表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

175/262

【四月】IFルート:バッドエンド2【一日】

 本国。

 夜の司令部は、いつもより静かだった。


 照明を落とした作戦室で、烈火は一人、立ったまま待っている。

 モニターに映る星図も、警告灯も、今は意味を持たない。


『作戦指揮官カルコスより報告』


 通信が入る。

 烈火は、無意識に背筋を伸ばした。


『対象――リエンは、安全に確保された』


 その一言で、胸の奥に溜まっていたものが、ゆっくりとほどけた。


『現在は本国施設に移送。負傷は軽微。

 医療措置を受けており、生命に危険はない』


「……そうか」


 声が、わずかに掠れた。


「ありがとう。これで……」


 これで、守れた。

 そう言いかけて、烈火は言葉を飲み込む。


『詳細は後ほど共有する。ひとまず、任務は完了だ』


 通信が切れる。

 作戦室に、静寂が戻った。


 烈火は、深く息を吐いた。


 ───よかった。


 それだけは、確かだった。


 ………

 ……

 …


 地下。

 コンクリートに囲まれた、冷たい部屋。


 天井から吊り下げられた白色灯が、無慈悲に照らしている。


 ベッドの上で、リエンは仰向けに固定されていた。

 腕と脚には拘束具。

 細い腕から、何本ものチューブが伸び、点滴へと繋がっている。


 無機質な機械音が、一定の間隔で鳴っていた。


「敵勢力の構成を話せ」


 男の声。

 感情の起伏はない。


「拠点の設備、指揮系統、補給線。知っていることを、すべてだ」


 リエンは、視線を天井に固定したまま、何も答えない。


「……沈黙か」


 男が、端末を操作する。

 次の瞬間、リエンの身体が、びくりと跳ねた。


 電撃。


 歯を食いしばる音が、小さく漏れる。

 だが、叫びはない。


「命令に従え。

 お前は、もうノヴァの所有物ではない」


 リエンの呼吸が、わずかに乱れる。

 それでも、言葉は出てこない。


 ───話せない。


 ノヴァによって刻み込まれた、機密保持命令。

 逆らえば、罰が下る。


 それは、痛みよりも深い場所にある。


「続ける」


 再び、スイッチが押される。


 白い光の下、

 リエンは、無感情の仮面を貼り付けたまま、沈黙を守り続けた。


 部屋の入り口には、武装した見張りが二人。

 銃を構え、微動だにしない。


 ここは、保護施設。

 少なくとも、書類の上では。


 リエンの瞳には、何も映っていなかった。


 ~~~


 白い空間だった。

 果てのないグリッドが広がり、仮想の敵影が次々と現れては消える。


 リエンは、そこに立っている。


 照準。

 引き金。


 発砲音。

 敵影が崩れ、次が出現する。


 照準。

 引き金。


 それを、ただ繰り返す。


 命令は明確だった。

 目標を排除せよ。

 思考は不要。


 リエンの表情は、何一つ変わらない。

 呼吸も、心拍も、規定値の範囲内。


『命中率、98%

 反応速度、想定以上』


 無機質な評価が、空間に響く。


 リエンは、引き金から指を離さない。

 それが、いつも通りだった。


 ノヴァでも。

 ここでも。


 ~~~


 司令部の一室。

 落ち着いた照明と、整然とした机。


 烈火は、机の前に立ったまま、拳を握りしめていた。


「……ふざけるな」


 声は、抑えているつもりだった。

 だが、怒気は隠せない。


「助け出した意味がないだろ。また戦場に戻すなんて……あれは、まだ子供だ!」


 向かいに座るカルコスは、表情を崩さない。

 指を組み、穏やかに烈火を見返す。


「お気持ちは、よく分かります」


 丁寧で、柔らかな口調。


「ですが、これは上層部の決定です」


「テメェ……」


「リエンは、極めて貴重な戦力でして。

 現在の戦況を鑑みますと、遊ばせておく余裕はありません」


「戦力……だと?」


 烈火は、一歩踏み出す。


「人だろ!」


 カルコスは、小さく息を吐いた。


「烈火さん」


「戦場では、その区別は意味を持ちません。

 必要なのは、勝利です」


 淡々とした言葉。

 責めるでもなく、諭すでもない。


「規律を守らねば、組織は崩壊します。

 感情を優先すれば、失われる命はさらに増えるでしょう」


 烈火は、言葉を失った。


「……お前は」


「分かってんのか。

 アイツが、どんな目に遭ってきたか」


 一瞬だけ。

 カルコスの視線が、揺れた。


「ええ。

 だからこそ、管理下に置くのです

 ───制御された力として」


 烈火の胸に、冷たいものが広がる。


「止めろ。今なら、まだ───」


「申し訳ありません」


 カルコスは、静かに首を振った。


「決定は、覆りません」


 その言葉が、すべてだった。


 烈火は、部屋を出た。

 背後で、扉が静かに閉まる。


 その音が、やけに遠くに聞こえた。


 ───また、間違えたのか。


 答えは、まだ出なかった。


 ………

 ……

 …


 暗闇の中で、声が蘇る。


 ───やめろ!


 烈火の叫び声。

 壁越しに、確かに聞こえた怒りと焦り。


 リエンは、天井を見つめたまま、瞬きをする。


 ───会いたい。


 理由は分からない。

 だが、その衝動だけが、胸の奥に残っていた。


 身体を動かそうとして、金属音が鳴る。

 拘束具。


 逃げる、という選択肢は、最初から存在していなかった。


「準備を開始する」


 無機質な声とともに、数人の兵士が入室する。


 首元に、冷たい感触。

 次の瞬間、金属が嵌められた。


 爆弾付の首輪。

 暴走防止。

 逃亡抑止。


 そう説明されたが、意味は理解できた。


 ───逆らえば、死ぬ。


 リエンは、何も言わなかった。


 ~~~


 与えられた機体は、イノセント。

 だが、それは通常仕様ではない。


 リエン専用に改造されたフレーム。

 神経接続の感度は極限まで引き上げられ、反応速度は常識を逸脱している。


 乗り込んだ瞬間、世界が澄んだ。


 戦場。

 敵影。

 命令。


『前進。排除せよ』


 リエンは、淡々と従う。


 照準。

 引き金。


 敵機が次々と落ちていく。


 圧倒的だった。

 まるで、戦うためだけに存在しているかのように。


「……強すぎるな」


 後方から援護に入る機体。

 元シグマ帝国のエース、ゲイル・タイガー。

 その愛機、イノセント・レイダー。


「だが……危うい」


 ゲイルは、リエンの機体を見ながら、歯を食いしばる。


 動きは完璧。

 判断も速い。


 それでも、どこか───壊れかけている。


「……無理をするな」


 通信を入れるが、返答はない。


 助けたい。

 だが、できない。


 命令がない。

 権限もない。


 戦場では、それがすべてだ。


 ゲイルの脳裏に、烈火の顔が浮かぶ。

 あの男なら、何と言っただろうか。


 ───助けろ。


 きっと、そう言った。


「……くそ」


 ゲイルは、援護射撃に徹するしかなかった。


 ~~~


 烈火は、そこにいない。

 リエンとの接触は、正式に禁じられていた。


 理由は、感情的影響。

 戦力の安定性低下。


 もっともらしい理屈。

 リエンは、戦いながら、ふと思う。


 ───烈火は、まだ怒っているだろうか。

 ───それとも、もう……諦めたのだろうか。


 答えは、どこにもない。


 首元の重さだけが、

 現実として、そこにあった。


 ………

 ……

 …


 配置命令を聞いた瞬間、リエンの胸に、かすかな揺れが走った。


 同一任務部隊。

 随伴機、二。


 識別コードを見て、理解する。


 ───烈火。

 ───兎歌。


 知っている名前。

 知っている声。


 それは、上層部の判断だった。

 知己のある者と組ませることで、精神を安定させ、戦果をさらに引き上げる。


 効率的で、合理的で、正しい判断。


 ───はず、だった。


 ~~~


 戦場は、いつもと同じだった。

 宙域。

 敵影。

 命令。


 白い機体が、視界に入る。


 リベルタ。

 兎歌の新型機。

 白く、鳥のようなフォルムで、翼を広げている。


『リエン、大丈夫? 無理してない?』


 通信越しの声。

 柔らかくて、優しい。


 胸が、ざわつく。


『落ち着いて。いつも通りでいい』


 次に聞こえたのは、烈火の声。


 ───会いたかった。


 そう思った瞬間、頭の奥で何かが弾けた。


 味方。

 敵。

 撃墜。

 殺せ。


 仲間。

 愛情。

 違う。


『命令に従え』


 首元に、鋭い刺激。

 電撃が走る。


『戦闘を継続しろ』


 視界が歪む。


 誰が味方で、誰が敵なのか。

 守るとは何か。

 従うとは、どういうことか。


 分からない。


 ───やめて。


 声にならない叫び。


 だが、命令は止まらない。

 電撃。

 命令。

 電撃。


 リエンの中で、何かが、完全に壊れた。


「……排除」


 それは、誰に向けた言葉だったのか。


 照準が、白い機体を捉える。

 リベルタ。兎歌の機体。


『リエン!? 待って――』


 通信が、途中で途切れた。


 E粒子ライフルが、閃光を放つ。


 一撃。

 白い翼が、爆ぜる。


 次の瞬間、リベルタは、パイロットごとソラに散った。


「……っ!!」


 烈火の視界が、赤く染まる。


『兎歌!!』


 叫びは、返ってこない。

 ただ、ノイズだけが残る。


 リエンの機体が、動きを止める。

 震えるように、宙に留まったまま。


『……措置を実行』


 冷静な声。

 カルコス。


『対象、制御不能と判断』


 次の瞬間、リエンの首元で、光が弾けた。


「……っ……?」


 短い困惑。

 そして、通信映像が揺れる。


 血。

 赤。


 機内を満たす、重力のない血だまり。

 映像は、そこで途切れた。



 烈火は、何も言えなかった。


 ブレイズ・ザ・ビーストの中で、ただ、立ち尽くす。


 目の前には、壊れた白い翼と───

 沈黙した通信回線。


 守ろうとした。

 世界を選んだ。


 その結果が、これだった。


 烈火の喉から、音にならない息が漏れる。


 ───間違えた。


 今度こそ、

 取り返しのつかないほどに。


 ………

 ……

 …


 海は、いつも穏やかだった。


 南国の名もなき島。

 地図にも、航路にも、ほとんど記されない場所。


 ここでは、流れ着くものがすべてだった。

 壊れた金属片。

 識別不能な機械部品。

 遠い戦場の残骸。


 烈火は、それらを拾い集め、分解し、売れる形にして暮らしていた。

 あとは、魚を獲る。

 島の人々に分け、余りを外の商船に渡す。


 それだけの日々。


 烈火は、もう戦っていなかった。


 ブレイズ・ザ・ビーストは、島の奥で眠っている。

 砂と蔦に覆われ、兵器というより、遺跡のようだった。


 烈火自身も、同じだった。


 言葉は少なく、感情は薄く、

 何かを考えているようで、何も考えていない。


 抜け殻。


 ~~~


「……おかえり」


 小屋の前で、ミナが微笑んだ。


 小麦色の肌。

 南国の民族衣装。

 素足で、砂の上に立つ。


 烈火にとって、この島で最初に見た顔。


 かつて、漂流した烈火を助けた少女だった。


「今日は、魚が多かったね」


 烈火は、軽く頷くだけだった。



 ミナは、嬉しかった。


 もう二度と会えないはずだった人。

 波にさらわれ、空に消えた王子さま。


 その人が、ここにいる。

 隣で、同じ空を見ている。


 それだけで、胸が温かくなった。


 ───けれど。


 烈火の隣に、誰かが、いない。


 いつも、夢に見ていたはずの「一緒にいる誰か」。


 その不在は、あまりにもはっきりしていた。


 ミナは、聞かなかった。

 聞く勇気が、なかった。


 ~~~


 烈火は、よく海を見ていた。


 水平線の向こう。

 何かを探すように。


 あるいは、何も、探していないのかもしれない。


 ミナは、そっと寄り添う。


 水を差し出し、

 食事を用意し、

 夜になれば、ランプを灯す。


「……無理しないで」


 その言葉に、烈火は反応しない。

 ただ、静かに呼吸をするだけ。


 ミナは知っていた。


 この人は、壊れている。

 でも、完全には、壊れていない。


 だから、支える。


 名前のない島で。

 誰にも命令されない場所で。


 戦場で失ったものは、戻らない。

 死んだ少女は、帰ってこない。


 それでも。


 ミナは、烈火の背中に、そっと手を置く。


「……ここにいて」


 


 それは、願いであり、祈りだった。

 烈火は、答えなかった。


 けれど、その夜、

 ほんの少しだけ、

 眠る時間が、長くなった。


 南国の島に、波の音だけが、静かに続いていた。


 ~~~


 時間は、静かに流れた。


 献身的な世話。

 塩気を含んだ風。

 太陽と、海と、健康的な食事。


 それらは、少しずつ、確実に、烈火を癒していった。


 若く、強く、怪力の烈火は、島に馴染んでいった。


 流れ着いた鉄塊を軽々と抱え上げ、浜を歩く。

 その隣を、ミナが並んで歩く。


「おう、今日も働き者だな!」


 漁師が、威勢よく声をかける。

 そのまま、大きな魚を放り投げた。


「ありがとう!」


 受け取るのは、ミナだった。

 笑顔で、胸に抱きしめる。


「うちの旦那、大食いだから。たくさん食べさせないと」


 島の人々が、どっと笑う。

 烈火も、わずかに口元を緩めた。


 ~~~


 やがて、二人は結婚した。


 派手な式ではなかった。

 白い花。

 青い海。

 島の人々の祝福。


 それでも、ミナにとっては、夢にまで見たウェディングだった。


 烈火は、誓いの言葉を口にした。

 はっきりと。

 迷いなく。


『愛することを、誓います』


 それだけで、ミナは泣いた。


 ~~~


 初夜。

 夜風が、静かに吹く。


 烈火の体温は、もう冷たくなかった。

 ミナのぬくもりを、確かに受け止めていた。


 そして、

 新しい命が宿った。


「……できたよ」


 そう告げられたとき、烈火は、しばらく黙っていた。


 それから、

 ゆっくりと、ミナを抱きしめた。



 すべてが、幸福だった。


 過去は、遠い。

 戦争は、空の彼方。


 この島には、命令も、爆音も、死もない。



 ただ、

 家族と、

 未来だけが、

 そこにあった。


 かつて、一度だけ、エリシオンの追撃部隊がこの島を訪れた。

 水平線の向こうに、鋼の影が現れた夜だった。


 だが、烈火は知っていた。

 自分が、どれほど多くのエースと繋がっていたかを。


 あの戦場で、命を預け合った者たち。

 信頼だけで背中を守り合った者たち。


 彼らを欠いた追撃部隊は、烈火の敵ではなかった。


 ボロボロのブレイズが、再び空へ上がる。


 軋む装甲。

 悲鳴を上げる関節。


 それでも、ブレイズは応えた。


 母艦が、閃光の中で砕け散る。


 それきりだった。

 空は、再び静かになった。


 それ以来、誰も来なかった。


 ~~~


 やがて、烈火は小さなお墓を建てた。


 島の外れ、夕陽が沈む場所。


 一つの墓には、

 兎歌からもらった、手編みのマフラーが埋められていた。


 少しほつれて、

 それでも、温かかったもの。


 もう一つの墓には、

 何も入っていない。


 名前も、刻まれていない。


 夕空の下、烈火は膝をついた。


「……っ」


 声にならない嗚咽が、喉を震わせる。


 ずっと、ずっと、堪えてきた。

 戦うために。

 生きるために。


「あ……

 あぁ、あ……

 あああ……。うわぁああああああ!!!!」


 少年は、

 ようやく、泣いた。


 砂を握りしめ、

 肩を震わせ、

 声を殺して。


 ミナは、何も言わず、隣にいた。


 ~~~


 夜になっても、ミナは隣にいた。


 星が、空いっぱいに広がる。

 ミナは、そっと、自分のお腹に烈火の手を導いた。


「……ほら」


 微かな動き。

 確かな鼓動。


 烈火は、息を呑んだ。


「……生きてる」


 呟くような声。


「うん」


 ミナは、微笑んだ。


 夜空の下。

 墓のそばで。


 失ったものと、

 これから生まれるもの。


 すべてを抱えて、

 二人は、そこに立っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ