第二十四話「消えた幻影」
私が拠点に戻る頃には、日が若干傾き始めていた。ちゆりは既に風呂をすませたらしく、嬉しそうな表情をしている。彼女は再会した時と同じマントを羽織って椅子に腰掛けていた。私が帰ってきた事に気付いたようで、不満そうな顔をこちらに向ける。
「もぅ! どこ行ってたんですかー」
「あはは、ちょっと散歩をね」
適当に誤魔化してやり過ごそうとするが、ちゆりの対面に座っていた執事が深い溜息を吐き出す。どうやら彼にはバレバレのようだ。執事は私の頬に出来た傷を指摘してきた。
「散歩で傷が出来ますか?」
「ちょっと転んだのよ」
「それにしては、やたら血なまぐさいのですが」
「そういう時もあるわ」
「なるほど。では、チロだけ先に戻って来たのはどう説明する気なんでしょうか」
「……」
上手い返しが浮かばず、つい視線を逸らす。その視線の先に、偶然にもチロが丸まっている姿が見えた。我関せずといった様子で、見向きもしない。続く沈黙と、二人の視線に耐え切れず、先ほどの出来事を白状した。別に隠すほどでもないが、なんとなく隠してしまったとは言えない。
「へー。獣人族って変な種族なんですね」
「変な種族というよりは、その少年が異質だった気がしますが。鱗が剥がれたら人の姿……見間違いとかではなくて?」
獣人族を詳しく知らないちゆりが目を丸くする。執事は彼女の言葉を否定し、少年の存在自体を疑い始めた。数刻前に戦った相手を間違えるほど、私は阿呆ではない。
「それはないはずよ。なんなら、今から確かめに行く?」
「いえ、殺したのなら結構です。どんな存在であれ、命が尽きたのなら同じ結果ですから」
「まあね。とりあえず、頬と額にできた傷を治療したいのだけれど、お願いしてもいいかしら?」
「仰せのままに」
執事の隣に座り、怪我した箇所を伝える。彼はどこからか取り出した救急箱をテーブルに置いて、私の顔に手を伸ばす。迫り来る手に身を任せ、瞳を閉じて静かに終わるのを待つ。彼の右手は頬の傷をなぞり、左手は髪をかき分けて傷を探すのが解る。
「どう? 血は止まっているから酷くないかも」
「応急手当だけしときます。今回のやる事を終えたら、しっかり治療しましょう」
「わかったわ」
私が頷くと、執事はちゆりにも声をかけ、周囲が少し騒がしくなった。処置が終わるまで、傷口に塗られた薬が染みるのを耐え続ける。この感覚はあまり慣れないけれど、生きてる実感がして嫌いになれない私がいた。
しばらくすると、するすると包帯が巻かれるような音が耳に届き、巻かれて頭が少し圧迫される感覚がする。次に箱を閉じた音が響き、騒がしかったのも静かになった。
「終わりましたよ。最低限ですので、無理はしないでください」
「ありがと」
彼に礼を言ってから瞳を開けると、安心した表情のちゆりと執事が見える。額に右手を伸ばすと、包帯の感触がした。深呼吸して気持ちを落ち着かせる。そこでファントムがいない事に気付いた。気配すら感じ取る事も出来ず、ここにいないのかだろうか。
「そういえば、ファントムは?」
「彼なら先ほどまで……。おかしいですね、どこに行ってしまったのやら」
執事は返答に詰まり、両手をあげて降参のポーズを取る。ちゆりに至っては首を傾げてしまい、全く気付かなかったようだ。行方不明になっても、彼なら大丈夫だろうという信じて、当初の予定の時間までゆっくりしよう。
そういえばと、ファントムが風呂の準備をしてくれていたのを思い出す。ただ、この怪我では風呂に入れないだろう。しかし血の匂いも相まって、酷くなっているかもしれない。ここは執事に判断をしてもらわねば。応急処置とはいえ、彼が傷を診てくれたのだから。
「やっぱり、このままお風呂入るのは不味い?」
「よろしくないですね」
「そう……」
予想していたとはいえ、落胆を隠せず肩から力が抜けた。個人的には汚れをなんとかしたいのだけれど、傷が悪化するのは避けたい。仕方なく、ファントムが戻って来る前に一眠りしようかと椅子から立ち上がる。それと同時に、ちゆりに声をかけられた。彼女の手にはタオルが握られている。
「それでしたら、私がタオルで拭きましょうか?」
「え。あー……それは盲点だったわ。お願いしようかしら」
「はい! 準備しますんで、部屋で待っててくださいね」
「わかったわ」
こちらの返事を待ってましたと言わんばかりに、ちゆりは忙しなく動き出す。執事は彼女にキッチンまで追いやられ、腫れ物みたいな扱いをされている。そんな彼女の行動が、かつての友人と重なって見えて笑いが止まらない。まるで、あの頃に戻ったかのように思えてしまう。
そんな事を考えているうちに、彼女は私のもとに戻って来た。タオルとバケツを持ち、バケツの中には湯気が上がっているお湯が入っている。
「どうしたんですか?」
「なんでもないわ。大した事じゃないわ」
「? とりあえず、しろさんの部屋に行きませんか」
「はいはい。わかったから押さないで」
こちらの背を押す彼女を宥めるが、そんな事などお構いなしのようだ。どうも彼女には強く言えず、困ってしまう。溜め息を漏らしつつも、ゆっくりと自分の部屋へと足を運んだ。




