第二十九話「大破」
目の前で、銀髪が舞い落ちる。それが私の髪なのはすぐにわかった。私を拘束していた力が緩んだのを感じ取り、素早く身体を動かす。潜在能力を解き放ち、義手の起動スイッチを入れて蒸気機関が稼働する。蒸気を煙幕代わりに放出させ、部屋にある窓を叩き割って外に飛び出す。また捕まる前に、脱出しなければいけない。
「そんな煙と自己暗示が通じるとでも?」
「なっ……」
叩き割った窓から身を乗り出し、あと一歩という所で兄さんの左手が義手を掴む。蒸気の熱で高温になっている義手に触れているのに、顔色一つ変えない。ましてや、潜在能力を使って確実に逃げようとしたのに、腕を掴まれるなんて。
「どういう経緯でそれがクローン達の間で広まったのかは謎だがな。そのおまじないは結局自己暗示に過ぎないよ。研究資料にそう書かれてる」
「離して!」
「その願いは、妹のクローンでも聞き入れられないかな」
私の言葉を真っ向から否定すると同時に、義手が悲鳴をあげた。見れば義手に亀裂が入り、そこから蒸気が吹き出ている。蒸気によって解りにくいが、その亀裂は兄さんが掴んでいる部分から発生していた。
「躾がなっていないね」
義手が衝撃に耐え切れず、肘から先が木っ端微塵となった。それは、内部に収納されている蒸気機関も壊されたということ。蒸気機関は爆発を起こし、義手だった破片は私と兄に襲い掛かる。それらは私の左半身にいくつもの傷を作り、その中でも一際大きい破片が、左目を傷つけた。爆発の衝撃は、窓から身を乗り出していた私を三階から落とすには充分な衝撃だ。
痛みで声にならない叫びが、自分自身の耳に届く。背中から大地に叩きつけられるかと思いきや、いつまで経ってもそれは来ない。代わりに、兄さんではない誰かの声が聞こえた。目を開けたいけれども、痛みで目を開くどころか、身体を動かすのも難しい。
「全く、また無茶をして……。私が貴方を死なせるとでも?」
その声は執事のそれだ。長年一緒に旅を続けていたのだから間違いない。なぜ、こんな所にと聞き出したいが、口から漏れる言葉は呻き声だけ。
「喋らなくて結構です。今は引きましょう。私は一緒に旅をした貴方を失いたくありません」
まさか彼からそんな言葉が出るとは。執事がその場から立ち去るよりも速く、誰かが足止めしたようだ。質量を持った物体が何かにぶつかる音がする。
「俺のクローンがこんな所で何をしている? せっかく逃したのに戻ってくるとは思わなかったよ」
「私も好きで帰って来た訳ではないので。ついでですよ」
「そうか。では、そのクローンを置いて帰ってくれないかな」
兄さんも三階から飛び出して追ってきたのだろう。執事に私を差し出す事を要求してきた。彼はしばし黙ると、返事を返す。
「困りましたね。それは出来ない相談ですね」
そう答えた瞬間、執事は動き出した。私を抱きしめる彼の両腕が、決して離すまいと言わんばかりに腕へ入れる力が強くなる。何かがぶつかり合う音がしばし続いたと思いきや、一発の銃声がそれを止めた。
「……伏兵とは、準備がいい」
「それはおまけです。では、私達は忙しいのでこれで」
あの一撃は兄さんを狙った物のようだ。執事は言うだけ言うと、そのまま走り去る。後ろから呼び止める声が聞こえるが、執事は止まることはなかった。
どれくらいの時が経ったのだろうか。意識はあるのだが、霧が掛かったようにぼやけている。遠くで執事の声が聞こえた。
「生きてますか?」
「……聞こえてるわ。今はどこにいるの?」
「ファントムの拠点です。医者が来ますから、もうしばらく頑張ってください」
「やぶ医者だけは勘弁してよね……」
なんとか喋れるようになった私は、文句を彼に飛ばし、痛みに堪えながら息を整える。しばらくは来そうにない医者を待っている間、執事に状況説明を請う。
「結果から言いますと、ユルトはいませんでした。別の場所に運ばれたのか、自力で脱出した後かと。あとは私達が貴方達と合流しようとしたら、あの場に鉢合わせただけです」
「そういう事ね……。ちゆりは?」
「一人にしてほしいと、外出しています」
無言が周囲を包み込む。私は気になっていた、けれども聞きたくなかった事を尋ねた。返答次第では、彼からも逃げなくてはならないから。
「誰の味方なのかしら」
「私は、大事な人達の味方ですよ」
まだ目を開けない私は、彼があの胡散臭い笑みを浮かべていると確信した。




