前編:偶然か悪意か? 二人の再開
烈火はわたしのヒーローだ 。
物心ついたときから、ずっとそう。
泥だらけのスラムの路地裏でも、ヴァイスマンの孤児院の小さなお庭でも、彼はいつもわたしの少し前を歩いていた 。
逆立った赤い髪をなびかせて、意地悪な子たちを追い払ってくれる背中 。
「大丈夫だ。お前は一人じゃねぇよ」って言って、わたしの手を引いてくれる、大きくて少し硬い手 。
烈火はちょっと口が悪くて乱暴だけど、誰よりも真っすぐで、誰よりも強い 。
今は離れ離れになって、彼は街の建設会社で働いているけれど 。
でも、わたしは知っている。
烈火が本気で怒ったとき、その瞳が燃えるように熱くなって、世界がちょっとだけ震えるのを 。
だから、お願い。
この真っ暗な森の中で、冷たい鋼鉄に閉じ込められて震えているわたしを。
もう一度だけ見つけて。
───わたしの、たった一人のヒーロー。
………
……
…
「はあ……はあ……ッ!」
大陸の片隅、鬱蒼とした森の中を、兎歌は逃げていた。
背中のプラズマリアクターが唸りを上げ、エリシオンの試作型コマンドスーツ『イノセント』の蒼い装甲が木々の間を必死に進む。
枝がバキバキと折れる音、土を踏むドスドスという重い響きが森に響き渡った。
「早く……届けなきゃ……!」
コックピットに小さく震える、兎歌の声。
モニターには赤い警告灯が点滅し、後方から迫る敵の影が映し出されていた。
追ってくるのは東武連邦のコマンドスーツ──灰色の『ボルン』2機と、隊長機である深緑の無骨な『シェンチアン』1機。
ボルンのマシンガンが唸り、弾丸が木々を貫いて飛んでくる。
シェンチアンはアサルトライフルを構え、弾幕を張りながらリニアキャノンを準備していた。
『右舷に被弾! 装甲損傷5パーセント!』
イノセントのシステム音声が冷たく告げる。
操縦桿を握る、少女の手が震えた。
兎歌はまだ新米で、戦闘訓練など対して受けていない。
背中のプラズマリアクターをエリシオンの拠点に届ける任務が、初めての本番だった。
だが───
輸送中に、敵の偵察部隊に見つかり、仲間は散り散りになってしまったのだ。
「お願い、当たって……!」
兎歌は祈るように叫び、イノセントを振り返らせた。
右腕にマウントされたリニアキャノンを、迫り来る敵機へと向ける。
次世代型アニムスキャナーは、パイロットの意思をダイレクトに機体へ伝える。
それはつまり、兎歌の極限の恐怖と、ガタガタと震える手の動きまでも、鋼鉄の巨体にそのまま伝えてしまうということだ。
ウィィィン……ッ!
照準が定まらないまま、リニアキャノンが火を噴いた。
放たれた高初速の弾丸は、先頭を走るシェンチアンの遥か頭上を通り過ぎ、無関係な大木を粉砕するだけだった。
「ひっ……!」
外した。
その事実が、兎歌の心をさらに凍らせる。
歴戦の東武連邦軍が、その隙を見逃すはずがなかった。
『目標、抵抗を継続。各機、脚部を狙え。背中のリアクターを傷つけるな』
無機質な通信電波を拾い、視界の端に、敵の陣形が表示される。
直後、ボルンのマシンガンが火を噴いた。
響き渡る爆発と銃声!
「きゃああっ!?」
蒼い装甲を掠める無数の銃弾。
火花が散り、機体が大きくグラつく。
衝撃はコックピットの中まで伝わり、兎歌は悲鳴を上げて身をすくませた。
『左脚部装甲、損傷拡大。出力低下』
無情な電子音声が、コックピットに響き渡る。
モニターの機体図が、次々と黄色から赤へと染まっていく。
((どうしよう、どうしよう……!))
涙が視界を滲ませる。
こんなの、わたしには無理だ。
コマンドスーツで戦うなんて、やっぱりできっこない。
頭に浮かぶのは、たった一人の幼なじみの顔だった。
((助けて、烈火……!))
心の中で、何度もその名を呼ぶ。
烈火なら、こんな時、絶対に諦めない。
どんな絶望的な状況でも、あの赤い瞳を燃やして、道を切り開いてくれるはずだ。
「逃げなきゃ……捕まったら、終わりだもん……!」
兎歌は歯を食いしばり、再びイノセントを前へと走らせた。
反撃はもう諦めた。
今はとにかく、この貴重なプラズマリアクターを守り抜くことだけを考える。
木々がより密集し、昼間でも薄暗い森の深部。
兎歌は、岩肌が露出した切り立った崖のふもとに、シダ植物が鬱蒼と茂るくぼみを見つけた。
迷うことなく、イノセントをそこへ滑り込ませる。
機体をかがませ、極限まで身を縮めて息を潜める。
やがて、重々しい足音が近づいてきた。
ドスン、ドスン……。
追手のコマンドスーツが、すぐ近くを通り過ぎていく。
「…………っ」
兎歌は両手で口を塞ぎ、自分の呼吸音すら漏れないように耐えた。
心臓が、早鐘のようにうるさく鳴っている。
見つかれば殺されるか、捕まって、強姦、拷問……。
ガサガサ、メキメキ……。
敵機が周囲の木々を薙ぎ倒しながら、辺りを探索している。
兎歌にとって、永遠にも思える時間が流れた。
やがて───。
『チッ……見失ったか。散開して周辺を洗え』
微かに拾った通信音声と共に、重い駆動音が少しずつ、遠ざかっていく。
ドスン、ドスンという振動が、土を伝わって徐々に小さくなっていった。
「……行っちゃった……?」
兎歌は、ほうっと長く息を吐き出した。
全身の力が抜け、シートに深く沈み込む。
静寂を取り戻した森の中で、ポロポロと安堵の涙がこぼれ落ちた。
だが、その安堵は長くは続かなかった。
土を鳴らす、無骨なエンジン音が近づいてきたのだ。
「え……嘘……」
兎歌は弾かれたように顔を上げ、カメラ越しに見まわした。
((敵の増援? 歩兵部隊に見つかった?))
恐怖で再び心臓が跳ね上がり、震える手で操縦桿を握り直す。
木々の隙間から姿を現したのは軍用車両───
ではなかった。
荷台に泥だらけの工具や資材を積んだ、オンボロの民間用オフローダーだ。
オフローダーは、身を潜めるイノセントの足元でキキッとブレーキをかけ、乱暴に停車した。
ガチャリとドアが開き、運転席から一人の青年が降りてくる。
作業着姿のその男は、蒼い巨体を見上げて、胡乱な目を向けた。
逆立った、炎じみた赤い髪。
少し柄の悪そうな、野性的な顔立ち。
「あ……」
イノセントの視界越しにその顔を見た瞬間、兎歌は息を呑んだ。
幻覚か?
さっきまで、ずっと心の中で助けを求めていた相手が、そこにいる。
考えるより先に、兎歌はイノセントの胸部ハッチを開放していた。
慌ててシートベルトを外し、コックピットから身を乗り出す。
「な……と、兎歌……!?」
青年──烈火・シュナイダーは、目を丸くして声を上げた。
兎歌は頭を覆っていたヘルメットをむしり取り、その場に放り投げる。
ふわりと、桜色の髪が風に舞った。
「烈火っ……!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、兎歌は声を震わせた。
どうして、彼がここにいるのか。
そんな疑問は、後からついてきた。
「お前、なんでこんな鉄の塊に……いや、無事か!?」
「どうして……烈火が、ここに……?」
烈火は困惑しながらも、イノセントの装甲によじ登り、兎歌の元へと駆け寄ってきた。
「近くの建築現場に向かってオフローダー走らせてたら、ドンパチやってる凄ぇ音が聞こえてよ。様子を見に来たんだ」
そこで、烈火は少し気まずそうに頭を掻いた。
「それに……なんだろうな。お前が泣いてる声が、聞こえた気がしたんだよ」
ドクン、と。
兎歌の胸が、大きく鳴った。
離れていても、届いていたのだ。兎歌の声が。
彼が、見つけてくれたのだ。
「烈火ぁ……っ!」
「おわっ!?」
堪えきれず、兎歌は烈火の胸に思い切り飛び込んだ。
弾むような巨乳が、烈火の体にムギュッと押し付けられる。
烈火は、その大きく硬い手で、震える背中をしっかりと抱きしめ返してくれた。
「怖かった……すごく、怖かったよぉ……」
「ああ、悪かった。もう大丈夫だ」
子供のように泣きじゃくる兎歌の頭を、烈火が不器用に撫でる。
その温もりと匂いに、兎歌はたまらないほどの安心感を覚えた。
ずっと求めていた、ヒーローの背中。
どうして、都合よくここに?
何か、その裏にとてつもない悪意を感じるような気がした。
まるで、全部が用意されていたような───
だが、感動の再会に浸る時間は、彼らには残されていなかった。
ズズン……ッ。
遠くの森が、低く震えた。
先ほど遠ざかっていったはずの重たい駆動音が、再びこちらへ向かって近づいてくる。
『足跡がこの辺りで途切れている。徹底的に探せ。リアクターさえ無事なら、パイロットは殺しても構わん』
木霊するような、無慈悲なスピーカーの音声。
威圧的な声で、心理的に追い込もうというのか?
敵の捜索部隊が、確実にこの場所へ迫っていた。
「……追手か」
烈火の瞳が、スッと細められた。
その目には、先ほどの優しさとは打って変わった、獣のような鋭い光が宿っている。
「猶予はねぇな。兎歌、離れろ」
「え……?」
烈火は兎歌の肩を掴み、そっと自分から引き剥がした。
そして、獲物を狙う肉食獣のように、木々の向こうを睨みつける。
研ぎ澄まされた烈火の感覚が、森の奥から伝わる微かな音を拾い上げていた。
木々を薙ぎ倒す重たい地響き。
無骨なエンジンの駆動音。
そして、獲物を探り当てるような、ヒリつく殺気。
「声の距離、気配、動き方……」
烈火は目を細め、即座に頭の中で算出する。
導き出された答えは、絶望的なほどに短かった。
「連中がここに来るまで、残り時間……一分ジャストだ」
「い、一分!?」
悲鳴を上げかける兎歌の背中を、烈火は強引に押し返した。
「兎歌、乗れ! 奥に詰めろ!」
「えっ……きゃあっ!?」
有無を言わさぬ力強さ。
烈火は兎歌を狭いコックピットの補助スペースへと押し込み、自らもイノセントのメインシートへと滑り込んだ。
「烈火、なにする気なの!?」
「決まってるだろ。その鉄屑どもをぶっ飛ばす。俺を登録しろ!」
「で、でも……わたし以外が乗るなんて……!」
戸惑う兎歌を、烈火が鋭く睨みつける。
「いいから、早く!」
その気迫に気圧され、兎歌は慌てて震える指をコンソールに走らせた。
アニムスキャナーの接続設定を呼び出し、手動でパイロットの追加登録を行う。
『新規パイロットの精神波をスキャンします』
無機質な電子音声が、コックピットに響き渡った。
本来、機密の塊であるプラズマリアクターには、パイロットを限定するための厳重なセキュリティが掛けられている。
だが、このイノセントは、あくまでプラズマリアクターの稼働実験を目的とした『試験機』。
運用テストを優先したため、セキュリティロックが未実装の状態だったのだ。
誰でも登録可能なその仕様が、今、完全に烈火へと味方した。
『スキャン完了。次世代型アニムスキャナー、接続を開始します』
メインコンソールに、青白い光と共に『INNOCENT』の文字が浮かび上がる。
直後、烈火の脳髄に、強烈な電流のような感覚が駆け巡った。
「ぐっ……!」
シートから伸びたセンサーが、烈火の精神波を凄まじい勢いで読み取っていく。
それは、今までに経験したことのない奇妙な感覚だった。
人間の神経と、鋼鉄の機体が、タイムラグなしでリンクしていく。
指先から、腕、脚、そして背中へ。
視界が拡張され、イノセントのメインカメラが捉える景色が、自分の目で見ているかのように脳へ直接流れ込んでくる。
「……すげぇな、こいつは」
烈火は、ゆっくりと自分の手──イノセントの鋼鉄の右腕を握り込んだ。
ガシャンッ、と小気味良い金属音が鳴る。
重さも、動きの遅れも、一切感じない。
ただ呼吸をするのと同じくらい自然に、15メートルの巨体が動く。
次世代型アニムスキャナーが完全に起動した瞬間。
烈火とイノセントは、完全に一体化していた。
完全に一体化した感覚に浸る間もなく、烈火は隣の兎歌に声を飛ばした。
「兎歌! 機体のステータスと武装を出せ!」
「う、うんっ!」
兎歌は狭い補助スペースで身をよじりながら、懸命にコンソールを叩く。
メインモニターの脇に、緑色のデータウィンドウが次々と展開された。
「武装は、右腕のリニアキャノンと、腰にマウントされたコンバットナイフだけ! あとは……」
烈火は鋭い視線で、素早くデータを読み取っていく。
実弾と電磁加速を用いたリニアキャノン。近接用のナイフ。
そこまではいい。
((粒子量……? なんだソレ。新兵器か?))
見慣れないゲージが目に入ったが、今は気にしている余裕はない。
それよりも、もっと深刻な問題があった。
「おいおい、排熱がギリギリじゃねぇか」
「ご、ごめんなさい! これ、リアクターの起動テスト用の試作機だから、本格的な冷却装置や戦闘用のサポートシステムが積まれてないの!」
兎歌が泣きそうな声で説明する。
無理な機動や連続攻撃を行えば、すぐにオーバーヒートして機体が停止してしまう。
完全なデッドウェイトだ。
「……上等だ。ひとまずは、これで十分」
だが、烈火の口角は獰猛に吊り上がった。
今まで自分が使ってきたポンコツの重機に比べれば、思考のタイムラグなしで動くこの巨体は、神様からの贈り物みたいなものだ。
「わたしも、手伝う……!」
兎歌は少しでも烈火の役に立とうと、メインコンソールの通信パネルを弄り回した。
狭いコックピットの中で身を乗り出すため、彼女の柔らかな巨乳が烈火の腕や肩にムギュッとこすれる。
「おっ……と」
極限の緊張状態にもかかわらず、烈火は思わず変な声を出しかけた。
しかし、すぐにそんな雑念は吹き飛んだ。
ザザッ……ピーッ。
兎歌が暗号通信の波長を合わせ、敵のローカルネットワークへの盗聴を成功させたのだ。
コックピット内に、ノイズ混じりの音声が流れ込んでくる。
『───アルファ1より各機。崖下のシダ群生地付近で、巨大な足跡と折れた枝の痕跡を発見した』
『アルファ2、了解。包囲陣形へ移行する』
「近いな」
烈火は低く呟いた。
モニターの端に表示されたソナーが、すぐ目と鼻の先に三つの巨大な質量反応を捉えている。
『獲物は手負いだ。だが、油断するなよ。見つけ次第、脚を吹き飛ばせ』
東武連邦の兵士の声が、すぐそこまで迫っていた。
もはや、隠れ潜んでいる時間はない。
「しっかり捕まってろよ、兎歌」
「う、うん……!」
烈火は操縦桿を握る手に力を込めた。
イノセントの蒼い装甲が、ゆっくりと立ち上がる。
ウィィィン……ッ。
重厚な駆動音と共に、イノセントの右腕が持ち上がった。
狙い定めるのは、森の奥から迫り来る敵の気配。
烈火の意志に呼応するように、イノセントは分厚い装甲の奥で唸りを上げ、リニアキャノンを真っ直ぐに構えた。
ザッ、と。
分厚いシダの葉と、鬱蒼とした木々に遮られた森の奥。
視界には映らないその場所で、微かに枝が折れる音がした。
「そこだ」
烈火は迷うことなく、リニアキャノンのトリガーを引いた。
ドォォォンッ!
空気を劈くような凄まじい轟音が響き渡り、電磁加速された砲弾が森の木々を丸ごと消し飛ばしながら直進する。
数瞬後、森の奥で凄まじい爆発が起きた。
赤黒い火柱が上がり、爆風がイノセントの装甲をビリビリと震わせる。
『な、なんだ!?』
『アルファ2、応答しろ! アルファ2!』
『くそっ……機体反応消失! アルファ2、ロストした!』
兎歌が繋いだ通信回線から、東武連邦の兵士たちの狼狽する声が飛び込んでくる。
「え……?」
補助シートで縮こまっていた兎歌は、信じられないものを見るような目でメインモニターを見つめた。
モニターには、燃え上がる灰色の機体──ボルンの残骸が映っている。
木々に隠れて姿など見えなかったはずだ。
「見えないのに……当てたの?」
「一発目だ。次はお前らだな……」
驚愕して震える兎歌の隣で、烈火はひどく落ち着き払っていた。
人を殺したというのに、その横顔には恐怖も躊躇いも一切ない。
ただ、獲物を狩る野獣の冷徹さだけがそこにあった。
((問題ない。ずっとやってきたことだ))
烈火の心は、奇妙なほどに静まり返っている。
スラムの路地裏で食い物を奪い合ったあの日から、何も変わらない。
背中で怯える兎歌を守るためなら、迫り来る敵を殺す。ただそれだけだ。
相手が路地裏のチンピラだろうと、東武連邦のコマンドスーツだろうと、やるべきことはいつも通りだった。




