【四月】IFルート:バッドエンド2【一日】
本国。
夜の司令部は、いつもより静かだった。
照明を落とした作戦室で、烈火は一人、立ったまま待っている。
モニターに映る星図も、警告灯も、今は意味を持たない。
『作戦指揮官カルコスより報告』
通信が入る。
烈火は、無意識に背筋を伸ばした。
『対象――リエンは、安全に確保された』
その一言で、胸の奥に溜まっていたものが、ゆっくりとほどけた。
『現在は本国施設に移送。負傷は軽微。
医療措置を受けており、生命に危険はない』
「……そうか」
声が、わずかに掠れた。
「ありがとう。これで……」
これで、守れた。
そう言いかけて、烈火は言葉を飲み込む。
『詳細は後ほど共有する。ひとまず、任務は完了だ』
通信が切れる。
作戦室に、静寂が戻った。
烈火は、深く息を吐いた。
───よかった。
それだけは、確かだった。
………
……
…
地下。
コンクリートに囲まれた、冷たい部屋。
天井から吊り下げられた白色灯が、無慈悲に照らしている。
ベッドの上で、リエンは仰向けに固定されていた。
腕と脚には拘束具。
細い腕から、何本ものチューブが伸び、点滴へと繋がっている。
無機質な機械音が、一定の間隔で鳴っていた。
「敵勢力の構成を話せ」
男の声。
感情の起伏はない。
「拠点の設備、指揮系統、補給線。知っていることを、すべてだ」
リエンは、視線を天井に固定したまま、何も答えない。
「……沈黙か」
男が、端末を操作する。
次の瞬間、リエンの身体が、びくりと跳ねた。
電撃。
歯を食いしばる音が、小さく漏れる。
だが、叫びはない。
「命令に従え。
お前は、もうノヴァの所有物ではない」
リエンの呼吸が、わずかに乱れる。
それでも、言葉は出てこない。
───話せない。
ノヴァによって刻み込まれた、機密保持命令。
逆らえば、罰が下る。
それは、痛みよりも深い場所にある。
「続ける」
再び、スイッチが押される。
白い光の下、
リエンは、無感情の仮面を貼り付けたまま、沈黙を守り続けた。
部屋の入り口には、武装した見張りが二人。
銃を構え、微動だにしない。
ここは、保護施設。
少なくとも、書類の上では。
リエンの瞳には、何も映っていなかった。
~~~
白い空間だった。
果てのないグリッドが広がり、仮想の敵影が次々と現れては消える。
リエンは、そこに立っている。
照準。
引き金。
発砲音。
敵影が崩れ、次が出現する。
照準。
引き金。
それを、ただ繰り返す。
命令は明確だった。
目標を排除せよ。
思考は不要。
リエンの表情は、何一つ変わらない。
呼吸も、心拍も、規定値の範囲内。
『命中率、98%
反応速度、想定以上』
無機質な評価が、空間に響く。
リエンは、引き金から指を離さない。
それが、いつも通りだった。
ノヴァでも。
ここでも。
~~~
司令部の一室。
落ち着いた照明と、整然とした机。
烈火は、机の前に立ったまま、拳を握りしめていた。
「……ふざけるな」
声は、抑えているつもりだった。
だが、怒気は隠せない。
「助け出した意味がないだろ。また戦場に戻すなんて……あれは、まだ子供だ!」
向かいに座るカルコスは、表情を崩さない。
指を組み、穏やかに烈火を見返す。
「お気持ちは、よく分かります」
丁寧で、柔らかな口調。
「ですが、これは上層部の決定です」
「テメェ……」
「リエンは、極めて貴重な戦力でして。
現在の戦況を鑑みますと、遊ばせておく余裕はありません」
「戦力……だと?」
烈火は、一歩踏み出す。
「人だろ!」
カルコスは、小さく息を吐いた。
「烈火さん」
「戦場では、その区別は意味を持ちません。
必要なのは、勝利です」
淡々とした言葉。
責めるでもなく、諭すでもない。
「規律を守らねば、組織は崩壊します。
感情を優先すれば、失われる命はさらに増えるでしょう」
烈火は、言葉を失った。
「……お前は」
「分かってんのか。
アイツが、どんな目に遭ってきたか」
一瞬だけ。
カルコスの視線が、揺れた。
「ええ。
だからこそ、管理下に置くのです
───制御された力として」
烈火の胸に、冷たいものが広がる。
「止めろ。今なら、まだ───」
「申し訳ありません」
カルコスは、静かに首を振った。
「決定は、覆りません」
その言葉が、すべてだった。
烈火は、部屋を出た。
背後で、扉が静かに閉まる。
その音が、やけに遠くに聞こえた。
───また、間違えたのか。
答えは、まだ出なかった。
………
……
…
暗闇の中で、声が蘇る。
───やめろ!
烈火の叫び声。
壁越しに、確かに聞こえた怒りと焦り。
リエンは、天井を見つめたまま、瞬きをする。
───会いたい。
理由は分からない。
だが、その衝動だけが、胸の奥に残っていた。
身体を動かそうとして、金属音が鳴る。
拘束具。
逃げる、という選択肢は、最初から存在していなかった。
「準備を開始する」
無機質な声とともに、数人の兵士が入室する。
首元に、冷たい感触。
次の瞬間、金属が嵌められた。
爆弾付の首輪。
暴走防止。
逃亡抑止。
そう説明されたが、意味は理解できた。
───逆らえば、死ぬ。
リエンは、何も言わなかった。
~~~
与えられた機体は、イノセント。
だが、それは通常仕様ではない。
リエン専用に改造されたフレーム。
神経接続の感度は極限まで引き上げられ、反応速度は常識を逸脱している。
乗り込んだ瞬間、世界が澄んだ。
戦場。
敵影。
命令。
『前進。排除せよ』
リエンは、淡々と従う。
照準。
引き金。
敵機が次々と落ちていく。
圧倒的だった。
まるで、戦うためだけに存在しているかのように。
「……強すぎるな」
後方から援護に入る機体。
元シグマ帝国のエース、ゲイル・タイガー。
その愛機、イノセント・レイダー。
「だが……危うい」
ゲイルは、リエンの機体を見ながら、歯を食いしばる。
動きは完璧。
判断も速い。
それでも、どこか───壊れかけている。
「……無理をするな」
通信を入れるが、返答はない。
助けたい。
だが、できない。
命令がない。
権限もない。
戦場では、それがすべてだ。
ゲイルの脳裏に、烈火の顔が浮かぶ。
あの男なら、何と言っただろうか。
───助けろ。
きっと、そう言った。
「……くそ」
ゲイルは、援護射撃に徹するしかなかった。
~~~
烈火は、そこにいない。
リエンとの接触は、正式に禁じられていた。
理由は、感情的影響。
戦力の安定性低下。
もっともらしい理屈。
リエンは、戦いながら、ふと思う。
───烈火は、まだ怒っているだろうか。
───それとも、もう……諦めたのだろうか。
答えは、どこにもない。
首元の重さだけが、
現実として、そこにあった。
………
……
…
配置命令を聞いた瞬間、リエンの胸に、かすかな揺れが走った。
同一任務部隊。
随伴機、二。
識別コードを見て、理解する。
───烈火。
───兎歌。
知っている名前。
知っている声。
それは、上層部の判断だった。
知己のある者と組ませることで、精神を安定させ、戦果をさらに引き上げる。
効率的で、合理的で、正しい判断。
───はず、だった。
~~~
戦場は、いつもと同じだった。
宙域。
敵影。
命令。
白い機体が、視界に入る。
リベルタ。
兎歌の新型機。
白く、鳥のようなフォルムで、翼を広げている。
『リエン、大丈夫? 無理してない?』
通信越しの声。
柔らかくて、優しい。
胸が、ざわつく。
『落ち着いて。いつも通りでいい』
次に聞こえたのは、烈火の声。
───会いたかった。
そう思った瞬間、頭の奥で何かが弾けた。
味方。
敵。
撃墜。
殺せ。
仲間。
愛情。
違う。
『命令に従え』
首元に、鋭い刺激。
電撃が走る。
『戦闘を継続しろ』
視界が歪む。
誰が味方で、誰が敵なのか。
守るとは何か。
従うとは、どういうことか。
分からない。
───やめて。
声にならない叫び。
だが、命令は止まらない。
電撃。
命令。
電撃。
リエンの中で、何かが、完全に壊れた。
「……排除」
それは、誰に向けた言葉だったのか。
照準が、白い機体を捉える。
リベルタ。兎歌の機体。
『リエン!? 待って――』
通信が、途中で途切れた。
E粒子ライフルが、閃光を放つ。
一撃。
白い翼が、爆ぜる。
次の瞬間、リベルタは、パイロットごとソラに散った。
「……っ!!」
烈火の視界が、赤く染まる。
『兎歌!!』
叫びは、返ってこない。
ただ、ノイズだけが残る。
リエンの機体が、動きを止める。
震えるように、宙に留まったまま。
『……措置を実行』
冷静な声。
カルコス。
『対象、制御不能と判断』
次の瞬間、リエンの首元で、光が弾けた。
「……っ……?」
短い困惑。
そして、通信映像が揺れる。
血。
赤。
機内を満たす、重力のない血だまり。
映像は、そこで途切れた。
烈火は、何も言えなかった。
ブレイズ・ザ・ビーストの中で、ただ、立ち尽くす。
目の前には、壊れた白い翼と───
沈黙した通信回線。
守ろうとした。
世界を選んだ。
その結果が、これだった。
烈火の喉から、音にならない息が漏れる。
───間違えた。
今度こそ、
取り返しのつかないほどに。
………
……
…
海は、いつも穏やかだった。
南国の名もなき島。
地図にも、航路にも、ほとんど記されない場所。
ここでは、流れ着くものがすべてだった。
壊れた金属片。
識別不能な機械部品。
遠い戦場の残骸。
烈火は、それらを拾い集め、分解し、売れる形にして暮らしていた。
あとは、魚を獲る。
島の人々に分け、余りを外の商船に渡す。
それだけの日々。
烈火は、もう戦っていなかった。
ブレイズ・ザ・ビーストは、島の奥で眠っている。
砂と蔦に覆われ、兵器というより、遺跡のようだった。
烈火自身も、同じだった。
言葉は少なく、感情は薄く、
何かを考えているようで、何も考えていない。
抜け殻。
~~~
「……おかえり」
小屋の前で、ミナが微笑んだ。
小麦色の肌。
南国の民族衣装。
素足で、砂の上に立つ。
烈火にとって、この島で最初に見た顔。
かつて、漂流した烈火を助けた少女だった。
「今日は、魚が多かったね」
烈火は、軽く頷くだけだった。
ミナは、嬉しかった。
もう二度と会えないはずだった人。
波にさらわれ、空に消えた王子さま。
その人が、ここにいる。
隣で、同じ空を見ている。
それだけで、胸が温かくなった。
───けれど。
烈火の隣に、誰かが、いない。
いつも、夢に見ていたはずの「一緒にいる誰か」。
その不在は、あまりにもはっきりしていた。
ミナは、聞かなかった。
聞く勇気が、なかった。
~~~
烈火は、よく海を見ていた。
水平線の向こう。
何かを探すように。
あるいは、何も、探していないのかもしれない。
ミナは、そっと寄り添う。
水を差し出し、
食事を用意し、
夜になれば、ランプを灯す。
「……無理しないで」
その言葉に、烈火は反応しない。
ただ、静かに呼吸をするだけ。
ミナは知っていた。
この人は、壊れている。
でも、完全には、壊れていない。
だから、支える。
名前のない島で。
誰にも命令されない場所で。
戦場で失ったものは、戻らない。
死んだ少女は、帰ってこない。
それでも。
ミナは、烈火の背中に、そっと手を置く。
「……ここにいて」
それは、願いであり、祈りだった。
烈火は、答えなかった。
けれど、その夜、
ほんの少しだけ、
眠る時間が、長くなった。
南国の島に、波の音だけが、静かに続いていた。
~~~
時間は、静かに流れた。
献身的な世話。
塩気を含んだ風。
太陽と、海と、健康的な食事。
それらは、少しずつ、確実に、烈火を癒していった。
若く、強く、怪力の烈火は、島に馴染んでいった。
流れ着いた鉄塊を軽々と抱え上げ、浜を歩く。
その隣を、ミナが並んで歩く。
「おう、今日も働き者だな!」
漁師が、威勢よく声をかける。
そのまま、大きな魚を放り投げた。
「ありがとう!」
受け取るのは、ミナだった。
笑顔で、胸に抱きしめる。
「うちの旦那、大食いだから。たくさん食べさせないと」
島の人々が、どっと笑う。
烈火も、わずかに口元を緩めた。
~~~
やがて、二人は結婚した。
派手な式ではなかった。
白い花。
青い海。
島の人々の祝福。
それでも、ミナにとっては、夢にまで見たウェディングだった。
烈火は、誓いの言葉を口にした。
はっきりと。
迷いなく。
『愛することを、誓います』
それだけで、ミナは泣いた。
~~~
初夜。
夜風が、静かに吹く。
烈火の体温は、もう冷たくなかった。
ミナのぬくもりを、確かに受け止めていた。
そして、
新しい命が宿った。
「……できたよ」
そう告げられたとき、烈火は、しばらく黙っていた。
それから、
ゆっくりと、ミナを抱きしめた。
すべてが、幸福だった。
過去は、遠い。
戦争は、空の彼方。
この島には、命令も、爆音も、死もない。
ただ、
家族と、
未来だけが、
そこにあった。
かつて、一度だけ、エリシオンの追撃部隊がこの島を訪れた。
水平線の向こうに、鋼の影が現れた夜だった。
だが、烈火は知っていた。
自分が、どれほど多くのエースと繋がっていたかを。
あの戦場で、命を預け合った者たち。
信頼だけで背中を守り合った者たち。
彼らを欠いた追撃部隊は、烈火の敵ではなかった。
ボロボロのブレイズが、再び空へ上がる。
軋む装甲。
悲鳴を上げる関節。
それでも、ブレイズは応えた。
母艦が、閃光の中で砕け散る。
それきりだった。
空は、再び静かになった。
それ以来、誰も来なかった。
~~~
やがて、烈火は小さなお墓を建てた。
島の外れ、夕陽が沈む場所。
一つの墓には、
兎歌からもらった、手編みのマフラーが埋められていた。
少しほつれて、
それでも、温かかったもの。
もう一つの墓には、
何も入っていない。
名前も、刻まれていない。
夕空の下、烈火は膝をついた。
「……っ」
声にならない嗚咽が、喉を震わせる。
ずっと、ずっと、堪えてきた。
戦うために。
生きるために。
「あ……
あぁ、あ……
あああ……。うわぁああああああ!!!!」
少年は、
ようやく、泣いた。
砂を握りしめ、
肩を震わせ、
声を殺して。
ミナは、何も言わず、隣にいた。
~~~
夜になっても、ミナは隣にいた。
星が、空いっぱいに広がる。
ミナは、そっと、自分のお腹に烈火の手を導いた。
「……ほら」
微かな動き。
確かな鼓動。
烈火は、息を呑んだ。
「……生きてる」
呟くような声。
「うん」
ミナは、微笑んだ。
夜空の下。
墓のそばで。
失ったものと、
これから生まれるもの。
すべてを抱えて、
二人は、そこに立っていた。




