第三十三話「エンカウント」
我に返った私は、室内にあるテーブルの下に潜り込む。あまりにも大きな音を響かせてしまったからだ。あの音を聞きつけて、誰かが駆けつけたなら、手間が増える。それが原因で失敗するようならば、オールに勝機はない。他に策があるなら、また別の話だが。
しばらく隠れ続けた時が、誰も来る様子がない。聞こえてくるのは、微かに聞こえる電子音だけだ。私は慎重に、かつ迅速に部屋を漁る。
最初に調べるのは、成人した人間がすっぽり入ってしまうような、大きな試験管だ。中には半透明の液体が詰まっており、底には黒い粉末状の物がある。それは時折少量の気泡を吐き出すが、特に変化はない。もう一本同じ試験管があるが、そちらは割れてしまっている。
近くの机へと視線を動かせば、いくつかのファイルが無造作に置かれていた。しかし、それは目的の物ではない。部屋の中を念入りに探せど、オールが言うような物はなかった。定期的に響く音は、奥の部屋から聞こえた。そちらへと続く扉の前に立ち、ゆっくりとドアノブに手を伸ばして回す。扉は容易に開き、隙間から中を除いた。
部屋の中央で誰かが血の海に沈んでいる。夥しい量の血は、人間の傷口から溢れた様に見えた。私は周囲に気を配りながら中に入り、扉を締める。
「これは酷いわね……」
血の匂いもだが、死体もそうだ。右足は足の形をしておらず、片腕は体から分離している。一体どうしたらこんな事になるのか、理解に苦しむ。血腥い部屋を歩き、定期的に電子音が鳴る機械へ近付く。モニターが少し血で汚れているが、オールが言っていた様な画面が映し出されていた。手元のパネルで機械を操作する仕組みだと解るが、動かせない。壊せば変わらない、あとはモニターの変化が起きるまで待つだけだ。
「試験管の中身が犯人かしら? 近くにいないといいのだけれど」
この死体がいつ出来たのか解らないが、今以上に気をつけるべきだ。グリップをパイルバンカーから出し、握りしめる。その瞬間、変化が現れた。モニターに書かれてある兄さんの名前が点滅し、一本の線が兄さんからオールの名前へと移動する。きっとこのタイミングだ。パイルバンカーを機械へ向け、起動させた。
試し打ちした時と同様に、パイルバンカーは音を立て始める。機械は悲鳴を上げ、箱の先端から放出されたそれは標的を抉り取った。扉の様に木っ端微塵にはならなかったが、モニターには大きな穴が出来た。目的を終え、私は一目散に部屋から立ち去る。あとは執事達と共に脱出するだけだ。オールには悪いが、これ以上してやれる事はない。
「急がないと」
今まで来た道を、ひたすら走る。ロッカーで埋め尽くされた部屋の近くまで着くと、何かが這いずって来る音がした。試験管の中身か、それとも別の何かか。パイルバンカーを構え、ゆっくりと後ろへ下がる。
姿を現したのは、服を着ていない獣人族の女だ。燃えるように赤い髪は長く、それで隠れてしまった表情は窺い知れない。上半身は人間のそれだが、下半身は違う。まるで物語に出てくる人魚だ。彼女は、私目掛けて飛びかかってきた。
人間とは異なる歯と爪が妖しく光る。それをパイルバンカーが収納された、長方形の箱で受け止めた。至近距離で見た彼女の顔に、血の気が引く。
「嘘でしょ……」
それは私の顔と、とてもよく似ている。本能的に振り払い、顔が似た獣人族を壁へ叩きつけた。後頭部を強打したにも関わらず、彼女は意識を保ち、私を睨み続ける。その様は、仇敵を見つけたかのようだ。獣の鳴き声をあげる彼女に恐怖を覚える。もしかしたら、私があの存在になっていたかもしれない。
「恨むなら、兄さんを恨んでよ……! 私が貴方に何をしたっていうのよ!」
パイルバンカーを彼女に向けて、思いきり起動させる。しかし、奇妙な事に何も起きないではないか。中の不調なのか、それともかつて使った蒸気機関のように、回数制限があるのか。こちらの気も知らずに、彼女は再び襲い掛かる。
「ちっ」
横に転がり、組み付かれるのを避けた。体勢を立て直すよりも速く、相手の尻尾により一撃を受ける。致命傷にはならない程度だが、転倒させられてしまい、隙を作ってしまった。顔が同じどころか、目聡いのも一緒らしい。素早く反転した彼女は、私に覆い被さり、両手首を掴んで動けなくする。両足は彼女にのしかかられて、どうしようもない。
「……なによ」
これでもかと、しかめっ面を見せつける。それに臆する素振りすらも見せない彼女は、口を開く。鋭い歯をちらつかせ、嬉しそうに笑う彼女に疑問を持つ。一体私をどうするつもりなのか。それに答えるかのように、顔を近づけてくる。逃げようもない私は、目を閉じた。




