。それから、舞台やキャラクターを決めて、ストーリーを作る。そして書く。これが小説を書く一連の流れのようだ。
「後遺症さんよ、やっぱり難しそうな気がしますね」
「そうかな、俺は今まで読んできて、何となく書けそうな気がしているんだけどな」
後遺症野郎は続けた。
「つまりだ、俺の理解では、小説というのは料理を作るようなものだ。小説を料理に例えると、まず今晩は何を作ろうかと考える。和食か? 中華か? 洋食か? そこで今晩は洋食にしようと決める。今度はもう少し具体的に考える。洋食でも何にしようかを考えるんだ。そこで今晩はハンバーグにしようと決める。ここまでが構想だ」
「大まかに今晩のメニューのジャンルを決めて、もう少し具体的なメニューを考えるのが構想なんですね」
「と、俺は理解した。次にプロットを作らないといけない。今晩はハンバーグだから、ハンバーグは合いびき肉と玉ねぎに卵で作ろう。ソースはデミグラスソースで、サラダを添えよう。付け合わせは三種類用意しよう。今晩はお米のご飯はやめて、パンにしよう。ここまでが今晩の料理のプロットになるのかな」
「確かに本にも、プロットは小説の設計図だって書いてありますね」
「設計図かどうかは俺には良くわからないな。そして舞台を考えないといけない。もちろんメインの舞台はキッチンだけど、買い物に行くスーパーも舞台だ。また完成したハンバーグも華やかな舞台に登場させてやりたい。これは我が家にあるお皿の中で、今晩のハンバーグにあうお皿を選ぶ作業だな。サラダの器も考えないといけないな。それからそれらの料理が並ぶ夕食のテーブルも大事な舞台だな」
「そうですよね、物語が展開する場所が全て舞台になるわけですから、それらを全て設定してやらないといけないんですね。料理はキッチンが舞台だけど、キッチンにもいろんなものがありますからね。冷蔵庫にガスレンジ、それにいろんな調理器具に調味料入れもある。実際には物語が登場する地域やその季節の風景、建物の様子、伝統、民話など書かなければいけない要素がたくさんありますよね。小説を書くには、それらを調べて文章であらわさないといけないんですね」
「それは結構大変な作業になりそうだな。だから頭にはいいかも知れないだろ。それから、次にキャラクターを考える。もちろん今晩の主人公はハンバーグなんだけど、料理を作る自分が主人公でもいいのかな? もしハンバーグが主人公だとして、ハンバーグにもいろいろあるからね。がっつりお肉って大きなハンバーグもあれば、ジューシーだけど小さなハンバーグもある。焼き加減にもいろいろあるし、サプライズで中にチーズが入っているのもある。ハンバーグの個性を考えてやらないといけない。同じようにサラダもだ。千切りキャベツだけなのか、レタスを使ったシーザーサラダにするのか? いろいろ考えられる。脇役の付け合わせもどんな特徴を持たせてやるのかを考える。これがキャラクター作りかな。どれもこれも大変な作業になりそうだな。でもきっと頭にはいいと思うぜ」
「どれもこれも大変な作業になりそうですね。実際の小説の中の登場人物は個性的な人が多いですよね、しかし私の周りには平凡な人ばかりで、小説に出てくるような個性的な人はいないから、全部いちから考えないといけないような気がしますね」
「そうだな、俺たちの周りには平凡な奴しかいないからな」
「そういう私たちが一番平凡なんですけどね」
「次に進めよう。そしてストーリーを作る。今日の何時に買い物に行って、何を買ってくる。買い物の途中で、カフェによってお茶をするというサブストーリーもありかな。そして何時からキッチンに立って、それぞれの材料がいつ頃登場して、どういう手順で作っていくのかを、時間の流れに沿って組み立ててやる」
「やっと物語の展開ですね」
「そうだな。今晩の料理の構想が決まって、プロットを決めて、舞台を決めて、キャラクターを決めて、ストーリーを決める。ここまで決まったら、あとはハンバーグという料理を作るだけだ。小説はこの料理を作る作業で決めた構想やプロット、舞台やキャラクターをストーリーに沿ってキッチンで作るのではなく、机に向かって文章で作ると思えばいいんじゃないのかな。なんとなくできそうだと思わないか? 」
「私にはなんとなくできそうにないと思いますよ。それにまだ難しそうなことが書いてありますよ。この一人称と三人称って何のことかな? 」
「一人称と三人称…… ? 」
「この本によると、一人称は、自分の視点で語る文章で、三人称は、他人の視点で語る文書らしいんですが、私にはなんのことやら…… さっぱりわかりませんですね」
「どれどれ…… 簡単じゃないか、例えばだ“むかしむかし、あるところにお爺さんとお婆さんが暮らしていました。お爺さんは山に柴刈りに、お婆さんは川に洗濯に…… ”これが三人称なんじゃないのかな。つまり語り手は、お爺さんでもお婆さんでもない、誰か他人の視点で物語を語っている。それに対して“ボクの名前は桃太郎。どういうわけかは知らないけれど、ボクは川に洗濯に行ったお婆さんが拾った大きな桃の中から生まれたんだ。ボクはこれから鬼ヶ島に…… ”この場合、語り手は桃太郎自身なんだ。主人公自分が語り手になって語るのが一人称なんじゃないのかな? 」
「そうか、なんとなくわかってきたような気がします。でもね、そうすると一人称の場合は自分以外の人の感情や考えを語るのが難しいですね。例えばですよ、三人称ならば“お爺さんは鬼ヶ島の鬼を憎んでいました。いつかは懲らしめてやりたいと考えていました”このように書いても問題は無いと思うんです。しかし一人称だと自分は桃太郎だから、お爺さんが考えていることはわからない。だから、お爺さんの考えを語れないですよね。そうすると“ボクはお爺さんから、お爺さんは鬼ヶ島の鬼を憎んでいること、そしていつかは懲らしめてやりたいと考えていることを話していたのを思い出した”みたいにお爺さんの考えを聞いたことにしないといけないですよね」
「結構、面倒くさい話だな」
「でもそれが基礎なんだから、仕方がないんじゃないですか」
『小説の書き方』基礎編を読み終わった時点で、後遺症野郎は全てがわかったような気になっているらしい。私も少しずつではあるが、小説を書くということに興味を持ってきていた。
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しかしだ、私はもうすぐ五十八歳だ。世の中にこんな年になってから小説を書き始める人なんているのだろうか?
世の中には小説家を目指している若者、いや若者でなくても、小説家を目指している人が、星の数ほどいるに違いない。いや星の数はちょっとオーバーか? でもそういう表現があっているほどいるに違いない。そしてそのほとんどの人は小説でご飯を食べようと思っているに違いない。みんな必死で小説を書いているのだ。
後遺症野郎は、うまくいけばお金になるなんて簡単に考えているけど、小説の世界はそんなに優しい世界ではないと思うのだ。私のように年を取ってから、ボケ対策に趣味で小説を書いてみましょうなんて考えては、いけないのでは無いだろうか?
私は踏み込んではいけない世界に足を踏み入れようとしている自分に不安を感じていた。
お気楽な後遺症野郎が
「さあ、基礎がわかったから、構想でも考えようか」
お気楽に話しかけてきた時、お昼御飯が運ばれてきた。食事を運んできた看護師さんが
「巴邑さん、お食事です。あら、何の本を読んでいらっしゃるんですか? 」
「いや、大した本ではないです。入院中は暇だから…… 」
私は曖昧な返事を返した。間違っても小説を書くとは言えなかった。
寄せ豆腐につくねと大根の煮物、マカロニとツナのサラダにご飯。病院生活に慣れてくると、この三度の食事が一番の楽しみになってきていた。
しかし、楽しみは楽しみなのではあるが、味わって食べるほどではなく、ただただ食事が楽しみなだけであった。
私は、
「さて構想でもとあなたは簡単に言うけれど、何を書いたらいいんでしょうかね? 」
「そうだな、恋愛はダメ、歴史もダメ、異次元はわけわかんない。そしたら、脳梗塞の闘病生活でも書こうか? 」
「闘病生活ですか…… 難しい医学用語を勉強しないといけないですよね。できそうにないと思いますね」
「そうだな、そしたら推理小説でも書こうか」
「推理小説でもって、推理小説に失礼じゃないですか。そりゃ推理小説は好きだし、時には読むこともありますが、読むのと書くのは大違いだと思いますよ」
「でも、一番興味のあるジャンルじゃないか」
「それに推理小説はなんといっても謎解きが醍醐味なんですよね。密室殺人の密室の謎とか、アリバイ崩しとか、トリックを考えないといけないんですよ。私たちにそんなことを考えたりするには、頭の能力が完全に不足していると思うんですけど? 」
「確かにお前の頭の能力は完全に不足している。しかしお前には俺が付いている。俺は無限の可能性を持った脳みそを持っている。」
「あのね、何度も言いますけど、あなたの脳みそも、私の脳みそも同じなんですよ。脳みそは一つしかないから、私の脳みその能力イコールあなたの脳みその能力なんです!」
「確かに脳みそはひとつだ。しかし脳梗塞によって、お前の脳みそは二つの思考回路を持つことが出来た。そして二つ目の思考回路は、今までのお前の思考回路より、はるかに優れた思考能力を持っている。お前は俺という強い見方が出来たんだ。俺たちが協力すれば、きっと推理小説も書けると思う。密室やアリバイのトリックだって作れるよ。なあ、そうだろ」
「なあ、そうだろうって…… それに推理小説のトリックって、もうほとんど出尽くしているんじゃないかと思うのです? 本屋に行ってみてください、推理小説は山のようにあるじゃないですか。それにテレビのスイッチを入れてみてください、毎週、日本のどこかの温泉地や観光地で殺人事件が起きているんです。それもどれもこれも、密室殺人やアリバイのある犯人だらけなんです。私たちが考えるトリックなんて、あの温泉地や観光地の殺人事件の中や、推理小説の山の中に必ずありますよ」
「そうかもしれない。俺たちが考えつくようなトリックなんて、もう誰かが考えて書いているよな。それに俺たちには絶対的な知識量が無い。お前は確かに、推理小説は好きだけれど、読書は嫌いだから、そんなに多くの本を読んでいない。だから俺たちの持っている知識量は少ない。いくら優秀な俺の思考回路でも知らないことはどうにもできない。それに今から本を読んで知識を持とうにも、たぶん本を読んでいる間に俺たちの寿命が来てしまう。俺たちには時間が少ない。だが諦めてはいけない。時間が少ないから知識を集めるのと、小説を書くことを並行してやらないといけない。小説家を目指す俺たちは、これから忙しくなるぞ。」
「ちょっと待って、いつから小説家を目指すことになったんですか? 」
「今からだ。俺たちは今から小説家を目標にして小説を書くんだ。いいかお前、もう俺たちは走り出したんだ、もう止まらないんだ。今日から推理小説を書く推理作家になるんだ。なあ、お前、小説家になろう…… ぜ」
「小説家になろう…… ぜって、何を熱く語っているんですか。あたながそんなに熱くなっても、そんなに簡単には小説家にはなれないですよ。本当にお気楽な後遺症さんですね」
「なんとかなるって、目標は高く持たないといけないんだ。だから、推理小説を書こうぜ」
「わかりました、わかりました。で優秀な思考回路の後遺症の旦那、どんな内容の作品にするんですか」
「決まっているじゃないか。密室だよ。推理小説といったら密室殺人と相場が決まっているじゃないか。密室殺人にしよう」
「密室のトリックは? 」
「トリック? なぁーんですかそれは? 」
「なぁーんですかじゃないですよ。密室のトリックです。勝手にドアの鍵がかかったりはしないでしょ…… どのようにして密室を作るかですよ」
「そんなことは…… まだ考えていない。これからゆっくり考えようじゃないか。お前より優秀な思考回路を持った俺が考える。任せとけ」
「お気楽なことで、で、名探偵も出てくるんですか? 」
「あたりまえだ、名探偵でも迷探偵でもいいが、とにかく探偵の出てこない推理小説は海老の天ぷらの乗っていない天丼のようなものだ。密室殺人と名(迷)探偵は切っても切れない関係にあるんだ。わかったか」
「はいはい、わかりました。あなたの思考回路もきっと迷回路だということもわかりましたよ」
「よかった。やっと俺のことが理解できたようだね」
こいつは本当に脳梗塞によって壊れた脳なのかもしれない、今に腐ってくるかもしれない。そのうち私の頭は全部腐ってしまうのではないかと不安になった。
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後遺症野郎の饒舌は止まらない
「そうだ、せっかくだから、お前の好きな縦溝正史のような、ちょっとオカルトチックな小説にしようじゃないか」
「そんなに簡単に言ったら、縦溝先生に失礼じゃないですか」
「失礼でもなんでもいいや。ようし決めた! オカルトチックなそれでいてちょっとコミカルな密室殺人事件。これでいこうじゃないの、どう? 」
「どう? って言われましてもね…… 」
「山陰の小さな町に伝わる伝説があるんだ。その伝説にまつわるような奇怪な殺人事件が起きる。それも密室殺人だ。誰もが伝説のせいにしたがるんだけど、そこに我らが迷探偵が登場して、この奇怪な事件を解決する。どうだ、もう書けたようなもんじゃないか」
「まだ、何も書けていませんよ。それにどうして山陰の小さな町なんですか? 」
「だってお前は今まで旅行に出かけたことなど無い。だからどこにも行ったことが無い。行ったことがあるのは、中学の修学旅行で行ったことのある九州だけだ。あとはこの山陰の小さな町しか知らない。そして九州に行ったのはもう四十年以上も前のことだ。だから俺たちに書けるのは俺たちが知っている山陰の町しかない」
「わかりました、しかし私の知っている山陰の町には伝説なんかありませんよ」
「そんなものは作ればいい。どうせみんな嘘なんだ。山陰の町も、伝説も、全部作ればいいじゃないか」
「じゃあ、何も山陰の町でなくても、東北でも九州でもいいように思うのですが? 」
「伝説は想像で作ればいいが、町の様子や風景は想像では書けない。見たことが無いものは書けないだろう。それに全部嘘を書くと言っても、最初は本当のことを書くんだ。実際にある山陰の町をモデルにして話が始まる。そしてその本当の中に、少しずつ嘘を入れていくんだ。どうせ小説を読んでいる人は、書かれていることは、全部嘘だって知っている。だから最初は本当のことを書く。その方がなんとなく真実味がある。そして、そのうちだんだんと嘘ばかりになって、そのうち全部嘘に替わっていく。読んでいる人を少しずつ嘘の世界に引き込むんだ。そうだろ」
「よくわかりませんね。でももう決めたんですよね。私が何を言っても、書くんですよね」
「なかなかの理解力ではないか、ようしタイトルは『山陰の小さな町殺人事件』だ」
「ちょっとそれには反対ですね」
「どうして? 」
「だって、あまり奇怪な殺人事件には思えないタイトルですよね。もっと何かありそうな、怖そうなタイトルがいいんじゃないですか…… ? 」
「じゃあ、どんなのがいいんだ? 」
「とにかく、『山陰の小さな町』はやめましょうよ。もう少し謎めいた町の名前がいいな」
そんなやり取りをしていると、また救急車がサイレンを鳴らして入ってきた。どうもこの病室の下あたりが救急の搬送口になっているらしい。
「ああ、また救急車だ。気が散ってしまうじゃないか、あんなにけたたましくサイレンを鳴らされたんじゃ…… 」
「ねえ、後遺症さん。今私たちのいるこの病院のある米郷市から岡山県の方に向かうと、確か碑野郡ですよね。その碑野郡に私たちの小説の町を作りましょうか? 想像の町を作っちゃいましょうか? 」
「碑野郡って山しかない静かなところだぜ」
「そう時間が止まったような静かな町、でも名前は救急車のサイレンのようにけたたましい名前にしましょう。そうだ気多玉市にしませんか。米郷市から山の中に入ったところに気多玉市という名前の市があるんです。いや待って下さい。気多玉市が市では、それなりの人口が住んでいることになりますね。私たちの小説の舞台は静かな町でないといけません。ですから、気多玉市ではなく、気多玉郡にしましょう。鳥取県気多玉郡気多玉町です」
「鳥取県気多玉郡…… いいじゃないか。でも気多郡にしないか? 気多玉郡気多玉町ではちょっとしつこくないか? 」
「そうですね。それでは鳥取県気多郡気多玉町にしましょう。で、米郷市までは本当の話の部分です、気多郡に入ると嘘の話になるんです。その静かな気多郡気多玉町には伝説があるんですよ。ちょっと恐ろしい昔話が伝わっているんです。そうですね、気多玉町には伝説が残る神社があることにしよう。神社の名前は気多玉では軽いので、『玉』の字を『霊』に変えましょう。『気多霊神社』だ、どうです、となく何か出てきそうな名前じゃないか」
「いいんじゃないか。でも何か出そうだけど、コミカルなところがないな」
「何もコメディーを書こうというわけじゃないですよね。別にコミカルなところは無くてもいいんじゃないですか? 」
「いや駄目だ。推理小説には名探偵が必要だ。そしてこの小説に出てくる探偵は迷探偵なんだ。だからどこかコミカルな部分が欲しいんだ」
「そうですか、そしたら『気多霊神社』の『気多』を『毛多』して『毛多霊神社』はどうでしょうか? 毛が多い神社なんです。つまり禿の神様なんです。この神社にお参りをすると、滅びかけている頭髪が復活するというご利益があるいう神社なんです」
「すると何か? 伝説も禿にまつわる伝説にするのか? 」
「いや伝説は恐ろしい伝説です。禿は関係ありません」
「禿も結構恐ろしいと思うけどな。神様の祟りで頭髪がどんどん抜けていく、この場合は神様ではなくて、髪様だな。どうだ『禿伝説殺人事件 髪様の呪い』というのは」
「駄目です。禿ではやっぱり恐ろしさが足りません。それになんだかふざけているような感じがしていけないと思います。タイトルは『毛多霊伝説殺人事件』でどうでしょうか? 」
「いいじゃないか『毛多霊伝説殺人事件』何かありそうな伝説だな。しかしおい、小説ってタイトルから決まるのか? 」
「どうしてあなたが先に言い出したんじゃないですか。でもいいんじゃないでしょうか、タイトルありきでも。何も書き方に決まりがあるわけじゃないでしょ」
「それもそうだな」
「じゃあ決まりですね『毛多霊伝説殺人事件』 で、お話はこうです。鳥取県の米郷市の奥にある小さな町、鳥取県気多郡気多玉町。その気多玉町にある毛多霊神社には恐ろしい伝説が伝わっていた。ある日その気多玉町で殺人事件が起きる。それも密室殺人であった。そしてその殺人事件は毛多霊神社の伝説が…… そこに現れるのが、我らが名か? 迷か? 知らないけれど探偵です。そしてこの密室事件を解決するのです。こんな感じでどうでしょうか? 」
「いいじゃないか。これで構想が出来たんじゃねえの? 」
「本当に単純な後遺症さんですね」
「構想も出来たし、舞台も決まった。あとはキャラクターを考えて、ストーリーを作る。さあ書き始めようじゃないか」
「まだ、密室のトリックが残っていますよ…… 」
こうして作文もまともに書いたことの無い私と後遺症野郎は無謀にも推理小説に取り組むことになった。




