第21話 外にいる気配
家の裏で枝が折れる音が響いた瞬間、
室内の空気はぴたりと凍りついた。
(風じゃない……確実に“人”だ)
エルドはそっとリオナの腕を引き、棚の影へ身を寄せる。
息をする音すら出せないほど、静寂が張りつめていた。
外をゆっくり歩く足音。
ひとつだけ。
重すぎず、軽すぎず――
“探している”足取り。
◇
コ……ッ コ……ッ
裏口のすぐ横で足音が止まった。
リオナが震えを押し殺した声で囁いた。
「……エルド、今の絶対に人よ」
「動かないで……」
エルドも喉がひどく乾いていた。
◇
次の瞬間――
「……クソッ。あのガキ、どこ行きやがった」
男の低く押し殺した声が外から聞こえた。
二人は同時に息を飲む。
(“ガキ”?……子どもを探してる……)
続けて、もう一つの声。
「親どもはもう連れてったんだ。
残ってるのはあのチビだけだ。早く見つけねぇと“買い手”に怒鳴られる」
リオナの肩が小さく震える。
(やっぱり……人攫い……!)
足音はしばらく家の周りをうろついたが、
やがて森の奥へと消えていった。
◇
沈黙が戻ると、リオナが低い声で言った。
「……エルド。
今の声……本物だよね」
「うん。
子どもが一人……逃げてる」
落ちていた青いハンカチ。
片方だけの草履。
引きずられた跡。
すべてが線でつながっていく。
(親は連れて行かれ……
子どもだけ逃げ延びたんだ)
◇
「行こう」
リオナが言った。
「探して……助けなきゃ」
エルドは小さく息を飲み、うなずいた。
「……うん。行こう」
二人は裏口から静かに外へ出た。
◇
曇り空の下、森の匂いが濃く漂っていた。
「アイツらの足音、こっちに消えていったね。
まずは後を――」
エルドが言いかけると、
リオナはすぐに首を横に振った。
「違う。
子どもが走り続けるなんて無理だよ」
「……たしかに」
「たぶん逃げて、怖くなって……
どこかに隠れてうずくまってる。
そのほうが、あいつらには見つかりにくい」
エルドはハッとした。
「じゃあ……逆。
アイツらが“来た方向”を調べよう」
「うん。森の縁から探そう」
二人は森の入口へ向かった。
◇
木々が影を作り、薄暗い。
草が押されている場所がいくつかあるが、
どれが新しいのかは判別しにくい。
その中でリオナが立ち止まった。
「エルド……ここ」
草が丸く押しつぶれ、
小さな身体がしゃがみこんだ跡になっている。
「……子どもだ」
エルドは確信した。
「近い……」
リオナは森の奥を見つめた。
二人は息を合わせ、慎重に深い方へ進む。
◇
そして――
「……ひっ……ぐ……」
小さなすすり泣きが風に混じるように聞こえた。
「エルド……!」
リオナが茂みを指差す。
そこには、
木の根元で体を丸め、震えている小さな影。
「だ……だれ……?」
怯えた声。
エルドはゆっくりと膝をつき、
優しく声をかけた。
「ぼくたちは敵じゃないよ。
助けに来たんだ」
リオナもそっと声を添える。
「怖かったよね……今はもう大丈夫だから」
子どもは涙をぬぐいもできず震えながら言う。
「……ママ……と、パパ……いなくなった……」
エルドの胸がきゅっと締めつけられた。
「大丈夫。
ぼくたちが一緒にいるよ」
そのとき――
バキッ――!
さっきよりも近い場所で枝が折れる音。
リオナが鋭い声で囁く。
「……来てる。
あいつら、戻ってきたんだ」
エルドの背中に冷気が走った。
(このままじゃ……見つかる!)
「子どもは……木の根元に隠れて!」
リオナが素早く判断する。
子どもは震えながらも従い、
木陰に体を滑り込ませた。
◇
リオナが小声で言う。
「エルド、あっちの細い道……
茂みを揺らして、音をずらすよ」
「分かった」
エルドが足を踏み出そうとした――その瞬間。
ポツ……
頬に冷たいしずくが落ちた。
「……雨?」
リオナが空を見上げる。
すぐに細かな雨粒が増え、
あっという間に森全体を包んでいく。
サァァァァァ……
静寂を覆い尽くすほどの雨音。
草の音も、枝のきしみも、足音さえもかき消される。
エルドは息をのんだ。
「これ……雨音で、全部……紛れる……!」
「うん! 足跡も消える!
あいつら、探しにくくなるよ!」
雨脚はみるみる強くなり、
森の“気配”を薄くしていく。
(ユランさん……
“昼前に雨が来る”って言ってた……)
あのときの予告が、いま三人を守っていた。
◇
「今だよ! 声出さないで!」
リオナは子どもに手を差し伸べる。
「さっきの建物まで戻ろう!」
エルドも子どもの手を握る。
三人は雨のカーテンの中を走り出した。
◇
雨が地面を打ち、
全ての気配を曖昧にする。
森の奥から男たちの声が聞こえるが、
方角は掴みにくくなっていた。
「どこだ! 足跡が消えやがった!」
「雨のせいで分かんねぇ!」
(今のうちに……早く……!)
リオナが建物の影を指差した。
「エルド! もう少し!」
「うん……!」
三人は泥を跳ね上げながら走り、
建物の扉へ飛び込んだ。
エルドが急いで扉を閉め、鍵を下ろす。
◇
雨音が壁を打つ中、
三人は暗い部屋の奥に身を寄せた。
子どもは震えた声で囁く。
「……あの人たち……もう来ない……?」
エルドは息を整えながら答えた。
「大丈夫。
今は雨が……守ってくれてる」
リオナも優しく背中をさする。
「ユランが戻ってきたら、ちゃんと守ってくれるから」
だが、エルドの胸のざわつきは消えない。
(ユランさん……早く……
この子を助けられるのは、もうぼくらしかいないんだ)
雨の音が、世界を覆うように響き続けていた。
――第21話 了/次話につづく
今回の話は、これまでより緊張感が強めの内容になりました。
エルドとリオナが“誰かを守る側”に踏み出す瞬間でもあって、
書いていて自分でも少し手に汗をにぎるような回でした。
こういう場面は苦しいけれど、
ふたりの成長を描くうえで欠かせない部分でもあります。
読んでくださって、本当にありがとうございます。
次回は、雨によって守られた三人がどう動くのか。
ユランが戻る前に、状況はどう変わっていくのか。
引き続き見守っていただけたら嬉しいです。




