第34話 リリスの物語。
チュンチュン……。
ん……。鳥が歌っている。
わたしは、この時間が好きだ。
ふと壁に目を向けると、視界に絵が入った。
父上と母上の絵だ。
シャルロット家は、建国の祖である9英雄の血筋だ。父のシオンは、一族にかかる龍の呪いを解くために、龍皇と戦って死んだ。
わたしは、その龍紋を受け継いでいる。
だから、わたし、リリス•シャルロットは、20歳の誕生日を迎えることはできない。
わたしが助かる方法は3つある。
1つ目は、治癒師に解呪してもらうこと。
2つ目は、子をなし龍紋を継承すること。
3つ目は、当代の龍皇を殺すか、その赦しを得ること。
だけれど、3つ目は……。
考えると胸の奥が疼く。
龍皇討伐は、ハイエルフの聖騎士だった父にも成し得なかった。もし、わたしが3つ目を選んだら、きっと屋敷の者たちもついてくるだろう。そうしたら、彼女たちが犠牲になる。
だから、わたしは。
……呪いが解けなければ、諦めるつもりだ。
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今日は、当家に仕えるイオの誕生日だ。
わたしの解呪の為に、彼は4年間を費やしてくれた。そして、約束通り解呪の魔法を覚えてくれた。
解呪に失敗したらと思うと、怖くてたまらない。恐怖で皆の前で泣いてしまうかも知れない。
そうしたら、彼に嫌われてしまうかも。
それに、領民のためにサイファを倒すなんて偉そうなことを言っておいて、自分が死んでしまうなんて……、わたしはとんだ大嘘つきだ。
手首に龍紋が見える。
自分の運命を想像するだけで、指先が震えてしまう。
だから、解呪を試す前の日に——。
『1日過ごして欲しい』と、イオにおねだりしてしまった。
彼は笑顔で引き受けてくれた。
業務外のことなのに、ごめんね。
今、わたしは鏡台に座っている。
さて、そろそろ準備しないと。
アイシャの手伝いは、なんとなく断ってしまった。
だから、ちゃんと自分でメイクをして。
服は、身分が分かりにくいものを。
こんな自由時間、贅沢すぎるかな。
わたしは、鏡を見つめた。
鏡には、お母様そっくりな姿。
わたしは話しかけた。
「男の子とデートなんて、初めてだし……今日くらいはいいよね?」
待ち合わせ場所にいくと、彼は驚いた顔をした。
「リリスさま。可愛いです」
町娘の服装だからかな。
お世辞かな。
……でも、素直に嬉しい。
「ふふっ。『さま』は禁止です。今日のわたしはそうですね。……『リリ』と呼んでください」
並んで歩き出す。
すると、時々、イオと指先が当たった。
噴水の近くまで行くと、イオが行列のできているワゴンを指差した。
「あの店のクレープ、大人気なんですよ」
「クレープって何?」
イオは、ただ笑った。
「百聞は一見に如かず、です」
教えてくれないらしい。
意地悪だ。
わたしたちは列の最後尾に並んだ。
「こんな待たせちゃってすみません」
イオの言葉に、わたしは首を横に振った。
わたしは、むしろ嬉しいのだ。
イオと一緒に待てるのだから。
この列、もっと長くならないかな。
スン。
時々、ふわっと甘い匂いが漂ってくる。
イオと話していたら、すぐにわたしたちの番になってしまった。
「リリ。これ食べて。俺の奢り」
彼から受け取ったクレープは、竹の皮に巻かれていた。直接に手が触れないようにすると、疫病が防げるらしい。
イビル(諜報担当メイド)から聞いて知っている。……これはイオのアイディアだ。
竹の皮のアイディアは、領民にも受け入れられて、今では色々なもので包んで食べるようになった。
はむっ。
クレープを食べると、甘くて美味しかった。
イオが話しかけてくる。
「どうです? このクレープ、俺の故郷の食べ物なんですよ」
故郷?
シャインスターではないの?
改めてクレープを見た。
小麦の皮の間に生クリームとフルーツが入っている。
鼻を近づけると、豊かな葡萄の香り。
「このフルーツ、生じゃないの?」
「これ。ワインで煮込んであるんです。こうすると腐りにくいんですよ」
イオはそう言って笑った。
これはコンポートという保存食らしい。
これも、イオが皆に教えてくれたものだ。
シャルロット領では、ここ数年で固形石鹸も普及した。
3年ほど前、わたしはイオが自費で石鹸を作っていることを知った。そこで事情を聞いてみると、イオは「石鹸を作るのに給料は、ほとんど使ってます」と答えたのだ。
「どうして? 給金は自分のために使ったらいいのに」
わたしの質問に、当時のイオは笑顔で答えた。
「石鹸で手を洗うと病気を防げるんです。だって、みんなに病気になって欲しくないじゃないっすか」
今思えば——。
彼の顔にドキドキしたのは、あの時が初めてだった。
まぁ、そのしばらく後に、イオが好みの女の子に石鹸を配っていることを知り、お仕置き……いや阻止……したのだけれど。
ふんっ。
あの日のわたしのドキドキを返して欲しい。
わたしは視線を戻した。
目の前では、イオがクレープを食べている。
領民の健康を守るのは、領主の仕事だ。
だから、固形石鹸は、シャルロット家で生産して領民に配ることにした。
庶民が気軽に買える……とまではいかないけれど、今では納税の時に、一家に一つずつ配っている。
そうしたら、本当に病気になる者が減った。
イオは不思議な男の子だ。
わたしたちにない知識を持っていて。
普段は女の子にヘラヘラしてるのに。
自分の功を誇ることもない。
今日だって、ほら。
クレープを売っていた姉妹。
エマさんだっけ。
審問官から助け出した女の子だった。
きっと、イオがクレープを教えたのだろう。
こんな人が旦那様だったら。
領民も幸せになれるのかな……。
気づけば、わたしはイオの瞳を見ていた。
不意に目が合う。
14歳になった彼の瞳は。
少しだけ寂しそうな深い青色。
イオがわたしの唇に手を伸ばしてきた。
そして、ぺろっとその手を舐めた。
「リリ。唇にクリームがついてるよ」
……ドキドキする。
困った。
これ、間接キスだよ?
心臓がすごい事になってる。
どうしていいか分からない。




