第三十一話「交渉」
瓦礫と共に叩きつけられるかと思いきや、冷たい水の感触と息苦しさを覚える。どうやら水中に飛び込んだようだ。自力で浮かび上がろうとする前に、私を抱きしめていた執事が足の力だけで水面まで引き上げてくれる。呼吸を整え、ゆっくりと周囲を見回す。地下に備え付けられた明かりを頼りに岸へ向かう。
「建物の下にこんな深い洞窟があるなんて」
「洞窟というよりは……なんでしょうね。貯水槽でしょうか?」
「とりあえず出るわよ。何がいるかわかったものじゃないわ」
岸まで泳ぎ切り、二人でなんとか水面から這い出る。壁に付けられた照明が私達と水面を照らし出すが、その光は時折点滅する。一緒に落ちたファントムとブライもどこかにいるはずなのだが、あまりにも広くて探しようがない。
「……おや?」
執事は目を細め、反対岸を注視した。私も釣られるようにそちらをみれば、白い甲冑が汚れてしまったブライが反対岸にファントムを水面から引き上げている。ブライ自身も水面から出ようとしたが、それは叶わず沈んでいった。水底で一度光ったかと思えば、それきり何も起きない。
「私は彼の方へ行きます。申し訳ないですが、周囲の探索を頼んでもよろしいですか」
「わかったわ。そちらも彼を頼むわね」
「ええ、任せてください」
提案を飲みこみ、執事が水面に浮かぶ小さな瓦礫を足場にして反対側へと向かうのを横目に、私は明かりが続いている方へと進む。拝借した軍用ナイフも地下に落ちる衝撃で失い、頼りになる獲物もない。途中で分かれ道があり、周囲を確認してから道の先を見る。
右手側からは水が流れ込んでいて、そのまま貯水槽と思われる場所へと向かっているだけだ。左手側は、鉄の扉が遠くに見える。あちらがこの場所への出入口なのだろう。扉が開くかどうかだけでも確かめてから、執事の場所に戻っても遅くはないはずだ。そう考え、左手側の道へと進んで扉へと近付く。その時に限って、扉が音を立てて開いた。
「見つけたよ、アリス」
「うわ……最悪」
「そこまで邪険にならなくてもいいんじゃないかな」
対峙したのはオールだった。裏拳で仕留めたと思ったのだが、中々頑丈なようだ。彼は二本のガンブレードを持っており、一本をこちらへ放り投げた。相手から目を離さず、足元に落ちたガンブレードを踏んで確保する。
「どういうつもりかしら?」
「ちょっとした心変わり、かな。クローンでも、僕は別の存在だと考えているんだ。だから、オリジナルに体を弄られて好き勝手されるのは勘弁してもらいたいのさ。だから……」
言葉を区切り、オールは手を差し出す。彼の真紅の瞳が私を捉えて離さない。
「アリス、君が本物じゃなくても構わない。利害が一致するならば、僕がオリジナルを倒す事に協力してほしい」
「……もし、断ると言ったら?」
「残念だけど、ここでしばらく眠っていてもらう事になるかな。僕としてはどちらでも構わないけどね」
微笑を浮かべ、こちらに判断を委ねる。クローン技術に使われる機材の破壊が目的ならば利害は一致したが、兄さんを倒すと彼は言う。そもそも、彼は兄さんを倒せる策があるのか?
「私としてはクローン技術が二度と使えなくなれば、それでいいのよ。それに、貴方が兄さんを倒せると思えないわ」
「なるほど、アリスの言い分も理解は出来る。実際問題でオリジナルと真っ向勝負して勝てるとは思えないからね。倒すのにも細工をしようと思うんだ。そうだね……、なら交渉しよう。僕は設備がある場所までの道が分かるから、それを君に教えよう。その代わり、こちらの指定したタイミングで壊してほしい。それならば、君の目的も果たせるだろう?」
オールの言葉を聞き、しばし考えこむ。確かにそれならば私にとって目的は達成できるが、オールにとってそれはプラスに運ぶのか疑問を覚える。
「果たせるけれども、指定したタイミングで破壊する事が貴方にとって有益な事なのかしら」
「ああ、充分だね。オリジナルがクローンに干渉するのに、常備してる子機から設備を通して、僕に埋め込まれいる子機へと干渉しなければいけないんだ。だから、オリジナルが僕に干渉するタイミングで設備を壊せば、隙も出来るし勝機もあるんだ。分かってもらえたかな?」
子機から子機へと直接干渉できないのは技術不足だとしか思えないけど、と彼は微笑む。オールは本気で兄さんを倒すつもりのようだ。私にとっても、妹の器として兄さんに狙われるよりは安心かもしれない。しばし考えた後、オールの手を取った。執事とファントムには悪いけれど、しばし休んでもらおう。
「交渉成立だね。とりあえず、その腕をなんとかしようか。ちょっと寄り道して万全の準備をしよう。あ、ガンブレードもちゃんと持ってきてね」
金髪の髪を揺らす彼は、再び扉をくぐった。私は足元にあるガンブレードを拾い上げて、追いかける。一時は刃を交えた相手だとしても、使えるならば使わなければ。手段を選ばなければ、叶うものも叶わなくなるから。




