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 その夜、また不思議な夢を見た。夢の中で私は、なぜかスペインにいた。有名な建築物の前に立ち見上げていると、日本人の青年が駆け寄って来た。どこかで見た事のあるような気がする。

 その青年は、にっこり微笑むと抜けるように濃く青い空に腕を伸ばした。そしてまるで太陽のようなまばゆい光の珠を手にし、それを一度私の頭上にかざすとすうっと消えた。

 その光の珠は、ゆっくりと私の前へ降りてきて一瞬閃光を放ったかと思うと、緑の光になり私のお腹の中へスウッと入って行ったのだ。

 そして、私が歩いて行くその道すがらたくさんの人が笑顔で私に声を掛ける。おめでとう、よかったね、よろしくね。お幸せに、きっといい子に育ちますよ、健康でありますように、と。


 このお腹に宿っている命がただ単に私と佳之の子、というだけではなく、親や祖父母、そのご先祖様はもちろんのこと、様々な人達からの思いを背負って奇跡の命が宿ったのだということを、その夢によって改めて思った。

 きっとあの青年もこの子に何か強い思い入れがあったのだろう。


 その朝、初めて佳之にこの話をした。そういうスピリチュアルな話を普段は胡散臭がるが、全部聞き終わると懐かしそうに、そして静かに笑った。

「それ、多分祖父ちゃんだな、俺の育ての」

 血は繋がっていないが、佳之が小学校高学年の時に亡くなるまでとても可愛がってくれたそうだ。


「緑の珠か……意外だな。祖父ちゃんなら赤とか黄色のイメージなんだけど」

「そうなの? 明るい人だったのね」

「ああ……菜摘、さっきの話祖母ちゃんにも聞かせてやってくれ。喜ぶ」


「え、なんか微妙じゃない? いいの?」

「ああ、いいんだよ」


 お祖母ちゃんはあれから更にシャキッとしてきて、10年以上は若返ったかのようだ。以前のように朝食の準備はお祖母ちゃんの仕事になり、私も少しつわりがあって朝起きるのがきつくなっていたので助かった。

 朝食を摂りながら、夢の話をし佳之が最後に、なあ、祖父ちゃんだよな、と言うと大きく頷いた。

「そうね、間違いないわ……あの人らしいわね。スペインが大好きでね。太陽のような人だったのよ」

 嬉しそうに笑うのが少し意外だった。その佳之の育てのお祖父ちゃんという人は血が繋がっていないのに、この子を気にしてくれているんだ……



 色んな人達の思いを受けて、この子はどんな子に育つのだろう。



   *


 結婚パーティの当日は、見事に雲一つない快晴となった。


 朝から、お祖母ちゃんとお義母さん、琴音ちゃんが焼いてくれているスコーンのいい香りが漂う。

 佳之に呼ばれ寝室に行くと、2人の女性が立っていた。


「何?……わあっ、どうしたのこれ!」


 寝室の鏡の前に掛けられたオレンジ色のドレス……! いつか結婚式場で試着して、一番気に入ってたドレス。

「これ、だったよな?」

 声が詰まって出てこない。佳之は何度も頷く私の頭をポンポン、と手を置き2人の女性に、後はお願いします、と言うと寝室を出て行った。

 半ば放心状態のまま、丁寧かつ迅速に着替えとメイクが施された。ドアの向こうを、パタパタとスリッパの音がしたりドアチャイムの音がしたり、色んな人の声が聞こえる、お客様が来始めたのだ。


「さあ、これで……出来ました! お母様お呼びしまーす」

「……」

 思わず鏡に見入る。うわあ……


 部屋に入ってきた母は、もう既に泣いていた。

「ちょっとやだ、もう泣いてるの」

「だって、菜摘……」


 二人とも、もうそれ以上言葉にならなかった。メイク担当の方が、片付けかけていた手を止めてくれた。


 私が幼い頃離婚して女手一つで育ててくれた母が、この頃一際小さく見える。子供ができた事をなんとなく気恥ずかしく数日の間言えないでいたが、久し振りに二人の休みの日が合ってランチをした時言い当てられた。食べ方や喋り方がいつもと違う、と。母の勘ってすごいな、と思った。人目も憚らずボロボロと涙を流して喜ぶ母に大して恩返しはできていないけれど、安心してくれただろうか。

 

 学生の頃は仕事で忙しくなかなかゆっくり話を聞いてくれない母にイライラし、反抗もした。夜勤をしないとお給料が少なくなるから、と言う母の気持ちも知らず、ひどい言葉を浴びせもした。それでも母はごめんね、と言いながらも私をここまで育ててくれた。自分が大人になって病院勤めを始めてから、夜勤はないにせよ改めてその苦労を思い知りつつ、感謝の言葉もまともに言えずにいた。


「ママ……今までありがとう」

 月並みな言葉ではあるけれど、それが精一杯だった。母は、顔を涙でくしゃくしゃにしながら大きく頷くだけだった。


 メイクの方が私と母の化粧を直してくれた頃、琴音ちゃんが呼びに来た。

「菜摘ちゃん、そろそろ……わあっ、素敵、良く似合ってる! お兄ちゃんの顔が見ものだわ」

 佳之がそんなに見応えのある反応をするとも思えなかったが、何より今日こうしてドレスを用意してくれたのも、カクテルドレスだけどヴェールをかけてほしい、ということも佳之の希望だというだけでも充分だった。ドレスの色に合わせて、黄味の強いアイボリーのヴェールが、ブルーと濃いオレンジの花で作られた花冠とともに髪に固定された。


 片手にブーケを持ち母にエスコートされリビングに行くと、カーテンの引かれたリビングにの窓際に賢太郎おじさんの孫姉妹が可愛らしいドレスを着て立っていた。私の姿を見ると、ぱあっと笑顔になり、せーの、と掛け声をかけて両側にカーテンを引いた。


 若葉の香りがふわっと私を包む。顔に掛けられたヴェールに緩やかな風がはらむ。


 ワアッという歓声と拍手があがり、音楽が風のように鳴り渡る。驚いたことにそれは生演奏だった。琴音ちゃんが電子ピアノを、そして弦楽器の方が数名! すごい、外国の映画みたい!

 見渡すと、お招きした方の他にもこの家で同じ時期に勉強した少し下の年齢の子達も数名、懐かしい顔を見せてくれていた。



 佳之が穏やかに微笑み、満開になった真っ白なモッコウバラのアーチの前に立っている。少しグレーかかった光沢のあるスーツの胸元には、私の花冠と同じ花で作られたブートニアが刺さっていた。

 リビングの掃き出し窓からアーチの前まで引かれた赤い絨毯の上を、1歩1歩進む。佳之の前まで来て、その差し出された手の上に母が私の手をそっと置いた。

バラのアーチの向こう側には、咲き誇るALLEGROSSOの真っ赤な波と、太陽を反射して余多もの煌めきを放つ穏やかな海があった。


 アーチの下で佳之と向かい合う。一緒の高校に合格したその春に、この家の庭でALLEGROSSOの花束を渡されすごく遠回しな告白を受けた日の事を思い出す。最初の頃は、この人の方から告白してきたのに本当に私の事を好きなんだろうか、と疑問に思っていたけれど、不安になった頃にふと、最大級に照れながらくれる「ご褒美」のような言葉が二人を繋いできた。そして初めて手をつないだ日、初めてキスをした日、初めて結ばれた日……今思えば、どれも佳之からだった。


「ほら、かがんで」


 他人が聞けば少し怒ってるんじゃないかと思うような言い方も、照れ隠しなのだと知っている。クスッと笑い膝を屈めると、その柔らかいヴェールをゆっくりと上げた。その手が小刻みに震えている事はきっと私にしかわからなかっただろう。

そして私の両肩に手を添え、額にそっと口付けた。それはとても長く感じた。一斉に起こる拍手とシャッター音に、気恥ずかしさもあったがそれよりも胸が熱くて、目が熱くて。


 司会も何もない式だったが、途中からヒデノリがすっかり染まってしまった関西弁で盛り上げてくれた。そしてリングの交換をし、佳之が用意していた誓いと感謝の言葉を二人で読む。ほら、またこういうの勝手に一人で作ってる。……佳之らしい、もう腹も立たない。だって、手書きでこんなのを一生懸命書いてる佳之を想像してみてよ。それにしても相変わらず字が上手すぎるんですけど。


「本日は、私達のためにお越し頂きありがとうございます。心より感謝申し上げます。

 ご参列下さった皆様の前に、私達が夫婦となることを宣言し、末永く添い遂げることを誓います」

 ワアッと拍手がシャワーのように降り注ぐ。見渡す限りの笑顔に、目頭が熱くなる。

「いかなる時も互いを思いやり協力し、周りへの感謝を忘れず、笑顔の絶えない家庭を築き上げていきますので 是非皆様にはご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます」


「おいおい、かたっくるしいなあ!」

 ヒデノリが茶々を入れるとゲストが一斉にドッと笑う。佳之も気難しい顔をしていたけれどそれで緊張の糸が切れたのか、珍しく声を立てて笑い出した。ふふっ、ヒデノリといると急に子供に戻るんだから。


 それからは、些か緊張気味だったゲストの皆様にも和やかにお話しして頂きながら、ケーキ入刀やブーケトスをしたり、自由気ままに料理やお菓子、グラスを交わしながら、時に生演奏で歌ったり踊ったり、薄暗くなるまでパーティは続いた。皆から、こんなに食べる花嫁は初めて見た、と呆れられつつ。

 

 途中、お腹に赤ちゃんがいることを発表するとまた一段と湧いた。一人ひとりからお祝いの言葉を頂いて、何て幸せな子なんだろう。


 まるでドレスの色のような夕陽が空を染める頃、お義父さんがお礼の言葉を述べお開きとなった。




 ほとんどのお客さんが帰った中、ヒデノリが庭のベンチでタバコを吸いながら、佳之と話しているのが聞こえた。

「ほんま、お前ら結婚したんやな……なんやオレまでくすぐったいわ」

「なんでお前が」

「や、嬉しいねん、お前あの頃世捨て人みたいやったから。菜摘ちゃんおってよかったな」

「ああ」

「しあわせやな」

「……バカ」

「……お前な、関西人にバカ言うなや……傷つくっちゅーねん。ほんま、嬉しいくせに」

「誰が関西人だ、アホ」

「そうそう、それそれ」


 相変わらずヒデノリは、唯一、心を許す大事な友達なんだな。ヒデノリといる時の笑顔は格別。ちょっと妬ける。


「なんやお前、すごい賞もろたらしいな」

「ああ、やっとな。このバラで念願の色素が作れた」


 そう、あの後このバラの色素で作ったメディカル用緑色の色素がとても優秀で、何かの賞を頂いたらしい。既に実用化に向けて開発を進めている。あれが世に出れば、今まで不完全だった赤斑も完璧に隠すことができ、日数調整も簡単になる。皮膚科の看護師としても、これがいかに画期的なことなのかわかるし、それが自分の夫が作ったということが誇らしい。うちの病院でも喜んで下さる患者さんがたくさんいるはずだ。


「にしても、ええ庭やな。マンションやから憧れるわ、こんなん。子供も喜ぶやろなあ」

「裸足になってみろよ、気持ちいい」

 二人でポーンと子供のように裸足になり、芝の上を歩く。ほんまや、気持ちええわ、とヒデノリが大げさに言うと、ご満悦な顔をする。


 家の中では、久し振りに顔を合わせた親戚がお祖母ちゃんを囲んで、思い思いに話をしている。みんな笑顔。皆は久し振りなので、お祖母ちゃんが一時期痴呆になりかけていたことを知らない。相変わらず元気だね、と口々に言っていた。良かった、皆を元気なお祖母ちゃんに会わせることができて。


 実は、さっきから……小さな二つの光が、時折漂っているのが見える。きっと誰も信じないだろうから言わないし、本当に良く見ないとわからないのだけれど。一つは青みを帯びた光、もう一つは黄みを帯びた光。親戚の周りをウロウロしたり、お祖母ちゃんの肩に乗ったり、佳之の所に行ったり。もちろん私の所にも来る。きっと、お祖父ちゃん達だね? ありがとう、来てくれて。

 しばらくすると、二つの光はじゃれ合うように窓をすり抜け、夜空に消えて行った。



「ふう、お疲れさん、お祖母ちゃんも疲れただろ。そろそろ寝たら」

 最後にお義父さん、お義母さんと琴音ちゃんを見送ってリビングに戻った。

「そうね……菜摘ちゃん、ハーブティ淹れてくれるかしら」

「はーい」


 3人お揃いのティーカップでよく眠れるブレンドティーを飲む。

「良かったわねえ、今日は。楽しいお式だったわ、皆にも会えたし」

「ああ」

「……あのね、来てましたよ、お祖父ちゃん達も」

「え? 前から思ってたけど、もしかしてお前そういうの見れるの」

「うーん、わかんないけど。光の珠が見えたの、二つ」

「そう……来てくれたのね。あの人達、気になって仕方なかったんだわ。他ならぬ佳之の事だもの」


 一口ほど残ったカップを両手で弄びながらお祖母ちゃんが幸せそうに微笑む。きっとどちらのお祖父ちゃんも愛していたんだろうな……お祖父ちゃん同士もああやって仲良く一緒に来るというのも意外だった。

「ねえ、菜摘ちゃん」

「はい」

「佳之と……この家を、よろしくね」

「もちろん」

「……あの人の命を繋いでくれて、ありがとうね」

「お祖父ちゃんの?」

「ええ……孤独な人だったの。幸せに思ってるわ、きっと」

「……赤ちゃん、見せてあげたかったなあ、もっと早く結婚すればよかった」

「いいのよ、仕方ないわ。大丈夫、ちゃんと見守ってくれてるのがわかったから」

「優しくて素敵なお祖父ちゃんだったよね。この子もそんな人になって欲しいな」

「ふふっ、ダメよ。ああ見えて結構な嘘つきなんだから。だってね……」

「祖母ちゃん、その話、長いから。もうそろそろ寝ないと」


 佳之に促され、お祖母ちゃんは寝室に入って行った。もう、ここ1カ月以上寝る時の付き添いも必要なくなっていた。


「佳之、今日は本当にありがとう、ドレス嬉しかった」

 薬指にはめたリングを見つめる。入籍は既に、妊娠した時点で済ませていたけれどようやくお嫁さんになれた気がする。

「ああ、良かったな、今日は」

「楽しかった」

「ああ」


「ねえ、佳之……私、どんなことがあっても……どんな道に迷い込んでも、佳之について行くから」

「わかってる」

「ほぅ、言うねえ。じゃあ、佳之は私が道に迷ってたらどうする?」

「バカ、助けに行くに決まってんだろ」

「何もかも放り投げて?」

「当たり前」


「……ありがとう、佳之、大好き! 幸せになろうね」

「……ああ」


 リビングから眺める庭の新緑も、今は月明りの中安心してその息吹を休めている。モッコウバラのアーチの向こうは、ALLEGROSSOの赤い波と静かな蒼い海がまるでシャガールの絵画のよう。


 お祖父ちゃんの愛した庭、そしてそれを継ぐ佳之。この子もきっと、この庭を愛する。






モッコウバラの花言葉

「初恋」「私はあなたにふさわしい」


 最後までお読み下さりありがとうございます。この度は、このような企画に参加させて頂き、三編めれ様には心より感謝申し上げます。

 この話はムーンライトノベルズ掲載「朝霧」のスピンオフですが、本編のあとにまず「ALLEGROSSO」があり、この「グリーン・フィンガー」はスピンオフその2なのです。


 本編が大抵重たい話で、いわゆるメリーバッドエンドでしたので、このような緩い幸せな話を書くのはとても楽しかったです。

 不器用無愛想な天才科学者だけど実は菜摘に心底惚れこんでいてツンデレ佳之と、優しく明るく元気で母性に溢れ、ポジティブな菜摘。いいコンビだな、と思っています。


 家族とは、血とは……そして真の幸福とは。


 本編では不憫に思える真太郎も、この話では恵太の魂と共にあらわれ行く末を見守ったところを見ると、やはり彼は太陽だったな、と思うのです。

 その光に照らされ(赦され)た恵太も、そして二人に見守られ幸せに暮らす美晴も皆、幸せに微笑んでいる姿を思い浮かべ、作者ながらにホッとするのです。


 ここまでお見守りくださり、本当にありがとうございました。


 

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