第22話 油と美女と鹿の肉
「これはね。そうそう。暖炉の灰とオイルを……。伊織は本当に器用ね。お母さん嬉しい……将来はお医者さまかしら……」
——30年後、シャルロット領。
俺は麻袋を抱えている。
中には臭い石鹸が満載。
頭を悩ませていた。
「アイシャさん。良い匂いの石鹸があったら使いたいですか?」
すると、アイシャは足を止めた。
「そうですね。すごく嬉しいかもです。今、手荒れと化膿で休む子が増えてて……清潔に保てる石鹸があれば助かります」
みんなのことを考えてる。
でも、俺は、いつも助けてくれるアイシャさんに喜んで欲しい。
「香りは嬉しくないですか?」
アイシャは耳を動かした。
「香りは、……イオさま専用ですので」
よし、決めた。
作ろう。
みんなの病気も減るし、何よりも目の前の素敵な女性が喜んでくれる。男の動機には、それだけで十分だ。
母親のおかげで、大雑把にだが石鹸の作り方を知っている。
できることをしないことは、罪だ。
なっ、アーク兄さん。
屋敷に戻ると、俺はさっそく作業に取り掛かった。
まずは暖炉の灰と水を合わせて麻布で絞る。
そして、オイル。
「カリン。なにかオイルはない?」
カリンは、アイシャの後輩メイドだ。ここではまだ一番の新人(俺は除く)で、石鹸に興味があるらしい。さっきから隣でジーッとみている。
亜麻色の髪を左右で編み込んで、おさげにしている。この子は母親がエルフらしく、目はまん丸で大きくて、なかなかの美形だ。
半分は人族の血が入っているからだろうか。小さくて童顔だから、なんだか子リスみたいで可愛らしい。
カリンは、いきなり話をふられたことに驚いたらしく、アタフタした。
「え、えと。調理場に豚の油があったと思いますぅ」
それでは石鹸が臭くなってしまう。
「それ以外は?」
「でしたら、緑油があったと思います」
緑油? なにそれ。
緑っていうとトロールしか連想できないのだが。
「原材料=トロールとかじゃないよね?」
カリンはクスクスと笑った。
「すごく臭そう。違いますよぉ」
「それ、食べられるの?」
カリンは頷いた。
「オリバの実から作るので、もちろん食べられます」
オリバの塩漬けならシャインスターで食べたことがある。特別なお祝いの時に出てくるオリーブみたいな緑の実だ。
どちらかと言うと、良い匂い寄りだ。
「あ、でもっ……」
カリンは言いづらそうにしている。
「どした?」
カリンは編み込んだ自分の髪を摘んでフルフルと揺らした。
「緑油は高級品だから、使うとメイド長に怒られちゃいます……」
メイド長とはアイシャだ。
あの人、ドSだからな。
怒られたら、カリンは辞めてしまうかもしれない。
「後輩がいなくなったら、俺が下っ端になってしまうからな。……わかった!! 緑油は諦める」
「いや、わたしの方が先輩……」
何か言っているが無視だ。
この世界では食材はとても貴重だ。余ってる食べ物なんてない。だからみんな、食事を大切にする。
そんな訳で、この世界では、食べ物を無駄にすると、普通に嫌われる。
アイシャとか料理長経由の正規ルートでは、きっと難しいだろう。
さて、どうしたものか。
すると、カリンが腕をたくしあげた。
「カリン、何してるの?」
「えっ、普通に頼んでも無理そうですし、緑油をちょっとだけ拝借しようかと……」
恐ろしいこと考える子だ。
イーファみたいな発想力。
「そういうことしちゃダメだから」
「え、水入れて増やしとけば、わかりませんって」
カリンはニターッとした。
「いやいや、水と油は混ざらんよ?」
「そうなんですか? じゃあ、緑色の何かを見つけないと。ゴブリンとか使えば、似たようなものができると思うのですっ!」
トロールならぬゴブリン汁か。
普通に臭そう。
しかも残酷。
「カリン、そのうち妹を紹介してやるよ。きっと気が合うと思う」
「えっ、いいんですか? でも、家族にご紹介とかまだちょっと早いと言うか。クネッ」
本当にうちの愚妹と気が合いそうだ。
「じゃあ、メイド長にお願いしてみましょう♡」
「いや、だからそのルート無理だって」
すると、カリンは腕を上げ、力こぶのあたりをポンポンと叩いた。
まっかせてください。
カリンについていくと、そこは見慣れない部屋だった。
「ここ、俺が入っていいの?」
カリンは振り返ってニカッと笑った。
「むしろ、イオさまが居てくれないと困るんです」
カリンがドアをあけると、薄暗くて緑のタイル貼りの部屋だった。この屋敷は漆喰の白壁が多いので、他の部屋とは雰囲気が違う。
ついたてのような壁があって、その裏からザザーッという水の音がした。
「メイド長〜?」
カリンが呼びかけると、壁の向こうから声がした。
「どうしました? カリン」
アイシャの声だ。
足音がして、さらりとした銀の髪と尖った耳先がチラリと見えたが、すぐに視界が真っ暗になった。カリンに手で目を塞がれたらしい。
「ひゃっ。い、い、い、イオさまっ。なんで? 見ましたか?」
アイシャの声は裏返っていた。
……ここは浴場か。
「い、いえ。耳しか見えてないですっ!」
俺は暗闇の中で答えた。
すると、視界が開けた。
アイシャは壁の向こうに隠れている。
「あのっ。メイド長! お願いがあるのです」
「なんですか? 用があるなら、早く言ってください」
「あの、緑油を少し分けてもらえませんか?」
「あれは、リリス様のためのものですよ。わたしたち使用人が勝手に使えるものじゃないです」
「わたし生き別れの妹がいて、緑油が好物なんです。食べさせてあげたいの」
(生き別れの妹なのに、渡せるのか?)
「……その話、ほんとですか?」
(アイシャさん、信じちゃった)
カリンはその言葉に口角を上げた。
「ああっ、イオさまっ。そっち行っちゃダメですっ! その壁の裏には全裸のメイド長がっ!」
えっ?
俺は一歩も動いていないのだが。
「ち、ちょっと。ストップ! イオさま!」
アイシャの声は必死だ。
アイシャはクールビューティーだ。
でも、本当は、このカリンやイーファよりもシャイなのかも知れない。
俺は上擦った声を出した。
「仕方ないじゃないですか。そっちにゴキブリが逃げて行ったんです。使用人としては見逃せません」
ドンッと何かが落ちるような音。
カリンが「転んだみたい」と耳打ちした。
「ひいっ。ご、ごき? 早く出て行ってください。わたしの着替えはそっち側にあるんです」
たしかに、目の前の棚にアイシャの服が置いてある。
「……緑油は?」
カリンは甘えた声を出した。
「分かりましたっ! その代わり、お夕食の鹿を狩ってきてください!」
「本当にいいんですか?」
カリンは一瞬のためを作って、念を押すように言った。
「あー、もう。早く出て行ってください。緑油はリリス様のご体調のためのもの。栄養のある鹿肉で帳尻をあわせますので」
鹿?
最弱ヒーラーに肉体労働はちょっと……。
だが、カリンはピースサインを作った。
「分かりましたっ! イオさまと一緒にとってきます」
バタンッ。
カリンはそう言いながら浴場のドアを閉めた。
「おい、いいのかよ? 自慢じゃないけど、俺、力とかないぞ?」
「大丈夫ですってぇ。鹿のいる北の森には、一角兎がごく稀に出るくらいですし」
一角兎は鋭く立派な角をもつ兎だ。
とにかく人族のことが嫌いで、別名を森のヒューマンハンターという。
「……全然、大丈夫じゃないじゃん」




