第6話 ヒロインと婚約典範(後編)
「お嬢様。……コレット様。
こちらでございます」
私の侍女が、我が邸の奥まった場所にある隠れ庭へと案内する。建物と建物に隠れるようにして存在する箱庭で、普段使いするような場所ではない。ひっそりと奥まった場所にあることから、この本邸でも庭師以外は立ち入ることは無く、それでいて隠れ家的なので私が私的に利用することがあることから、従者が仕事を怠ける場としても不適である。
その隠れ庭の東屋には既にティーセットが用意されている。
侍女は不服そうにコレットに敬称を付けたが、無理もない。貴族家の出身である私の従者からすれば、平民であるコレットの名を呼ぶことすら屈辱に感じているに違いない。だが、私がお茶会に誘った手前客人として遇せねばならない。
……その程度の気持ちの切り替えも出来ないか。この侍女は本邸付きからは外すか。
コレットを東屋のティーテーブルに備え付けられた白い椅子に座らせると、私は侍女に向き合いこう告げる。
「あなたは下がりなさい」
「……給仕の者はどういたしましょうか」
「呼ばなくて良い」
二の句を継げれば流石に、不興を買ったことに察しが付いたのかそのまま下がる。
その後、私は見えない距離で周囲を囲む護衛に対して「セバス以外は誰も通すな」と告げて東屋へと戻る。
「お待たせしたわね、コレット」
「いえ、別に……」
周囲の人の気配が無くなったと同時に、コレットは畏まった態度をほとんど解いていた。……つまり、私がカトゥー家の末裔として認識していることを薄々察したのだろう。
でなければ、ここでの態度の変化はありえない。確定ではないがコレット自身も自分の血統を認識している、そう考えた方が良いだろう。
「で、良いのですかファブリシア様。私は本当にお茶の作法なんて分かりませんが……」
「良いのよ。私が誘ったのだし」
そう言いながら、私は彼女と自分のカップにお茶を注ぐ。少々珍しい北方原産の茶葉を使った。香り高い銀色の新芽と大きい若葉を織り交ざった逸品。惜しむらくは最高級品ではないものの、まず市場にすら出回らない貴重な茶葉であることには違いない。下手をしなくともこの紅茶一杯で市井の家族が一族総出で祝い事を出来るくらいの価値はあるだろう。
カップに入れるだけで、素人でも分かるのはその芳醇。
花の蜜やベリーのような甘く濃厚な香りが辺りに広がる。この茶葉を飲みなれぬ者であれば、香り付けを行った花茶かと誤認しかねない程だ。
そして、口にすればまろやかさや香ばしさとともに、摘み立ての茶葉を想起させるような青々しさすら残る。でも決してくどくなく、渋みも全く無い。
そのような紅茶を味わいながらちらりとコレットを見る。
……確かに、本人がそう語っていたように、作法は全くなっておらず飲み方はお粗末そのものだ。まあ、この様子であれば貴族教育は為されていないな。
つまり、カトゥー家の末裔と知る勢力が積極的に彼女に接しているわけではなさそうだ。
しかし彼女の次の一言で私の興味はそちらに惹きつけられる。
「……これは、北方の茶葉ですか? 珍しいですね、あまり流通していなかったはずですが」
茶会の作法は駄目だが、茶葉に対する見識は確かなものであった。
特徴的な芳香と味ではある。だが、彼女の言う通り流通の絶対量が少ない。だから紅茶を嗜む者――すなわち貴族であっても、北方の茶葉の味が分かる人間は限られてくる。
「へえ。分かるのですね」
それは純粋な賞賛であった。そしてこちらが含むところなく彼女を褒める言葉を口にしたことで、彼女はこの本邸に来て初めて表情を和らげる。
「ええ……。
薬師様の下で働くようになったころの話ですが。修道院の書庫をお借りしたときに、何度か修道院長に誘われることがありまして」
修道院で北方の茶葉を集めるとは、世俗的な繋がりが強いかあるいは関係者に北方の出身者でも居たのだろうか。
いや、聞くべきは別の質問か。
「修道院、ですか? 薬師としてのお仕事とあまり関係のない気がいたしますが……」
とはいえ、彼女が薬効と宗教的権威の結び付けを行っていることは知っている。ただ事前に探りを入れていることを勘繰られても困るので質問をする。
「薬師の職分が、自主救済の理念に抵触する恐れがあるのですよ。
神が与えた試練を、人の身で解決するのは烏滸がましい……あるいは、他者の力を借りて乗り越えては真の自己の救済には繋がらない、と否定的に考える信心深き者もいらっしゃるので薬も聖別……とまではいかないですが、神が与えた賜物であるという名分を使う必要があるのです」
成程。清貧と自主救済を尊ぶ教会の教義に比して、病魔という苦難から金銭と引き換えにして手に入れられる薬によって逃れられる、というのは確かに都合が悪いというのも頷ける。
だからこそ薬の方も神聖化することで、神の与えし病に、神の御業である薬の薬効で対抗するという体裁を作り出し、神の力同士をぶつけているのだから薬で病を治したとしてもそれは神の勝利となる、と方便を整えているわけだ。
「へえ……考えたものね。
平民の身でありながら面白いことを思い付くこと。他にも面白い話は無いかしら?」
私は感心してしまい、純粋に興味本位で質問を重ねる。この瞬間だけは彼女自身を見極めるという本義から逸れていた。
そして。その私の気の緩みを、目の前のカトゥー家の血筋に連なる者は逃さなかった。
「……そうですね。では、これも教会関係ですが。
ファブリシア様は、幼少期に王太子様と婚約式を執り行っているのですよね?」
「ええ、私が6歳のときですね。指輪の交換もいたしましたわ。
……あっ、もしかして。指輪交換が『互いの有する所有権を譲渡する』という教会法における契約関係を由来にしているという話かしら?」
「……ええ、まさにその話で御座います。
それ、少し間違って伝わっているのですよ。その元となる法典たる『婚約典範』においては、『婚約は、婚約式における品物の引き渡しにより効力を有する』と書かれているのです。
ファブリシア様。婚約式で指輪以外に王太子様と交換した物品は……ありますでしょうか?」
◇ ◇ ◇
『……良いのでしょうか王太子様。私達の婚約式はまだ終わっていないのにこうやって大聖堂の庭などを散策していて……』
『父が遊んできなさいと僕らを追い出したのだから良いと思うよ、ヴァレリアーナ。だが、夫婦になるのに王太子様では少々他人行儀ではないかな? どうか、グレゴワールと呼んでほしい』
『……では。グレゴワール様』
『うん。呼び捨てで構わないけれどもね。
では婚約者様とのお近づきの印に、こちらの花を』
『……綺麗。この花は?』
『アイリスの花だよ、ヴァレリアーナ。王家の紋章にも使われている』
『まあ、そのような花を頂いたとなれば、私からも返さなければ。
……では、こちらを』
『これは……亜麻かな、でも君らしくないね。もっと華美な花を選ぶと思ったけれども』
『我がファブリシア公爵家は、亜麻を使った布地の産地として名を馳せていたという伝承があります。……その、グレゴワール様が王家の意匠を私にくれるのであれば、私も公爵家を冠するに相応しき――』
◇ ◇ ◇
「――その様子だと、お心当たりがあるようですね。
大事にしてください。私が薬にかけた『方便』とは異なり、その物品には正真正銘の『聖別』が為されているのですから」
「何故、そのようなことを……知っていらっしゃるので?」
完全に形勢は覆された。
色々と気になる点はあるが、最大の問題は彼女の言葉が真であったとき。
あのとき渡されたアイリスの花が指輪とともに婚約を証明する重要な品となる。
だが……もう十年幾ばくかも昔の話。保管場所もあやふやであれば、そもそも処分していないかどうかも怪しいところだ。そもそも捨てられておらずとも枯れ果ててしまっていると考えるのが普通だ。
「修道院に死蔵されていた書物に……」
「そういうことを言っているわけではないわ。
――コレット。貴方、この事が公爵令嬢である私を貶められると知っていて……話しているでしょう?」
教会勢力との関係は我がファブリシア公爵家も有している。だが、王家との婚約の際にそのような重大な話は一度も無かったと記憶している。
つまり、このコレットの知識が真であれば、並みの枢機卿や司祭を遥かに凌ぐ古い聖書の知識があることになる。もし偽だとしたら、既に花は跡形もなく枯れている。コレットが指摘した通りのことを政敵から攻撃されれば、我々はその『婚姻典範』の実在を調べ偽であることを証明せねばならない。
どちらにしても、平民のコレットではなく地位のある貴族が語れば大問題となりかねない発言だ。
「……その反応、やっぱりですね。
平民の薬師手伝いなんて、ファブリシア様の一存でどうとでも出来るというのに、その手段を取らない。
私がカトゥー家に連なる者だと知ってますね?」
こちらの動揺を察してか随分と切り込んできた。
彼女視点で見れば、私がそう考えている傍証がいくつか転がっていたということだろう。かなりの確信をもって聞いてきている。
現時点であれば妄言として切り捨てることも可能だが、彼女がその境遇をどこまで利用するつもりなのかは知っておきたいという悩ましさ。
……話に合わせてみましょうか。
「ええ。調べさせてもらったわ」
「……『調べた』、ですか。となると、教会の人別帳あたりですかね。
言われてみれば急に診療所が繁盛したと思ったら、この呼び出し。時期的には西国商会の援助を受けるようになってから、でしょうか?」
――そこまで読まれるのか。こちらの僅かな言葉で突破口をこじ開けてくる。
だが、そこまで的確に物事を読み当てることが出来るのだろうか。
「あなた……何者?」
「別に平民ですよ。ただちょっと血の因果に悩まされるだけのね。
心配であれば、精神鑑定魔法でも何でも試してください。きっと、ユーリさんから比べれば随分とまともな人であることは間違いありませんから」
精神鑑定魔法を自分で言いだしてきたとなれば、自分がまともである自信はあるか。それにユーリの話を出してきたということは、彼女が転生者という面まで把握しているかは微妙だが、かなり高い精度でそこも把握している。
……やはり、このコレット。転生者なのでは? と勘繰ってしまうが、精神鑑定魔法は魂の入れ替わりや混入すらも見落とさない。本来入るべき魂が器に入っていないことまでもが分かってしまう偽装工作の不可能な魔法なのだ。
それを仄めかすということが指し示す事実は1つ。コレットは転生者ではない。別人の成り代わりや別世界の知識でこのような見識を披露しているわけではない。
「……どうして、こちらの事情にそこまで詳しいのかしらね」
その質問に対して、コレットは自嘲めいた笑みを見せつつ答える。
「呪われた王家の叛逆者であるカトゥー家の血。
これが何を指し示しているかは私も理解しています。ただ……私はそのような古い血筋に囚われて生きていくのはもう……うんざり。
私はその因果を絶ちたいと願ってしまった。
この血を三百年も遺し続けた者らが考えていることは薄々察しが付きます。
――王家に不満を持つ者を迎合するときの体のいい旗頭。それが私の役割。
……で、あれば王太子と婚約しているファブリシア様を眼前に現れた理由を察して欲しいところですが」
――この子、死ぬ気だ。
どうする。殺した方が良いか? 殺せば王家の政権基盤の安定に寄与するのは間違いない。この言い回しを鑑みるに確実に現体制の反対派と繋がっている……それを彼女が望むか否かは別としても。
だが問題は反対派がどれ程の実力を有しているか未知数な点だ。彼女を殺したことで報復される場合にファブリシア公爵家の実力を上回ることはあるだろうか。
懸念点は彼女が異様に宗教知識に長けているという点。生半可な貴族家や諸外国が相手であれば怖くは無いが、流石に教会勢力を相手取るとなると話は異なる。我々に味方する枢機卿は居るもののその権勢は教会全体を掌握する程ではない。
一方で生かした場合彼女は反対勢力と繋がったままであり、それはそっくり危険を抱え込むこととなる。利点は彼女がこちらに信服していれば逆に反対派の情報を搾り取ることができるということ。だが、このコレットがどちらに傾くのかが私には読むことができない。
彼女の背後関係が読めぬのが危険なところだ。凡百の相手であればそれでも強行するのだが……。
それと気になるのは、道化師・ユーリが『必ずや公爵家で引き上げろ』と言ったこと。ユーリの性格的に殺せと言えなかっただけであろうが、囲った方が利益があるような物言いであったのは気になる。
カトゥー家の血を継ぐコレットという少女。彼女の処遇は如何にすべきか――?




