月の王子と、最後のワルツ
満月の光が、窓から静かに差し込んでいた。
レイは鏡の前に立っている。
胸の奥が、落ち着かない。
ユラに会いたい。
けれど、この夜が始まらなければいいとも思う。
石は——
まだ光っていない。
その時。
鏡が、ふっと淡く輝いた。
レイは息を止める。
少しして。
鏡の中から、ユラが現れた。
いつもよりゆっくりと。
今日は、転びそうになることもない。
白いロングワンピースの裾を揺らして、
静かに、けれどしっかりと一人で立った。
「今日は……いつもと違うね」
レイは少しだけ目を細める。
「……よく似合ってる」
ユラは少し照れたように笑って、
くるっと回って見せた。
「今日は、1番ドレスっぽい服を着てきたの」
それから、少し言葉を切って
レイを見る。
「ねえ」
「もう一度、踊ろう?前みたいに」
レイは少し黙る。
何かを堪えるように、一度目を閉じると、
微笑んで言った。
「約束を、覚えていてくれたんだね」
「踊るなら……今日は庭園に出てみる?」
レイは窓の外を見た。
「月がきれいだし」
ユラは少し不安そうに笑う。
「誰かに見つからない?」
「庭園まで、転移して連れていくよ」
レイは肩をすくめる。
「だから、大丈夫」
「転移は、見せてくれないんじゃなかったの?」
「必要なければやらないだけで、苦手なわけじゃないよ」
「安心して」
レイは、できるだけいつも通りに微笑んだ。
「でた、完璧王子……」
二人は、小さく声に出して笑いあった。
まるで、何も変わらない夜みたいに。
そしてユラを優しく抱き寄せると、
わずかな紫の光とともに庭園へ転移した。
そして2人は、月が静かに照らす庭園へ出てきた。
優しい風が、ユラのスカートをゆらす。
レイは、ユラに手を差し出した。
「……レディ」
少しだけ微笑む。
「踊っていただけますか?」
ユラはくすっと笑う。
「王子様っぽい」
「こういうの、好きでしょう?」
レイはいたずらっぽく笑う。
ユラは少し頬を赤くして、視線を逸らした。
「うん……すごく、カッコいい」
レイは、わずかに目を細めて微笑んだ。
そのまま、ほんの少しだけ視線を落とす。
ユラはスマホを操作する。
「前と同じ曲でもいい?」
「もちろん、いいよ」
やわらかな旋律が流れ始める。
明るくて、軽やかな曲。
二人は、ゆっくりと踊り始めた。
曲は明るいのに、
二人の動きはどこか静かだった。
言葉はほとんどない。
ただ、離れないように。
互いを確かめるみたいに、
指先を絡めたまま、ゆっくりとステップを踏む。
この時間が、ずっと続くように。
ふと、ユラは空を見上げた。
整えられた夜の庭園の上空には、星が瞬き、
静かに満ちた月が浮かんでいる。
その光を背にして踊るレイは、
どこか現実離れして見えた。
ユラは、ふっと笑う。
「レイって、なんか……月の王子様みたい」
ーー私には、手の届かない月
レイは少し首を傾げる。
「そう?」
それから、やわらかく笑った。
「今は、王子じゃない」
少しだけ目を細めて、
「……ただのレイだよ」
――ああ。
そういうところが、好きなんだよな。
……だから、困る。
ユラは、笑みが溢れた。
――その瞬間。
ユラの体が、ふっと淡く光り始める。
レイは、とっさにその手を強く握った。
二人は、言葉を失ったまま見つめあう。
レイの喉が、かすかに動く。
それでも、言葉が出ない。
「ユラ……」
声がかすれる。
「まだ、消えないで」
いつものように白い光に包まれて、
ユラの輪郭が、霞むようにほどけていく。
レイは、ユラを抱きしめた。
一秒でも長く触れていたくて、ただ強く。
「お願いだ」
ユラは、レイを抱きしめ返した。
「……もう、時間みたいだね」
声が震える。
「レイ。もう会えないかもしれないから……」
小さく息を吸う。
「言っておくね」
ーー何度も心の中で練習してきた言葉を
レイは首を小さく横に振った。
ユラは泣かないように堪えて、笑った。
ちゃんと、笑えているはずだった。
「レイ、大好きだよ」
「私のことは、忘れていいから」
レイが息を呑む。
「でも」
「レイには幸せになってほしい」
「……心から、笑っててほしい」
レイは首を振る。
そのまま、ユラの肩に顔を埋めた。
そこにあるはずの温もりが、薄れていく。
「そんなの、無理だ」
絞り出すような声だった。
片腕で強く腰を引き寄せながら、
もう片方の手で、光に溶けて行く髪をなぞるように撫でる。
「一度は転移したんだ。必ず迎えに行く」
レイはユラの目をまっすぐに見た。
「……ユラが、必要だ」
その言葉は、驚くほど自然に口をついて出た。
そこに、もう迷いはなかった。
ユラの頬を、堪え切れない涙が伝った。
ユラの体がサラサラと消えていく。
ユラは、わずかに目を細めた。
最後に、精一杯微笑む。
そのまま——
レイの腕の中で、
ユラは静かに消えた。
レイは、しばらく動かなかった。
きつく目を閉じる。
頬を、一筋だけ涙が伝った。
「忘れるわけ、ないだろ」
レイは、ゆっくりと拳を握った。
次の瞬間、
紫の光と共にレイの姿は庭園から消えていた。




