前編:二人の再開と初陣
「はあ……はあ……ッ!」
大陸の片隅、鬱蒼とした森の中を兎歌は逃げていた。
ゴォォン!
背中のプラズマリアクターが唸りを上げ、エリシオンの試作型コマンドスーツ『イノセント』の蒼い装甲が木々の間を必死に進む。
枝がバキバキと折れる音、土を踏むドスドスという重い響きが森に響き渡った。
「早く……届けなきゃ……!」
兎歌の声がコックピットに小さく震える。
モニターには赤い警告灯が点滅し、後方から迫る敵の影が映し出されていた。
追ってくるのは東武連邦のコマンドスーツ──灰色の『ボルン』2機と、隊長機である深緑の無骨な『シェンチアン』1機。
ボルンのマシンガンが唸り、弾丸が木々を貫いてビュンビュンと飛んでくる。
シェンチアンはアサルトライフルを構え、弾幕を張りながらリニアキャノンを準備していた。
ガチガチッ!!
『右舷に被弾! 装甲損傷5パーセント!』
イノセントのシステム音声が冷たく告げる。
兎歌は息を詰まらせ、操縦桿を握る手が震えた。
兎歌はまだ新米で、戦闘訓練など受けていない。
背中のプラズマリアクターをエリシオンの拠点に届ける任務が初めての本番だった。
だが、輸送中に敵の偵察部隊に見つかり、仲間は散り散りになってしまった。
「だ、だめ……このままじゃ……!」
兎歌は慌ててイノセントのリニアキャノンを構えたが、照準が定まらない。
スイッチを押す手が空回りし、発射された蒼い光はボルンの横を大きく外れて木々に激突した。
ドォン!
爆風が巻き起こるが、敵は微動だにせず迫ってくる。
((烈火……助けて……!))
心の中で、少女は幼なじみの名を叫んだ。
烈火ならこんな時、迷わず敵を叩き潰すだろう。
だが、今ここにいるのは兎歌だけだ。
優しく、まっすぐな兎歌には、戦いの術がわからない。
ビュオン!
シェンチアンがリニアキャノンを撃ち放ち、鋭い光がイノセントの左腕をかすめた。
『左腕損傷! 出力を維持してください!』
警告音がけたたましく響く。
兎歌は涙目になりながら、イノセントを木々の奥へと走らせた。
バキバキと枝が折れ、蒼い装甲が泥にまみれる。
ダララララッ。
ボルンのマシンガンが追い打ちをかけ、シェンチアンのアサルトライフルが弾をばらまく。
「か、隠れなきゃ……!」
兎歌は森の深い茂みを見つけ、イノセントを滑り込ませた。
ザザッと葉が擦れる音に紛れ、機体を停止させる。
「ふぅ……ふぅ……」
息を殺し、視界を左右に走らせる。
敵の足音がドスドスと遠ざかり、やがて静寂が訪れた。
だが、遠くで新たな音が聞こえてきた。
ブゥゥン……。
軍用車のエンジン音だ。低く唸るその響きが、森の向こうから近づいてくる。
「誰か……来るの……?」
兎歌の小さな声がコックピットに響き、イノセントの蒼い装甲が木漏れ日に静かに光った。
プラズマリアクターが熱を帯び、彼女の背に重くのしかかる。
敵か味方か分からない音に、兎歌の心臓がドクドクと高鳴った。
~~~
ブゥウウーン……。
森の道路を、オフローダーのエンジンが唸りながら切り裂いていた。
烈火・シュナイダーは運転席に座り、赤い髪を風になびかせていた。
兎歌より一つ年上で、1年早くヴァイスマンの孤児院を出た彼は、この近辺の建設会社で働いていた。
後部座席には工具箱と資材がガチャガチャと揺れ、埃っぽい道を走るたび、車体がドスンと跳ねる。
「ふんふんふ~ん♪」
この日も、いつものように資材を運んでいた烈火だったが……遠くで突然の爆音が響いた。
ドォン!
空気が震え、烈火は思わず目を細めてその方向を向く。
木々の隙間から、東武連邦の部隊がちらりと見えた。灰色のシルエットを揺らして走っている。
「何だ……?」
烈火が呟いた瞬間、胸の奥で鋭い感覚が走った。
ビクン、と心臓が跳ね、頭に誰かの怯える感情が流れ込んでくる。兎歌だ。
烈火もまたネクスターであり、第六感が異常に発達していた。
その能力が、心に窮地を伝えてくる。
「兎歌……!」
無意識にハンドルを切り、オフローダーが土煙を上げて森の奥へ突き進む。
タイヤがガタガタと地面を叩き、枝がバキバキとフロントガラスに当たる。
烈火の瞳が燃えるように鋭くなり、資材の入った後部座席が揺れた。
「コイツは……」
走り続けた先、木々の影に隠れるようにして、蒼いコマンドスーツが蹲っていた。
『イノセント』だ。
ズザアァ!!
烈火は急ブレーキをかけ、オフローダーが滑りながら停止する。
シュォオーン……。
烈火が車を降りると同時に、イノセントのコックピットハッチが開いた。
蒸気が上がり、中から少女が這うように出てくる。
パイロットスーツに包まれたその姿は、タイトな生地越しに豊かな胸の形を際立たせていた。
烈火は一瞬目を細め、記憶と照らし合わせる。
「……兎歌?」
烈火の声に、少女が顔を上げた。
桜色の髪がヘルメットの下からこぼれ、大きな瞳が驚きと安堵で揺れる。
兎歌・ハーニッシュだった。
兎歌はよろめきながら立ち上がり、烈火を見つめた。
ヘルメットが転がり落ちる。
「烈火……!? どうしてここに……?」
声が震え、涙が頬を伝う。
烈火は一歩近づき、兎歌の肩を掴んで支えた。
「お前が怖がってるのが分かったんだよ。何だそのデカいロボットは? 敵に追われてんのか?」
「あ、えっと……うん」
兎歌は言葉に詰まり、ただ小さく頷く。
イノセントの背中でプラズマリアクターが低く唸り、蒼い装甲に泥と傷が刻まれていた。
遠くで再びリアクターの低く唸る音が近づき、木々がザワザワと揺れる。
「まず隠れろ。話は後だ」
烈火は兎歌の手を引き、オフローダーの陰に彼女を隠した。
小柄な身体を陰に押し込み、自分も身を低くする。
第六感が警告を発し、烈火の瞳が鋭く光った。
東武連邦の部隊が近づいてくる中、烈火は幼なじみの少女を守る決意を固めていた。
「れ、烈火……」
「近いな……」
烈火は耳を澄ませた。
リアクターの唸りが森の静寂を切り裂き、徐々に近づいてくる。
木々の間を縫うように響くその音に混じって、リパルサーホバーの駆動音。
優秀な追跡者がいる。
痕跡をたどり、確実にこちらへ向かっているのだ。
烈火の頭が冷静に状況を計算する。見つかるまでの推定時間───3分。
「兎歌、行くぞ!」
烈火は兎歌の手を引き、イノセントのコックピットへと飛び込んだ。
ハッチが開いたままの機体に乗り込み、烈火は素早く操縦席に滑り込む。
兎歌が驚きの声を上げる。
「えっ!? な、何!?」
「驚いてるヒマねぇ! 補助席に座れ!」
烈火の鋭い声に押され、兎歌は慌てて後ろの補助席に押し込まれた。
桜色の髪が揺れ、補助席がカサカサと音を立てる。
烈火は操縦桿を掴み、コンソールに目を走らせた。
「登録と接続してくれ!」
「え? わ、わかった!」
兎歌が震える手でコンソールを操作する。
カチカチとキーを叩く音が響き、電子音声がコックピットに流れた。
『新パイロット検出。登録を開始します』
試験機であるイノセントは、セキュリティが未実装の状態だった。
誰でも登録可能なその仕様が、今、烈火に味方する。
コンソールに『INNOCENT』の文字が浮かび上がり、アニムスキャナーが起動した。
ウィィィンという高周波音と共に、烈火の脳と機体が接続される。
「う……ッ」
神経がリンクするような電流が背筋を走り抜け、次の瞬間、機体がまるで手足のように感じられた。
烈火がこぶしを握ると、ガチンとイノセントの腕が反応し、開くと同時に装甲がカシャンと音を立てて動く。
「すげぇ……手足みてぇだ。そこらの建設用とはスキャナーの感度が違うぜ」
烈火は小さく呟く。
第六感が冴え、機体の全てが彼の意志と直結していた。
モニターに残り時間が映し出されるわけではないが、彼の頭は正確にカウントを刻む。
「残り……1分ってとこか」
遠くで敵の足音が近づき、木々がザワザワと揺れる。
烈火は深く息を吸い込み、武装を確認した。
モニターに映るのはリニアキャノンとコンバットナイフ。
シンプルだが、これで十分。
烈火の瞳が燃えるように鋭くなり、口の端がニヤリと吊り上がる。
「来やがれ……」
コンソールがピピッと鳴り、システム音声が告げる。
『接続完了。イノセント、起動します』
ゴォォン!
機体が震え、蒼い装甲が森の木漏れ日に輝いた。
背中のプラズマリアクターが低く唸り、エネルギーが全身を巡る。
兎歌が補助席で小さく声を上げた。
「烈火、大丈夫なの!? 私、戦えないよ……!」
「心配すんな。お前はそこにいろ。後は俺がやる」
烈火の声は力強く、迷いがなかった。
イノセントが立ち上がり、土をドンと踏みしめる。
「出力……高いな。粒子量? 知らん。排熱……あんま余裕ねぇな。ヨシ」
リニアキャノンを構え、コンバットナイフの位置を確認。
敵の気配がすぐそこまで迫り、烈火の第六感が鋭く反応する。
戦いの火が、彼の中で激しく燃え上がっていた。
烈火・シュナイダーの頭の中は、なぜこうするべきだと思ったのか、なぜ自分がこれをできると思ったのか、明確な答えを持たなかった。
だが、そんな疑問は今、どうでもいい。
戦わなければやられる。
殲滅しなければ生き残れない。
それを本能が、烈火の脳に叩き込んでいた。
「さぁて……動けよぉ……?」
ゴォォン!
イノセントのプラズマリアクターが唸り、蒼い装甲が森の闇に浮かび上がる。