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風のアレフ  作者: ハシバミの花
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≪父親≫

長らく謎に包まれていた、アレフの父親ジル=クワイラの登場です。

奇妙な魅力のある彼は、アレフにいかなる資質と未来をもたらすのでしょう。

彼が別れ際に語る、予言のような言葉にご注目ください。

≪父親≫


 父親の威厳というがね、いいかよく聞け坊主ども。

 そんなものは母親が作ってやっているものなのさ。



 長らく謎とされていたアレフの父親が現れたのは、木中月の終わりごろ、山々の赤黄がもっとも深いちょうどその頃だった。

 この時期に子供のやることといったら、山に入ってキノコを取ったり豚芋を掘り返したり、魚を釣って保存食の足しにしたり、まあ普段とそう変わらん毎日なのだがね、アレフもやはりそんな日々を過ごしていた。

「すごいなそのナイフ!」

「アレフ! アレフ! 僕にも見せてよ!」

 子供たちを引き連れ、ウィージェから貰った山刀を見せびらかしている。

「綺麗だろう、山脈の向こうにある御宮の国にある、刀工たちの村でウィージェが鍛えてもらったんだぞ。あ、こら、刀身に触っちゃ駄目だ。指を切るぞ!」

 見せはしても渡さないのは、意地悪しているわけじゃない。ウィージェからそうしろと強く言い聞かせられているからだ。もっとも、見せびらかすのも良くない、と言われているんだが、そちらはあまり強く言われなかったので、ちょっと位いいかなと都合よく考えている。

「こっちだ。この奥で去年キノコが密集している場所を見つけたんだ。俺が枝をはらって道を開くから、ゆっくりとついて来い」

 山刀を手にしたアレフを先頭に、山道をそれて下生えの中に分け入ってゆく。

「おい、坊主たち」

 子供たちが笑い声を上げて森に入ろうとしたそのときだ、伸びやかな男の声が彼らを呼び止めた。

 黒ずくめ。

 男はまるで、木々をざわめかせたこの風の中から、ふとまろび出たように気配を現した。

「この村の子かい? ならば、キリエと言う魔法使いを知っているか?」

「知っているけど……」「ね、」

 みんな、知らない大人にはにかみながら、ちらちらとアレフを見る。なんたってキリエはアレフの母親なんだから、それにアレフはみんなのリーダーなんだから、彼をさしおいて説明するってのも、気がひけるわけだ。アレフは男の前にずいと出てふてぶてしく言った。

「キリエは、俺の母さんだけど?」

「おお! なんてことだ!」男が喜色を満面に浮かべ、歓声を上げる。「お前がわが息子のアレフか!」



 スズカケヒノキの足元にあるわが家で、キリエが腰を下ろしセーターを縫っている。アレフときたら、どんな格好をさせてもカギ裂きを作ってくるものだから、繕い仕事に終わりが無いのだ。

「うん。これでよし」

 出来上がりを目の前に広げ、一人つぶやく。窓に目を移し、珍しく驚いた顔をつくってみせた。

「あらまあ、なんてことかしら。こんなお客様が訪れるとはね」

 髪結びを解いて立ち上がると、栗色の巻き毛が背中にこぼれ落ちた。



「旅をしていてな、世界中のいろんなところを回ってるんだ。いやいや行商人じゃない、旅人だ。それでどうやって食ってるかって? いく先々で、仕事を貰うのさ。なあに、その気になれば人間なんだって出来るもんさ」

 アレフの先導に男がつづき、さらにその後ろを子供たちがぞろぞろとついてくる。好奇心まるだしの小さな子に、男は気安く声を掛けている。

 変なやつ。

 やたらとぺらぺらしゃべる自分の父親と名乗る男に、アレフは素っ気なかった。

 男は体にはりつくような細身の服を着ていて、上から使い古したマントを羽織っている。太っているというわけではないが、がっしりとした体つきをしている。そのくせ発散する空気は朗らかで、子供たちがよく懐いているのもそのせいだろう。

「おいアレフ、あの人、本当にお前の親父さんなのか?」

 横に並んで、クランバルが問いかける。

「さあ知らない。とにかく母さんに聞いてみなきゃ」

 丘を越えると、見慣れたスズカケヒノキが見えた。近づいてゆくと、木の足元の我が家が稜線からせり上がってくる。

「あ、先生だ!」

「先生ー!」

「みんないらっしゃい。さあ入って。お茶の用意がしてあるわ。アレフ、裏にいって砂糖煮の瓶詰めを持ってきて頂戴――それから、」それからキリエは黒衣の男に親しげに近寄り、

「いらっしゃい。久しぶりね。元気だった? ジル=クワイラ」

「キリエ、会いたかった」

 そして二人はお互いを抱きしめ、深々と旧交を温めたのである。



 砂糖煮とお茶を平らげると早々に、幼い子たちはアレフの家を飛び出した。彼らだけで遊ばせておくわけにもいかないので、年長の者たちもその後を追いかける。それでようやく人目がなくなったので、アレフはキリエに訊ねた。

「ねえ。ジル=クワイラが俺の父さんなの?」

「そうよ、もっとも」キリエはそこで謎めいた微笑をつくり、「あなたがそう望めば、だけど」

 言われたことの意味がうまくつかめず、アレフは首をひねった。みればジル=クワイラも、アレフと同じように首をひねっている。

「どうだって? あの人、アレフの親父さんだった?」

 アレフはさっきと同じように首をひねった。

「いや、よく判らない。どっちでもいい、ってことじゃないかな」

 謎かけのような母の言葉を、アレフは自分なりに解釈した。



 その夜、村でただ一軒の酒場、“三つの泉亭”は、ジル=クワイラと名乗る旅人の存在で、大いに盛り上がっていた。なにせ彼はキリエの元恋人で、アレフの父親というじゃないか。興味を持たないほうがどうかしてる。

「そう、俺と彼女が出会ったのは、皇都の千年祭でだった」

 この店自慢の褐色酒が入った杯片手に、言葉巧みに話すのはジル=クワイラ本人だ。

「魔術院生の着る黒いローブ姿のキリエは、なんて言やあいいのか、美しかった。そう、ただ美しいとしか言いようがない。花のように鮮やかで星のように煌いていて、まるで詩人が詠みあげたこの世で最も美しい姫君を、地上に蘇らせたみたいだった。その瞬間、俺は彼女に恋しちまったんだ。あんなのは人生で初めての経験で、自分でも驚いたもんさ」

 とうとうと言葉をつむぐ。旅の間にもこんなことをいく度となくしてきているのだろう、酔いがそう回っているわけでもないのに、自然体で、物怖じしない。

「最初に贈ったのはウィンクさ。次には投げキッス。相手にもされなかったね。それでも俺は諦めなかった。当然だろ? 幽玄の花畑で妖精を見つけた男は、死ぬまでその姿を捜し求めるって言うじゃないか。俺もちょうど、そんな感じだったのさ」

「俺だってそうだった――もっとも今俺の妖精は、ぶくぶく太って黒猪みたいになっちまったがね」

 妻子持ちの男が、奥方に聞かれたら八つ裂きにされそうな野次を飛ばす。どっと笑いが起こるのは、女を馬鹿にしているんじゃない、敬意を表しているからだ。

「黒猪もいいものさ。とりわけ腹が減っているときなんかにはね。兎も角、そんな風に俺は彼女に出会い、そして求愛を続けた。やがて彼女も俺に気持ちを寄せてくれた。そして、アレフが出来たのさ」

 ふうむ。髭をたくわえた四十男が、分別臭げに鼻を鳴らした。

「俺はキリエに旅にでようと誘った。そのころから魔術院ってところは、彼女には窮屈になっていてね。なんせあの奔放で心優しい魔女が、カビと本だらけの石造りの塔に満足できるはずがない。もしもあのままあそこに留まれば、きっとキリエは頭に蜘蛛の巣のかかった修道女みたいに、心の死んだ存在になってしまうって思ったんだ」そして大きな身ぶり手ぶりで言った「おおキリエ! 俺と旅に出てくれないか? 君と生まれてくる子供にとって、それはきっと素晴らしい経験になあるはずだ!」

 そこでジル=クワイラは溜息をつき、肩をすくめた。

「だが彼女はその申し出を断った。子供は、自分が生まれた土地で育てたいって。そこは美しい土地で、優しい風が子供を健やかに育てるって言うのさ。できればあなたにも来てほしいんだけど、強制はしないと。そして、自分が生まれた土地を見てほしいって誘われた。だが、俺はその言葉を彼女の拒絶だと思った。愛を交わしたといっても所詮旅人、人生を共にできるような存在じゃないって言われた気がしたんだ」

 そこで言葉を切り、杯を干して喉を潤す。

「だけど、ここに来てキリエの言葉が本当だったって分かる。ここは豊かで、そして素朴だ。何もかもが、世界ができたそのままの形である。地面も山も、空も風も、人も」

 そして目を閉じ、

「ここはいい土地だ。キリエがどうしてあれほど心豊かに育ったのか、ここにくれば分かるよ。俺は今まで、旅人が一番自由だって思ってた。土地にも人にも縛られず、ただ心の赴くままに生きてきた。それは嘘じゃないさ。だけど、ここで彼女のように暮らすもの、また自由だって感じるのさ」

 店はしんと静まり返っていた。いつもは酔って正体をなくす客たちが、今日は神妙な顔をして旅人の話に聞き入っている。

 妙な魅力のある男だった。人懐っこくて爽やかで、それでいてどこか寂しい顔をしている。こんな人間は、村にはいなかった。漂い暮らす人生が、彼に独特な雰囲気を与えたのさ。

「おっと、湿っぽくなっちまったな。主人、皆に一杯おごらせてくれ。この、国で指折りに美しい緑風村に乾杯だ!」

 そこにいる誰もが、彼を好きになっていた。酒をおごってくれたからじゃない。いや、もちろんそういう部分もあるけれど、何より不思議な男だったのさ。



「アレフ。俺と旅にでないか?」

 だしぬけに誘われたのは、ジル=クワイラがこの村に来て三日目のことだった。

 アレフは、なにを言うんだという顔で相手を見た。

「俺と外の世界を巡るんだ。この村はいい所だけど、お前には狭すぎるんじゃないかと思ってな」

 この頃になると、アレフは完全にジル=クワイラに心を許していた。

 最初はそりゃあ、怪しい男だと思ったさ。黒づくめで無精ひげだらけ、見たこともない道具をいくつも身に着けてる。

 だけど、ジル=クワイラの天性の朗らかさ。好きにならずに入られない何か。それは、まったくアレフにも備わっているものだった。

「なんだか分からないけど、べつに行きたくないよ」

 はっきりと言う。悪びれたり、申し訳なさそうにしたりしない。その率直さの中に、ジル=クワイラは自分がかつて愛し、今も焦がれている女性と同じものを感じた。

「そういうと思ったよ」

 二人は村のはずれの石垣で話している。ジル=クワイラはアレフと並んでその上に腰掛け、

「実は、お前の母さんにも同じことを訊いてみたんだ」

「うん」

「彼女も、行く気はないと言った」

「だろうね」

 ジル=クワイラは笑う。そしてかみ締める。そのときキリエに言われた言葉を。

 誘ってくれてありがとう。

 でも私は行かないわ。

「じゃあ、俺は行くよ」

 石垣からひょいと飛び降り、ジル=クワイラは立ち上がった。

「今から? 馬もなしで?」

「ああ。馬なんてなくても、俺にはこの二本の足があるさ。それに、この村に旅人が長く居座る場所はないんだ」

「ウィージェに会っていけばいいのに」

「振られた男が、女が今愛している男に会っても、誰も幸せにはならないよ」

「絶対に好きになると思うけどな」

 ジル=クワイラは少しの間じっと何かを考え、アレフを振り向く。

「なあ、俺はお前の父親か?」

 アレフは少し考え、

「そうかもしれないけれど、違うと思う」

「そうか」

 なぞかけのような返答に、アレフの父親はさわやかに答えた。

 そしてジル=クワイラは歩き出す。旅人のマントが、ふわりと翻る。

「ジル=クワイラ。あんたは、まるで風だ。丘を越え、唐突にやってきて、去ってゆく。俺、ジル=クワイラのことが好きだよ」

「旅人は皆、国々を渡る自由な風なのさ。そしてお前は、この土地に渦巻く旋風だアレフ。だが予言しよう。お前はいつか旅に出るだろう。大きな季節の風となり、諸国を巡るだろう」

 男の心にまた、キリエの声が響く。初めて出会ったときと同じ、歌うような声が。

 さようならジル=クワイラ。

 私は貴方の何者にも縛られない心を愛しました。

 そして私は手に入れたの。

 あの子の中に、貴方と同じ自由な心を。

 ありがとうジル=クワイラ、あの子の父親。

 私にアレフを授けてくれたことを、感謝します。

「いつの日か、アレフ、お前の中の血が、お前を旅にいざなうだろう。どこか、ここではない空の下で、また出会うことを楽しみにしているよ」

 そしてさようなら、ジル=クワイラ。

 今、私には愛する男性がいるの。

 貴方の存在は思い出、そして彼は私と共に生きる今。

 だから、さようなら。

 もしも再びまみえたなら、またお茶を飲みましょう。

 私はもう貴方とは踊れないけれど、語り合うことならいくらでもできる。

「そうだな、また君のお手製の茶葉を楽しむ日を、心待ちにしているよ」

 誰にも聞こえない声で、旅人は風につぶやく。その日は、きっと来ないだろうことを知りながら。

 マントをなびかせた大きな背中を見送る少年のまなざしは、寂しさの中に、ひとさじ憧れが混じりこんでいる。

「さようなら、ジル=クワイラ!」

 最後に一度振り向いて欲しくて、アレフは声を張り上げた。が、その背中はどんどんと遠ざかる。

 旅人はもう、さよならを言わなかった。

 そして、風の中に消えた。


次回も彼らのもとに、客がおとずれます。

はちきれそうに太っちょでひげもじゃの彼は、魔術院最高の魔術士の一人、沫月の大賢者ガリオラ。

アップロードは1月17日の12時です。

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