マティアスとギゼラのひと時……開戦前
テストが開始され、格納庫内の仮想戦場シミュレーターが起動する。
画面に映し出されたのは、東武連邦のシェンチアン部隊だ。リエンの瞳がバイザー越しに光を反射し、機体が動き出した。
ブォンッ!
サーペントの巨体が信じられない速さで浮き上がり、スカート状の装甲が展開。
内部の推進ユニットが一斉に噴射し、機体が空中で旋回する。
シェンチアンのリニアキャノンが砲口を向けた瞬間、リエンの脳波がアニムスキャナーを通じて反応していた。
ヒュオッ!
巨体が横に滑り、弾体を紙一重で回避。
次の瞬間、両手のレールガンが唸りを上げた。
ドゴォオオオッ!
超高速の弾体がシェンチアンを貫き、一撃で爆散させる。
破片が格納庫の仮想空間に飛び散り、黒煙が立ち上る。
わずか2発の弾丸で、決着がついた。
リエンの声が小さく震えた。
『敵、撃破……次、ください』
観測室で、リナが息を呑む。
「一撃で……しかも、あの巨体であんな機動性。アニムスキャナーの効果って凄いです)」
「リエンの予測能力と機体の出力が完璧に噛み合ってる。これがネクスターの力だよ」
グラントが感嘆の声を漏らすと、エドガーが冷たく言い放つ。
「準備は整った。東武連邦に連絡しろ。サーペントとリエンを格安で貸し出す提案だ。連邦がプロメテウス隊とぶつかってくれれば、俺たちはデータを取るだけだ」
格納庫の薄暗い光の中で、巨体が静かに佇む。
リエンはコックピット内で目を閉じ、次の命令を待っていた。
長い前髪が揺れ、彼女の表情は隠されたままだ。
コロニーの外では、成層圏の衛星がプロメテウスを見下ろし続けていた。
リエンを乗せたサーペントが戦場に送り込まれる日が近づき、新たな衝突の火種が静かに燃え上がろうとしていた。
〜〜〜
プロメテウスは成層圏を静かに運行していた。
地球の大気が薄れ、蒼と黒の境界が広がる高みで、母艦の外殻が微かな振動を響かせている。
艦内の休息室では、柔らかな照明が壁を照らし、穏やかな空気が漂っていた。
マティアス・クロイツァーは窓際に立ち、銀髪を揺らしながら地球を見下ろしていた。
手には陶器のマグカップが握られ、コーヒーの湯気(何故かやたら甘い匂いだ)が立ち上る。
目の前には空中投影パネルが浮かび、古い小説のページがデジタルインクで映し出されている。静かな男の瞳が、文字と地球の青さを交互に追っていた。
「ウム……良い眺めだ」
小さく呟き、マティアスが砂糖5杯入りのコーヒーを啜った。
苦味と熱と糖分が喉を通り抜け、僅かに肩の力を抜く。
疲れた脳には、糖分が染み渡る。
だが、その穏やかな瞬間を切り裂くように、部屋の反対側から乱暴な声が響いた。
「アーハハ! もう一本いくか!」
ギゼラ・シュトルムがソファにふんぞり返り、金属製のボトルを煽っていた。
金髪が乱れ、凶暴な顔に笑みが浮かぶ。
彼女が飲んでいるのはアルコール抜きの合成飲料───酔った気分になれるだけで、本物の酒ではない。
戦闘の緊張を解くための、彼女なりの儀式だった。
「ったく、マティアス! あんたってほんと地味だよなぁ。コーヒーなんぞすすって、じいさん臭ぇぜ!」
マティアスは振り返りもせず、淡々と返す。
「酒を飲まなくとも、頭は冴えている。それで十分ではないかね?」
「ハッ! つまんねぇ男だよ、まったく!」
ギゼラがボトルをテーブルに叩きつけ、笑い声を上げる。
酔ったギゼラは、口は悪いが、単に素直なだけだ。その証拠に、随分とご機嫌な顔をしている。
休息室に二人の声が軽く響き合い、一時の平穏が続いた。
だが、その瞬間───マティアスの手がマグカップを持つ動きを止めた。
鋭い視線が窓の外へと向けられる。
地球の弧が美しい曲線を描く中、彼の感覚が何かを捉えた。
「……何か、来ている」
ギゼラが眉を上げ、ボトルを手に持ったまま振り返った。
「はぁ? 何だって?」
「空気が変わった。こちらを狙う視線がある」
マティアスが静かに呟き、空中投影パネルを指先で消す。
コーヒーをテーブルに置き、窓に近づいて成層圏の闇を見据えた。
ギゼラが立ち上がり、肩を鳴らす。
「視線? あんた、詩人になったつもりかよ? 何かいるならセンサーで分かるだろ。あらゆる種類のセンサー積んでんだからさ」
「センサーでは捉えきれんものもある。気配だよ、ギゼラ。長い戦場暮らしで得た勘だ」
その言葉に、ギゼラの笑みが消える。
彼女もまた戦士だ。マティアスの勘が外れた例を、ほとんど知らなかった。
「……マジかよ。なら、さっさと確認した方がいいねぇ」
「うむ」
マティアスが頷き、通信機に手を伸ばす。
「艦橋、マティアスだ。周囲の状況を確認しろ。何か異常があれば即座に報告を」
通信機から返答が返る前に、彼の視線が再び窓の外へと戻る。
成層圏の静寂の中、何かが蠢いている───その確信が、彼の背筋を微かに緊張させた。
マティアスの言葉が響いた後、ギゼラの表情が一瞬固まっていた。
豪快な笑みが消え、額に冷や汗が滲む。
汚れの染み付いた手がテーブルのスイッチに伸び、合成飲料の「酔い信号」を遮断する。
カチッ。
電子音と共に、脳に送られていた酔いの感覚が途切れ、ギゼラの瞳が一瞬で鋭さを取り戻す。
「……マジかよ。アンタの言う通りだ、背中がザワついてきた」
ギゼラは立ち上がり、ボトルを乱暴に置く。
マティアスはすでに通信機を置き、動き始めていた。
「格納庫だ。機体を確認する」
「了解だよ、じいさん! 何か来るならぶっ潰してやる!」
ギゼラが肩を鳴らし、二人は休息室を飛び出した。
廊下を走る足音がプロメテウスの静寂を切り裂く。
成層圏の母艦が、微かに緊張の空気に包まれ始めた。
〜〜〜
同時刻、プロメテウスから30km地点。
東武連邦の大型戦闘艦『クーロン』の威圧的な姿が成層圏下の大気圏に浮かんでいた。
灰色の艦体はまるで浮かぶ要塞のようで、全長は400mを超える。
無骨な装甲に覆われ、無数の砲塔が鋭い牙のように突き出している。
左右には輸送艦2隻が従い、黒いシルエットが雲を切り裂く。
そして艦体の下方――巨大な牽引ケーブルに吊り下げられた、サーペント・ガレルの巨体が、重々しく揺れていた。
ブレイズの2倍近いサイズの機体は、まるで深海の怪物を思わせる異形の存在感を放っている。
ブリッジでは、重厚な空気が支配していた。
艦長のチェンジャンが指揮席に座り、鋭い眼光で前方を見据えている。
短く刈った髪と鋭い顎のラインが、彼の軍人らしい厳格さを際立たせていた。
そんな彼の前に、二人の人物が立っている。
「ドミニオンから参りました、アジャダ・バンダーでございます。こちらがパイロットのリエン。よろしくお願いします、ヒヒッ」
アジャダが腰を低くして挨拶する。下卑た笑みを浮かべた顔は脂ぎっており、薄い髪が額に張り付いている。
彼の隣に立つリエンは、小柄ながら女らしい身体を不思議なパイロットスーツに包み、長い前髪で顔を隠していた。
無表情に敬礼する姿は、まるで人形のようだ。
チェンジャンがゆっくりと視線を上げ、二人の姿を値踏みするように見つめる。
「ふむ……ノヴァ・ドミニオンからの援軍か。チェンジャンだ、クーロンの艦長だ。よろしく頼む」
口調は礼儀正しいが、その目は疑り深く冷たい。
ブリッジに漂う空気は、表面的な友好とは裏腹に、信頼の欠片もない緊張感に満ちていた。
アジャダが擦り寄るように一歩進む。
「いやぁ、連邦の皆様の強さは良く知っておりますとも。今回は我々の最新機体サーペント・ガレルをお貸ししますんで、どうぞご遠慮なく使ってください。ヒヒッ、連邦の強さにノヴァの科学を追加すれば、勝利は確実でありますとも」
チェンジャンが鼻を鳴らし、視線をサーペントの映像に移す。
モニターに映る巨体が、牽引ケーブルに吊り下げられて揺れている。
「見た目は派手だが、役に立つのか? エリシオンのプロメテウス隊はそう簡単な相手ではない」
アジャダが手を擦りながら笑う。
「ご心配なく! このサーペント、専用の大型リアクターを搭載し、レールガンの火力はリニアキャノンを凌駕します。パイロットのリエンも、ドミニオンが誇る最高の戦士でしてね。敵が何であれ、叩き潰してくれますよ、ヒヒッ」
リエンは無言で立ち尽くし、ただ小さく頷くだけ。
チェンジャンが彼女に目を向け、僅かに眉を寄せる。
「……その小娘が? ふん、まあいい。戦場で結果を出せば文句はない。さっさと準備を整えろ」
「かしこまりました! リエン、艦長の命令だ。機体チェックを急いでくれよ」
アジャダがリエンに指示を飛ばす。
リエンは静かに敬礼し、ブリッジを後にした。
チェンジャンはその背を見送りながら、内心で舌打ちする。
(ドミニオンの連中か……信用ならんが、戦力が足りんのは事実。少しでも足しにするか)
クーロンの艦体が低く唸り、成層圏下を進む。
その下方で、サーペントの巨大なシルエットが影のように揺れていた。
東武連邦とノヴァ・ドミニオンの思惑が交錯する中、リエンを乗せた機体がプロメテウスとの対決へと向かう準備を整えつつあった。
一方、プロメテウスの格納庫では、マティアスとギゼラが機体に駆け寄っていた。
ストラウスとウェイバーが並ぶ中、烈火と兎歌も駆けつけてくる。
成層圏の静寂を破る戦いが始まるまで、残り10分───