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第17話:ジョネンの悲劇と、エルフの眼差し




魔獣騒動が過ぎ去ったウェルウィナの夜は静寂に包まれていたが、ケイリー**君**にとってその静けさは拷問でしかなかった。彼は粗末な藁のベッドに横たわり、雨漏りのする天井を凝視していた。頭の中では、昼間に聞いたジョネンの不運な噂がぐるぐると回っている。


「ああ、くそっ! あの夜、ジョネンに一体何が起きたんだ?」


ケイリー**君**は右に左に寝返りを打ち、藁の軋む音に苛立ちを募らせる。「『全てを失った』なんて言われてるけど、家は建ってるし、魔獣に略奪もされてねぇ。あの女神のようなウィンダ**さん**だってピンピンしてる。何を失ったってんだ? 尊厳か? それとも倉庫の鍵か?」


彼は起き上がり、あぐらをかいてこめかみを押さえた。「おい、俺の目よ、なんで閉じねぇんだ? アルドリック閣下に殴り飛ばされた時より苦痛だぜ!」


窓の外を見ると、星の位置からしてまだ夜の九時頃。不眠症に屈するには早すぎる時間だ。その時、彼の頭にいたずらなアイデアが浮かび、薄汚れた顔に卑屈な笑みが広がった。


「確かこの時間は、ウィンダ**さん**たちが森の近くの川で水浴びをしてるはずだ。きっと……涼しいんだろうなぁ……」


彼は顎をさすり、顔を赤らめた。「行かなきゃ! 覗きじゃないぞ、断じて! 俺は善良な市民として、彼女たちを『護衛』しに行くんだ。そう、安全パトロールだ! 聖なる乙女たちを狙うはぐれ魔獣がいるかもしれないしな、へへへ……」


ケイリー**君**は小屋から飛び出し、抜き足差し足で川へと向かった。その挙動不審な動きはどう見ても「変態」そのものだった。「ウィンダ**さん**はジョネンのものだって噂だが、知るかよ。バレなきゃ俺の目は保養する権利があるんだ、へへへ!」


しかし、川へと続く曲がり角に来た時、向こうから見覚えのある影が歩いてくるのが見えた。月光に輝くブロンドの髪、そして近づくにつれ漂う蓮の石鹸の香り。


「ケイリー?」


ケイリー**君**は硬直した。心臓が口から飛び出しそうだ。目の前には、肩に小さなタオルをかけ、髪を少し濡らしたウィンダ**さん**が立っていた。その姿は息を呑むほど美しかったが、それはケイリー**君**にとって「作戦失敗」を意味していた。


「ケ、ケイリー! こんな夜更けに、そんなに汗をかいてどこへ行くの?」

「あ、ああ! ウィンダ**さん**! これは……その……ただの散歩だよ! 夜の散歩は肺の健康にいいんだ!」


ケイリー**君**は引きつった笑いを浮かべ、わずか十分の遅刻を呪った。「じゃあ、俺は行くよ! 川の……カエルに急用があるんだ!」


「ちょっと待って」

ウィンダ**さん**の柔らかな声が彼を止めた。「どうして最近、私を避けるの? あの魔獣騒動以来、私の顔を見るたびに血に飢えたレックスサウルスを見たみたいに逃げ出すじゃない」


ケイリー**君**は汚れた靴の先を見つめた。「……だって、君はもうジョネンのものなんだろ。あんまり長く話すと誤解されるし、人妻に手を出したって街の人にボコボコにされるのは勘弁だ」


ウィンダ**さん**は一瞬絶句し、それから鈴を転がすような笑い声を上げた。


「ははは! ケイリーったら……何を言ってるの? 大いなる誤解よ!」


「誤解? 何がだよ。街中の連中が言ってたぜ。君がジョネンにラブレターを送って、あの夜に部屋に招いたって!」


この世界では、部屋への訪問を促す手紙を送ることは、男性がそこを訪れて夜を共にすれば正式な「婚約」と見なされる伝統がある。


「手紙を書いたのは私よ、それは本当」ウィンダ**さん**は道端の長椅子に腰を下ろし、ケイリー**君**にも座るよう促した。彼は恐る恐る隣に座る。「でも、あれは母に頼まれて書いたの。母は長く未亡人だし、ジョネンはよく屋根の修理や薪運びを手伝いに来てくれていたわ。母は、彼なら老後の伴侶にふさわしい温かい人だと思ったのよ」


ケイリー**君**の目が点になった。「はぁ!? つまり、あの手紙は……君のお母さん宛てだったのか!?」


「そうよ」ウィンダ**さん**は苦笑いした。「問題は、ジョネンが自信家というか、少しおバカさんだったことね。彼は市場で会う独身男性全員にあの手紙を見せびらかして、『今夜、ウィンダの部屋に行くんだ!』って言いふらしたの」


「待て……じゃあ、あいつは君の部屋には入らなかったのか?」


「あの夜は魔獣の襲撃があったでしょう?」ウィンダ**さん**は笑いを堪えて顔を赤らめた。「混乱していて、暗くて、悲鳴が響き渡っていたわ。ジョネンは焦って、住民に見つからないように裏の窓から飛び込んだの。でもそこは、開けっ放しになっていた母の部屋の窓だったのよ。母の話では、ジョネンは暗闇の中で母を強く抱きしめて、『どんな魔獣からも君を守る』って誓ったんですって。ロマンチックだったわ、……相手が違ったけど」


ケイリー**君**は口を塞ぎ、喉元まで出かかった笑いを必死に堪えた。「それで? 朝になってどうなったんだ?」


「夜が明けて、隣に誰がいるかを見たジョネンは……凄まじいショックを受けていたわ」ウィンダ**さん**は涙を流しながら笑った。「彼は自分が私のお母さんと結婚したことに気づいたのよ。だから今もあんなに元気がなくて、絶望してるの。『全てを失った』――自分の若さも含めてね!」


ジョネンの謎が解けた。ケイリー**君**は肩の荷が下りるのを感じた。ウィンダ**さん**はまだ独身だ! 恋愛市場に残っている!


「ああ……ジョネンは気の毒だが、よかったぁ!」


思わず本音が漏れた。彼は勇気(あるいは狂気)を振り絞り、ウィンダ**さん**をじっと見つめた。「じゃあ、その……良ければ俺も、君の部屋に招待してくれないか、ウィンダ**さん**?」


ウィンダ**さん**は黙り込んだ。そして、突然――。


「ええ、もちろんよ。あなたが私の部屋に来たいなら、いつでも待っているわ、ハンサムさん〜」


その声は……ウィンダ**さん**のものではなかった。低くて、しわがれていて、脂ぎった声。ケイリー**君**が隣を見ると、いつの間にかウィンダ**さん**の姿はなく、代わりに厚化粧をした超肥満体の老婆が、ケイリー**君**の手を握ってウインクしていた。


「ぎゃぁぁぁぁ! 誰だあんた!? ウィンダはどこだ!?」


絶叫するケイリー**君**。遠くの方で、ウィンダ**さん**が手を振りながら自分の家へと歩いていくのが見えた。彼女はケイリー**君**を新たな「捕食者」の元に残していったのだ。


「へへへ……照れなくていいのよ、いい男……さあ、おばさんの家へ行きましょう」

「お断りだ! 誰があんたなんか! ウィンダ、待ってくれぇぇぇ!!」


ケイリー**君**は手を振りほどいて猛ダッシュし、不機嫌そうな老婆を道に残して逃げ去った。


しかし、ウィンダ**さん**はすでに家に入り、扉を閉めていた。それでも彼の喜びは収まらなかった。この吉報を祝わねばならない。彼はウェルウィナで一番賑やかな酒場へと足を向けた。


**バァァァン!!** ケイリー**君**は酒場の扉を蹴破った。


「よぉ、野郎ども! 飲もうぜ! 今夜のビールは全部俺の奢りだ!」


酒場中が静まり返った。飲み仲間のトト**さん**が目をこすった。「ケイリー? お前、なんで生きてるんだ!? 噂じゃアルドリック閣下に消し飛ばされたって聞いたぞ!」


ケイリー**君**は豪快に笑いながら、特大のジョッキを注文した。「あのクソジジイの拳は確かに効いたぜ! 馬車に跳ね飛ばされたみたいに東の果ての村まで飛んでったがな! だが、俺様はあの程度のパンチで死ぬほどヤワじゃねぇんだよ!」


「ははは! 吹かしすぎだ! そんな距離飛ばされて生きてる人間がいるかよ!」


トト**さん**が肩を叩き、ケイリー**君**はむせそうになった。「まぁいい、その汚いツラを拝めて嬉しいぜ。だが、なんで急に太っ腹なんだ? 誕生日か?」


「誕生日? 違うね!」ケイリー**君**はテーブルの上に立ち、ジョッキを高く掲げた。「今日は、俺たちの戦友、ジョネンの門出を祝おうじゃねぇか! ウィンダの義理の父親に就任した、ジョネンの成功に乾杯だ! はっはっは! 飲め!」


酒場中に爆笑の渦が巻き起こった。「ウィンダの新しいパパに乾杯!!」


このニュースは、ウェルウィナの独身男性連合にとって最高の福音だった。これまでジョネンに嫉妬し狂っていた彼らは、まるで戦争に勝ったかのような気分だった。


「ところでウィンダ**さん**の話だが……」トト**さん**が酔いで赤くなった顔で言った。「アイアンヴェール家に仕える凄腕の騎士が、彼女にプロポーズするって噂だぜ。男前で、金持ちで、将来有望な騎士様らしい」


**ガシャン!!** ケイリー**君**の手からグラスが落ちそうになった。「な、なんだって? アイアンヴェール家の騎士? あのクソジジイ・アルドリックの部下か?」


「ああ」トト**さん**は溜息をついた。「来週には金貨の結納品を持ってくるらしい。俺たちの希望も終わりだな、ケイリー」


酒場の盛り上がりは一瞬で冷え込み、独身男たちは力なく家路についた。ケイリー**君**もまた、フラフラとした足取りで小屋へと戻った。「勝ったと思った瞬間にこれかよ……心臓が持たねぇ……」


数日後、ケイリー**君**は未だ悲しみの雲の中にいた。彼は虚ろな目で家を出ると、庭の大きな木に登った。数日前に設置した『カメラ・オブスクラ』を回収するためだ。


彼はその木の箱を港近くの広場へ持ち込み、海に面した古いベンチに座った。カメラの裏蓋を開け、植物の汁で作った簡易的な現像液で処理した一枚の紙を取り出す。

「わぁ……すげぇな」


ケイリー**君**の感嘆が、一時的に悲しみを上回った。「めちゃくちゃハッキリ写ってる。白黒だけど、港の船も水の波紋も完璧に捉えてるぜ。動くものは写せねぇのが残念だが……」


彼はその静止画を誇らしげになぞった。「少なくとも、俺はこの世界に歴史を刻んだ。本物の天才だな」


「あら……その絵、とても素敵ね。すごく……写実的。こんなに小さくて精密な絵、初めて見たわ」


鈴を転がすような美声が耳元で響き、ケイリー**君**は心臓が止まるかと思うほど驚いてカメラを落としそうになった。彼が素早く振り返ると、そこには――。

今まで見たこともないレベルの美女が立っていた。


深い森のようなグリーンのドレスを纏い、肌は磁器のように白く透き通っている。そして何より目を引くのは、美しい銀髪の間から覗く、長く尖った耳。


「き、君は誰だ……? エルフ……なのか?」

彼女は答えず、ただ純粋で優しい微笑みを浮かべた。そのエメラルドグリーンの瞳がケイリー**君**を見つめる。


瞬間、ケイリー**君**の鼓動は自分でも聞こえるほど激しく打った。ウィンダ**さん**への失恋の痛みは、まるで高位魔法で修復されたかのように、一瞬で完治してしまった。


「その絵、近くで見てもいいかしら?」

エルフの女性が、とても丁寧な口調で尋ねた。


ケイリー**君**はただ馬鹿みたいに頷き、震える手で写真を差し出した。彼の脳内ではすでに新しい計画が始まっていた。



毎週月曜日、水曜日、金曜日の19時10分に更新

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