表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/242

マティアスとギゼラのひと時……開戦前

 プロメテウスは成層圏を静かに運行していた。

 地球の大気が薄れ、蒼と黒の境界が広がる高みで、母艦の外殻が微かな振動を響かせている。

 艦内の休息室では、柔らかな照明が壁を照らし、穏やかな空気が漂っていた。


 マティアス・クロイツァーは窓際に立ち、銀髪を揺らしながら地球を見下ろしていた。

 手には陶器のマグカップが握られ、コーヒーの湯気(何故かやたら甘い匂いだ)が立ち上る。

 目の前には空中投影パネルが浮かび、古い小説のページがデジタルインクで映し出されている。静かな男の瞳が、文字と地球の青さを交互に追っていた。


「ウム……良い眺めだ」


 小さく呟き、マティアスが砂糖5杯入りのコーヒーを啜った。

 苦味と熱と糖分が喉を通り抜け、僅かに肩の力を抜く。

 疲れた脳には、糖分が染み渡る。

 だが、その穏やかな瞬間を切り裂くように、部屋の反対側から乱暴な声が響いた。


「アーハハ! もう一本いくか!」


 ギゼラ・シュトルムがソファにふんぞり返り、金属製のボトルを煽っていた。

 金髪が乱れ、凶暴な顔に笑みが浮かぶ。

 彼女が飲んでいるのはアルコール抜きの合成飲料───酔った気分になれるだけで、本物の酒ではない。

 戦闘の緊張を解くための、彼女なりの儀式だった。


「ったく、マティアス! あんたってほんと地味だよなぁ。コーヒーなんぞすすって、じいさん臭ぇぜ!」


 マティアスは振り返りもせず、淡々と返す。


「酒を飲まなくとも、頭は冴えている。それで十分ではないかね?」

「ハッ! つまんねぇ男だよ、まったく!」


 ギゼラがボトルをテーブルに叩きつけ、笑い声を上げる。

 酔ったギゼラは、口は悪いが、単に素直なだけだ。その証拠に、随分とご機嫌な顔をしている。

 休息室に二人の声が軽く響き合い、一時の平穏が続いた。


 だが、その瞬間───マティアスの手がマグカップを持つ動きを止めた。

 鋭い視線が窓の外へと向けられる。

 地球の弧が美しい曲線を描く中、彼の感覚が何かを捉えた。


「……何か、来ている」


 ギゼラが眉を上げ、ボトルを手に持ったまま振り返った。


「はぁ? 何だって?」

「空気が変わった。こちらを狙う視線がある」


 マティアスが静かに呟き、空中投影パネルを指先で消す。

 コーヒーをテーブルに置き、窓に近づいて成層圏の闇を見据えた。

 ギゼラが立ち上がり、肩を鳴らす。


「視線? あんた、詩人になったつもりかよ? 何かいるならセンサーで分かるだろ。あらゆる種類のセンサー積んでんだからさ」

「センサーでは捉えきれんものもある。気配だよ、ギゼラ。長い戦場暮らしで得た勘だ」


 その言葉に、ギゼラの笑みが消える。

 彼女もまた戦士だ。マティアスの勘が外れた例を、ほとんど知らなかった。


「……マジかよ。なら、さっさと確認した方がいいねぇ」

「うむ」


 マティアスが頷き、通信機に手を伸ばす。


「艦橋、マティアスだ。周囲の状況を確認しろ。何か異常があれば即座に報告を」


 通信機から返答が返る前に、彼の視線が再び窓の外へと戻る。

成層圏の静寂の中、何かが蠢いている───その確信が、彼の背筋を微かに緊張させた。


 マティアスの言葉が響いた後、ギゼラの表情が一瞬固まっていた。

 豪快な笑みが消え、額に冷や汗が滲む。

 汚れの染み付いた手がテーブルのスイッチに伸び、合成飲料の「酔い信号」を遮断する。


 カチッ。

 電子音と共に、脳に送られていた酔いの感覚が途切れ、ギゼラの瞳が一瞬で鋭さを取り戻す。


「……マジかよ。アンタの言う通りだ、背中がザワついてきた」


 ギゼラは立ち上がり、ボトルを乱暴に置く。

 マティアスはすでに通信機を置き、動き始めていた。


「格納庫だ。機体を確認する」

「了解だよ、じいさん! 何か来るならぶっ潰してやる!」


 ギゼラが肩を鳴らし、二人は休息室を飛び出した。

 廊下を走る足音がプロメテウスの静寂を切り裂く。

 成層圏の母艦が、微かに緊張の空気に包まれ始めた。


 ~~~


 プロメテウスの格納庫には、出撃を告げるアラートがけたたましく鳴り響いていた。

 急な警報にも関わらず、メカニックたちは見事な練度でストラウスとウェイバーの最終チェックを進めている。


 マティアスは愛機『ストラウス』の脚部装甲に手を触れ、静かに息を吐いた。

 成層圏という死の空域。そこに潜む得体の知れない気配。

 彼の長年の戦場経験……「勘」とも呼べる第六感が、今回の敵はこれまでの連邦兵とは次元が違うと告げていた。


「じいさん! アタシのは準備できたよ!」

「うむ。こちらも───」


 マティアスがギゼラに頷きかけたその時。

 紳士は背後の通路から、微かな、しかし確かな「熱」を感じ取った。


 足音はまだ聞こえない。

 だが、空間を焦がすような研ぎ澄まされた殺気が、格納庫へと真っ直ぐに向かってくる。


((……この気配。来たか))


 マティアスは口元に微かな笑みを浮かべた。

 戦場に身を置き、生死の境界線を幾度も彷徨いながら、彼が十五年という歳月をかけてようやく身につけた『殺気の察知』。

 それを、背後からやってくる若者は、生まれ持った天性の才と野生の勘……『ネクスター』としての異常な素質だけで、すでにこの領域に達しているのだ。


「来てたか! ギゼラ、マティアス!」


 通路から飛び出してきたのは、息を弾ませた烈火・シュナイダーだった。

 その後ろから、兎歌も小走りでついてくる。

 二人とも、すでにパイロットスーツのジッパーを首元まで引き上げていた。


「アラートより先に気づくとはな。さすがの勘だ、烈火」

「マティアスもな。……嫌な匂いがしたんだ。ただの東武連邦の鉄クズじゃねえ、もっとヤバいもんがこっちを見てやがる」


 烈火の瞳には、すでに野獣のような闘争本能が宿っていた。

 マティアスは静かに頷き、自身の愛機を見上げる。


「同感だ。敵は姿を見せていないが、距離は近い。おそらく成層圏───宇宙と空の境界線だ。油断するなよ」

「ハッ、上等だ。どんな化け物が来ようが、ブレイズで真っ二つにしてやる」


 烈火が獰猛に笑い、ブレイズのコックピットに向かおうとしたその時───。

 背中から、ドンッ、と柔らかな衝撃がぶつかった。


「……ッ、兎歌?」


 振り返ると、兎歌が烈火の背中に強く抱きついていた。

 豊かな胸の感触がパイロットスーツ越しに伝わってくる。彼女は顔を烈火の背中に押し当てたまま、小さく震える声で言った。


「烈火……気をつけてね。わたしもすぐ、リリエルで出るから」


「バカ、そんなに震えてちゃ操縦桿も握れねえぞ。

 お前は俺の背中だけ見てろ。俺が全部、ぶっ壊してやるからよ」


 烈火はぶっきらぼうに言いながら、腰に回された兎歌の小さな手を、自身の大きな手でポンポンと叩く。

 その不器用な優しさに、兎歌は顔を上げ、桜色の瞳を潤ませながら強く頷いた。


「うん……! 絶対だよ!」


 兎歌が腕を離すと、烈火はニヤリと笑い、リフトを蹴って跳躍した。

 軽々とコックピットボールへ飛び乗る烈火の姿を、兎歌は祈るように見上げる。

 暗い格納庫の中で、ブレイズのメインカメラが獰猛な赤い光を放ち、プラズマリアクターの重低音が鼓膜を震わせた。


 成層圏の静寂を破る戦いが始まるまで、残りわずか。

 未知の力を持つ少女リエンと、漆黒の宇宙から迫る巨大な影が、プロメテウス隊の前に立ち塞がろうとしていた。



次回予告

 激突する、実験台の少女と烈火

 きみは、おんなのこをころせるかい?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ