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第5話 ヒロインと婚約典範(前編)


 ユーリの提言を受けて、薬師の診療所に監視を配置した。とは言っても、直接我が公爵家の命を伝えた間者を診療所付近に配置した訳では無い。


 直接的にやったことは我がファブリシア公爵派に属する枢機卿一派の者を教会の人事再編の折に南部辺境伯様の領内の教会の司祭として差配するように命じただけだ。

 そして私の意向を汲む司祭に対しては、教会の施しを受け暮らす貧困層の者らに接触して、その中でも病を患っていると思わしき人物に対して路銀を渡し、薬師の診療所へ行くように誘導するように命じた。

 無論、路銀を受け取った全ての者が治療を受けに行くわけでは無い。その金をそのまま懐に仕舞う者も居る。あるいは仮病を偽り司祭から無心をする者も居る。はたまた、素直に診療所に向かおうとしても破落戸ごろつきに襲われ金を奪われた者も居る。だが、そうした者らの動きを一切封じることなくひたすらに治療が必要であると判断した者に対して金を渡すようにした。無駄な金を敢えて使っていることを見せることで、これが何らかの策略ではなくこの司祭の弱者救済を慮る清廉潔白な精神からの行いだと演出させるためだ。

 そしてその工作資金に必要な金は、ユーリが薬師の援助に利用した西国の中堅商会を経由させて寄進させた。これで、仮に司祭の滅私の奉公心を疑念に思ってこちらの腹を探られても『西国の中堅商会が、自身の後援する診療所の研究成果を調べるために新薬の被験者を集めていて、その過程で司祭を利用している』という誤った結論を導けるように誘導した。

 実際に診療所と商会の双方に成果と利益が出ているとなれば、その事実をひっくり返してまで更に深く調査を行おうとするのは容易ではない。人は隠された真実を知った、と思った瞬間こそ何よりも物事を信じ込むものなのだ。


 そこまでの金と労力をかけて私が求めたのは、診療所を利用する患者の噂話だ。そう、ここまでの仕組みを組んで、真に求めるものはたったそれだけ。

 常人であれば、そのような噂話をかき集めるのにこんなことをするとは思わない。これは仮に他領の間諜に全てを探られて正確な報告が為されたとしても、その報告を判断する人間が正解・・を切り捨てさせるために仕組んだものだからだ。


 そして、それでも尚我々の真意について寸分の狂いもなく正解に辿り着く者が居たとすれば。

 それは余程の金勘定の出来ぬ阿呆の統治者か、あるいは諜報部の報告を自身の常識や倫理観よりも高く見積もっている人物か。――もしくは、この診療所の薬師の下女の希少性、すなわちカトゥー家の末裔であることを知っている勢力に他ならず、私達は労せずしてこの秘密を知る者について絞り込むことが出来る。そこまで踏まえた多段式の策略だ。



 ……で、最終的に得られた情報をセバスと共有する。


「お嬢様、診療所の帳簿付けは薬師ではなく、コレットがやっているとのことでした。税の管理やギルドへの提出書類に対して商業ギルドの人員を借りている形跡が無いことから、このコレットには会計知識があるとみて良さそうですな」


「薬の処方について彼女が直筆で書いた処方箋の筆跡と、ユーリが定期的に交換している新薬の提言について書かれた手紙。その両者が一致か……。

 更に、そのユーリに送られた手紙の中で、薬効と宗教的権威の結び付けに関する提案までしているとなれば……この下女の見識は本物であろうか」


「あくまで薬師が代筆させていたという訳でなければ、という前提が付きますがお嬢様のお考えで差支えはないかと」


 流石は、カトゥー家の血を有する者と言えば良いのだろうか。おおよそ平民としては逸脱した知識と見識を有している。

 この診療所を切り盛りする核となる人物は、薬師ではなく下女であるはずのコレットであると。それを有力な可能性として留め置かなければならない結果であった。


「……我が邸に一度呼びつけ、真偽のほどをこの目で確かめたい。セバス、何か妙案はあるか?」


「そうですな。領外の薬師である故に、呼びつけるには特別な理由が要りまする。

 ……では、こういうのは如何でしょうか。


 お嬢様。本日より貴方様は、香に目が無く噂があれば西国からでも珍しき香木や精油を集める収集家となってもらいます。

 その上で、西国の行商人から伝え聞いたという体裁で、件の薬師と下女を新たな香の製作の為に呼びつけた……とでもしましょうか」


 そのセバスの言葉を一考する。

 私は一から香について学ぶ必要があるという重大な問題があるものの、成程名分としてはありやもしれぬ。

 薬師や医師の類は我が領内にも居るが故に、わざわざ南部辺境伯様の領地から呼び寄せるとなると理由は必須だ。

 ユーリとの手紙の中で、それとなく香について示唆させる文面を書き入れ、その上で診療所内で香の取扱いが増えてきたところで、私が行商人から聞きつけたということにして呼び出す。自演的ではあるが、悪くは無い。


「……まあ、その方向で進めようか。

 しかし、セバス。そなたの本意は、私に少しは年頃の令嬢のような趣味を身に着けろ、とそう言いたい訳だな」


「はてさて、何のことでしょうな。別にお嬢様のことを政務にばかりかまけて、女子らしい趣味を有していない美貌の持ち腐れ……などとは、これっぽちも考えておりませぬ――おっと、全く心に無い言葉とはいえ失言でしたかな? ご容赦を。

 もし罰をご所望ならば、この老いぼれもお嬢様を誑かそうとした罪人として喜んで裁かれましょうぞ」



 ……セバスめ。

 心中の思惑を否定せぬばかりか言葉を重ねて、あまつさえ以前のユーリの叱責の件を蒸し返し釘を刺してきたか。


 ユーリに対して、あのような措置が必要であったことは私は疑わぬ。だがセバスはあの件で上手くいったことを成功体験として、今後私が強権を安易に行使することが無きように、自らを使って諫めようとしているわけだ。


 如何に私室で密かに進めた話ではあったとしても、私に呼びつけられた後にユーリが消沈している様子を目撃すれば、他家から雇用している使用人は何事かあったと邪推し、それを自身の本家へと報告する。

 今後そうした振る舞いをするのであれば、事後の状況についても考慮した上で行動に移せ、とそういうことか。


「……セバスには勝てぬな」


「先々代様と、先代様にご当主様……そしてお嬢様と四代に渡って仕えてきましたからな。この老いぼれの命ごときで良き施政者と為られるのであれば、それに勝る幸福はありませぬとも」




 *


 それから薬師と下女の呼び出しには4ヶ月の期間を要した。


 ユーリは薬師に香を使わせる手段として北方学派の瘴気ミアズマ説を利用した。曰く「空気の清浄化は感染症の予防に繋がるので、十分な換気を行い、香を焚き、そして湿潤を保つことが肝要」ということを伝えたようだ。一応私の方で調べたが、実際に北方学派の論説でも表現は違えど似たようなことは言っていた……あの道化師がそれを知って書いたのかは分からない。

 しかしその手紙を送ってから程なくして『診療所内では嗅いだことの無い不思議な香りがする』という噂が私の下に届いてきた。実際に香を使うようになったのだろう。


 そのタイミングで、件の西国の商会経由で、この診療所へ香の調合依頼を出す。ここに至っては誤魔化しはせず、正式な公爵家の封蝋を拵えた上で手紙を託した。

 これでファブリシア公爵家としての正式な依頼となり、もしこれを断るためには薬師側は南部辺境伯様直筆の書面を用意し、内政干渉か家臣の引き抜きに対する不快感を示さねばならない。そして現状では辺境伯様はこの密かな引き抜き工作を全く認識していないようなので、実質的に断る術はない。


 というところで、南部辺境伯様は少なくともカトゥー家について承知していないことが判明する。

 で、我が領内に薬師らが入ってきた報を受けた後に、素早くセバスを案内役として派遣した。


「お嬢様、御客人が門前に参りましたが……」


「そうですか。では、迎賓室に通しなさい。私も準備が出来たらすぐに参ります」


 思案していたところを女官に話しかけられ、指示を出す。

 同時に護衛を呼び出して、ユーリのときと同じく迎賓室の周囲を兵で囲むように指示を出す。だが、今回は客人が間者で私を害してくる警戒ではなく、客人を別の間者が狙ってくる警戒だ。なので兵はユーリのときよりも遠巻きで私達の会話が聞き取れないように配置した。


 そして、客人を届けたセバスが、持て成しを女官に引き継いだ後、即座に私の眼前に現れる。


「セバス」


「はっ」


「……御客人に刺客は付けられていた? 道中の様子を教えてくれないかしら?」


「いえ、警戒していた限りでは。

 まあ3択でしょうな。監視など付けられていなかったか。遠巻きに付けられていて認識できなかったか。はたまた、余程の手練れが付いているか」


 となると兵で固めるのは正解か。ただカトゥー家の末裔を殺すためだけに、屋敷に籠る我々に襲撃を仕掛けるのは悪手であり考えにくい。無論、その思考の隙を突いてくる危険性は考慮した方が良いものの、あちら側を誅殺するのであれば、辺境伯領から公爵家までの道中で殺すことも出来たはずだ。

 即ち、現状彼女をカトゥー家の末裔と認識している勢力は、殺すだけの理由が無いとみて良いかもしれない。


「……万が一ということもある。無いとは思うが、公爵家もろとも葬り去ろうと考えているやもしれないから、警戒は怠るな」


 私はそれだけ告げて、迎賓室へと向かった。




 *


「――では、報酬はこのように。

 ……ああ、それと薬師殿。我が領内の別邸を用意したので、そこを自由に使っていただければ良い、まあ別邸とは言っても些細なものよ……気にしなくとも良い。必要な材料や機材があればこちらで差配する故、貴殿らの護衛に付けた者へ申し付けてくれれば用意いたしますわ」


 私がここまで告げれば、薬師は何とも言えぬ表情を示した。

 香の開発用の施設と人員と材料と金、その全てを用意すると言えば厚遇であるが、それは我が公爵家に身柄を完全に預けるということに他ならない。

 南部辺境伯様の領地で、診療所を大過なく運営できていたことを考えれば、これは栄典ではなく厄介事と捉える者が居ても仕方がない。


 報酬がいくら良いとは言っても、そもそもこの薬師は別に金に困ってはいないどころか、ユーリの操る西国商会から援助されている上に、私が操る地元の教会の司祭から患者を送られている故、今のままの暮らしを続けていた方が安全でそして充分な金を稼げるのだから難色を示す……というのは当たり前だとすら私は思う。

 だが、所詮は平民と貴族令嬢。身分の隔たりは大きい。


 即答しない薬師の出方を私が窺っていると、薬師の下女・コレットが動いた。迎賓室の周囲を見渡し、彼女から見れば後ろで侍っていた女官を見つけ無言で頭を下げる。


 この状況で、その行動の意味を察せない女官は公爵家本邸などに配置しない。そのコレットの意図を正確に察した女官は私に進言を行う。


「……そこなる薬師のお付きの方が、発言を求めておりますが」


「直答を許すわ。何かしら?」


 私の発言を受けて、コレットは私に向かい直し深々と一礼した後にこう告げる。


「――私のような下賤・・の者の言葉をお聞きくださること光栄の至りでございます。

 ご依頼の香の調合について喜んでお受けいたしましょう。薬師様はあまりに名誉なことであるが故に畏れ多く思っているのです。

 しかしファブリシア公爵家に引き立てられること、これだけでも何よりの名誉であるのに、何から何まで取り揃えて頂いては私達としても申し訳が立ちません。

 ……それに診療所で使っている機材には替えが効かぬものもあります。私達にもささやかながら蓄えはありますので、お許しが頂けるのであれば、一度荷を回収に戻りたいのですが……」


 断れないとみて、即座に条件闘争に切り替えてきたところを見るに、やはりこのコレットが財政的に診療所を差配しているとみて間違いないだろう。

 そしてわざわざ『下賤』という言葉を使ったのは偶然か? それともこちらがカトゥー家の末裔であることを知っているか反応を見ようとしたのか?


 しかし一旦、診療所に戻るというのは捨て置けない。逃げる可能性もある上に、彼女らが殺される危険性も高まる。


「まあ、そういうことでしたの。であれば遠慮なさらずに。我が公爵家の者を遣わせて荷物は全て運びましょう。それでよろしくて?」


 さて。あくまで善意という体を取ったが、どう出る。


「――何から、何まで申し訳ありません。

 それともう1つ。香の調合には危険な作業が付き纏い、薬品によっては悪臭のするものもございます。なのでお屋敷をお借りするわけには……」


「……ああ、そのこと。ふふ、私も香好きの端くれ。それくらいのことは知っておりますわよ。あなた方にご用意した別邸は街や人里から離れた場所にありますわ。

 周辺住民など居ないようなものなのだから気にせずに使いなさいな」


 用意された屋敷という監視の付きやすい場を避けようとしたが、その返答は想定済みだ。

 今まで街中の診療所で作業を行っていたが故に、方便かあるいは公爵家公認となるので我が家の名声を悪臭で貶めないように危惧して進言したのかは微妙なところだが最初から別邸はそういう場所を用意している。何代か前の当主が避暑地として建てたが手狭であまり利用していない小さなものだ。2人で使う分には十分であろう。


 ここまで話せば、それまで放心状態であった薬師も徐々に状況を掴めてきたようで断れない前提で話を進めなければいけないことに気が付いたようであった。

 そして、コレットの方はこちらが善意で押し付けている以上、それを覆してまで条件を変更するには彼女の身分が足りないことに気が付いてきたようである。となれば、想定済みの一手を彼女は打つ。


「……承知いたしました。それでは早速そのお屋敷へと向かおうと思います。

 診療所の荷についてはお願いいたします」


 長居する意味はないので、この場を切り上げる。確かに私の不興を買えば薬師の命など軽く失われるという彼女の危惧は正しい。



 しかし。私にとって香の調合依頼は名目上のものでしかなく、本命はコレット――彼女自身がどういう人物か見極めることである。

 そう易々と逃がす訳にはいかない。


「……あら? 遠路遥々やってきた方々にお仕事のお話だけ、というのは申し訳ありませんわ。せっかく、私と同世代の女の子がやってくる……というお話でしたもの。あなたのことを色々と知りたくて、張り切ってお茶会の準備もしたのですからっ!

 ああ、薬師殿については心配しなくて構いませんわよ、セバスに私の収集した香をお見せするように伝えてありますもの。是非参考にして頂ければ助かるわ」


 こう言うと、薬師は貴族家が集める香について気になるものがあったのか素直にお礼を伝える。


「ええ、構いませんわ。

 それで、コレットさん? ご一緒にお茶会はどうかしら。無論、作法なんて気に致しません、私と2人だけなのですからそのような無粋なことは申しませんわよ」


 私がそこまで告げれば、彼女ははじめて表情を一瞬だけ僅かに曇らせる。しかしその直後には、畏怖の表情を取り繕ってこう答えた。


「……私には場違いな場なれど、ファブリシア様のご同伴に預かる大変な名誉……ありがたく頂戴させていただきます」


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