表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『白い結婚』で放置された私、双子の義子を育てていたら氷の辺境伯が溶けました  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/10

第4話「夜泣きの理由」

深夜、悲鳴が聞こえた。


眠りの浅かった私は、一瞬で目を覚ました。暗い天井、冷たい空気、そして——遠くから響く、子供の叫び声。


「リリア——」


ベッドから飛び起き、上着を羽織る間も惜しんで部屋を飛び出した。廊下は暗く、魔導灯の明かりが等間隔にぼんやりと灯っているだけ。その中を、私は走った。


子供部屋に近づくにつれ、声が大きくなる。泣き声というより、叫び声だ。何かに怯えて、助けを求めるような。


扉を開けた。


「リリア!」


暗い部屋の中、リリアがベッドの上で叫んでいた。目は開いているのに、何も見えていないような虚ろな瞳。両手を振り回し、何かから逃げようとするように体をよじっている。


「いや、いや、いやあああっ!」


「リリア、リリア! 僕だよ、起きて!」


ルシアンが必死に妹の肩を揺すっていた。でも、効果がない。リリアは兄の声も聞こえていないように、叫び続けている。


私は瞬時に理解した。


——夜驚症だ。


前世で何度か見たことがある。悪夢とは違う、睡眠障害の一種。本人は眠っているのに、突然叫び出し、暴れ、目を開けていても周囲が見えない。無理に起こそうとすると逆効果になることもある。


「ルシアン、離れて」


「でも——」


「大丈夫。任せて」


私はベッドに上がり、リリアの背後に回った。そっと抱きしめる。暴れる小さな体を、強すぎず、弱すぎず、包み込むように。


「大丈夫、大丈夫。ここにいるよ」


声をかけながら、背中をゆっくりさする。リリアはまだ叫んでいたが、少しずつ、少しずつ、体の力が抜けていった。


「大丈夫。怖くないよ。ここは安全だよ」


繰り返す。同じ言葉を、同じリズムで。子供の脳は、安定したリズムに反応する。混乱した神経を、ゆっくりと落ち着かせていく。


どれくらい時間が経っただろう。五分か、十分か。やがて、リリアの叫び声がすすり泣きに変わり、それも静かになっていった。小さな体が、私の腕の中でぐったりと力を抜く。


「……リリア?」


そっと顔を覗き込むと、彼女はまた眠っていた。今度は穏やかな表情で、規則正しい寝息を立てている。


発作は収まった。


---


「……いつも、こうなんだ」


ルシアンの声が、暗闘に響いた。


彼はベッドの端に座り、膝を抱えていた。その顔は暗くてよく見えないけれど、声が震えているのはわかった。


「お母様がいなくなってから、ずっと。最初は毎晩だった。今は……少し減ったけど」


「三年間……?」


「うん」


三年間。この子たちは、三年間こうやって夜を過ごしてきた。


リリアが叫んで、ルシアンが必死に宥めて、それでも効果がなくて。誰も助けに来なくて、二人きりで朝を待って。


「誰か、来てくれなかったの?」


「……最初の頃は、侍女が来てくれた。でも、そのうち来なくなった」


「なぜ?」


「わからない。僕たちのこと、面倒なんだと思う」


淡々とした声だった。諦めきった、感情のない声。五歳の子供が出していい声ではなかった。


「僕が——僕がちゃんとしてれば、リリアは泣かないのに」


「ルシアン」


「僕がお兄ちゃんなのに、何もできない。リリアを守れない。お母様がいなくなったのも、僕たちがいたからで——」


「ルシアン」


私は立ち上がり、彼の前にしゃがんだ。暗闘でも、彼の目が潤んでいるのが見えた。


「あなたは、悪くない」


「……」


「お母様がいなくなったのは、あなたのせいじゃない。リリアが泣くのも、あなたのせいじゃない」


「でも——」


「でもじゃない。あなたは、悪くないの」


声が震えそうになるのを、必死にこらえた。


この子は、ずっと自分を責めてきたのだ。母がいなくなったのは自分たちのせいだと。妹を守れないのは自分が弱いからだと。


五歳の子供が、そんな重荷を背負って。


「ルシアン。聞いて」


私は彼の両手を取った。小さくて、冷たい手。


「あなたは、十分頑張ってる。リリアを守ろうとして、毎晩毎晩、一人で戦ってきた。それは、すごいことなの」


「……」


「でもね、一人で抱え込まなくていいの。助けを求めていいの。頼っていいの」


ルシアンの唇が、震えた。


「……本当に?」


「本当に」


「僕は……僕は、悪くない?」


「悪くない。絶対に」


その瞬間、ルシアンの目から涙が溢れた。


声を上げて泣くのではなかった。静かに、静かに、涙が頬を伝い落ちていく。三年間、我慢してきたものが、少しずつ溶け出していくように。


私は何も言わず、彼の頭をそっと抱きしめた。今度は、触れても大丈夫だと思った。


「よく頑張ったね」


嗚咽が漏れた。小さな肩が震えている。私はただ、その震えが収まるまで、抱きしめ続けた。


---


その夜、私は子供部屋で朝を迎えた。


リリアはベッドで眠り続け、ルシアンは泣き疲れて私の隣で眠りについた。私はソファに座ったまま、二人を見守っていた。


窓から差し込む朝日が、銀色の髪を照らす。穏やかな寝顔。昨夜の嵐が嘘のように、静かな朝だった。


「……眠れなかったな」


小さく呟いて、目をこする。体は疲れているはずなのに、不思議と眠気はなかった。


「奥様——」


扉が開いて、ハンナが入ってきた。朝食を運んできたのだろう、盆を手にしている。


彼女は部屋の中を見て、目を見張った。ソファで眠るルシアン。ベッドで眠るリリア。そして、その傍らに座る私。


「奥様……一晩中、ここに?」


「リリアが夜驚症の発作を起こしたの。放っておけなくて」


「夜驚症……存じておりました。ですが——」


ハンナの声が、詰まった。


「私たちは、何もできなかった……」


その目に、罪悪感の色が浮かんでいた。長年、見て見ぬふりをしてきた者の、苦しみの色。


私は何も言わなかった。責める気にはなれなかった。この屋敷には、何か構造的な問題がある。使用人たちを責めても、根本は解決しない。


「ハンナ。朝食を子供たちの部屋に運んでもらえる? 三人で食べたいの」


「……かしこまりました」


ハンナは深く頭を下げた。


顔を上げた時、その表情が少し変わっていた。何かを——決意したような、覚悟を決めたような。


何を考えているのかは、わからない。でも、悪いものではない気がした。


「奥様」


「なに?」


「……いえ、何でもありません。朝食をお持ちいたします」


ハンナは一礼して、部屋を出ていった。


---


窓の外を見ると、今日も雪が降っていた。灰色の空から、白いものが絶え間なく落ちてくる。


辺境の冬は長い。まだまだ続くだろう。


でも——。


「んん……」


隣で、ルシアンが目を覚ました。寝ぼけた目で私を見上げて、一瞬きょとんとする。


「……エレナ?」


「おはよう、ルシアン」


「僕……寝ちゃった?」


「うん。よく眠れた?」


「……うん」


彼は少し恥ずかしそうに視線を逸らした。昨夜、泣いたことを思い出したのだろう。


「お腹空いた? もうすぐ朝ごはんが来るよ」


「……うん」


ベッドの上で、リリアも身じろぎした。ゆっくりと目を開けて、私たちを見る。


「おはよう、リリア」


「……おはよう」


まだ少し眠そうな声。でも、表情は穏やかだった。


「今日もいっしょにいる?」


リリアが聞いた。不安そうな、でも期待を込めた声。


「いるよ。ずっと」


私は微笑んで、頷いた。


この子たちを守る。何があっても。


それが今、私にできる唯一のことであり——やりたいことだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ