第20話 道の途中に落ちていたもの
夕暮れの林に響いた木の割れる音。
その後、誰かが追ってくる気配は結局なかった。
風のいたずらと言ってしまえばそれまで。
けれどエルドの胸の奥には、
説明のつかないざわつきが残っていた。
(……なんだろ、この感じ)
◇
翌朝。
霧がゆっくり晴れていく街道を、三人は歩き始めた。
「昼前に雨が来る。少し急ごう」
ユランは空も見ずに言った。
「ほんとに? 風の匂いはそんな感じじゃないけど」
リオナが眉を上げる。
「土の匂いだよ。湿り方が変わってきてる」
ユランは軽く笑った。
エルドは感心して息を漏らす。
「すごい……」
「君の“見抜く力”と比べれば普通だよ」
そう言ってユランはエルドの肩を軽く叩いた。
胸がじんわりと温かくなる。
◇
古い橋にさしかかったところで、リオナが足を止めた。
「あれ……布?」
欄干の“内側”に、小さな青い布が落ちていた。
刺繍の細かさから、子ども用のハンカチだとすぐ分かる。
「風なら……こんな落ち方しないよね」
エルドがそっと拾う。
ユランは橋の下を覗き込んだ。
「草の倒れ方が不自然だ。
落ちたというより、誰かがここで何かをしようとして……
布が落ちたか、引っ張られたか」
「引っ張られた……?」
リオナの声が少し震える。
エルドは欄干の下を見つめた。
草が細く裂け、軽いものを引きずった跡が残っている。
(昨日、見た跡に……少し似てる)
胸のざわつきが強まった。
◇
小さな丘を越えると、
二人の前方から馬のいななきと、急いだ足音が聞こえた。
「止まって」
ユランが手を上げる。
一人の騎士が馬で駆け抜けていく――
三人には目もくれず、ただ急ぐように遠ざかっていく。
リオナが小さく呟く。
「……急ぎすぎじゃない?」
ユランの表情は、ほんのわずかに険しくなっていた。
「呼び出しを受けたときの顔だ。
“どこかで人が足りない状況”が起きてる」
エルドとリオナは息を飲んだ。
◇
昼過ぎ。
次の街の手前にある“小さな宿場跡”へ着いた。
本来なら旅人が数人いるはずなのに――
そこは、不自然なほど静まり返っていた。
「……誰もいない」
リオナが呟く。
ユランは剣に触れず、しかし明らかに警戒を高めていた。
「慎重に行くよ。二人ともついてきて」
三人は宿場跡の敷地に足を踏み入れた。
◇
そこには、時間が途中で止まったような光景が広がっていた。
・倒れた椅子
・開きかけた荷物
・土に散らばる食器
・浅く乱れた足跡
・小さな草履が片方だけ落ちている
・そして、地面に続く“軽いものを引きずった跡”
「……っ」
リオナが息を詰める。
エルドは足跡を見比べながら、ゆっくり言った。
「大人が……三人。
走って、つまずいて……逃げてるみたいに」
「じゃあ……誰かに追われてた?」
リオナの声が震えた。
エルドは続ける。
「小さい足跡も……ひとつだけ。
それから……この跡、軽いものを……引っ張ってる」
ユランは散らかった地面に視線を落とし、
ゆっくり息を吐いた。
「……さっきの奴らが急いでたのは、これが原因か……」
その声は静かだったが、
状況の重さをはっきり伝えていた。
◇
「ユランさん……追うの?」
エルドが問うと、ユランは静かに首を振った。
「エルド、リオナ。
ここから先を三人で追うのは危険すぎる」
ふたりが息をのむ。
「奴らは――」
ユランは周囲を見渡し、低く言った。
「一度襲った街に戻るような危険は冒さない。
戻れば見つかる可能性が高いからね」
リオナの眉がひそむ。
「じゃあ……」
「だから君たちは、この宿場跡にいた方が安全だ。
むやみに動かず、隠れていた方が生き残れる」
ユランは宿場跡の建物を指差す。
「あの家。扉は内側から鍵がかけられる。
裏口も生きてる。
何かあったとき逃げられる構造だ」
リオナはすぐに駆け寄って確認する。
「……ほんとだ。ここなら隠れられる」
ユランは続けた。
「ぼくは街へ行って、護衛団を動かす。
必ず助けを連れて戻る。
それまで――ここで待っててほしい」
エルドは拳を握り、
けれどその判断を理解してうなずいた。
「……わかった」
◇
ユランが去り、
ふたりは指定の建物へ入り、内側から鍵をかけた。
扉が閉まると、外の音がすっと遠ざかる。
「ここで……待とう」
「うん」
ふたりは奥へ腰を下ろした。
風が壁をなでる音だけが、かすかに聞こえる。
そのとき――
パキッ。
家の裏手、すぐ近くで枝が折れる音がした。
リオナが固まる。
「……今の、風じゃないよね?」
エルドは呼吸を止めた。
(誰か……いる?
ユランさんじゃ……ない)
沈黙が、部屋いっぱいに広がった。
――第20話 了/次話につづく
20話では、エルドたちが旅の途中で“ただの痕跡ではない異変”に出会う回でした。
誰かが追われたような足跡や、無人になった宿場跡など、
影の気配がはっきりし始める入口の話になっています。
ここから先は、三人の旅がいよいよ緊張感のある展開に入っていきます。




