第21話 訓練
翌日から、俺はアイシャと特訓をすることになった。
リリスは客人待遇で良いと言ってくれた。だが、大枚をはたいて奴隷として買い取られているのに、そこまで甘えることはできない。
お願いすると、『日中は使用人』として働かせてもらえることになった。
「……ふっ」
俺は、独りで笑ってしまった。
日本で俺は、仕事がイヤでイヤで仕方なくて。宝くじに当たったらその日にでも仕事を辞めてやる、って思っていた。それが、今は自分から働くことを志願している。
……変われば変わるものだ。
ま、ちゃんと残業代もくれるらしいし。
超ブラックだったゲーム会社よりは、ずっと健全そうだ。
仕事の後は訓練が中心だ。
だけれど、自由に外に出ることも許された。
シャルロット家は領民に好かれているらしく、その使用人である俺も、行く先々でチヤホヤされてしまう。
転生者はこうじゃないと。
ふふっ、少しだけ気分が良い。
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リリスを助けると約束してから、2ヶ月が過ぎたある日。
俺はアイシャと買い出しに来ていた。店の前で待っていると、小さな女の子に小袋を渡された。
「どうしたの? お嬢ちゃん」
すると、女の子は手をジャンケンのグーのようにして、軽く口に当てた。
「にひひ。カッコいいお兄ちゃん。エマお姉ちゃんがこれあげるって」
女の子が指差す方を見ると、中学生くらいの女の子がいた。おさげで明るめの黒髪を三つ編みにしていて、なかなかに可愛らしい。
少し離れた家の柱にしがみついて、不安そうにこちらを見ている。
あれがエマちゃんね。
俺が女の子から袋を受け取って手を振ると、エマはお辞儀をして、足早に去っていった。
「……相変わらず、モテますね」
アイシャが戻ってきたようだ。
大きな麻袋を抱えている。
「そうですか? まぁ、たしかに。金髪にはなりましたけれど」
アイシャは不思議そうに首を傾げた。
(あ、そうか。転生前の黒髪だったって、アイシャは知らないんだもんな)
袋の中は焼き菓子だった。ところどころ不揃いで、だけれど、丁寧に並べられていた。
出待ちのバレンタインチョコ的な感じか。
イーファは、元が良いから転生してもあまり変わらなかったが、俺は日本にいた頃よりも確実にイケメンになった。
全く別の顔というわけではないのだけれど、アジア人の血が少しだけ入った白人、そんな雰囲気だ。
アイシャはジト目で俺を一瞥したあと、真顔になった。
「ま、モノは粗末ですけどね」
「ち、ちょっと、それは言わない約束じゃないですか!!」
俺がアイシャのサキュバス•スリープで眠り続けていた時、何度かアイシャが身体を拭いてくれたらしい。
こんな美人のお姉様に下の世話をされたとか……。穴があったら入りたい。
「そういえば、イオさま、変な声を出してましたけれど、どんな夢を見ていたのですか?」
スキルにサキュバスとつくだけあって、あのスキルで眠ると淫らな夢を見るらしい。
「いや、覚えてないんですよ。マジで」
そのせいで、俺は寝ている間に変な声を出していたらしい。
「そうなんですか? なにやら『あひゃ』とか、他にも……」
「ごめん、もう十分!」
なんとなく想像がつく。
すると、アイシャはクスッと笑った。
「ふぅーん。ま、仕方なくお相手してあげましたけれど?」
俺は唾を飲み込んだ。
「そ、そ、それってどういう意味ですか?」
すると、アイシャは俺の耳元に顔を近づけて舌舐めずりした。
「さぁ、どういう意味でしょうね? わたし、少しだけドキドキしちゃいました」
……意味深すぎる。
最近、気づいたのだが、アイシャは無表情なだけで、実は人をからかうのが好きらしい。辛うじて「サマ」を付けてくれているけれど、どうも下に見られているっぽいし。
だから、アイシャの発言は、どこまで真に受けて良いのかが難しい。
寝言でもっと変なこと言ってたら、どうしよう。
あー、もう。わからんっ!!
なによりも、『お相手』を覚えてないのが残念すぎる。
俺は口を尖らせた。
「思春期の少年をからかわないでください」
「……じゃあ、もう、仲良くお話するのはやめますか?」
俺は手を横に振った。
「いや、そういう意味では……」
年上の綺麗なお姉さんに揶揄われるのは、イヤではないのだ。
アイシャはクスクスと笑った。
「ま、言われてもやめませんけれどね」
「アイシャさん、ドエスですよね?」
「ドエス? どういう意味ですか?」
「イジメっ子って意味です。だって、イーファのことだって黙っていたじゃないですか?」
「あれは、リリスさまが悪いのです」
アイシャはペロッと舌を出した。
この2ヶ月、俺はイーファのことが心配で心配で……何度も脱走を試みた。そして、3回目に捕獲された後、アイシャはため息をつくと、こう言ったのだ。
「これは、わたしの独り言です。……イーファちゃん、元気にしてるかなぁ。なにせ、わたしが助けたんだしぃー」
「……え?」
その話を聞いた時、俺の目は、きっとまん丸になっていたと思う。
その日のアイシャは、それ以上の詳細は教えてくれなかった。
でも、俺は足に力が入らなくなってしまって、地面に膝をついた。自分の体中から力が抜けるのを感じた。
そして、心の底から思った。
『ほんと、良かった』
********
「……イオさま? ボーッとしてせっかくのお菓子を落とさないでくださいね?」
気づけば、アイシャが俺の顔を覗き込んでいた。大きな麻袋を抱えている。
「ちょっと貸してください」
俺はアイシャから麻袋を奪い取った。
思ったより重い。
アイシャは右の人差し指を唇にあてた。
「わたし、持てますよ?」
「いえ、俺は新入りですし」
アイシャは視線を俺に合わせた。
すると、サラサラの髪が額にかかった。
「そうですか。優しい人は嫌いじゃないです」
「えっ?」
アイシャは背を向けると話し始めた。
「ほんとは内緒なんだけど、イオさまが優しいから、口が軽くなっちゃうかも」
横目に俺のことを見て続けた。
「イオさまが捕虜になった時、イシュタルさまの依頼で、たしか元素の魔女さまが幻牢の魔女の討伐に向かってくれていたんだよなぁ」
どうやらアイシャは独り言モードらしい。
ナーズの不穏に気付いたイシュタルが、師事していた元素の魔女にヘルプを頼んでくれたのか。
そして、エスリルとリリスの連絡役で、たまたま居合わせたアイシャが、連れ去られる寸前のイーファを助けてくれた、と。
ようやく、事情が腹に落ちた。
「……それでイーファは今どこに?」
アイシャは立ち止まると、おれからお菓子の紙袋を奪った。麻袋の代わりに持ってくれるらしい。
「それは言えません。でも、ある場所で立派な騎士になっていただくために心を入れ替えてもらっています。ま、何度か逃げ出したらしいですが。元気なのは、わたしが保証します」
なるほど。
精神鍛錬か。
それなら俺も大賛成です。
あいつ、いつも締まりのない顔してるし、怠惰そのものですから。
これで俺もリリスのことに集中できる。
俺は麻袋の口を覗いた。
「ところで、その袋には何が入ってるんですか?」
俺が聞くとアイシャは答えた。
「サポーですよ」
サポー? シャボン?
あ、石鹸のことか。
アイシャは寄ってきて袋の口をあけた。
ふわっと脂のような香りがした。
アイシャは鼻をつまんで続けた。
「これ、臭いんですよね。汚れは落ちるのだけれど……」
この世界の石鹸は、糊状の軟石鹸だ。
動物の脂身から作るらしいのだが、確かに臭い。しかも、劣化に弱く、どんどん臭くなる。
ま、要は脂身だからな。
普通に腐っているだけなのかも知れない。
でも……。
クンクン。
俺はアイシャのウエストの辺りを嗅いでみた。
甘い良い匂いがする。
香水は高級品なので使っていないとは思うのだが。
アイシャは後ずさった。
「ち、ちょっと。変なことをすると殺しますよ?」
この人、クールな割には意外に良いリアクションをするのだ。
褐色肌なので顔が赤くなってるのかは分からないが、耳の先は分かりやすく赤くなっていた。
「いや、アイシャさんって良い匂いしますよね」
「わたしは石鹸は使いませんし。あれ使うと、水浴びした後の方が臭くなるので……」
「ふぅーん。じゃあ、体臭が良い匂いなのか。毎日でも嗅ぎたいかも」
ピンクの耳先がピョコピョコと動いている。
「ほ、ほんとブチ殺しますよ? あーもう、顔が熱いっ。その話はやめてくださいっ!!」
ふふっ。
すぐに俺のことをからかうから、仕返しだ。
でも、確かに。
使えば臭くなる石鹸なんて、使いたくないよな。女性なら尚更だろう。
この世界には疫病が多い。
シャルロット領はまだ良い方だが、人口の多い都市部では、数年おきに謎の疫病が発生して大量の人が亡くなっている。
たしか、中世ヨーロッパが終わったのも疫病の大流行がキッカケなんだっけ。このシャルロット領でも、いつ疫病が大発生するか分からない。
せめて、石鹸で手洗いをする習慣だけでも身につけば、いくらか予防できるかもしれないのだけれど。どうにかできないのかな。
——そうだ。
「これはね。そうそう。暖炉の灰とオイルを……。伊織は本当に器用ね。お母さん嬉しい……将来はお医者さまかしら……」
俺は母さんとの会話を思い出した。
あれはたしか……保育園の体験教室で……。
そうか。俺には経験があったのだ。
どうにかできるかも知れない。




